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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
冥王国の進軍
78/86

4-25 それぞれの開戦

 遂にその時が来る。

 幾度の戦いがあり、幾人もの戦士が傷を負った。

 多くの思惑がすれ違い、ここに至るまでどれだけの遠回りをしたのだろう。

 たった1人の男が始めた戦争――それが今日、ようやく終止符を迎えようとしている。





 同盟軍が最後の作戦会議を開いてから3日目の朝、戦場と定めた平原にはすでに冥王国軍が待機しており、相手を悠々と待ち構えていた。対外的には有利な平原を戦場とするための行動であり、同盟軍に不審がられる事はない。

 休息は十分、準備も万端。

 冥王ドレッドの思惑に従って、同盟軍側の作戦通りに動くつもりではあったが、負ける気などありはしない。相手の策を上回るほどの武力で以って、勝利を手にするつもりである。

 冥王国軍の誰もが、同盟軍が現れるのを今か今かと待ち望んでいた。

 「――伝令!同盟軍の姿を捉えたとの事です!」

 その最中、敵軍発見の報告が入る。知らせを受けたのは当然ドレッドであり、戦場に不釣り合いな椅子に座りながら不敵に笑ってみせた。

 現在、冥王の傍には将軍の半数が警護についているため、彼らもその報告を聞いており、思い思いの反応を見せてくる。

 「やっとかよ!待ちくたびれたぜッ!」

 拳を打ち合わせ、そう叫んだのは1人の女性である。

 彼女の名は、セレ・ヴィクトリカ。肩から腰まで背中を大きく露出した前掛けを着ており、下半身には筋肉質な足をぴったりと覆った伸縮性のある動きやすそうなズボンを着用している。

 身軽な格好と言えるが、その中で最も目を引くのが、膝から下までを守る脚甲であった。彼女が身に着けている物の中で、唯一と言っていい武具である。

 その瞳は来たる決戦に向けて好戦的に輝いており、それが彼女の性格を如実に表していた。大将軍ガロウに負けず劣らずの獰猛な笑みを浮かべる(さま)からは、己に対する絶対的な自信が窺える。

 「えー・・・怖くないの、セレちゃん・・・?」

 そんな彼女とは対照的に、怯えたように問い掛ける女性も将軍の1人だ。

 セレのことを親し気に呼ぶ彼女の名は、ファディア・カレン。雰囲気同様セレとは対照的に、前面を大きく露出した服装をしているのが、特に男の目を引き付ける。

 全てを曝け出している訳ではないが、彼女の中で最も特徴的な部位である胸が強調された服装だ。その胸部は、女の願望と男の欲望を詰めるだけ詰め込んだような大きさを誇っており、先端が辛うじて隠されている程度である。

 男に襲われても文句の言えない格好ではあったが、ファディアにそのような経験はない。それだけ、彼女が実力者であるという事なのだろう。

 セレとファディア――双方ともに美しい女性であり、戦場には似つかわしくない格好をした人物である。しかし、それを許される存在であることもまた、疑いようのない事実であった。

 「ああンッ!?ファディア、てめえ!まさか、ビビってンのかあッ!?」

 「怖いに決まってるよー!だって、これから大きな戦いが始まるんだよー!?」

 「馬ッ鹿ッ!!望む所じゃねえかッ!ジェイクだろうが『光の剣士』だろうが、この私がぶっ殺してやんよッ!」

 そう豪語するセレに向かって、小さな嘲笑があがる。

 その発生源は1人の長身痩躯な男であり、彼女達と比べれば大人しい服装をしていた。それでも鎧は身に着けておらず、左手に武器を持つだけである。

 しかし、その武器が特徴的であった。鍔のない長刀は単純な外観をしていたが、その長さが異常である。

 背の高い男とほぼ同等。抜くにも振るにも苦労しそうな程に長く、観賞用と思われても仕方のない一品であった。

 男の名前はカシューン・ヴェイグ。そのような長刀を軽々と扱える剣豪である。

 「相変わらず考えなしのようだな、セレ。ジェイクはガロウ大将軍が、『光の剣士』はアレスター老が相手すると決まったはずだろう?」

 「うるッせえぞ、カシューン!てめえこそ、相変わらず長い棒っきれ持ち歩きやがってッ!邪魔くせえンだよッ!」

 「ふふふ。小生の『流星(りゅうせい)()太刀(たち)』がよほど恐ろしいと見える。そんなに手柄を奪われるのが怖いか?」

 カシューンの言葉を聞き、今度はセレが小さく噴き出した。

 「おい!聞いたか、ファディア!『小生』だってよ、『小生』!こいつ、この前まで自分のこと『拙者』とか言ってたくせによおッ!」

 「笑っちゃ駄目だよ、セレちゃん。カシューン君は地味だから、記録係の人にあんまり良いこと書いてもらえないんだって。だから少しでも目立とうと、一人称を変えてるんだよ」

 「ぷははははははッ!そういや、こいつ担当の記録を見た事があるけど、『カシューン将軍が勝利を収めた』しか書いてなくて笑ったぜ!」

 「ぐふうあッ!」

 大声を上げて笑うセレの前で、打ちのめされたカシューンが四つん這いになる。長刀を丁寧に横たわらせているあたり、なんとか平静は保っているようだ。

 「駄目だよ、セレちゃん!そうやって友達を傷つけるのは良くないんだよ!?」

 「本当の事を言ったまでだろうが!それともなんだ!?お前は私じゃあなく、こいつの味方なのかよ!?」

 「ええ!?そ、その言い方はずるいよー・・・」

 女性陣のやり取りを聞き、カシューンが伏せていた顔を勢いよく上げる。どこか興奮した表情をしており、何やら如何(いかが)わしいことを考えているようであった。

 「お前達・・・!やはり学生時代の噂は本当だったのか・・・!?」

 「あ~ん?なに言ってんだ、てめえ?」

 「お前達が恋仲だったという噂だ!」

 セレとファディアは女性同士という事もあり、それが真実であろうとなかろうと、そのような事を大声で話されては戸惑うものである。しかし彼女達は平然と受け止めているようであり、セレに至っては侮蔑を含んだ表情でカシューンを見下(みお)ろしていた。

 「なに馬鹿なこと言ってんだか。寮の部屋が同じだっただけじゃねえか。そりゃ毎日のように一緒に風呂に入ったり、同じ寝台(ベッド)で寝たりしてたけどよお」

 「懐かしいね~」

 「つっても、今もあんま変わらんけどな」

 「なにいいいいいいいッ!?」

 衝撃的な事実を知ったと、カシューンの顔は驚愕に染まる。空気を震わせるような大声を上げ、その手は力強く地面を抉っていた。

 そんな狼狽を隠し切れない彼であったが、何を思ったか四つん這いの姿勢のまま飛び上がり、再び地面に着地すると同時に土下座の態勢になる。それはそれは見事な土下座であり、非の打ち所がないとは正にこういう事だと教えてくれていた。

 「一生の頼みだッ!小生もそこに加えてくれッ!」

 「わー!カシューン君の土下座だー!久しぶりに見たー!」

 「ああッ!?なに言ってんだ、てめえッ!?無様な姿まで晒しやがってよおッ!」

 怒りの感情を露わにし、セレがカシューンの後頭部を踏み付ける。脚甲を着けているため威力が高く、危険な音が辺りに響いた。

 けれども彼は動じず、完成度の高い土下座を崩すことはない。

 「きゃあああああ!大丈夫、カシューン君!?」

 「本望でしかない」

 「カシューン君!?」

 「おい、ファディア!記録係を呼んで来いッ!こいつの情けない姿を後世まで残してやろうぜッ!」

 「駄目だよ、セレちゃん!流石にカシューン君が可哀想だよー!」

 「ああンッ!?てめえ!やっぱりこいつの肩を持つみてえだなあッ!」

 そう言うと、セレはカシューンの頭から足をどけ、ファディアに面と向かう。そしていきなり、彼女の豊満な胸をその両手で鷲掴みにした。

 「この淫乱エロ女があああああッ!こんな格好してんのも、男にチヤホヤされたいからだろうがよおおおおおッ!」

 「やあんっ!ち、違うよー!この服は将軍になった時に、ソフィア先生から『男は後ろに魅力的な女がいる程よく働く』って言われて贈られた物なのー!」

 「なにいいッ!?あのババア!私にはそんなこと教えなかったぞッ!」

 「そ、それはー!セレちゃんには合わない方法だから――!」

 「なんだとおッ!?やっぱり(コレ)かッ!?(コレ)なのかッ!?誰がここまでデカくしたと思ってるッ!?」

 「むううううッ!?今の発言!小生に詳しく説明してくれッ!」

 「てめえは黙ってろッ!本気で一発喰らわせんぞッ!」

 「セレちゃん!そろそろ放してよー!」

 「嫌だねッ!悔しいから、まだ放さねえッ!」

 「セレちゃんだって、そこそこあるでしょー!」

 「それが逆にムカつくんだよッ!動くのに邪魔で、ない方が良かったわッ!」

 「やあああああん!これ以上乱暴にしないでー!やめさせてください、ガロウ様ぁ!」

 「お前達・・・少しは静かに出来んのか・・・・」

 これから戦が始まるのにも関わらず、大はしゃぎする3人のやり取りを見て、ガロウは頭が痛いと額に手を当てる。同様に傍で見ていたドレッドは楽しそうに口の端を上げており、大将軍のように呆れてはいないようであった。

 と言うのも、将軍の指導は全てガロウに委ねているからであり、ドレッドは困っている彼を見ているだけで良いからである。対岸の火事と言うのだろうが、ガロウにしてみれば助け舟の1つでも欲しい所であった。

 「いいじゃねえか、これくらい。相変わらず、ガロウの旦那は堅物だぜ。ファディアの胸くらい柔らかくなってみろよ」

 「セ、セレちゃん!」

 「口答えをするな、セレ。そして、いい加減にファディアから手を放せ。それとカシューン、お前はいつまでそうしているつもりだ」

 大将軍からの指示とあってか、セレは「仕方ない」といった感じにファディアを解放した。一緒に叱られたカシューンも土下座の姿勢を崩し、長刀を手に直立する。

 佇まいを正した3人に向かって、ガロウはまず始めに問い質した。

 「お前達、今回の戦がどれだけ重要な物か分かっているのか?」

 「うわ、説教かよッ!」

 瞬時に、セレが不服を申し立てる。上官であるガロウに対しても攻撃的な態度を正すつもりはなく、いつもの事とは言え、彼の眉が不快気に動いた。

 彼女を含め、『第一黄金世代』と呼ばれる者達は個性的な者が多い。ではセレ達だけがそうかと言われるとそうではなく、冥王国では若い世代になるにつれて、強すぎる個性を持つ者が増えていた。そして、理由は分からないが、特徴的な人格を有する者ほど実力者であることが多いのだ。

 そのため、様々な環境で年輩者との衝突が起こった。

 それに対して、「最近の若い者は――」と言うのは簡単である。しかし、そのような単純な手段に出てしまっては、彼らの上に立つ意味がないとガロウは考えていた。

 若者を説得できてこそ、年輩者であり上官である。

 「いいか、よく聞け。今回の戦は、ドレッド様が60年かけて辿り着いた終着点なのだ。それを前にして、ふざけた態度を取るとは何事か。冥王国の将軍ならば、それ相応の佇まいをしてみせろ」

 「あーはいはいはいッ!分かってる、分かってるってッ!でもよ、でもだぜッ!?こっちの戦力と比べて、向こうはクソ雑魚じゃねえかッ!そんな戦いに真剣(マジ)になれってのが無理な話だろッ!?」

 「それも全てドレッド様の御尽力があればこそ。お前だけではどうしようもない事くらい分かれ」

 「けッ!竜がそうだってんだろッ!?あんなん1匹いなくたって、大陸統一くらいどうとでもならあッ!」

 セレが大声でそう豪語した瞬間、誰もが肝を冷やした。その発言は竜に対する礼儀の欠如であり、それがどのような結末を招くか理解していたからだ。

 月食竜(げっしょくりゅう)は遥か上空にいるため、聞かれる心配がないのが救いである。

 「口を慎め、セレッ!あの者が人間にそのように扱われて、不快に思わないはずはないのだぞッ!」

 竜を数えるにあたって、『匹』や『体』は絶対に使ってはならない。それは人間以下の存在に対して用いられるべきものであり、竜にとっては不服以外の何物でもないからだ。

 例え人間のような姿をしていなくとも、エルフに対するように「1人、2人」と数えるのが礼儀である。もしそれを失すれば、竜の機嫌次第で国もろとも滅ぼされるであろう。

 そのため、ガロウは本気の怒りを見せた。

 「わ、分かったよ・・・!悪かったよ・・・!」

 言いたい事を考えも無しに口に出してしまう傾向のあるセレであったが、何も悪気があって言っている訳ではない。自分の失言を認め、素直に謝罪した。

 「相変わらず、やっておるようじゃのう」

 少しだけ居心地の悪くなった場を持ち直すかのように、1人の老人が声を掛ける。それはアレスターであり、杖を突きながらこちらに向かって来ていた。

 高齢という事もあって、アレスターは馬車の中で体力を温存していたのだが、騒ぎを聞きつけたため姿を現したのだ。ガロウにしてみれば、待望の助け舟である。

 「あ、お爺ちゃん先生」

 そんな彼に対して、ファディアが親し気に語り掛ける。

 「これこれ、ファディアよ。儂はもうお前達の教師ではないのじゃ。いつまでも学生気分でいないで、少しは将軍としての振る舞いをしなさい」

 「えー!でも、お爺ちゃん先生はお爺ちゃん先生だもん!」

 『第一黄金世代』の学生時代において、アレスターは彼らを前に教鞭を執った事がある。その縁もあってか、老人を前にするとファディアは子供っぽくなる傾向があった。

 親しみを感じてくれているという事であり、彼としても可愛い教え子であるため、言葉通りに非難しているつもりはない。

 「ジジイこそ!いつまで現役でいるつもりなんだよッ!いい加減隠居しろってんだッ!」

 同じく元教え子であるセレが言う。恩師に対する言葉としては相応しくないが、その真意は別にあると誰もが理解していた。

 それに同調するように、カシューンも老人にある提案をする。

 「セレの言う通りです、アレスター老。右翼の指揮でしたら、小生が代わりにやりましょう」

 「あ!てめえ!カシューンッ!私が言おうと思った事を!」

 「ふふふ。セレちゃんは素直じゃないなー」

 「ファディア、お前ッ!よっぽど搾り取られたいらしいなッ!」

 「ええ!?何を!?」

 「やめなさい。――ガロウよ、お前も苦労するのう」

 「そう言っていただけるだけで・・・」

 アレスターの気遣いに、ガロウは頭を軽く下げる。

 厳格な大将軍と自由奔放な『第一黄金世代』は相性が悪く、彼には苦労を掛けっぱなしであった。そのため、老人はもう少し手助けをしようと試みる。

 「お前達、あのミリオですら今回は真面目に取り組んでおるのじゃぞ。少しは見習ったらどうじゃ?」

 ミリオとは『第一黄金世代』の1人であり、度々話題に上る程に厄介な人物である。ただ、実力は突出しているため、将軍としての地位を脅かされることはない。

 それが更に扱いづらさを増加させているのだが、今回ばかりは素直に指示に応じているようであった。この場にいない事から、任された左翼の指揮についているのだろう。

 アレスターは、そう都合良く解釈していた。

 「ミリオ~~~~ッ?」

 しかし、セレの反応が少しおかしい。

 不可解だと言わんばかりに眉間に皺を作り、アレスターの言葉に疑いを持っているようであった。ミリオ本人の日頃の行いのせいかと思われたが、そうではないようだ。

 「変だね、セレちゃん。ミリオちゃんの言ってた事と違うよ?」

 「だな。確かあいつ、『サイファさんと代わってもらった』って言ってなかったか?」

 「うむ、小生もそのように聞いた。『戦いが始まったら起きる』と言って、今は馬車の中で寝ているはずだ」

 そう言って、カシューンはある地点に視線を移す。そこには4頭の馬が繋がれた大きな馬車があり、それがミリオという人物の所有物であることは周知の事実であった。

 だからこそ、アレスターとガロウは訝しむ。ミリオにはドレッドからの(めい)として、左翼の指揮を執るよう確実に伝えたはずであった。

 その時に本人から了承の返事も――嫌々ではあったが――聞いているし、あまつさえ他人と配置を入れ替えたなどという報告は受けていない。

 「どういう事じゃ・・・?」

 「確認してきます・・・!」

 アレスターの疑問の声に答え、ガロウは足早に馬車へと向かう。1歩1歩が力強く、彼が怒りを感じているのが分かった。

 馬車の傍にまで寄ると、1人の男が彼に応対する。

 「これはガロウ大将軍閣下。ミリオ様に何か御用でしょうか?」

 その者はミリオの補佐官であった。

 全体的に優秀な人物であるミリオであったが、とにもかくにも怠け癖がひどい。そのため、彼女の仕事が滞らぬよう、付きっきりで補佐する人物を与えたのだ。

 しかし、ここで問題が発生する。補佐官である彼もまた優秀な人物であるがため、あらゆる職務を難なくこなしてしまい、ミリオのやる事がなくなってしまったのだ。

 それを彼女は歓迎し、何故かミリオに心酔している補佐官も彼女を全力で甘やかすため、どちらもそれを当然の事として受け止めてしまっている。

 状況は以前よりも悪化しており、完全に誤算だったとガロウは心の底から後悔した。

 「ミリオに話があって来た」

 そこから来る怒りを隠しつつ、ガロウは補佐官に告げる。

 補佐官も冷静な面持ちを崩さず、彼に向かってこう返した。

 「申し訳ありません、閣下。ミリオ様は今、お休みの真っ最中。戦が始まり次第、起こすよう申し付けられておりますので、この場はお引き取り願えますでしょうか?」

 ミリオを心酔するが故だろう。補佐官は彼女の上官に当たるガロウに対して、そのような指示を出してきた。

 それを無礼とまでは思わなかったが、聞いてやる義理はないと、構わずガロウは馬車に近づく。

 「閣下!」

 「黙れ。ミリオには重大な軍規違反の疑いがある」

 命令違反ならびに越権行為といった所だろうか。普段の怠慢程度ならば叱りつけるくらいだが、それは流石に行き過ぎであった。

 今回ばかりは容赦しないと、ガロウは馬車の扉に手を掛ける。

 「むっ!」

 しかし律儀にも鍵が掛かっており、少し引いたくらいでは開く気配がない。その事実がさらにガロウを苛立たせ、腕に万力を込めさせる。

 「ふんっ!!」

 声を上げて扉を引くと、鍵だけでなく扉までもが破壊された。

 「あああああああああああッ!!ミリオ様のために特注した馬車の扉がああああああッ!!」

 後ろの方で補佐官が絶叫しているが意に介さず、ガロウは馬車の中に入る。そして、目的の人物を見つけた。

 馬車の内部は見た目通りに広く、また快適である。防音、防震に優れており、乗る者に快適な旅を約束してくれた。しかもそれだけでなく、中には身を休めるための調度品が多く供えられている。

 気持ちの良さそうな寝具、爽やかな香りを発する香炉。外気よりも少し涼しいのは、そのための魔法道具(マジックアイテム)が機能しているからだろう。

 そのような中で小さく寝息を立てているのが、(くだん)のミリオ・ソングである。寝息と同様に小柄な肉体は寝具に埋もれており、幼さの残る寝顔は見る者を微笑ませるほどの愛嬌があった。

 事実、彼女は他の『第一黄金世代』の将軍よりも少し若い。いわゆる飛び級というやつであり、ミリオの尋常ならざる才能が誰からも認められていた証拠である。

 しかしそのせいか、彼女は精神的に幼かった。周りが常に年上で構成されていた事による弊害と言うのだろうか、自分を甘やかすのに一切の躊躇いがない。

 そのため、ミリオはガロウの苦労の種であった。

 そういった感情も作用したのだろう。ガロウは大きく息を吸うと、彼女に向かって力の限りに吠える。

 「ミリオオオオオオオオオオオオオッッッ!!」

 「うわああああああああああああッッ!!なに!?なにッ!?朝ッ!?」

 飛び起きたミリオは慌てて辺りを見回した。

 そして、ガロウの怒りの形相を目にすると、ややあってから一息つく。

 「な~んだ、大将軍か~。びっくりしたなあ、も~」

 「貴様、私に何か言う事はないか・・・!?」

 自分が怒っている事に動揺しないばかりか、悪気も全く見えない。未だ軍規違反が知られていないと思っているのか、それともそれ自体を悪いと思っていないのか。

 ガロウには後者のように思えた。

 「え~?ミリオ、なんか悪い事したっけ?」

 「先程、セレ達から話を聞いた・・・!貴様、サイファと配置を代えたらしいな・・・!?」

 「ああ、それ?うん。サイファさんにお願いしたら、『いいよ』って」

 「『いいよ』ではないッ!!!」

 ガロウの大声に、ミリオは堪らず目を瞑る。

 同時に耳を塞ぎ、うるさいという意思を主張していた。

 「大将軍、声が大きい~。ミリオは寝起きなんだから、もう少し静かに――」

 「貴様の独断か!?」

 部下の言葉を無視し、ガロウは尋問を続ける。

 それでもミリオは至って平然とした表情をしており、自分が問い詰められているという実感がないようであった。

 「そうだよ?だって、大将軍や王様に言うと絶対に『駄目だ』って言われるじゃん。1人で指揮を執るなんて面倒臭~い。皆がいる中央の方が絶対に楽に決まってるもん。ミリオがなんで将軍にまでなったか分かる?ここまで頑張ったのは、全て楽をするためなんだよね。偉くなって、部下を使って、のんびり過ごす。そう思っていたのに実際は任務任務の毎日。ほんと、やんなっちゃうよね」

 困った困った、とばかりに笑い声を上げるミリオ。

 そんな彼女の頭を、ガロウはその大きな手で鷲掴みにした。そして、ミリオの小さな頭がまずい音を立てて軋む程に力を込める。

 「地位ある者が責を負うのは必然ッ!しかし貴様は!その地位を悪用し、自身が負うべき務めから逃れようとしたッ!なんたる愚行ッ!恥を知れッ!!」

 「いだだだだだだだだだッ!暴力反対!暴力反対!可愛い女の子に対する暴力反対ッ!」

 「将軍たる者に性別による区別などないッ!あるのは実力と実績だけだッ!」

 加えて、年齢や生まれも関係なかった。

 優秀な人間ならばどのような人物でも幼い頃より注目し、将来的には相応しい地位に置く。より優れている者ならば、ミリオ達のように若くして国の頂点に昇り詰める事も出来た。

 それが冥王ドレッドのやり方であり、結果的に大成功を収めていると言っていいだろう。大将軍によって頭を割られそうになっているという状況を無視するならば、であるが。

 「ミリオ様あああ!ミリオ様の可愛らしい頭があああああッ!」

 その惨状に、後ろで見ているしかできない補佐官が叫ぶ。筋力に圧倒的な差があるため、ミリオではガロウの腕を剥がす事はできない。彼女は魔法使いであるが、魔法を唱える余裕もなかった。

 「おーいおいおいおい。ガロウよ、そこまでにしときなって」

 その時、喧騒の場に4人目の人物が現れる。

 白髪混じりの頭をした男は、ガロウよりも年輩者に見えた。

 「兄者・・・ッ!?」

 そして事実、その人物は彼よりも歳を重ねている。しかし実の兄という訳ではなく、兄のように慕っている、というだけである。

 それでもガロウから尊敬の念を捧げられる程の実力者であるその男の名は、ザンテツ・フォーディンと言った。当然、将軍の1人である。

 「おいおいおい。大将軍たる者が、部下を『兄』なんて呼んでんじゃあねえよ。他の奴らに示しがつかなくなるぜ?」

 「何を言う!兄者が健在であったならば、大将軍は兄者のままだったはずだ!」

 「あ痛たたた。お前の優しさが身に染みるぜ。でもよ、こんな体になった奴が大将軍、ってのは相応しくあるめえよ?」

 彼の言う通り、ガロウの視界に映るザンテツの体は五体満足ではない。朗らかに笑う瞳は片方だけで、左目は大きな傷跡によって閉ざされていた。

 それだけでなく、ゆるりとした服の内側に隠された左腕には、肘から先がない。過去に行われた戦闘による結果であり、それを理由に彼は大将軍という地位を退いている。

 「先代『光の剣士』によって付けられたその傷・・・!借りを返す機会がなくなり、誠に残念だ・・・!」

 「もう気にしちゃいねえよ。――それよりも、いい加減ミリオを放してやんな」

 ザンテツの指示という事もあり、未だ許す気になっていないのにも関わらず、ガロウは反射的に手を放してしまう。その隙を逃さず馬車から逃れたミリオは、ザンテツに向かって走って行った。

 そして彼のもとまで辿り着くと、勢いよく飛びつく。

 「うわーん!ザンテツさーん!大将軍がイジメるよー!」

 「おー、よしよし。だが、それは自業自得だぞー」

 ザンテツとてミリオを甘やかすつもりはないのか、右手で優しく頭を撫でながらではあったが、厳しめの意見を言った。そして、今度はガロウにも苦言を呈す。

 「しかし、ガロウよお。お前は少し真面目すぎるなあ」

 「だが、大将軍としてはそれくらいが相応しいだろう?」

 「そうかもしれねえが、そうじゃないかもしれねえ。まあ、要は匙加減ってやつだな。『飴と鞭』ってやつだ」

 「兄者よ。つまり、何が言いたい?」

 分からんか、とザンテツは小さく笑う。

 「ミリオに『無理して働け』って言っても無駄だ。こいつはそんな素直じゃない」

 「そーだ!そーだ!」

 「ぐっ・・・!で、では・・・どうすればいい・・・?」

 「そういう時はな。褒美をちらつかせるんだよ」

 「褒美・・・?」

 「そうだ。よく働いた奴には望む物をくれてやる。それが良い上官ってもんだ」

 「しかし、今以上に何を望む・・・!?将軍となった者ならば、手に入らない物の方が少ないはずだ・・・!この馬車が良い例だろう・・・!」

 不満をぶつけるようにガロウは馬車を叩く。それだけで車体は大きく揺れ、繋がれた馬が(いなな)いた。補佐官の男が必死に鎮めようとしているのを尻目に、ザンテツはミリオに声を掛ける。

 「だとさ、ミリオ。お前は何が欲しい?」

 「う~んとね・・・」

 聞かれたミリオは少し考え、ガロウに向かって自身の望むものを告げた。

 「ミリオ、休みが欲しい!」

 「なに・・・ッ!?」

 驚いたガロウであったが、それは彼女であるならば言いそうな事であり、意表を突かれたといった感じではない。むしろ相応しいとさえ思えるが、それに応じるのは何だか癪であった。

 「だとよ、ガロウ。大将軍として、部下の期待には応えてやらねえとなあ?」

 しかし、ザンテツからそう諭され、仕方なく飲むことを決める。

 熟考した後、彼は指を3本立て、ミリオに向かって示した。

 「ならば3日だ・・・!今回の任務を無事達成できたのならば・・・!ミリオ、お前に3日の休暇を与える・・・!」

 それは、ガロウにしてみればかなりの譲歩であった。1日では少なく、2日でも文句を言うだろうと考え、大負けに負けて3日を提示している。

 そんな彼なりの好待遇であったが、ミリオは返すように手を広げて見せた。

 「5日がいい!」

 「ぐッ・・・!貴様ッ・・・!」

 「ガ~ロ~ウ」

 ふざけた発言に怒りを覚えたが、すかさず入ったザンテツの仲裁によって心を落ち着かせる。仕方ないと、部下の提案を条件付きで受け入れることにした。

 「ならば・・・!功を上げた際にはそうしよう・・・!お前が率いる左翼には、同盟軍のジグラフという男が相対する・・・!その者を打ち倒したのならば、残り2日を加えよう・・・!」

 「本当!?わーい!!」

 喜びに両手を上げると、ミリオは先ほど逃げた時と同じくらいの速度で再び馬車に乗り込む。壊れた扉もそのままに、善は急げと補佐官に指示を出した。

 「自軍左翼に向かって、『ミリオ号』!発!進ッ!」

 「了解しました!正式名称『ミリオ様が安らぐための箱舟』!発進しますッ!」

 いつのまにか御者台に座っていた補佐官は、軽やかな返事をして馬車を走らせる。どうやら上等な馬が繋がれているらしく、瞬く間にこの場を去って行った。

 残ったガロウは、疲れたと言わんばかりに(かぶり)を振る。そんな彼を(ねぎら)うように、ザンテツは大将軍の肩に手を置くのだった。

 とりあえず、これで応戦準備に憂いはない。






 冥王国が待ち受ける平原の少し手前で、同盟軍は休息を取っていた。移動するのにも体力が要り、消耗した戦力では万全ではないと体を休めている。

 それでも、あと数刻もすれば戦が始まるだろう。

 余裕のある冥王国とは違い、同盟軍からは楽し気に談笑するような声は聞こえない。誰もが沈痛な面持ちで座り込んでおり、心を落ち着かせようと何度も深呼吸をしている。

 その様子を、グレンは1人で遠巻きに眺めていた。彼らの心中を思えば、かつて戦場に出た事を懐かしく思うことさえ憚れる。

 一体、この中の何人が死ぬのだろう。その中に己の知り合いが含まれない事を願うばかりである。

 (ニノ・・・)

 愛していると言ってくれた者は今、彼の傍にいない。少しでも決戦に集中して欲しいと、ここまでの道中でも顔を合わせる事はしなかった。

 ニノの想いに応えられぬまま、彼女との別れを迎える可能性もある。それでも、精鋭部隊に属していない事から、命までは失わないだろうとも考えられた。

 窮地に陥りそうになったのならば逃げてくれ、と姿の見えぬニノへ想いを飛ばす。

 「グレン殿ッ!」

 そんな感傷に浸るグレンの名を呼ぶ声が聞こえた。

 振り返ると、そこには何人もの男を従えたジェイクがおり、こちらに向かって走って来ているのが見える。彼以外の者達には覚えがなく、何用だと疑問を覚えた。

 「見つかって良かったのである!探していたのであるよッ!」

 髭面に爽快な笑みを(たた)えながら、ジェイクがグレンの傍に立つ。後ろに立つ男達も同様に微笑んでおり、なんだか不思議な雰囲気を纏っていた。

 とりあえず、用件を尋ねてみる。

 「何か用か、ジェイク?」

 「実は、グレン殿にこれを預かってもらいたいのであるよ」

 そう言って手渡されたのは1枚の紙である。折り畳まれており、広げた際には両腕を大きくする必要がありそうであった。

 「これは?」

 「我ら『精鋭部隊』の(つわもの)の名が記されているのである。これを是非、グレン殿に持ち帰ってもらいたいのである」

 死を覚悟した者達の証なのだろう。受け取ったそれは、とても重大な意味を含んだ物であった。

 しかし、何故それを自分に託すのかがグレンには分からない。こういった物は、それこそ彼らの君主である天子に手渡すべきである。

 「そのような物を、私がか?」

 「そうなのである。グレン殿は此度の戦には参加しない。つまりは立会人なのである。なればこそ、死するような事態にはならないと思ったのであるよ」

 「しかし、何も私でなくとも良いだろう。そのような誉れある役目は、天守国の者に任せるべきだ」

 「む?何か勘違いをなされているであるな?これは、グレン殿の国に持ち帰って欲しいのであるよ」

 「私の国に?」

 さらに訳が分からなかった。

 どのような理由で、異国に自分達の名を持ち帰って欲しいと言い出すのだろうか。

 「それを持って、我らの名と雄姿をグレン殿の国にも伝えて欲しいのである。遠い異国で国のため勇敢に戦い、そして死んだ者達がいた――そう語って欲しいのであるよ」

 つまりは吟遊詩人のような役目であった。今回の決戦で死んだとしても、彼らの存在は大陸の歴史に、人々の記憶に刻まれるという事である。

 分不相応な役目にも思えたが、グレンの中に断るという選択肢はなく、彼らの覚悟に答えるべく力強く頷いたみせた。

 「なるほど、そういう事ならば引き受けよう。君達の雄姿、必ずや私の国にも伝えると約束する」

 「おお!感謝するのである!」

 そう言うと、ジェイクは背後を振り返り、仲間に面と向かう。今更になって気付いたが、そこには作戦会議に居合わせていた者達もいた。

 「聞いたか、皆の者ッ!グレン殿の協力により!我らの名は大陸中に轟く事になるだろう!それすなわち八王神と同格!我らの存在は、神と等しき所に及ぶのであるッ!」

 仲間を鼓舞するように、ジェイクは大げさな表現をした。グレンにそのような影響力があるのか分からないし、人々が異国の戦争にそこまでの興味を示すかどうかも怪しいものである。

 しかし、それを聞いた天守国の戦士の眼には炎が灯ったように見えた。腕を振り上げ、沈む周りの事など気にせず雄叫びを上げる。

 その姿を、グレンは素晴らしいと思った。もっと安直に言うと、格好良いと思ったのだ。

 故に、だからこそ惜しいと思う。

 彼らのような戦士が失われるという、その悲劇が今まさに訪れようとしているのだ。







 同盟軍が休息を終え、進軍を再開してから僅か数刻、遂に両軍相見える。

 同盟軍の戦力は総勢10万。歩兵6万、騎兵1万、弓兵2万、魔法使い1万である。騎兵を半数ずつ左右に分け、その内側に半数ずつの弓兵と魔法使い、そして中央を歩兵が固めていた。

 この配置に深い理由はない。相手側と同じにする事で、上手く対処してもらおうと考えているだけである。

 そう、同盟軍の狙いは『精鋭部隊による奇襲』であり、全てはそれを導くための布石であった。勝算は低いが、それでも彼らに残された僅かな勝機である。

 「しかし・・・!こう雁首揃えられると・・・怖いよなあ・・・!」

 騎乗したエンデバーが苦笑いをしながら言った。

 同盟軍に相対する冥王国軍、その数およそ35万。驚異的な数である。

 エンデバーの予測通り、陣形は前回見たものと同じであったが、今回は戦力がその比ではない。横列に並んだ敵兵が平原を満たし、まるで野を渡す橋ができたようだ。

 その中央には勿論、冥王ドレッドがいるのだろう。改めて――と言うよりも(ようやく)く、エンデバーは冥王の力を思い知る。

 しかし、まだ想定の範囲内だ。

 (相手に動かれる前に、こちらから動く・・・!)

 エンデバーの考えた作戦では、味方の動きに合わせて敵を誘導し、隙間を作ることを核としている。そのため自軍から動くのが必須であり、躊躇も様子見もしていられなかった。

 会敵、即開戦。

 その心構えは、既に全ての者がしている。

 「――『君に届け、この声よ(トゥーユー)』」

 エンデバーは自身に拡声魔法を施した。今回、全軍を指揮できるような人物は全員が重要な配置についているため、青年が総指揮を務めるのだ。

 これは大役であり、エンデバーの心臓は先程から鼓動をうるさくしている。それでも口は動き、歴史的大勝負の幕開けを、若干19歳の青年が合図する。

 「全軍ッ!前進ッ!」

 発せられた声は即座に広まり、味方陣営に伝達していく。さすがに10万の軍勢ともなると彼1人では足りないが、同様の魔法をかけた者達がそれを補った。

 指示を受け、同盟軍が動き出す。冥王国軍とは距離があり、体力を温存する意味も込めて徒歩での接近だ。同盟軍左翼の騎兵部隊も、ゆっくりと馬を歩かせる。

 しかし、右翼騎兵部隊は違う。彼らは作戦通り、開戦の合図を聞くと同時に突撃を敢行した。

 (はた)から見れば自暴自棄。命を捨てるに等しい愚行であるが、両軍ともにそれを平然と受け取る。

 どちらも、そうなる事は分かっていたのだ。

 「我に続けえッ!我が名はジグラフッ!ジグラフ・アイナムッ!宗主シグラスより名をいただきし者ッ!『破壊の女神』の加護ぞあるッ!」

 両軍の先駆けとなった同盟軍右翼、そこを指揮するジグラフが叫ぶ。普段は冷静な彼であったが、今回は命懸けの戦という事もあって戦意が高揚していた。

 部下を鼓舞するため、そして己に勇気を授けるため、ジグラフは『破壊の女神シグラス』の名を出す。本人の言う通り、彼の名前は『シグラス』から取って付けられていた。これは別に珍しい事ではなく、戦争に関わる国々においては一般的な風習として確立している。

 一部だけを取って名前を付けられる者もいたが、その誰もが「『破壊の女神』の加護があらん事を」という願いを両親から込められていた。ジグラフは今、その願いと共に戦うつもりなのだ。

 『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!』

 応えるように騎兵達が叫ぶ。内なる勢いをそのままに、騎乗する馬を全速力で走らせた。

 (ひづめ)が鳴る。鼓動が高鳴る。彼らは今こそ護国の戦士となる。

 冥王国軍左翼を目掛け、同盟軍右翼は自陣より突出した。

 (来い・・・!)

 エンデバーが心の中で祈るのは、敵軍が誘いに乗ってくれるかどうかだ。圧倒的な人数差を背景に、孤立した自軍右翼を包囲しようと、敵軍左翼を動かしてくれるのならば読み通り。

 もしそうではなく、悠々と待ちかまえられたらその時点で作戦は失敗である。どちらに転ぶのか、エンデバーは瞬きも忘れて敵軍の動きを観察していた。

 すると彼の視界の先で、敵軍左翼が動き出す。自軍右翼より何倍も多い騎兵が、ジグラフ率いる部隊を迎撃しようと一斉に駆け出していた。

 「良おおおしッ!!」

 拳を握り、エンデバーは叫ぶ。

 この作戦、最初の動きが最大の不安要素であったため、それを乗り越えた喜びが思わず外に出てしまったのだ。

 我を忘れそうになるのを堪え、エンデバーは次なる指示を出す。

 「右翼が突出しているッ!全軍、援護に向かえッ!」

 敵軍に聞こえている可能性も考えて、偶発的に起こった事のように表現した。ここまで来て下手は打ちたくないと、エンデバーは細心の注意を払って行動する。

 その指示を受け、先程までゆっくりと行進していた同盟軍が、左翼騎兵部隊を除き全力で駆け出した。歩兵も、弓兵も、魔法使いも、足を懸命に動かして右翼の救助に向かう。

 本来ならば歩兵や弓兵に遅れる魔法使いも、今回はすでに己に対して身体能力強化の魔法を施しており、他部隊に指示を出すため後方に残ったエンデバーを置いて行くように駆けた。

 それを見た冥王国軍中央も動く。

 さすがに左翼騎兵部隊だけで同盟軍のほぼ全戦力を相手取るのは難しいと判断したようで、更なる大軍をぶつけてきた。これも、エンデバーの計画通りの流れだ。

 (ロイドさん、マリアちゃん・・・!)

 そして次なる一手は、同盟軍左翼が動くこと。そこはブリアンダ光国のロイドとマリアが率いており、エンデバーは心の中で2人の名前を呼ぶ。

 それを聞き届けた訳ではないだろうが、同盟軍左翼も敵軍を迂回するように動き出した。そうはさせないと、冥王国軍右翼が立ちはだかるため瞬時に対応する。

 その結果、1本の道が出来上がった。

 「ジェイクさんッ!!」

 全てが自分の思惑通りに動いた達成感を置き去りに、エンデバーは待機させておいた精鋭部隊の指揮官に声を掛ける。呼ばれたジェイクは目を見開き、運命共同体となった数百人の仲間を前に口を開いた。

 「皆の者、時は来たッ!我らが突き進むは冥王国の大軍勢ッ!狙うは冥王の首、唯一つッ!(ともがら)よ、恐れることなかれッ!怯むことなかれッ!我らには、神の血を守護する使命があるッッ!!!」

 大声で発せられたその鼓舞は、聞く者全てを奮い立たせる。割れんばかりの咆哮を返し、精鋭部隊としての覚悟を見せつけた。

 ジェイクは天子より授かりし聖剣『正義をもたらす者ジャスティスブリンガー』を掲げ、声を限りに命を下す。

 「突撃でああああああああああああああああああああああああああああるッ!!」

 直後、精鋭部隊は風となる。

 ジェイクの乗る馬は大きく、彼の巨体と大剣を乗せても並の馬の追随を許さぬ程に速い。他の者の馬も同様であり、彼らの突撃はまるで烈風のようだ。

 「駆けよ、『轟嵐馬(ごうらんま)』ッ!風の如くッ!矢の如くッ!」

 砂塵を巻き上げ進む彼らの姿を、後ろから大勢の者が見守っていた。彼らは後方支援の部隊であり、今回の作戦に直接影響はしないが、負傷者の看護などのために動員されている。

 そして、その中にはランフィリカの姿もあった。

 「頑張って、ジェイク・・・!」

 両手を組んで祈る彼女の姿は、何か超常の存在に縋っているようにも見える。

 それは天子か女神だろうか。どちらにせよ、雌雄はこの場にいる者が決める。

 ランフィリカとて理解していない訳ではないが、何かジェイクのためにできる事はないかと考えた末の行動だ。心の中では、彼の無事を願っていた。

 そんな彼女の隣には、戦いの行く末を見守ろうと2人の男が立っている。言うまでもなくグレンとヴァルジであるのだが、どこか様子がおかしいようにも見えた。

 心ここにあらず、といった感じだろうか。戦が始まり、知人が所属する部隊が動き出した途端に、2人とも急に視線を泳がせ始めたのだ。

 グレンはニノとジェイクがいると思われる方向、ヴァルジはマリアとロイドがいる左翼部隊に目を向けている。

 どれだけ無関係に徹しようとも、知人の安否が気に掛かるのは当たり前のことであった。そのため、ヴァルジなどはわざとらしく咳をしている。

 「あの・・・グレン殿・・・・?」

 「む・・・なんでしょうか・・・?」

 遂に堪え切れなくなったのか、ヴァルジがグレンに声を掛けた。それが何を意味するかを彼も理解しており、むしろ待っていたと密かに喜ぶ。

 「少し・・・席を外してもよろしいですかな・・・?」

 「奇遇ですね・・・。実は私も、そう言おうかと・・・」

 「ほう、そうでしたか・・・。気が合いますな・・・」

 2人とも、互いに相手が何をするのかを察していた。どちらも、知人の戦いの結末が気になって仕方がないのだ。

 それが野次馬的行動だとは分かっている。それでも、決して無関係ではないのも確かだ。

 「では・・・少し・・・・」

 「ええ・・・少しだけ・・・」

 ヴァルジの言葉にグレンが返すと、2人は瞬時に駆け出す。彼らがいなくなった事に、ランフィリカは気付く事さえなかった。

 「ジェエエエエエエエエエエエエエエエエイクウウウウウウウウウッッ!!マアアアアアアアアアアアアアアアックスウウウウッッッ!!!」

 彼女の耳には唯一つ、ジェイクが突撃する際に上げる雄叫びだけが届いていた。






 「来たかッ!ジェイクッ!!」

 戦場に変化が起き、同盟軍の画策した戦術が成功したのは冥王国の者達にも分かっていた。その中でもとりわけ、大将軍ガロウ・バルファージが歓喜に笑みを作る。

 「ドレッド様ッ!」

 「ああ、分かっている。行って来い」

 こちらは楽しそうに笑いながら、ドレッドはガロウに迎撃の許可を出した。それを聞き、重厚な鎧を装備しているのにも関わらず、ガロウは身軽な動作で馬に跨る。

 そして、部下に声を掛けた。

 「ついて来いッ!エキノンッ!そして、シガリット一族の猛者共よッ!我が戦いぶり、しかとその目に焼き付けるがいいッ!」

 ガロウ直属の記録係であるエキノンと、彼らが仲間に引き入れたシガリット一族が揃って応答の声を返す。待ちきれず駆け出したガロウを追って、彼らも馬を走らせた。

 「行くぞ、『グレートゲイン』ッ!我らが好敵手はすぐそこだッ!」

 大将軍の愛馬もまた大きく、駆ける姿はまるで飛ぶが如くである。そのため、エキノンやシガリット一族を引き離し、ほとんど単騎となっていた。

 「張り切り過ぎだろ、ガロウの旦那。さっきまでと別人すぎて、こっちが冷静になるぜ」

 「嬉しいんだよ、きっと」

 「待ちに待った再戦だからな。その想いも一入(ひとしお)なのだろう」

 その姿を、若い将軍たちが見送る。

 「父上。ガロウ大将軍は何故あそこまでジェイク・マックスにこだわるのですか?」

 同様に将軍の1人であるウルカトーレが、父親である冥王ドレッドに問い質す。彼女は椅子に座るドレッドの横に立っており、他の将軍とは異なって、その身を鎧で固めていた。

 「なんだ、聞いていないのか?あいつらには、ちょっとした因縁があるんだ」

 「因縁?」

 「ここだ、ここ」

 そう言って、ドレッドは自分の額を指で叩く。ウルカトーレはガロウの風貌を頭の中に思い浮かべ、彼の額に大きな傷がある事を思い出した。

 「あれがジェイク・マックスによって付けられた傷だと?」

 「その通りだ。無論ただの傷ならば、あいつもそこまで固執しないだろう。だが、誰にでも過信というものはある」

 「過信・・・つまりは慢心から来る油断ですね?」

 「ずばり言うな・・・。だが、その通りだ。ガロウは強い。それ故、ジェイクと出会う前は敵なしだった」

 「しかし、ジェイク・マックスには敗れたと」

 「お前は少し言葉を選べ・・・。まあ、その通りなんだが」

 「慢心による敗北。なるほど、それは確かに負の遺産ですね」

 「そうだ。だからこそ、あの傷をそのままにしておいた。自分を戒めるためにな」

 「傷をそのまま・・・?あの傷は、ガロウ大将軍自らが残したのですか?」

 回復魔法や回復薬があるため、基本的に傷跡というものは残らない。しかし当然、傍に十分な回復魔法を使える者がいない場合や効果的な回復薬がない場合はその例から漏れ、傷跡が残る場合もあった。

 それでも、ガロウ程の地位に就く人物にそのような事態が起こるはずもなく、額の傷は彼が望んで残したものなのだ。誰も自分には勝てないという、愚かな考えを捨て去るために。

 「馬鹿だろう?しかしそれ以来、奴は自分の事を見つめ直した。そして鍛錬に励み、ジェイクに敗れた時よりも数段腕を上げている。奴は言っていた。『私が最も悔やんでいる事は、過去の自分を斬れない事です』とな」

 「ガロウ大将軍にもそのような過去が・・・。私も心掛けなければなりませんね」

 娘の言葉を聞き、ドレッドは笑い声を上げる。その反応の意味が分からず、ウルカトーレは小首を傾げた。

 「父上?」

 「ああ、すまん。お前は素直だな、と思ってな」

 「?――どういう意味でしょうか?」

 「あいつらを見ろ」

 そう言ってドレッドが指を差したのは、ウルカトーレと同じく若い将軍たちである。

 「おかしな所があるだろう?」

 「ええ・・・まあ・・・。戦場に立つとは思えない程に軽装ですね・・・」

 自身の装備と見比べ、ウルカトーレはセレ達の服装をそう評価した。

 争う4か国の間には共通して記録係という風習があり、歴史に名を残そうと兵士が目立つ行いをするのは珍しくはないが、あそこまで実利を捨てた格好をするのはどうかと思っていた所だ。

 「あいつらにはあれで十分なんだそうだ。ガロウがいくら言っても改めなくてな。奴もすでに諦めている。まあ、それくらい己の力に自信があるという事なんだろう」

 「しかし、それではガロウ大将軍の二の舞になるのではないですか?」

 「だから、お前は口の利き方をだな・・・。まあ、それも正しい意見なんだが」

 「ああ、だから私の事を『素直』だと。彼女達とは異なり、素直に装備を整えているという事ですか」

 「その通りだ。ガロウも『正しき魂(リーガルスピリット)』を身に着けていただろう?過去の教訓を生かした結果だ。例外としてザンテツがいるが、あいつは鎧を好まないからな」

 それは欠けた左腕を自然に隠せないからであった。大らかな彼とて、自分の恥を無闇に晒す真似はしたくないのだろう。

 「新参者である私の知らない事ばかりです。まだまだ彼らとの親睦が足りないのですね」

 「これからだ。面白い奴らばかりだから、すぐに親しくなれる」

 親から子への助言を済ませると、彼らの耳に一際大きな轟音が届く。どうやらどこかが激突したらしく、雄叫びや叫び声が聞こえた。

 「お、始まったらしいな」

 ドレッドはそう言って、音のした方へ目を向ける。やはり最初に動いた自軍左翼側で攻防が起こっているらしく、矢が飛び交う光景も見て取れた。

 ふとウルカトーレの横顔を見ると、僅かであったが頬が紅潮しているのを目にする。意外と好戦的なようで、その光景に興奮しているのが分かった。

 (あそこにはミリオがいるが、果たして真面目に働いているかな・・・?)

 すでに中央の戦力も加わっているため、彼女が動かずとも他の将軍が何とかするとは思えたが、ドレッドは自然と問題児の心配をしてしまっていた。

 馬鹿な子ほど可愛い、というやつだろうかと、冥王はにやりと笑う。





 「ぐわあああああああッ!!」

 「な・・・なんだ、こいつらはッ!!」

 「いくら斬っても復活するぞッ!」

 その叫び声は同盟軍の陣営から発せられた。

 彼らが相対するのは冥王国軍左翼ならび中央の戦力である。しかし目の前にいるのは人間ではなく、土でできた人形であった。

 それは、冥王国の将軍ミリオの独自魔法『後はよろしく(アフターファイブ)』によって生み出された物である。

 その数、ざっと1000体。数としては脅威ではないが、命がないため死する事なく、心がないため恐怖も感じない。加えて、自律している事から指示もいらなかった。

 恐ろしく緻密な魔法であり、ミリオの怠慢が良い方向に転がった結果として作り出されている。

 土人形は脆く、武器を持てるほどの耐久力はないが、見かけによらず動きは機敏であった。その攻撃方法は不気味で、素早く同盟軍の戦士にしがみ付くと、その体を相手の口にねじ込もうとするのだ。

 つまりは窒息させようとしてくるのであり、すでに何人もの犠牲者が転がっている。残酷な攻撃手段であったが、土人形が勝手にやっているためミリオの趣味ではない。

 しかし効果は大きく、敵陣の士気を下げるのに一役買っていた。

 「おらおらあッ!てめえらの相手は、そいつらだけじゃねえぞッ!」

 そう粋がるのは『干民(かんみん)』である。今回の決戦には彼らも最前列に並べられており、ミリオの土人形と共に同盟軍を苦しめていた。

 土人形が崩し、『干民(かんみん)』が攻め立てる。

 そういった戦法が確立し、同盟軍右翼は徐々にだが確実に数を減らしていく。

 「くッ・・・!持ちこたえろッ!」

 祈るように言うのはジグラフである。予想以上の反撃にあい、数々の戦場を経験した彼でも気が動転していた。

 「ジグラフ団長ッ!このままではッ!」

 「分かっているッ!魔法使い達を呼んで来いッ!あの土くれ共を何とかせねばッ!」

 「分かりましたッ!」

 指示した部下が馬を走らせる。

 同盟軍右翼は騎兵のみで構成されていたが、すでに混戦となっているため両軍ともに下馬した者がほとんどだ。その中で、未だ馬に跨るジグラフの姿は目に留まり、そのちょっとしたやり取りを遠目で見ただけでも彼が指揮官である事を窺わせた。

 「ミリオ様ッ!おそらくですが、あそこにいる者がジグラフという男かとッ!」

 ミリオの補佐官がその優秀ぶりを発揮し、それを即座に見抜く。戦場をよく見渡し、どのように些細な事でも見落とさない彼の几帳面さが彼女の役に立った。

 「ほんと!?よーし!じゃあ、もっと数を増やすよー!」

 自軍の後方において、未だ馬車で悠々自適としながら、戦場を見る事もせずにミリオは張り切る。そのためジグラフの居場所など分かるはずもないのだが、その情報だけでやる気が出た。

 「待ってろー!休日2日分ーッ!」

 名前を覚えてもらえもせず、ジグラフは3000体に増えた土人形を前に愕然とする。






 変わって同盟軍左翼側、そこには『光の剣士』マリアがいた。

 馬を駆るロイドの後ろに乗り、完成形となった『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』をその身に宿して突き進む。彼女が空を飛んでいないのは、『光の剣士』が唐突に姿を現す事で相手の意表を突こうと考えたからだ。

 マリアがいるとは言っても彼我の戦力差は大きく、自軍の被害を抑えるためには少しでも相手を混乱させる必要があった。上手くいけば即座の撤退も望め、その後は精鋭部隊の助力に加わることもできる。

 「マリア、そろそろだッ!」

 「うん!」

 冥王国軍右翼との距離が近くなったのを見計らって、ロイドがマリアに告げる。騎兵でできた壁が目前に迫り、少女は息を飲んだ。

 (本当に数が多い・・・!)

 しかしそれは恐怖ではなく、それらを傷つけなければならないという心苦しさから生まれた感想である。今のマリアに、最早いかなる数も敵にはならない。

 「行って来いッ!」

 「――『我、纏う光翼(セラフィム)』ッ!!」

 唱え、マリアは馬上より飛翔する。

 その姿に、敵味方問わず誰もが心を奪われた。

 マリアの背には今までのように1対ではなく、3対の光の翼が出現している。それはさながら後光となり、少女に言葉では言い表せられない神秘性を備えさせた。

 その光景を目にした記録係の冊子には、こう書き記される事になる。


 『見よ。あれこそが(しん)なる、そして(しん)なる光の剣士の姿。纏う後光に穢れはなく、あまねく常世を輝き照らす。悠久の時を経て、ついに顕現せし究極の絶対秩序。其の名は――マリア・ロイヤル』


 「世界に、秩序の光を――!」

 「行こうぜッ!マリアアアアアアアッ!」

 ピースメイカーを抜き放ち、彼が叫ぶと同時に、マリアは敵陣に向かう。その速度は今までを遥かに超え、まるで瞬間移動したのかと見紛う程、瞬時に敵右翼直前に到達した。

 「え!?」

 「なっ!?」

 「わわっ!?」

 その中にはマリアの声も含まれている。

 自分でも驚く程の速度であったため、たたらを踏んで着地した。

 「マ、マリ・・・アちゃん・・・?」

 そう呼ぶという事は、目の前の冥王国兵は『干民(かんみん)』なのだろう。突如現れたマリアに向かって、馬上で呆然としながら少女を見つめている。

 その者を気まずそうに見上げ、居心地悪そうにマリアは微笑んだ。

 「ご、ごめんね・・・」

 それが何に対する謝罪なのか、それを理解する前にマリアが動く。剣を真横に振りかぶり、声を限りに叫んだ。

 「――『夜、断つ光刃(アマテラス・ブレード)』ッ!!」

 その時、何が起こったのかは誰にも分らない。

 マリアの持つ剣から、視界を真っ白に染め上げる程の光が迸ったからだ。もし今が夜だったならば、昼になったと錯覚するだろう。

 それ程の光、それ程の力が『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』に収束していた。

 しかし、全てが強化されている訳ではない。

 (小さい・・・!?)

 振る直前、マリアは光刃の異変に気付く。今までならば巨大な光の剣となって敵に襲い掛かっていた能力が、今や剣そのままの大きさに留まっていた。

 そこから凄まじいまでの力は感じる。しかし今までと比べると見た目が大人しく、マリアは不安に駆られた。

 「マリア、お前はすげえよ」

 そんな少女に向かって、ピースメイカーが勇気づけるように語る。

 「前に言ったよな?俺を扱うお前の適性がずば抜けてるって。あれ、ちょっと違ったわ。お前の適性に、俺が追いついていなかった。未完成だった俺じゃあ、お前の全部を引き出してやれてなかった。でも今は違う。マリア、今のお前なら竜にも勝てるかもしれねえ。だから恐れるな。思いっきり、やってやれ」

 相棒の言葉に心の中で頷くと、マリアは剣を握る両手に力を込める。そして助言通り、『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』を思いっきり振るった。

 「お馬さん!ごめんなさい!」

 相手は騎兵であるため、攻撃を加えるという事は同時に馬をも傷つける事になる。それに罪悪感を覚えたマリアは謝罪を口にするが、手を止めはしない。

 振るわれた剣は、その光刃を彼方にまで伸ばす。

 (そこは変わってないんだ!)

 とは思ったが、それが逆に安心感を少女に与え、振るう剣の速度が俄かに上昇した。

 幾十、幾百、幾千の人と馬が切り裂かれ、それと同等の悲鳴が辺りを満たす。悲惨な光景であったが、同盟軍の戦士にはそれが希望となった。

 しかし、マリアの剣は唐突に止まる。

 「――えっ!?なんで!?」

 自分の光刃に斬れない物などないはず。経験を積んだわけではないが、今の自分にそれ程の自信を持っていたマリアは、予想外の出来事に狼狽える。

 嫌な予感がしたため、その地点から急いで剣を離すと、光の刃が刀身に収束していった。未だ光を発しているのがこれまでと異なり、単発で終わらなくなった事を察する。

 「まったく・・・危ない危ない・・・」

 マリアが作り出した静寂の中、光刃を止められた地点から声が聞こえた。間一髪、死を免れた者達が道を開け、その人物が姿を見せる。

 比較的長身。深い皺が刻まれた顔を見れば、長い年月を生きた者だという事が分かる。

 それ故の違和感。何故ここに老人が。

 「何者ですか、お爺さん・・・!?」

 「ん?儂か?名を尋ねるにはまず自分から――というのは、少々古臭いかのう」

 言いながら、老人はマリアに近づいて来る。それが言い知れぬ圧力となって少女を襲ったが、辛うじて後退するのは踏みとどまった。

 そして、ある程度の距離を取って立ち止まると、老人は再び口を開く。

 「儂の名はアレスター・テンペストじゃ。ああ、お前さんの名前は言わんでええよ。マリア・ロイヤルじゃろ?」

 「「アレスター・テンペストッッ!?」」

 アレスターの言葉を聞いた瞬間、マリアとピースメイカーが同時に叫ぶ。少女の後ろに待機する兵士達も、大物の登場に騒いでいた。

 「『破滅を呼ぶ男(コーラー)』・・・・・・ッ!!」

 畏怖の込められたロイドの呟きが、誰にともなく発せられる。

 しかし、それ以上の恐怖を持って、ピースメイカーがマリアに語り掛けた。

 「気を付けろ、マリア・・・!」

 「え・・・?」

 「奴は・・・アレスター・テンペストは・・・・先々代の『光の剣士』を殺してるッ・・・!」

 「先々代様を・・・!?」

 先々代の『光の剣士』と言えば、ここ数百年で有数の実力者と評されている人物だ。それを殺したとあっては、目の前の老人はそれ以上の実力を有していたということ。

 「ああ・・・!何十年も前の話だから、見ただけじゃ奴とは分からなかったぜ・・・!」

 「でも!先々代様は、病気で亡くなったって・・・!」

 「嘘に決まってんだろ・・・!国の守護者が、たった1人の人間に殺されたじゃ話にならねえ・・・!俺だけは持ち帰ろうと、皆して必死だったぜ・・・!」

 もしかしたら、今もそれだけの力を有している可能性がある。

 警戒心を全開にし、マリアは老人を睨み付けた。

 「やる気満々といった感じじゃのう・・・。本当に損な役回りじゃて・・・」

 先ほど大勢の味方を殺した相手を前に、アレスターは警戒を見せない。

 戦いの年季を見せつけられた気がして、マリアは『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』を深く握りしめるのだった。





 眼下で行われる人間たちの争いを、月食竜(げっしょくりゅう)は空に佇みながら退屈そうに眺める。

 同盟軍の狙いを伝えられてはいなかったが、上空から見れば一目瞭然であり、開かれた道を疾走する一団の存在を確認した。

 「下らン・・・」

 そう評する彼の声には苛立ちが見える。策を講じるというのは弱者の行いであり、竜にとってそれは蔑むべきものであった。

 そんな事をするくらいならば潔く死する方がまだ受け入れられ、無駄に足掻こうとする同盟軍に月食竜(げっしょくりゅう)は心の底から失望を抱く。

 それでも、自分に対して善戦してみせた『光の剣士』は別であった。

 先ほど右手側に眩い光が見えたことから、あそこにマリアがいるのは分かっている。自ら手を下そうとしたのにも関わらず、少女が健在なことに月食竜(げっしょくりゅう)は少しだけ安堵していた。

 あの少女はそれだけの気高さを見せたのであり、彼としても不覚とは思っていない。

 けれども他の人間に対する評価まで変わる訳ではなく、あの時マリアを置いて逃げた者がこの場にいるというだけで、彼の中に怒りが込み上げてきた。

 まずは、その者達の希望を摘む。

 精鋭部隊に向かって、月食竜(げっしょくりゅう)は急降下を試みた。『咆哮破』を使えば一瞬で片が付くのは分かっているが、冥王国からは自軍に被害が出ないよう懇願されている。

 当然、従う必要などないが、雑な戦闘しかできないと思われては竜としての沽券に関わった。ここは接近し、直接叩くのが無難。

 そう判断した彼の行動を、密かに待っている者がいた。

 「来た・・・・!!」

 震える声でそう言ったのは、エルフ族のニノである。

 彼女は他の同盟軍と共に戦場に立っていたが、場所は後方で、視線も地上を向いていない。常に上空を監視し、月食竜(げっしょくりゅう)が姿を現すのを待っていたのだ。

 その手には魔素(マナ)の充填が完了した『理弓(りきゅう)』が握られている。力が満たされている証として、弦のなかった弓に一筋の銀糸が備えられていた。

 しかし、矢はない。『理弓(りきゅう)』を分析したアズラの意見では、構えると同時に矢が生成されるとの事だ。今はそれを信じ、ニノは弦に手を掛ける。

 その瞬間、魔素(マナ)の塊が矢という形で出現した。それは同時に、もう逃げられないという事であり、ニノは顔色を悪くする。

 もしアズラの推測が外れ、使用方法が分からなかったのならば、何もせずに済ます事も許されただろう。しかし、もはや全てが周到となり、あとはこの手を放すだけである。

 その事実が、ニノを恐怖させた。

 この一矢を外せば、祖父の覚悟も自然の犠牲も、同盟軍の命運も全てが無に帰す。竜とはそれだけの存在であり、あの者を倒すという役目が今回の決戦においてどれだけ重要かをニノも理解していた。

 呼吸を整え、狙いを定める。

 周りには他のエルフ族がいるが、ほとんどの者が敵兵に意識を割いているため、ニノの動向に気付いてはいない。かつて感じた事のある、仲間が傍にいながらの孤独感。

 それでも、今のニノの心の中には頼もしい存在がいた。あの者の眼差しがあるというだけで、彼女は少しだけ強くなれる。

 一緒にいないという寂しさもあるとは思ったが、不思議とそれは感じなかった。そう、ニノにはグレンが、すぐ傍で見守ってくれているような気がしたのだ。

 いる訳がないとは分かっていた。全ては極度の緊張が生み出した錯覚だと理解していた。

 けれど、この手を放す勇気くらいにはなる。

 「いけッ・・・!」

 引き絞った矢が射出され、月食竜(げっしょくりゅう)に向かって直進した。輝く魔素(マナ)の尾を引いて、神器の一撃が軌跡を描く。

 地上から天空に落ちゆく流れ星を、争う者達の何人が見たのだろう。彼らの目には敵しか映っておらず、群衆の中で歴史的出来事が起こった事など知りもしない。

 「上出来だ」

 しかし戦場の喧騒の中、そう呟く者がいた。それをニノが気付くことはなく、彼女の意識は放たれた矢と竜に向けられている。

 狙いは完璧。巨体を誇る月食竜(げっしょくりゅう)の眉間、その中心部を寸分の狂いもなく照準に収めている。

 誰が見ても明らか。直撃するのは時間の問題だ。

 それを、月食竜(げっしょくりゅう)が素直に待ち受けてくれていれば――。

 「グウッ・・・!?」

 己に向かって迫る脅威に、さしもの竜も戸惑いを隠せない。一瞬だけ動きを止めたのは、彼が油断していたからだろう。

 この戦場にいる誰もが自分を傷つける事などできない。そういった自負があったればこその一時硬直であった。

 しかし、これは違う。

 (コノ凄み・・・!竜王様と同等・・・!!)

 月食竜(げっしょくりゅう)は生まれて初めて恐怖を覚えた。故に、彼は生まれて初めて反射的に回避行動を取る。

 巨大な翼を羽ばたかせ、瞬時にその場を移動。正に紙一重の領域で、月食竜(げっしょくりゅう)はニノの放った一矢を避け切る。

 「外したッ・・・!?」

 その事実にニノは愕然としたが、この失敗に関して彼女に非はない。狙いも完璧であったし、距離も適切であった。

 全ては竜の高い身体能力が為せた技であり、今回が無理ならば次回もまた無理、そう断じていい結果である。

 それでも月食竜(げっしょくりゅう)が恐怖を覚えたのは事実であり、その事実が彼の中では至上の屈辱であった。怒りに身を任せ、竜は勢いよく口を開く。

 虫けらが集う中、誰が先程の矢を射たのかは分からない。もはや狙いなどはなく、おそらく射出地点と思われる場所周辺を壊滅させるつもりであった。

 そしてその行動こそ、彼が見せた最大の油断である。

 竜が回避したと判断した魔素(マナ)の矢――それが彼の背後に広がる上空で炸裂、そして拡散したのだ。先程まで1本だった物が、無数の矢となって大地に降り注ぐ。

 その光景を、誰が予測しただろうか。

 失意のうちにあったニノも、戦況を確認していたエンデバーも、『理弓(りきゅう)』を調べたアズラも、エルフ族の長であるクロフェウも、誰もそうなるとは知らなかった。

 現代では完全に解明できなかった神の遺産。その威力が今、人々の前で発揮される。

 「グオオオオオオオオオオオッ!?」

 背後から次々と着弾する魔素(マナ)の矢によって、月食竜(げっしょくりゅう)が苦痛の声を漏らす。痛みなど、遥か昔に味わって以来だった。

 最初の一矢に比べれば1つ1つの威力は低めだが、決して無視できるものではない。『咆哮破』を放つのを中断し、月食竜(げっしょくりゅう)はその身をさらなる上空へと脱した。

 油断に加えて損傷。それらは竜としての自尊心を傷つけるのに十分な結果であり、怒りに牙を噛み締める。

 しかし、それも束の間。月食竜(げっしょくりゅう)は息を思いっきり吐き捨てると、自分が愚かなだけだったと反省し、心を落ち着かせた。

 見れば、矢の嵐はまだ止んでいない。

 しかも同盟軍にとって都合の良い事に、それらは冥王国軍に着弾している。仲間意識などなかったが、月食竜(げっしょくりゅう)は被害を抑えようと、無数の矢が射出されている場所に目を向けた。

 そこには輝く球体が浮遊しており、魔力とは異なる力を強く感じ取れる。

 せめてもの報復にと、月食竜(げっしょくりゅう)は口を開き、それに向かって『咆哮破』を放った。





 上空で爆発音。

 超常なる力と自然の命がぶつかって生まれた衝撃は、地上で戦う全ての者を怯ませた。

 先程まで冥王国軍に襲い掛かっていた輝く矢の雨だけでなく、今回の戦場は通常では起こり得ない事ばかりが起こっている。

 しかし、今それを深く考えている余裕はない。

 天守国の英雄ジェイク・マックスは、仲間が命懸けで切り開いている活路をただひたすらに突き進んでいた。

 「ジェイクよッ!」

 その最中、後ろで馬を駆るオングラウスがジェイクに声を掛ける。小柄な老人は杖を持ちながら、高速で走る馬を片手で操っていた。伊達に年は取っていないという事なのだろう。

 「なんであるか、オン爺ッ!?」

 「エルフの娘ッ!しくじったようだぞッ!」

 「そうであるかッ!」

 オングラウスの報告に批判的な感情が込められていない事から、ジェイクも早々に話を打ち切る。元より竜など太刀打ちできる存在ではなく、仕留められなくとも仕方ないと思っていたのだ。

 だがそうなると、竜に妨害される可能性も出てくる。時は一刻を争うと、ジェイクはさらに馬を加速させた。

 「ジェイクよッ!」

 そんな彼に向かって、オングラウスが再び声を掛ける。

 「なんであるかッ!?」

 「このままでは、竜がこちらに来るかもしれんッ!」

 「やはりそう思うであるかッ!ならば、急ぎ冥王のもとまで辿り着かねばッ!」

 「馬鹿者(ばかもん)ッ!間に合うかッ!ここは儂に任せいッ!」

 老人の言葉に、ジェイクは驚いて後ろを振り返る。オングラウスの顔には笑みが見え、それが彼の覚悟なのだと即座に理解できた。

 「何をするつもりであるか、オン爺ッ!?」

 「愚問ッ!竜の足止めをするッ!」

 「無理なのであるッ!オン爺は魔法使いッ!竜に魔法は効かないのであるよッ!?」

 「知れた事ッ!宿敵アレスターを破るため、神にも秘めし我が大魔法ッ!竜にとっては大道芸に等しいだろうが、気を引くくらいはできるッ!」

 そう豪語し、オングラウスは杖を掲げ、魔法を唱える。

 「――『ああ、憧れの竜の背に(ドラゴンライド)』ッ!」

 その瞬間、オングラウスの杖から大量の魔力が放出された。それらは彼の下に潜り込むと、馬を包み込むようにして凝縮し、形を作っていく。

 それはまるで竜のような姿となり、その上にはオングラウスが乗っていた。

 「すごいのである、オン爺ッ!このような魔法を隠していたのであるかッ!」

 ジェイクだけでなく、精鋭部隊に属する天守国の全戦士が老人を称える言葉を口にする。凱旋のような状況に、かつてを思い出したオングラウスは楽しそうに笑った。

 「お前達ッ!その身に帯びた使命ッ!必ずや成し遂げてみせよッ!さすれば我らの名ッ!この地にて永遠に語り継がれようぞッ!」

 「オン爺ッ!竜と戦って死ぬつもりであるかッ!?」

 「無論ッッ!!」

 無論と来たか、とジェイクは軽く笑う。

 「分かったのであるッ!オン爺の死!無駄にはしないのであるよッ!」

 「当然だッ!この馬鹿者(ばかもん)ッ!」

 それを最後の言葉とし、オングラウスの乗った竜は羽ばたく。青い光で形成された彼の竜は所々が透けて見えたが、問題なく上昇した。

 あとには老人が乗っていた馬だけが残り、その姿を空へと消していく。

 向かうは、本物の竜である。

 その間、オングラウスは奇妙な高揚感を覚えていた。これから避けられぬ死が待っているのにも関わらず、それが嬉しくて仕方がないといった感じだ。

 無論、天子のために死ねるのは本望である。しかし彼にとって、本物の竜をこの目にできた事が何よりも嬉しかった。あまつさえその者と戦えるとあっては、死への手向けとしては最上である。

 そのため、オングラウスは笑っていた。

 それでも月食竜(げっしょくりゅう)を目前とすると、軽やかな笑みも消え失せる。これからどれだけの時間を稼げるかが勝負なのだ。オングラウスの目には、老人とは思えぬ闘志が燃えていた。

 しかしその炎も、竜にとっては小火に過ぎない。魔力で作られた竜に乗った人間に対して、月食竜(げっしょくりゅう)は怒りも露わに問い掛けた。

 「貴様ッ・・・!我らヲ模した物ノ上に乗るトイウ行為が、何ヲ意味するか・・・分かっテいるだろうナッ・・・!?」

 それに対し、オングラウスは恭しく頭を下げる。

 「誤解しないでくださいませ、月食竜(げっしょくりゅう)殿。これは小さき私が抱く、大いなる竜への憧れを表現した魔法。決して、侮蔑の意味など御座いません。それでも貴殿が不快を感じるようならば、私は今ここで自決いたしましょう」

 老人の口から発せられた潔い台詞を聞き、月食竜(げっしょくりゅう)は先程と打って変わって敵意を収める。それを聞かされても心乱したとあっては、竜としての格が落ちると判断した。

 「ナラバ、なぜ我ノ前に立ツ?我ト同じ空に立ツという事。それが何ヲ意味スルか、分かっているだろうナ?」

 「無論で御座います。此度はぜひ、貴殿と力比べをしたいと思って馳せ参じました。お時間がおありならば、老い先短い人間の戯れに少々お付き合い願えませんでしょうか?」

 オングラウスの物言いに、月食竜(げっしょくりゅう)は「ホウ・・・」と零す。

 どうやら興味を持ってくれたようだ。

 「なルほど、面白イ。退屈極マる人間の戦イにも、貴様ノようナ者がいるのだナ。イイだろう。相手ヲしてヤル」

 「有り難き御言葉。感謝つかまつる」

 そうして、空の上で2人だけの戦いが始まった。

 それと時を同じくして、地上でも別の戦いが幕を開ける。

 役者の1人はジェイク・マックス。真っ直ぐ前を見据える彼の視界の中に、もう1人の男が現れた。

 言うまでもなく大将軍ガロウ・バルファージであり、因縁の2人が今ここに相見える。

 「ガロオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」

 「ジェイクウウウウウウウウウウウウウウウウッッ!!!」

 強敵の出現にジェイクは雄叫びを上げ、負けじとガロウも宿敵の名を叫ぶ。

 先手を打ってジェイクが馬上から跳躍し、応えるようにガロウも上へ。2人の異常な脚力なのか、それとも身に着けた魔法道具(マジックアイテム)がそうさせるのか、彼らの体は人間の限界を遥かに超えた位置に到達していた。

 「――『天上(てんじょう)至高(しこう)(ざん)』ッッ!!」

 ジェイクの持つ聖剣『正義をもたらす者ジャスティスブリンガー』は、使用者の正義の心に呼応して威力を上げる。今、彼の心は国と天子を守るという正義感で満たされていた。

 それすなわち無限。ジェイクの振り下ろした大剣には、未曽有の威力が秘められている。

 「――『剛腕唸る鉄塊の大剣ギガンティック・アイゼン』ッッ!!」

 ガロウの右腕に填められた腕輪『その手に持(ラージ)たざる無数の刃(ナンバー)』は、あらゆる武器にその姿を変える事ができる。今、ガロウの手には突如として大剣が握られていた。

 ジェイクの大剣を迎えるように振り上げられるが、それはただ単に振るわれている訳ではない。彼が習得した『無明(むみょう)(あかつき)流』の真髄が、その一振りには込められていた。

 2人の剣がぶつかり合った瞬間、そこを中心に轟音と衝撃波が生じる。

 そのどちらも規格外であり、比較的近くにいた雑兵などは(たま)らず態勢を崩した程だ。精鋭部隊の戦士達も、2人の強大な戦士の戦いに声を上げる。

 「うおおおおおおおおおおッ!!?」

 「こ、これが人と人の戦いなのかッ!?」

 「どちらも!すでに人の領域を超越しているッ!」

 「あの2人の剣には神が宿っているのかああああッッ!?」

 騒ぐ周りの事など気にせず、ガロウはジェイクに語り掛ける。2人はすでに落下していたが、鍔迫り合いは続いていた。

 「ジェイクッ!俺は待ったぞッ!この時をッ!額の傷の借りを!今ここで返すッ!!」

 「吾輩は貴公と会いたくはなかったのであるッ!貴公が相手では、殺さずに済ます事などできないであるからしてッ!」

 「俺に勝つ気かッ!?俺は強くなったぞッ!」

 「それは困ったであるなッ!」

 地面が近い。

 最初に着地するのは当然ガロウであり、ジェイクが地に足をつけるまでの僅かな差が致命傷になりかねなかった。そのためジェイクは剣を弾き、その反動で後ろに下がる。

 それでも着地したガロウが間髪を入れずに猛追し、武器を槍に変えて突き出した。

 直後、剣戟の響きが辺りに広がる。しかしそれを為したのはジェイクではなく、別の者達であった。

 「誰だッ!?我らの決闘を邪魔する愚か者はッ!?」

 怒りに吠えるガロウの視界には、3人の男が見える。男達は誰もが同じ顔をしており、装備も似通った物を身に着けていた。

 「我は長兄アインッ!」

 「次兄カインッ!」

 「三男サインッ!」

 それぞれに名乗りを上げると、最後に3人は声を揃えて叫ぶ。

 「「「我らッ!ウェンウー三兄弟ッッ!!」」」

 各々の武器である槍を構え、交戦の意思をガロウに見せつける。それだけ見事な名乗りを受けたとあっては、彼としても無視はできなかった。

 「『幻惑(げんわく)三重槍(さんじゅうそう)』かッ!貴様らでは不足だッ!退()けいッ!!」

 「そうはいかぬッ!」

 「ジェイクッ!ここは我らに任せてッ!」

 「貴殿は冥王のもとへッ!」

 「何を言っているのであるか、ウェンウー三兄弟ッ・・・!?」

 彼らの行いにジェイクは戸惑いを隠せない。今回の作戦は、誰か1人でも冥王を討てればそれで良いのだ。

 それがジェイクである必要はないし、ウェンウー三兄弟が彼のためにガロウの足止めをする必要もない。

 「分からんか、ジェイクッ!」

 「冥王の守護は、この戦場で最も堅固ッ!!」

 「それを前に、彼奴(きゃつ)を討てるのは貴殿をおいて他に無しッ!」

 「先に行けという事であるか・・・!」

 ウェンウー三兄弟からの申し出に、ジェイクは悩む。すでに他の者達は先を急いでおり、彼らが冥王を討ってくれる可能性もあった。

 しかし、仲間の矜持を無駄にできないと、ジェイクは大きく頷く。

 「分かったのである、ウェンウー三兄弟ッ!――来るのであるッ!轟嵐馬(ごうらんま)ッ!」

 先ほど飛び降りた愛馬を呼び、ジェイクは先を急ぐことを決心する。だが、それをみすみす許すガロウではなかった。

 「馬鹿がッ!行かせるかッ!」

 折角の再戦を僅か一合で終わらせては堪らないと、ガロウがジェイクの前進を阻止しようとする。しかし、それを制すためにウェンウー三兄弟が動いた。

 「愚かなり、『千手(サウザンド)』ッ!」

 「今の我らは悪鬼羅刹ッ!」

 「例え道に背けどもッ!貴公を止めるのに手段は選ばぬッ!」

 それは彼らにしてみれば恥以外の何物でもない選択であった。ジェイクを追ったのならば、問答無用でその背中を斬ると言っているのだ。

 流石のガロウとて、ウェンウー三兄弟による背後からの攻撃を受けたとあっては苦しく、彼らの挑戦を受けざるを得なくなる。

 「ええいッ!ならば、貴様らを即座に倒せば済むことッ!ジェイクッ!その命、今しばらく預けるぞッ!!」

 ガロウがウェンウー三兄弟に意識を集中させたのを見届け、ジェイクは愛馬に跨る。そして、その場を全速力で後にした。

 前方では、別の戦いが繰り広げられているようだ。

 「ぐおおおおおッ!?なんだこいつらッ!1人1人が並じゃないッ!」

 「このような手練れがまだ冥王国にいたとはッ!」

 「貴様らッ!名を名乗れッ!」

 天守国の戦士の言葉に、待ってましたとばかりに彼らは応える。

 『我ら、その名をシガリット一族ッ!剣を振るえば鉄を裂きッ!野を駆ければ風となるッ!歴史の影に身を潜めども、磨いた技は天下一ッ!我らが新たな王のため、ここから先は通しはしないッッ!!』

 その立派な口上を聞き、ジェイクは彼らもまた誇り高き戦士なのだと直感する。

 それでも退く訳にはいかず、激闘が繰り広げられる真っ只中に飛び込むのであった。

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