4-15 ロドニストの戦い
「なんですってええええ!?」
シュリオンからの報告を聞き、ギルは大声を上げた。
顔は真っ青になっていたが、体中に冷や汗を掻いている。
「『我が身の番人』が、あなたを除き全滅・・・!?あ・・・ありえない・・・!?」
彼の中で、『我が身の番人』とは最強の4人であった。それが僅か一晩でたった1人にまで減ってしまい、ギルは今まで手にしていた安心感を大きく喪失する。
邪魔者を排除する効率も、自身を守る戦力も、これまでの半分以下に成り下がったのだ。
これを資産に換算するとどうなるのか。混乱する頭の中で、ギルは職業病とも言える行動を取っていた。
「ど、どうするつもりなんですか、シュリオン・・・!?いえ・・・!どうすればいいんですか・・・私は・・・!?」
かなり心を乱しているのだろう。聞いても答えが返ってこないと分かっている相手に対して、ギルは縋るように問い掛ける。
しかしそれは、シュリオンにとっては望んでいた行動であった。
「私としても失敗の汚名を雪ぎたい。冥王国の軍がロドニストに攻め入った機に乗じて、必要最低限のエルフは捕獲しよう」
「ほ、本当ですか!?流石は『黄昏なるシュリオン』ッ!殺された他の3人とは違い、本当に頼りになるッ!」
出来れば懇意にしている顧客のために商品の吟味をしたかったが、我が儘は言っていられない。エルフというのはどれも美形であるため、大当たりはないとしても外れはないはずだ、と自分に言い聞かせる。
そう考えるギルの満面の笑みとは逆に、シュリオンは冷めた感情になっていた。
(あの少女と比べて、この男の笑顔のなんと醜い事か・・・)
シュリオンが暗殺者として活動し、後にギルの護衛となった事に特別な理由はない。彼女はただ、身を置く場所を探していたのだ。
そして今夜、シュリオンは新たなる宿り木を見つけた。
ガーネという少女、『戦神』という組織――己の闇を聞き入れ、受け入れてくれる場所。
その力になれるのなら、かつての雇い主を利用する事も厭わない。
「では!すぐにでもグンナガン将軍に攻撃許可を出さなければ!」
ギルは嬉しそうに部屋を出て行く。
その姿を、仮面の下で笑みを作りながらシュリオンは見送った。
そして彼の言葉通り、ギルはグンナガンに対して次の標的への攻撃許可を出す。その時のグンナガンはとても上機嫌で、それを何の文句もなく聞き入れた。
どうやら知り合いの娼婦が彼のもとを訪れたから、らしい。
自分が苦境に立たされているのにも関わらず、どうでも良い事に気分を良くしている将軍をギルは憎らしく思った。
しかし、自分もすぐに晴れやかな心地になるはずである。
明日になれば、すぐにでも。
翌日、シオン冥王国軍が動き出す。
その情報はモルガンからの『念話』によって、すぐにクリスとガーネに伝えられた。それを、2人は即座にグレンへと伝達する。
「そうか」
彼はたった一言だけ言葉を発すると、普段と変わらぬ足取りで部屋を出て行った。その後ろ姿は、これから起こる戦いなど意に介していないようにも見える。
その逞しい後ろ姿を他の仲間にも見せてあげたい、とクリスとガーネは思った。
グレンが同じ建物に泊まっているヴァルジとニノも連れて外へ出ると、街の住人に扮した騎士達が慌しく動いている光景を目にする。おそらく、彼らの方にも冥王国軍に関する情報が入ったのだろう。
「あ!おはようございます!エルフ隊の皆さん!」
少しだけ髪の乱れたエンデバーが駆け寄って来る。
その顔には、緊張と期待が混在していた。
「いよいよみたいですよ!」
「らしいな」
グレンの落ち着き払った返事を聞き、エンデバーは怪訝な顔をする。
「あれ?もう聞いてました?冥王国軍が攻めて来るっていう話」
「ああ。後ろの2人から聞いた」
グレンがそう言うと、エンデバーは「あれ?」と声を上げる。
「リンカちゃんじゃん!いつの間に知り合いになったの!?」
『リンカ』とは、この街におけるガーネの偽名である。当然、クリスとモルガンも別の名前を名乗っており、『戦神』としての今後に支障をきたすような真似はしていない。
「それについては私も伺いたいですな。この子達とは、いつお知り合いに?」
グレンがいつの間にか同行者を増やしていた事を、最初から疑問に思っていたヴァルジが問う。ニノは無言だが、興味深げにグレンの方へ視線を向けていた。
「実は昨日、夜襲がありまして。それを迎撃する時に手伝ってもらったんです」
色々と省いた説明であったが、それが一番無難な回答だと判断した。
ただ、それは何の事情も知らない者を驚かせる結果となる。
「え!?夜襲!?そんなのあったんすか!?」
特に驚愕したエンデバーが、大声を出して聞いた。
「ああ。とは言っても、たった4人の偵察隊だ。大した事はなかった」
「え?じゃあ、倒してくれたって事っすね?」
「そう思ってくれていい」
「いや・・・なんかすんません。本当は俺達がやらなくちゃいけないのに」
「気にするな。君達は今日という日のために備えていたんだ。その想いは戦場で発散してくれ」
そのグレンの言葉に、エンデバーは笑みを作る。
初対面の時に見た、爽やかな笑顔であった。
「へへ!グレンさんって、なんかすげえ良い人っすね!頼れる男って感じ!」
「そうか?」
「そうっすよ!戦いの方でも期待してますから!」
そう言って、エンデバーはグレン達の前から去って行く。
まだ普段着であったことから、冥王国が動き出した事を自分達に伝えに来たのだろうと思われた。そして、これから装備を整えに行くのだろう。
「グレン、私達も急いで準備をしたい。仲間に伝えて来る」
おそらくもう伝わってはいると思うが、ニノの言葉にグレンは頷いた。
一族が過ごす屋敷に向かってニノは走り出し、グレンは『戦神』の2人の方へ顔を向ける。
「君達はこの街を離れた方が良い。何が起こるか分からないからな」
少し逡巡した様子をガーネが見せる。
しかし、クリスが少女を見つめており、昨晩聞いた『念話』で説得をしていると思われた。そのため、渋々といった感じに頷いてくれる。
「グレン様、モルガンさんをお願いします」
「ああ。任せておけ」
クリスとガーネは頭を下げ、グレンに仲間の事を託して去って行く。その一連のやり取りを見て、ヴァルジは心底不思議そうな様子であった。
「グレン殿。貴方とあのお嬢さん方、一体どういう関係なのですかな?」
グレンの名を敬称を付けて呼んだ事から、昨晩出会っただけという間柄ではないはず。少なくとも彼がどういった人物なのか知っているか、余程入れ込みやすい性格なのか、だと思われた。
興味本位でしかなかったが、ヴァルジは事の真相を知ろうと問い質す。
「実は、彼らは『戦神』の一員なんです」
「ほう・・・」
その声は、老人にしては低く発せられた。同時に鋭く突き刺さる程の殺気が迸り、ヴァルジが怒りを覚えているのを理解する。
それを覚悟の上でグレンは伝えた。
『戦神』の前身である『戦刃』の1人が、老人の仕える皇帝の命を狙ったのだから当然である。ヴァルジにしてみれば、『戦神』は敵なのだ。
しかし、皇帝であるアルカディアはすでに『戦刃』を赦しており、それは『戦神』になったとしても有効なはずである。
「ヴァルジ殿、お気持ちは分かります。しかし、すでに皇帝陛下は彼らの仲間の所業を不問としています。あまり事を荒立てないようお願いします」
だからこそ、グレンもヴァルジに理解を示すよう促した。老人の放つ殺気は恐ろしく、彼でなければそのような言葉は言えなかったに違いない。
それを受け、ヴァルジは優しく笑う。
「これは無礼を働きました。お許しください、グレン殿。私も納得していたつもりでしたが、いきなりだったもので、つい」
「いえ。ヴァルジ殿の忠義心ならば当然の事だと思います。お気になさらず」
「しかし、なぜ教えてくださったのですか?黙ったままでも良かったのでは?」
「そんな事をしたら、万が一知られた際に、先程以上の殺気を受けなければいけませんので」
「おや。勘付かれていましたか」
つまり、ヴァルジの放った殺気の中には、グレンに対する「何故すぐに教えなかった?」という怒りも込められていたという事である。グレンも、これに関しては完全に自分に非があると考えているため、老人の行動を不服とは思っていない。
『戦神』の者達と出会った事を黙っているのは気が引け、かと言って自分を慕う3人をヴァルジの前に連れて行くのも可哀想。そう思ったがため、今この状況において打ち明けたのだ。
「ヴァルジ殿の怒りが、痛いほど伝わってきましたよ」
「まったく、私もまだまだ未熟ですな」
そう言って、ヴァルジは笑う。
しかしすぐに表情を戻すと、遠い目をしてこう言った。
「しかし、あの者達の話をしたせいでしょうか。陛下の御顔を思い出してしまいました」
グレンとヴァルジがフォートレス王国を出立してから、すでに20日以上が経過している。帰る時に掛かる日数を考えれば、それと同じくらいの時間を要するだろう。
まだしばしの間、再会はお預けである。
「今回の件が片付けば、私達の役目も終わります。そうしたら、国へ帰るとしましょう」
「そうですな。では、出しゃばり過ぎない程度に力を尽くすといたしましょう」
ヴァルジの言葉にグレンは頷いた。
2人の戦士が、戦場へと向かう。
場所は比較的広い山間。
グンナガン将軍が率いるシオン冥王国軍が次なる標的と選んだロドニストは、首都より遠く離れた田舎の小都市である。そのため遠巻きに山々が連なっており、大軍が進行するのに適した道は数少ない。
その中でエンデバーが選んだ場所が、冥王国軍が奪取した街に最も近い通りである。
迂回などせず、簡潔に最短距離を突っ込んでくる。そう読んでの行動だ。
勿論、偵察兵を何人か派遣しており、予想を外した際にはすぐに場所を移れるように心構えはしている。
しかしエンデバーは、まず間違いなく冥王国軍はそこを通ると考えていた。誰かに言ってはいないが、間違いないと断言できる。
まず、彼らには余裕がある。今のところ連戦連勝で、波に乗っていると調子づいているはずだ。ならば、わざわざ手間の掛かる手段は取らないと考えた。
そして彼らには肉の壁がある。言うまでもなく捕らえられたテュール律国の民間人であり、こちら側に対する絶対的な防護壁である。
しかし当然欠点もあり、その1つが移動速度だ。
虐げられ、酷使されている民間人の歩く速度は極端に低下しており、目的地に着くまでにどれ程の時間が掛かるか分からない。そんな状況において、あのグンナガンが毅然としていられるだろうか。非人道的な手段を用いて良しとするような輩が、獲物を前にして待つ事が出来るだろうか。
それを、エンデバーは「出来ない」と考えた。
だからこそ、ここに陣取っているのである。
「敵が街を出てから大分経つ・・・。もうすぐそこまで来ていてもおかしくはないですよね・・・?」
エンデバーの隣には『黄龍鉄騎猛攻騎士団』のジグラフ団長がおり、その言葉に大きく頷く。
「ああ。試しに、地面に耳を当ててみるといい。奴らの足音が聞こえて来るかもな」
「そんな事しなくても、『妖精の囁き声』を使えばいいじゃないですか?」
「その通りだ。そして、すでに部下にやらせている」
遠方で発生する音に注意を払わせている部下に対して、ジグラフは軽く視線を向ける。すると、その部下は「まだです」とでも言うように首を横に振った。
「ここに来てくれますかね・・・?」
「なんだ、弱気だな。自分を信じろ、エンデバー。お前は天才的な戦術家だよ」
「もうね・・・その持ち上げが、すげえ重圧なんすよ・・・。この作戦に失敗したら、責任を全部押し付けられる感じがして・・・」
「馬鹿を言うな。例え作戦が失敗しようとも、責を問われるのは私だ。お前はどんと構えていろ」
「それはそれで、しんどいっすわ・・・」
エンデバーは渇いた笑いを発した。
その直後、今し方ジグラフに報告をしたばかりの騎士が、
「――ジグラフ団長!」
と声を上げる。
「来たか!?」
「おそらく!」
その会話を聞き、エンデバーの心臓が強く鼓動を始め、手に汗が滲み出す。情けない、とは思わない。
これは、自分の予想通りに敵が動いた事に対する興奮の表れだからだ。
「よっしゃあああッ!気合入れてくぞおおおッ!」
先程までの陰鬱な気分はどこへやら、エンデバーは仲間に向かって叫んだ。彼が率いる部隊と、そこに混ざるエルフ隊の面々は応えるように声を出した。
そこにはニノもいる。
しかし、グレンの姿はない。そして、ヴァルジの姿もなかった。
あの2人とはここに来るまでの道中に分かれており、それぞれの配置場所で待機しているはずである。
頼もしい戦力と離れ離れになったのは心許なかったが、周りにはエルフ族の同胞がいるのだ。ここで族長の孫である自分が怯える訳にはいかない。
(さあ来い!グンナガン!)
姉の仇の名を心で叫び、ニノの瞳に力が宿る。
「グンナガン将軍閣下ッ!」
部下の1人が、少しだけ慌てたように近づいて来る。
大きく立派な戦闘用馬車に乗り、傍らに美女を侍らせているグンナガンは、それに一瞥をくれた。
「なんだ?」
「前方に敵影確認ッ!テュール律国の騎士達と、理由は分かりませんがエルフ共が待ち構えていますッ!」
「エルフだと・・・?」
何故、エルフが人間と一緒にいる。
そう考えはしたが、別に奴らなど取るに足らない存在だ、とグンナガンは大して重要な事とは考えなかった。
「また懐かしい連中と出くわすものだ」
「まあ、将軍閣下はエルフとお知り合いでしたの?」
グンナガンに寄り添うように座る女が聞く。
その者は娼婦であったが、彼がいたく気に入った事もあってか戦場にまで連れて来ていた。と言うよりも、娼婦の方からついて行きたいと言い出したのだ。
待っていろ、と言っても聞かず、仕方なく隣に置いている。
「昔、少しな」
「何があったんですの?聞かせて欲しいですわ」
「ふっ。下らん話だ」
そう言いはしたが、グンナガンは自慢するかのように話し出す。
「今より10年ほど前、俺は1人の女エルフを騙し、『エルフの森』の場所を見つけ出したのだ。そこで1年間を過ごた後、その女エルフを殺して国に帰った。それだけだ」
「まあ、怖い御方。女を裏切ったのですね」
大した恐れを込めず、娼婦は面白そうに言った。
それを聞き、グンナガンも笑う。
「あの時は『エルフの森』の場所を特定した事が手柄になると考えていたが、大して評価されなくてな。出世に必死だった俺は、ひどく落胆したものだった」
「それでしたら、どのようにして将軍という地位に?」
「奴らの巣を見つけた事はどうでもいい。だが、奴らを騙し、裏切った経験が俺の中で生きた。結局、世の中どのような手段を使っても、最終的に勝てば良いと気付いたのだ。どのような罵りを受けようとも、最後に生き残った者が正義。それを俺は悟った。だからこそ、あらゆる手段を使って伸し上がって来た」
それで将軍に、と娼婦は納得する。
「でしたら、そのエルフ達。復讐に来たのかもしれませんわね」
あくまで揶揄うように娼婦は言った。
グンナガンはそれを受け、嗜虐的な笑みを浮かべる。
「だとしたら面白い。俺の周りには『干民』などおらん。選りすぐりの精鋭達が、俺とお前を守り、エルフ共を殺すだろう」
彼の言葉通り、ここは戦列の最後尾であり、周りには国の正規兵ばかりが配置されている。一際立派な鎧と武器を身に付け、グンナガンの乗る馬車を中心に数百名が行進していた。
確かに、並の者では将軍まで辿り着ける事はないだろう。
(グンナガンは確実として、この中の何人が死んじゃうのかしら・・・)
しかし、それを見た娼婦は、心の中でそう呟いた。
声が聞こえる。
足音が響く。
攻めるは約2万のシオン冥王国軍。
山間を進んでいるため縦列での行進であり、そのほとんどが『干民』によって構成されている。しかし、ロディアス天守国やブリアンダ光国を攻めている隊とは異なり、左右を冥王国の正規軍が固めていた。
身軽な装備の『干民』が先頭から中央にずらっと並び、重厚な鎧を纏った正規軍が横からの攻撃に備える陣形である。弱点としては、近接戦闘しか出来ない『干民』のみで構成される先頭部を狙った遠距離攻撃であるが、そうさせないための人質が彼らの少し前を歩いていた。
それは、捕らわれているテュール律国の民間人達である。
戦列の前方を覆うように200人程が歩かされており、その姿は見るも無残。
傷付けられ、汚された肉体。薄汚れ、原型を留めていない衣服。そして何よりも、心が死んでいた。
逃走防止のために5人1組となるよう足を縄で縛られ、他の者のためにも歩く速度を緩めず進むしかない。背後を行進する冥王国軍は、例え彼らが遅れたり転んだりしても止まる事はないのだ。
1人が止まれば他の者も動けなくなり、結果5人全員が軍隊に踏みつぶされる事となる。その時の悲鳴を、壁とされる人々は何度も聞いてきた。
だからこそ必死になって進む。その努力が、国を侵す結果となろうとも。
『命乞いをした者の口を裂けッ!
逃げようとした者の足を刈れッ!
手に手を取り、助け合おうとする者の希望を押し潰せッ!
我らは冥王軍ッ!覇王の軍ッ!
敵に掛ける情けを持たず、振るう刃は全てを切り裂くッ!
恐れ慄け、弱き者どもッ!貴様らが生きる明日はないッッ!』
意気揚々となった『干民』達が歌う。
これは自軍の戦意高揚に加えて、相手の戦意喪失を狙った行動であった。自分達は強いという意識を高め、敵に恐ろしい存在だと認識させる。
戦において精神の影響は大きく、それだけで戦況を有利にする事が可能だ。
これもまた、グンナガンが考えた策である。
「上機嫌にまあ、歌ってくれちゃって」
しかし、冥王国軍を待ち構えるエンデバーに恐れはない。
彼の中で、最早この戦いは終わっていた。
「エンデバー、最後に確認しておくぞ。エルフの作った罠が発動した瞬間、魔法や弓で奴らを攻撃する。これでいいんだな?」
「ええ。完璧です」
「しかし、今になって言うのもどうかと思うが、お前の策にしては随分と簡潔だな」
「それが良いんですよ。簡単な作戦ほど成功させやすいんです。訓練は不要。準備も最小。でも効果は劇的。それが良い作戦ってもんですよ」
「なるほど。やはりお前を呼んで正解だったようだな、『天才軍師』」
「じゃあ今度、女の子紹介してください」
「うちの娘でいいのなら」
「アリシアさんかー・・・。美人だけど、おっかないんすよね・・・」
「それは同意する」
2人は軽く笑い合った。
隊を率いる者達が平然とした様子を見せた事で、他の者達にも余裕が生まれる。魔法使いならば精神統一を、弓兵ならば照準を鈍らせる事はなくなった。
誰もが勝機を見出し、冥王国を待つ。
「見えてきたか・・・」
まだ遠いが、冥王国軍の先頭が顔を見せ始めていた。
最初に目に映るのはやはり自国の人々であり、テュール律国の騎士達は誰もが悔しい想いを胸に宿す。特に『黄龍鉄騎猛攻騎士団』は今まで何度も救出に失敗しているため、その強さは人一倍だ。
今度こそ必ず救い出す。その決意を全員が抱えていた。
「ねえ、ニノ・・・」
「なに?」
「私達、勝てるかな・・・?」
表情を不安でいっぱいにした仲間が問う。
今まで辛うじて冥王国を相手にして来たと言っても、今回はその経験が生きるような規模の戦闘ではない。テュール律国の騎士達が共に戦ってはくれるが、それでも数は大きく劣っているのだ。
「大丈夫。必ず勝てるから」
だからこそ、ニノは笑った。
そんな不利な状況を前にして、さらに下を向く事はない。
この戦場には仲間がいる。グレンがいる。
たった2つの要素だが、心の支えにはそれがあれば良い。
「ニノさ・・・。なんか、逞しくなった・・・?」
「え?」
今まで200年近くを共に過ごした仲間の言葉に、ニノは呟きを返す。彼女と離れたのは僅か数日であり、そんな短期間に自分に変化が見られるとは思わなかった。
しかし、尊敬すら含む同族の瞳には、何かが変わったように映っているらしい。
「なんだろう・・・。今までも頼もしかったけど・・・それが内側からも感じられるって言うか・・・。今まで会った事もないニノに見える・・・」
それはきっと、あの男のおかげなのだろう。
頼もしく、優しく勇気づけてくれた人間の剣士。震える体を抱き締めてくれ、怯える心を立ち上がらせてくれた。
彼の事を信じているからこそ、自分も変わろうとしているのかもしれない。
(器の大きい者とは、あのような男を指すんだろうな・・・)
ニノは、グレンがいると思しき方向へと視線を向けた。
彼は今、大勢の騎士と共に山の中に潜んでいるはずである。
「やっぱり・・・変わったよ、ニノ・・・」
仲間の言葉も、彼女には届いていなかった。
「皆ッ!そろそろだッ!」
そんなニノの意識を戻す程に、エンデバーが大声を上げる。
視線を前方に移すと、冥王国軍はもうすでに数百m程の位置まで近づいて来ていた。捕らえられた律国の民達は、それよりも数十m分こちらに近い。
今までの冥王国軍の戦法は単純で、十分な距離まで近づいたら『干民』達が一斉に突撃を仕掛けるといったものである。人質を取られているため迂闊な先制攻撃は出来ず、近づかれてしまえば数で圧倒されるというのが、これまでの戦闘であった。
勿論、側面から魔法や弓で奇襲を試みた事もあるが、冥王国の正規軍が存外優秀であり、それを簡単に防がれてしまっている。
付け入る隙があるとするならば『干民』だが、それを守るために前と横を固めているのだ。相手が先制攻撃に打って出れないと分かっている冥王国軍の『干民』は皆、嘲るように笑っている。
「魔法部隊ッ!準備を始めてッ!弓兵部隊ッ!矢の用意をッ!」
しかし、エンデバーは指示を飛ばす。このままでは人質に直撃するが、作戦を理解している者達は誰も疑問を覚えず、各々の支度を始めた。
『勇気の灯火』、『十字風刃』、『魔水弾』、『滅光波』、『雷撃一掃』、『闇よりも昏い黒』、『飛び出でる大地の拳』。
この地域では極々一般的とされる魔法を魔法使い達は唱える。威力は低いが発動までの時間が少なく、縦列陣形を取る冥王国軍に対しては十分な範囲を攻撃できると思われた。
エルフを含む弓兵部隊は矢筒から矢を取り出す。しかし、まだ構えない。それでも、どこを狙うかだけは視線で確認しておいた。
「あと少し・・・」
冥王国軍が迫って来る。その距離、すでに100m。
緊張が、不安が、あるいは興奮が、皆の中で十二分に高まりつつあった。
それに意識を削がれぬよう、必死になって精神を集中させる魔法使い。掻いた汗で手元を滑らせぬよう、何度も何度も手の平を拭き取る弓使い。
エンデバーは己の周りにいる者達の感情を、痛い程に感じていた。
「あと・・・10m・・・」
彼が呟く一言が、そのまま他の者への覚悟となる。聞こえていない者もいるが、一部が動き出せば瞬時に同調するだろう。
「あと・・・5m・・・」
エンデバーは唾を飲む。
作戦開始の合図を出す時が近い。そのために喉を潤わせておきたかった。
「来い・・・!」
自分達の部隊編成に違和感を覚える事なく突き進んでくる冥王国の兵士達。今までの勝利が彼らを、彼らの将を盲目にしてしまったのだろうか。
ある地点に仕掛けた罠。
遂に、彼らはそこに到着した。
「良し!」
エンデバーが確信していた勝利を口から漏らした瞬間、冥王国軍の兵士達――その前を歩いていた人質の姿が消える。
「はあ!?」
「な、なんだあ!?」
同時に、『干民』達が驚きの声を発した。
ただ、一瞬の出来事ではないため人質が消えゆく光景を捉える事は容易く、誰もが何が起こったかを理解していた。捕らわれていた律国の民間人達が、地中へと沈み込んで行ったのだ。
そう、エンデバーの仕掛けた罠とは、単純明快――落とし穴である。
しかし、その対象は敵軍ではなく、自国の人質。エンデバーは捕らわれた人々を罠に掛け、救出する事を考え付いたのだ。
落とし穴は坂のように斜めに掘られ、最終的に平らになるように作られている。そこまで深くはないが大きく広く、転がる時に多少の怪我くらいはするだろうが、死にはしないだろうと考えた。
このような構造の落とし穴を作れたのも、全てエルフの術法と彼らの持つ概念のおかげだ。
始め、エンデバーは地中に箱の様な物を作ろうと提案していた。それを隠し、落とし穴にしようとしたのだ。
しかしニノから、「地中に空間を作った方が早い」と言われ、それもそうだと頷いている。
だが、そこで疑問なのが「空間は『作れる物』なのだろうか?」といった事だ。これに対しニノは、「そうではないのか?」と逆に問い質しており、人間とエルフとの考え方の違いを見せていた。
人間には理解しづらい、空間を『物』と捉える異種族特有の概念。彼女達の住むエルフの森が、『豊穣の女神スース』の作り出した異空間に存在している事から生まれた感覚だろう。
今、その正否を議論する必要はない。
なぜならば作戦は見事に成功し、彼らの前には射線が開けているのだから。
地上と地中という縦方向の隔離――それを理解したのは、騎士とエルフの連合部隊のみ。いきなり壁がなくなった冥王国軍の、とりわけ『干民』達には動揺が走り、その足を止めている。
その好機を逃すエンデバーではない。
「全隊ッ!攻撃開始ぃッ!!」
号令が掛けられ、まず魔法部隊が練り上げていた魔法を一斉に打ち出す。人質が身を潜める落とし穴を飛び越え、それらは冥王国軍へ順に着弾していった。
「があああああああああッッッ!!!」
「うおああああああああッ!!」
悲鳴が幾重にも重なって轟く。
肉が舞い、血が吹き荒れた。
そして、すかさず次の魔法を発動する準備に掛かる。それまでの間隙は、弓矢の嵐で補完。
向こうが人数ならば、こちらは手数――という事だ。
「くっ・・・!と、突撃ッッ!!」
先頭部が幾分か撃破されたとは言っても、『干民』達はまだ大勢いる。そのため、生き残った指揮官の1人が全員に突撃命令を出した。
相手は魔法使いと弓使いで構成されているのだから、近づいてしまえば圧倒できる。それまでに更なる損失が出るだろうが、最終的な勝利はこちらの物だ。
そう考えての指示であったが、それは不可能だった。
「馬鹿言わんでくださいよッ!あんなデッケエ落とし穴!どうやって飛び越えて行けってんだッ!?」
数百人の人質を収納するため、落とし穴は山間いっぱいに縦にも横にも広く作られている。言わば、冥王軍と連合軍は、谷を挟んで向かい合っているような状況だ。
これだけ巨大な穴を掘るなど、人の手ならば何日も掛かり、敵にも容易に悟られてしまうだろう。正に、エルフのみに出来る所業である。
「ほんと!エルフ様様ってね!」
戦況が圧倒的有利に動いている光景を目にし、エンデバーは気分良く叫ぶ。それを聞いたエルフ族も弓矢を引き絞る手に力が入り、敵兵に向かって新たな一矢を放った。
今もまた、脳天を撃ち抜かれた冥王国兵が倒れる。
「んじゃま!次の一手いきましょうか!」
エンデバーの作戦は罠だけではない。
依然、数は相手側の方が有利であり、落とし穴を迂回して攻めて来る可能性もある。そうさせないために、次の行動へ打って出た。
「皆ぁッ!勝鬨を上げろぉッ!!」
その指示を受け、魔法使いも弓使いも一斉に雄叫びを上げる。
片腕を天へと伸ばし、勝利を高らかに宣言した。
「我らの勝利だあああッ!」
「勝った!勝ったぞ!」
「見たか、冥王国ッ!」
しかし実際の所、勝負はまだ決まっていない。相手側の戦力を少しばかり削っただけであり、撤退を期待できるような戦況ではなかった。
だが――。
「え・・・?もう負けたのか・・・?」
「じゃ、じゃあ・・・撤退か・・・?」
「ど、どうすんだよ・・・?」
冥王国軍の大部分を占める『干民』達の間に動揺が生まれる。
この理由は彼らが普段、不利になったら逃げるような戦いを繰り返してきたためであった。冥王国にしてみれば戦力を無駄に減らさないようにするための戦略であったが、その癖が彼らに反射的な思考をさせてしまっていた。
「ば、馬鹿を言うなッ!相手は寡兵だッ!全軍、迂回して押し潰せッ!!」
相手の意図に気付いた冥王国の指揮官が的確な指示を出すが、一度下がった『干民』の士気はすぐには戻らない。
近くに仲間の死体が転がる者達ならば猶更で、じりじりと後退の動きを見せている。
「貴様らッ!!指揮官の命令に従わない者は、即刻首を刎ねるぞッ!」
その脅しは逆効果であった。指揮官が無理矢理にでも自分達を死地に追いやろうとしていると感じられたからだ。
結果、冥王国軍は瓦解する。
全力で撤退を開始する『干民』、それを押し留めようと外側から圧力を掛ける正規軍が拮抗し始めた。
「貴様ら!隊列を崩すな!」
「負けたんだよ、俺らは!だから逃げんだろうがッ!」
「それは敵の策だ!まだ終わってはいない!」
「信じられるかよッ!俺達の命なんざ、あんたらにとっちゃ塵と一緒だろうが!」
『干民』は、有利な状況では非常に優秀な戦力である。普段触れる事の出来ない快楽を貪るために前進する姿は獣に等しく、使い勝手の良い便利な駒であった。
しかし一端不利に陥ると、その脆さが露呈する。生きたいという感情ではなく、まだ十分に楽しめてないという感情が、逃げ延びる事を選択させるのだ。
それ故の必然。
それ故の混乱。
全ては、全てを読み切ったエンデバーの知略である。
「そして、これで『詰み』だ」
混乱が十分に敵陣を満たしたと判断したエンデバーは、自身に『この声よ、届け』を施す。そして、息を大きく吸い込み、最後の仕上げを命じた。
「歩兵部隊の皆さあああああんんッ!おおおおお願いしますあああああああすッ!」
それは、左右の山に潜んでいた歩兵部隊への指示。
『干民』と、それを抑えるために背中を向けている正規軍を、もろともに挟撃するための最後の一手であった。
「来ましたね!」
エンデバーの声を聞き、セノシィが立ち上がる。
それを、グレンとヴァルジは隣で困ったように見ていた。
「さあ!いざ行かん!私の『シルフィード・セイバー』が悪党共をバッタバッタと――ぐえっ!」
他の者に混じって突撃を敢行しようとするセノシィの首根っこを、グレンがむんずと掴んだ。彼女の装備は布と金属を組み合わせた礼装のような見た目の甲冑であり、彼が掴んだのはその布部分である。
見慣れない構造の装備であり、外見を重視しているように思えた。ただ、今その事はどうでも良く、問題はこの元気な娘をどうするかという事である。
作戦会議の時に、セノシィの参戦は禁じられていたはず。それでもここにいるという事は、執事であるコーリーの目を盗んで駆け付けたという事であった。
説得して帰そうにも敵に見つかる危険性があり、仕方なく今まで放置していたのである。だが、セノシィのような小柄な少女を戦場に立たせるつもりは、彼女の執事でなくともありはしない。
「どうしましょうか、ヴァルジ殿・・・?」
「そうですな・・・」
他の者達はすでに混乱する冥王国軍に挟撃を開始している。
見れば、かなり優勢に事を運んでおり、テュール律国の騎士団の力を見せつけていた。
「まあ、私達の出番もなさそうですし・・・」
「では、こちらのお嬢様は私が見張っておくとしましょう」
グレンに掴まれながらも「んぎー!」と暴れるセノシィ向かって、ヴァルジは視線を向ける。
「あの青年も、今頃大慌てて探している事でしょう。同じ執事として、放ってはおけません」
「では、お願いします」
そう言って、グレンはセノシィを老人に渡した。
ヴァルジが少女の肩を掴むと、どうやっているのか身動き一つさせていない。
「は、放してください!私も戦います!」
「さ、グレン殿。貴方は貴方で、やるべき事があるでしょう?」
ヴァルジは、グレンとニノとの間に交わされた約束について聞いている。
それを成し遂げて来い、と言っていた。
「そうですね。行ってくるとします」
敵将を討ち取りに行くのにも関わらず、グレンはまるで買い物にでも出掛けるかのように気軽に言う。背を向け歩き出す彼の姿は、普段と何ら変わらないように見えた。
しかし、ヴァルジには理解できる。
グレンが、揺ぎ無い程の殺意を胸に宿している事を。
「グ、グンナガン将軍閣下ッッ・・・!」
大慌て、といった感じの部下が彼の名を呼ぶ。
グンナガンは一瞥する事で続きを促した。
「た、大変です・・・!人質が奪われ・・・!現在、敵軍の猛攻を受けています・・・!」
「そうか。ならば撤退だ」
あまりにも落ち着き払った態度でグンナガンは指示を出した。
現状と大きくかけ離れた居住まいに、周りの兵士達は理解できないとばかりに顔を見合わせている。
「どうした?さっさと撤退しろ」
「は・・・はッ!で、では!拠点に向けて撤退を開始します!」
再度の指示を受け、部下が了解の意を告げる。彼の中には大きな疑問が残ったままであったが、それを気にする必要はないと判断し、全軍に指示を飛ばすよう動き出した。
(ちッ・・・。ここまでか・・・)
グンナガンが自軍の敗北に冷静なのは、自身の考えた作戦が絶対のものではないと理解していたからである。
敵国とて、何度も同じ策が通じる愚か者だけではない。いずれは人質も奪い返され、自軍も大きな損害を受けるだろうと考えるのは当然の事である。
それ故、最後尾に自身を置いているのだ。
敵勢力の手が届かず、退くのも容易。彼にとっては消耗品に等しい『干民』達が時間を稼いでくれるため、安全に逃げ延びる事が出来る。
保身は完璧であった。
「まあ、負けてしまいましたのね」
隣にいる娼婦が、何の感情も込めずに言う。
他の者が言えば多少は苛立つが、お気に入りの女であったために気にしないでおいた。
「また次、勝てばいい」
その時にはどのような手段を取ってやろうか。
それを考えるのも、グンナガンにとっては楽しみの1つだ。
「次・・・ですか・・・」
何故か、娼婦は含みのある言葉を呟いた。
まるで次などないかの様な言い方である。
「どうし――」
その理由を問い質そうとした時、既に反転していた馬車の前方から騒ぎ声が聞こえた。
兵士達が武器を手に取る音も耳に届く。
「貴様!何者だ!?」
「止まれ!止まらぬなら、その命!ここで潰える事となるぞ!」
部下達にそう言われている者に視線を向けると、男がたった1人でこちらに向かっているのが見えた。身の丈は大きく、体の至る所が筋肉で膨れ上がっている。
これぞ戦士、といった感じの男だ。
(1人だけだと・・・?)
敵が裏に回って来る事に関しては、グンナガンにとって予想の範囲内であった。数で劣り、戦況で不利に立たされた相手が取る手段など、敵将を狙った奇襲くらいであるからだ。
そのため、彼も自分の周りだけは屈強な兵士達で固めている。
歩兵、弓兵、魔法使い――ありとあらゆる兵種を揃えており、どのような相手にも対処できるように備えていた。
しかし、だからこそ訝しむ。
たった1人の剣士が奇襲とも言えない速度で近づいてきており、その姿はさながら挨拶でも交わしに来るかのようだ。相手には奇襲に成功した達成感もなければ、自分の命を賭けてでも敵将を討ち取るといった覚悟が見えない。
「――殺せ」
男の不気味さを認識したグンナガンは、即座に指示を出す。それを受け、大勢の兵士達が剣や槍を構えて男に襲い掛かった。
その瞬間、男が己の大太刀を振るう。
いや、もう振るった後であった。
あまりにも速過ぎる抜刀は誰の目にも映る事はなく、男が刀を抜き終わった後しばらくしてから漸く気付けた程である。
加えて、異変に気が付く。
男に襲い掛かった者達が、刀が振るわれたと思われた直後から全く動かなくなったのだ。男に何かされた可能性はあるが、相手の間合いからはまだ幾分か遠い。刀で斬られたとは考えられなかった。
「何をしている・・・!?」
グンナガンが語り掛けても応答はない。
男に恐怖し、怖じ気づいたのだろうか。移動を再開した男は、その者達を素通りしてしまっていた。
「ちッ・・・!別動隊、掛かれ・・・ッ!」
仕方なく、他の者達に指示を出す。それを受けた別の兵士達が、一斉に男に向かって行った。
その時、グンナガンはおかしな光景を目にする。
男と自分の間にいる兵士達が、動く様子を欠片も見せなかったのだ。その両隣にいる者達は命令通りに動いているのにも関わらず、始めに男に向かって行った者共と同じく制止したままである。
理由は分からない。命令が聞こえなかったのかもしれない。
だが、その者達の並ぶ範囲が、男の持つ大太刀の横間合いに一致しているようにも見えた。そして、その観察が正しい事が、すぐに証明される事となる。
大勢の兵士達が走る事で生じた振動が、制止したままの者達の体を動かす。正確には、その上半身を揺れ動かした。
続いて目にするのは凄惨な光景。兵士達の上半身だけが崩れ落ち、地面に叩きつけられる音が順に鳴り響く。内臓物が地面に転がり、辺り一帯を死臭で満たした。
その場にいる全員が異常に気付き、沈黙に全身を支配される。
そんな中を、男は――グレンは平然と歩いていた。静かな歩みであったが、ときおり液体を踏みしめる音が不快に鳴り、鎧を踏みしめる音が不気味に響く。
死体で出来た道を、グレンは進んでいた。
「う・・・・うわあああああああああああああッ!!」
その光景を目にしてしまった兵士が叫ぶ。しかし、グレンは無視した。
彼の見据える先にはニノの仇がいる。殺すと約束した男がいる。
他の者の事など、邪魔さえしなければ気にはしない。そして、彼に近づける者など最早いない。
全ての兵士が武器と誇りをかなぐり捨て、突如現れた化け物から逃げようと一心不乱に走り出す。
その場にはグンナガンとグレン、そして娼婦――モルガンだけが残った。
まだ遠方には敵兵が見えるが、後方の異常事態に気付くことはない。律国の騎士達が見せる獅子奮迅の戦いぶりに、手一杯であるからだ。
グレンはモルガンに視線を向ける。言葉ではなく、彼女は頷く事で肯定した。
つまり、この男こそが標的なのだと。
「お前がグンナガンか」
一応の意味も込めて語り掛ける。
「貴様は何者だ・・・!?」
返す質問には答えず、グレンは敵将に刀を向けた。
日の光を受けて輝く白銀の刃が、グンナガンの目には死そのものに映る。
「かつてエルフの女を殺した事、後悔しているか?」
そう言われ、グンナガンの頭の中にはいくつかの台詞が思い浮かんだ。
どうしてそれを、エルフから聞いたのか、お前には関係あるまい、もう10年も前の事だ、手柄になると思ったんだ、俺だって必死だったんだ。
しかし、そのどれもを口にはせず、グンナガンは別の言葉を紡ぐ。
「な・・・何の事だ・・・?知らな――」
言い終わるのを待つ事なく、グレンはグンナガンを縦に斬り裂いた。
一瞬、あまりにも躊躇のない斬撃である。速過ぎる一撃のせいか、グレンの大太刀には血液すら付着していない。
「・・・モルガン、その男の血が流れる前に離れる事だ」
あっと言う間に終わってしまった復讐劇に、モルガンは呆然としてしまっていた。先日の戦闘の時にも思ったが、やはり異常な程に強い。
呆気に取られるというよりも、深い感動を覚えていたモルガンは動けずにいたが、グレンの言葉の意味を理解して、すぐさま馬車から飛び降りた。
その直後、絶命したグンナガンが倒れ込み、馬車の上で気分を悪くする程の音を奏でる。きっとあの男の内臓物はどす黒いのだろうな、と考えたが、決して観察するような真似はしなかった。
代わりに、尊敬の眼差しでグレンを見る。
「これで2度目です・・・。グレン様の戦い振りを拝見できたのは・・・」
それが『戦神』に属する者にとって、どれ程の名誉か。クリスとガーネに再会したら、すぐにでも教えてあげようと思うのであった。
「しかし、良かったのですか・・・?グンナガンに懺悔をさせなくて・・・」
感動を抑え、モルガンは先程から疑問に思っていた事を問い質す。グレンの発言から、彼が殺された女エルフ――または、その身内のためにグンナガンを殺した事を察していた。
それが復讐の手助けだと言うのならば、相手に後悔の念を抱かせた後に死なせたくなるものである。幾つもの謝罪の言葉を語らせ、頭を地べたに擦り付けさせる。それでも許さず、最後に殺す。
それが復讐というものだ。
「謝罪の言葉などいらない。それでこの者の存在が、少しでも洗われるのは気に食わないからな」
しかし、グレンはそう言った。つまり「罪を背負ったまま、欠片も赦しを施されぬまま死んでいけ」という事である。
例え謝罪の言葉に誠意が込められていなくとも、それを実行したという事実が罪人を少しだけ善に染める。表面上は、というやつだ。
それをグレンはさせたくなかった。だから、すぐに斬ったのだ。
後悔しているか、という問いに謝罪の言葉を述べようとしても、同様に即座に斬り捨てていた。謝ろうとしても出来なかったグンナガンを殺したかったのだ。
それが彼の考えた代理としての復讐である。
結果的に思い通りとはいかなかったが、標的を討てたので良しとした。
「流石はグレン様です。今回の御活躍、この地域の国々にも語り継がれる事でしょう」
モルガンの過剰とも言える称賛を、グレンは聞いていなかった。
握ったままの大太刀を納める音が、静まり返った辺りに綺麗な残響となって広がる。
遠くでは、騎士とエルフ達による本物の勝鬨が上げられていた。この戦い、完全にこちら側の勝利に終わったのだ。
エルフの参戦、エンデバーの策、勇猛な騎士団。
グンナガンを討ち取った事以外、グレンの力添えは何もない。この勝利は、彼らが自力で勝ち取ったものである。
その事実は代えがたい物であり、グレンは使命を終えた事を悟った。
この地域での彼の役目は、最早なくなったという事である。




