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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
冥王国の進軍
52/86

4-2 友のために

 ルクルティア帝国皇帝アルカディアは、いつものように己の仕事をこなしていた。

 最近は他の執政官も国政に慣れてきたため、以前ほどの苦労はしなくなっているが、それでも彼女の両肩には一国の命運が乗っている。決して気を緩めていい作業ではない。

 目は文字を捉え、頭でそれを瞬時に解析、判断していく。

 1つの遅れが1日の遅れを生み、帝国の進むべき一歩を滞らせた。かつては苦しんだその重圧も、今では平時の物となる。

 アルカディアには進むべき道が分かっていた。

 そんな彼女に付き従う者も、本来ならば迷う事はないのだが、皇帝の私室において彷徨う者が1人。

 「ねえ、カディア。ヴァル爺さんは、どうしたっていうんだい?」

 アルカディアにそう問い質したのは、フォートレス王国の女兵士メリッサ=ウィンダーである。

 その魅力的な体は外套に包まれており、香水による甘い香りが漂っていた。普段香水を使わないアルカディアにとって最初の頃は気になるものであったが、今では日常の一部として知覚されている。

 2人が見つめる先には1人の老人がおり、名をヴァルジ=ボーダンと言った。アルカディアに仕える忠実な執事兼護衛である。

 彼は今、何やら落ち着かない様子で部屋の中をぐるぐる回っていた。しきりに窓の外を眺めたりもしており、何かを待っている様子である。

 「うむ。エルフの友人からの手紙に詳細を求める返事をしたのじゃが、一向に届かないようでの。心配で落ち着かない様じゃ」

 「ああ。確か、エルフの長だっけね。大層な人物と知り合いみたいだけど、どうやって連絡を取ってるんだい?」

 「鳥じゃ」

 「鳥?」

 「うむ。エルフの族長が(じい)に送った手紙も小鳥に運ばせておった。爺が言うには『エルフが遣う鳥は特別』らしい。返事もその小鳥が持って行ったのじゃ」

 アルカディアの答えを聞き、メリッサは感心したような顔をする。動物を使っての情報伝達とは面白い事を考えるものだ、と他種族の文化に驚いていた。

 「なるほどね。それって、相手に届くのにどれくらいの時間が掛かるものなんだい?」

 「分からぬ。爺も、それが気になって仕方がないようじゃ。『エルフ族全滅の危機』とやらに間に合わなかったらどうしようか、とな」

 アルカディアの言葉に、メリッサは怪訝な顔をする。

 「分からないね。だったら、さっさとエルフの森に向かえばいいじゃないか」

 「余もそう言った。しかし万が一にも嘘や勘違いだった場合、余の傍を無意味に離れることになると聞かなくての。とりあえず、詳細を送るよう返事を書いたのじゃ」

 「ふーん・・・。武国の男らしいね・・・」

 そこで、アルカディアは溜息を吐く。

 「しかし、かれこれ2日。あの小鳥、獣にでも食べられてしまったのではないか?」

 自国の発展に力を注がなければならないアルカディアにとって、エルフの危機に対する関心は薄い。隣国がそのような事態に陥ったのならば話は別だが、どこにあるかも分からない集団の話など、お伽噺を聞いているような感覚だ。

 これは彼女に限った話ではなく、この地方に住む者達ならば至って一般的な思考であった。メリッサも同様である。

 しかし、エルフに友人のいるヴァルジはそうはいかない。

 それ故の狼狽ぶりを老人は見せており、アルカディアは逆にそんな執事の事を心配してしまっていた。

 「あの様子では、夜も満足に寝れてはいまい。まったく、どうしたものやら・・・」

 アルカディアの呟きに、メリッサは一肌脱ぐことを決める。

 面と向かって伝えた事はないが、メリッサはアルカディアの事も妹分のように想っているのだ。軽く笑みを作ると、ヴァルジに向かって声を掛けた。

 「――ヴァル爺さん」

 しかし気付かないようで、眉根に皺を寄せた執事は部屋の中を歩き続けている。

 仕方ない、とメリッサはヴァルジに向かって歩いて行った。

 そして、彼の肩をちょんちょんと突く。

 「ちょいと、ヴァル爺さん」

 「ん・・・?これは、メリッサ殿――」

 「――はい」

 振り向いたヴァルジに向かって、メリッサは己の肌を曝け出した。彼の至近距離で、極上の女体が露わになる。

 「むほほっ!?」

 その光景には、友人の安否に頭を悩ませていたヴァルジも流石に興奮した声を出した。アルカディアの呆れた様な目が彼を捉えているが、気付くこともできない。

 「どうだい?今、エルフの事なんて忘れちゃっただろ?」

 してやったりな笑みを浮かべ、メリッサはヴァルジに問い掛ける。その意味を理解した執事は、首を勢い良く振って、気を持ち直した。

 「い、いや・・・!そんな事は・・・!」

 「隠さなくてもいいよ。男としては、正しい反応さ」

 そう言って、メリッサは再び肌を隠す。

 少し勿体ない気分になったヴァルジであった。

 「爺・・・!」

 その気持ちを感じ取ったアルカディアが、叱責の声を上げる。その目はじとっとした半目であり、彼の動揺を誘った。

 「こ、これは姫様・・・!何故、そのような目で私を見つめているのですか・・・!?」

 「姫ではない、姫皇帝――はあ・・・、もう良い・・・」

 自分の心配も知らないで。

 女体1つでここまで変わる男という生き物に、アルカディアは心底呆れた。ちなみに、メリッサの前ではヴァルジもアルカディアの事を『姫様』と呼んでいる。

 「爺、お前に暇を出す。エルフの友人とやらに会って来い」

 そして、アルカディアは執事に向かって、そう提案した。そこまでおかしな言葉ではなかったが、ヴァルジはひどく狼狽する。

 「な、何をおっしゃいます!?私が姫様の御傍を離れるなど、2度と――」

 「良い。お前の忠義は、余が一番分かっておる。しかし、そうまで悩まれると、返ってこちらの身が持たんのじゃ」

 互いを思いやればこそのやり取りであった。

 その光景を、メリッサは温かい目で見つめている。ふと、フォートレス王国の国王であるティリオンの事を思い出し、優しい笑みを作った。

 「見よ。お前の慌てぶりに、メリッサ殿も笑っておる」

 「むう・・・」

 「余の事は心配するな。余を守る者は、お前以外にもおる。――のう、メリッサ殿?」

 アルカディアの言っている事は正しかった。

 少し前までは自国の者にすら恐れられていた彼女であったが、今では臣下くらいとは親しくしている。加えて、帝国には王国からの兵士軍も常駐しているのだ。彼らが皇帝を守れば、その身に危険は訪れない。

 その代表格であるメリッサは、アルカディアの求めに応じて同意をする。

 「そうさね、ヴァル爺さん。カディアの言う通り、私達に任せときな。湯浴みの時も、寝る時も、片時も離れず守ってあげるよ」

 「なっ!?メリッサ殿、何もそこまでせよとは言っておらぬぞ!?」

 「恥ずかしがることはないよ。私とあんたの仲じゃないか。安心しな、痛くしないから」

 「な、何をする気じゃ!!?」

 アルカディアの大声を聞いて、メリッサは面白そうに笑った。ヴァルジに至っては少しばかり頬を染めており、どうやらその光景を頭に思い描いているようだ。

 それを、アルカディアは一目で察する。

 「何を赤くなっておるか、爺!!」

 と言って、持っていた羽ペンを勢いよく投げつけた。格闘術を齧っていることもあり、それは鋭く飛んで行ったが、ヴァルジは難なく指で捕らえる。

 そして、それを持ったままアルカディアの座る机にまで歩いて行った。

 羽ペンを机に優しく置いたヴァルジの目は、意志を決めたような力強さを秘めている。

 「分かりました。姫様の御厚意、有り難く受け取らせていただきます。少しばかりですが、この国を留守にするといたしましょう」

 「うむ」

 「メリッサ殿、姫様をよろしく頼みますぞ」

 「ああ、任せときな」

 2人の返事を聞き、ヴァルジは少しだけ微笑んだ。

 そして、頭を下げると、出立の準備をするために部屋を出て行こうとする。しかし、そんな彼をアルカディアが呼び止めた。

 「待て、爺」

 「おっとと――はい?」

 格好良くとまではいかないが、颯爽と去ろうとしたヴァルジは予想外の制止に戸惑いの声を出す。アルカディアの表情が至って真面目である事から、別に揶揄うつもりはないようだ、

 「余の元を離れるのは構わんが、1人で行くことは許さん。余とて、お前の事が心配なのじゃ」

 かつて、ヴァルジは1人になった所を襲われた経験がある。皇帝の側近でもあるのだから、その身を狙う輩には事欠かないであろう。

 アルカディアは再びそのような出来事が執事の身に降り掛かる可能性を危惧していた。

 「ですが、誰を連れて行けと仰るのです?出来れば急ぎたいので、1人の方が身軽なのですが」

 そこで、アルカディアは「ふんっ」と笑う。その笑みが何を意味するのかは、彼女自身しか分からなかった。

 「お前ほどの強者に付いて行くとなれば、生半可な者では足りまい。帝国にいる王国の兵士の中でも、せいぜいがメリッサ殿かベアード殿、あとはティカナティール殿くらいであろう」

 「まあ、そうだね。でも、私達は付いては行けないよ」

 アルカディアの推測をメリッサが肯定する。それと同時に、自分達がヴァルジに同行する意思がない事を伝えておいた。これは、国王から与えられた任務から大きく外れてしまうためである。

 「分かっておる。しかし、そなた達の代わりとして、隣の国に丁度良いのがおるではないか」

 それを受け、アルカディアは自信満々な笑みと共に、そう言った。

 それが誰を指しているのかは、他の2人も何となく察することが出来る。

 「もしや、グレン殿の事ですかな・・・?」

 「そう、その通りじゃ!グレン殿ならば、爺の事を安心して任せられる!余も過剰な心配をせんで済むというものじゃ!」

 彼女の言う事は(もっと)もであった。

 グレン程の戦士が傍にいれば、遠く離れた執事の心配をしなくとも良い。ヴァルジのため、彼女自身のため、アルカディアはそう考え付いた。

 「確かに・・・それは私も心強いですが・・・」

 エルフの森への道中だけではない。仮に『エルフ族全滅の危機』が実際に迫っているのだとしたら、グレンの力を頼る事もできるだろう。

 友人を救うのに役立つはずだ。

 「それは難しいだろうね。あいつ、王国以外の国には無関心だから」

 しかし、2人の期待を裏切る言葉がメリッサの口から出る。

 事実、グレンはフォートレス王国以外の国々に関して、あまり関心がない。王国が関係しない限り、そこで何が起きてようが知った事ではないし、解決するための力になる気など更々なかった。

 その手間を、時間を、王国を守るために使いたいからである。

 「む、そうなのか?それは少し困ったのう・・・」

 「仕方ありません、姫様。やはり1人で向かうとします」

 「却下じゃ。それだけは絶対に許さん。もしグレン殿がお前と共に行かぬと申すのならば、この話は無しじゃ。爺も、エルフの事は忘れよ」

 「そ、それは出来かねます・・・!ううむ・・・、困りましたな・・・」

 ヴァルジとしても、友人の事は気になる。しかし武国の戦士として、仕える主に背くような真似はしたくなかった。

 故に、困ったように腕を組む。

 そんな執事に対して、メリッサが助け舟を出した。

 「仕方ないね。ヴァル爺さん、良い事を教えてあげるよ」

 「おお、メリッサ殿。かたじけない」

 「いいかい?グレンは確かに他国に関して興味がない。でも、あいつが頭の上がらない人物に命令されたら、動かざるを得なくなるはずさ」

 なんだか力付くみたいで快くなかったが、それが一番現実的な手段であるように聞こえた。

 「だとすると、それは誰じゃ?」

 「そりゃもちろん、バルバロットの旦那かティリオン様だろうね」

 「ティリオン殿か・・・。ならば、余に任せよ」

 そう言うと、アルカディアは机の引き出しから1枚の紙を取り出す。

 そして、そこにさらさらと文字を書き記すと、封筒の中へ納めた。続いて封蝋を施し、それをヴァルジに向けて差し出す。

 「姫様、これは?」

 「ティリオン殿への手紙じゃ。グレン殿の同行を説得してくれ、と書いてある。これを持って、王国へ行くが良い」

 「おお、姫様・・・!かたじけのう御座います・・・!」

 「良い。これも主たる者の務めじゃ」

 笑いながら言うアルカディアの手から、ヴァルジは手紙を恭しく受け取る。

 そして、それを皺が出来ない様に丁寧に懐に入れた。

 「では、行って参ります」

 「うむ、無事に戻ってくるのだぞ」

 アルカディアの心配に満ちた言葉に笑みを見せると、ヴァルジは部屋を出て行く。

 ぱたん、と小さな音を立てて扉が閉まった。

 たった1人、部屋から出て行っただけであるのにも関わらず、アルカディアの胸には寂しさが込み上げてくる。それはソーマにもメリッサにも癒せない想いであった。

 「ああーー・・・、心配じゃ・・・」

 自身よりも遥か年上の男を想って出すには些か失礼ではある言葉を、アルカディアは口にする。

 その不安を払拭させるためにメリッサは笑いかけ、

 「安心しなよ。ヴァル爺さんの実力なら、油断さえしなけりゃ後れを取る事なんてないさね」

 と言った。

 「そうかの・・・?メリッサ殿が言うならば、そうなのじゃろうが・・・。グレン殿は爺に付いて行ってくれるじゃろうか・・・?」

 「そこら辺は、ティリオン様の説得次第じゃないのかい?――ところで、あの方への手紙には何て?」

 「うむ・・・。『グレン殿を説得してくれた暁には、今度2人きりで食事をしてやろう』、と・・・」

 要は、逢引のお誘いである。

 それを聞いた瞬間、メリッサは小さく噴き出した。

 「まさかカディアが、色仕掛けなんてするとはね。でも、良い手だよ。あの方は、無類の女好き。美女のお願いだったら、簡単に聞いてくれるさ」

 加えて、アルカディアとのお食事券付きだ。自分よりも下の地位にいる者の言う事は聞き入れ難いティリオンも、同等の地位に君臨する皇帝の頼み事ならば即座に承諾するだろう。

 「そうだといいのじゃが・・・。爺のあの様子、1人でこっそり行きかねん・・・」

 言いながら、アルカディアは不安気な眼差しを窓の外に向ける。

 数刻の内に雨が降って来そうな黒雲が、遠くに漂っていた。







 フォートレス王国の王都ナクーリアの街並みを、グレンは少女達と共に歩く。

 少女達、と言う事は1人ではない。彼の周りにはお馴染みのエクセの他に、彼女の友人がいた。

 1人はミミット=クリシュプ=リンベール。ウェーブがかった長い金髪は量があり、例え少女を前から見ても、その多くを視認できる程だ。碧い瞳が高貴な印象を与え、貴族だからという理由だけでなく、彼女からは気品が感じられた。

 もう1人はトモエ=カリクライムである。短く纏めた黒髪の少女であり、腕や足にいくらかの筋肉が見て取れた。と言うのも、彼女の専攻(クラス)は剣士であり、魔法使いである他の2人とは根本的に鍛え方が違う。すらりとした体型の健康的な少女だ。

 大柄で筋肉質な――加えて、顔や腕に古傷のある――グレンの前を、そのような華奢で可憐な3人の少女が歩いているという光景は、あまりにも人目を引く。

 まるで少女達に付いて回る変質者のようだ、とグレンは自分ですら思った。

 それでも、そんな感情に支配されているのは彼だけである様で、少女達は楽しそうに会話を繰り広げている。

 「しっかし、3人で遊ぶ約束が、まさかグレン先生とのお買い物に変わるとはね~」

 「すいません。グレン様との約束も果たせるので、丁度良いかと思いまして」

 「別に謝ることはないわよ。グレン様と一緒にお買い物をしたなんて、兄に自慢できるわ」

 グレンは先の教国における一件の詫びをしようと、約束通りにエクセを買い物に誘った。

 しかし、少女には友人達との先約があり、どうしようかと悩む事となってしまう。それでも解決策はすぐに浮かび、エクセはどちらも同時にこなせば良いと結論付けた。ミミットとトモエも、それを快く受け入れてくれており、予定を変更して服屋で買い物をする運びになったのだ。

 グレンにしてみればエクセの望む分だけ代金を払えばいいのだが、この際だから他の2人の分も買ってあげようと考える。なんだか、それが大人として正しい行動なような気がしたのだ。

 「良かったら、2人も好きな物を選ぶといい。この際だ。買ってあげよう」

 後ろから掛けられたグレンの言葉に、3人は立ち止まり、振り返った。

 驚いた様子も見られたが、それよりも喜びや申し訳なさが見て取れる。

 「うわ!グレン先生、太っ腹ー!」

 「グレン様は、お優しくていらっしゃいますね」

 「そんな、悪いですよ・・・!気にしないでください・・・!」

 ミミットだけが申し出を断ろうとしたが、結局他の2人に説得されて受け入れる事にした。

 そして、4人は目的の服屋へ辿り着く。

 そこは、グレンが今まで入った事のないような外観をしていた。入り口の傍にはガラス張りの空間があり、商品である服を飾っているだけでなく、等身大の人形に服を着せている。

 何か意味があるのかとグレンは考えたが、すぐにそれが見本なのだと理解した。

 加えて、別な事にも気が付く。飾られた服や人形の着ている服、それら全てが女性用であったのだ。

 そこから察するに、この店は女性用の服しか取り扱っていない可能性が高い。

 今回はグレンが何か買う訳ではないため問題はないのだが、それに気付いてしまったがために店から妙な雰囲気を感じ取ってしまっていた。

 拒絶されているような、不可侵とされているような――とにかく、大男である自分が入って良い領域ではないような気がする。

 そんな彼に気付く事もなく、少女達は躊躇うことなく店の中へと足を踏み入れた。

 遅れて、渋々グレンも入って行く。

 その姿が少し頼りなさそうであったのは、ここが戦場ではないからか。

 「いらっしゃいま――あら!ようこそ、いらっしゃいませ!お嬢様方!」

 女の店員が3人を認めた途端、笑顔を振りまいて迎え入れる。どうやら馴染みの店らしい。

 「どもども、フューサーさん。父から、新作が入ったって聞いたんですけど、見せてもらっていいですか?」

 「もちろんですよ、お嬢様!ルッテンマイヤー、シャミエス、カザン!各種銘柄(ブランド)、取り揃えてあります!あ、最近は帝国の銘柄(ブランド)も仕入れているんですよ!」

 トモエの挨拶に、女店員は笑顔で答える。そこからは接客業としての義務と言うだけでなく、少女に対する親しみが感じられた。

 「お嬢様方にお似合いの服が必ず見つかるはずです!お好きなように御試着なさってください!」

 「そうさせてもらいます。――エクセ、ミミット、後で見せ合いっこしよう」

 「ええ、いいわよ」

 「あ、でしたら私はグレン様に選んでいただきます」

 エクセが男の名前を出したことにより、女店員は先程とは違った笑みを少女に向かって見せた。揶揄うような感じではあったが、手で口元を隠しており、無礼な印象は受けない。

 「まあ!エクセリュートお嬢様は殿方をお連れしているんですか!?さぞやお嬢様にお似合いの麗し――くない!」

 今更ながらに少女達の後ろに佇むグレンに目をやり、女店員は目を見開く。この店に似つかわしくない――いや、相応しくない男の姿に警戒心を露わにした。

 それを解くため、グレンは黙ったまま軽く頭を下げる。

 「あ・・・ど、どうも・・・」

 女店員も反射的に頭を深々と下げた。しかし、再び上げられた顔には依然戸惑いが見受けられ、説明を求めるようにトモエに視線を送る。

 「こちら、王国の英雄のグレン様です。私の剣の先生で、エクセの将来の旦那様。あと、ミミットのお兄さんの命の恩人です」

 「ト、トモエさん!」

 顔を赤くしたエクセが、抗議をするように声を上げる。

 グレンも恥ずかしそうに、頬を掻いていた。

 「そ、そうなんですか・・・。これは失礼しました・・・」

 そう言った女店員が、今度は謝罪のため頭を下げる。グレンは小さく「いえ」とだけ答え、それを受け入れた。

 その時、彼の後ろで店の扉が開く。

 「まあ、誰ですの?こんな所で、立ち止まって。――あら?グレン様?」

 続いて発せられた声に、グレンは聞き覚えがあった。

 振り返ると、そこには六大貴族であるヒュッツェンベルク家の娘テレサピスが立っていた。

 燃えるような長い赤髪を右肩に流し、背筋が張られた長身は佇む姿すら芸術的である。同年代の少女達と比べても、かなり女性的に発達している肉体はグレンも目のやり場に困る程だ。

 「テレサピス君・・・それにリィスか」

 やり場に困った視線を、テレサピスに同伴しているもう1人の少女へ移す。

 リィスという名の少女は、テレサピスとは逆に同年代の少女達と比べても未発育な体格をしていた。背は小さく、その顔にも全体的に幼さが残る。

 その姿に似合わず、リィスは左目に眼帯をしていた。桃色の可愛らしい一品であり、不似合いながらも少女の愛らしさを増すのに一役買っている。

 「こん・・にちわ・・・・」

 オドオドとした口ぶりながらも、グレンに対する恐怖はなく、リィスは小さく頭を下げた。彼女は生まれの特殊性から、このような口調で話す。

 「ああ。――君たちも、この店で服を?」

 「ええ、そうですわ。ポポル様に頼まれて、リィスさんの服を新調しに来ましたの」

 テレサピスの言葉に、リィスはこくこくと頷く。

 「奇遇ですね。テレサピス先輩、リィス先輩」

 グレンの後ろから、トモエが顔を出して声を掛けた。同時に、エクセとミミットも姿を見せる。

 「なるほど、グレン様がここにいる理由が分かりましたわ。エクセリュートさん達の付き添いですのね」

 「ああ、彼女達の服を買いにな」

 「ですが、丁度良かったですわ」

 「ん・・・?」

 テレサピスの物言いに、グレンは疑問の声を上げる。

 他の者達も、不思議そうに彼女を見つめていた。

 「(わたくし)、グレン様にお願いがありますの。ここでは何ですから、少し外に参りませんこと?あ、皆さんはお買い物をしていてくださいな」

 そう言うと、テレサピスはグレンの腕を取って、店の外へと向かう。女性物の服屋から大男が少女に連れ出される光景は、通行人達を驚かせた。

 しかし、グレンがそれに構う事はなく、強引な行動を見せたテレサピスに疑問を投げ掛ける。

 「どうした、テレサピス君?皆の前で話せない内容なのか?」

 「ええ、そうですわ」

 肯定したテレサピスはグレンの腕を離すと、彼に微笑みかける。その笑顔は魅力があり、大人のような外見の彼女にしか出せないものであった。

 「グレン様。私、将来必ずリィスさんと添い遂げて見せますわ」

 そうなのだ。

 少女テレサピスは、同性であるリィスに恋い焦がれている。その事をリィスは知らないが、グレンはかつて相談に乗った事があった。

 それ故、今回も彼にのみ打ち明ける形で宣言をしたのだが、グレンとしてはその理由が分からない。どうぞ、としか言えなかった。

 「そこで、グレン様には私とリィスさんの子供を作るのに協力していただきたいんですの」

 「ああ、それでか」

 女と女では子作りはできない。

 そのため、テレサピスはグレンに男としての助力を仰いでいるのだ。それならば合点がいく、とグレンも納得した。

 しかし当然、

 「いや、待て・・・!何を言っている・・・!?」

 と、戸惑う。

 そんな彼に向かって、テレサピスは顔を赤らめながら答えた。

 「お分かりになりませんの?グレン様には将来、私を抱いていただきますわ。私とリィスさんの子供の父親になって欲しいんですの。――もう。このような事、女の口から言わせるようなものではなくってよ?」

 一応、説明をされたのであろう。

 それでもグレンには目の前の少女が何を言っているのか理解できなかった。

 いや、理解はしていた。

 ただ、あまりにも納得の出来ない事柄であったため、頭が思考を拒絶したのだ。

 そんな彼を他所に、テレサピスは将来設計の説明を続ける。

 「子供の数は3人が良いと思っていますの。男の子が2人、女の子1人が理想的ですわね」

 つまり、その分は自分を抱けと言っていた。

 少女の大胆な発言にグレンも少なからず興奮を覚えるが、到底了承できる発言ではない。

 まず第一に、テレサピスは男が嫌いなはずである。そんな女性を抱く訳にはいかなかった。

 「待て、テレサピス君!君は自分が何を言っているのか分かっているのか・・・!?苦手な男に、その身を許すと言っているようなものだぞ・・・!?」

 「その通りですわ。そして、これは以前にも申し上げましたが、私が体を許そうと思える男性はグレン様だけなのです。私とリィスさんのため、グレン様には是非ご協力願いたいですわ」

 爽やかな笑顔で言うテレサピス。

 そこから、少女の決心が揺ぎ無いものであることが伺えた。彼女の事だ、おそらく悩んだ末の結論なのであろう。

 「それとも、グレン様は私では不服ですの?」

 そのような事、あるはずがない。

 男であれば、誰もがテレサピスの肌に触れたいと考えるだろう。それはグレンとて例外ではない。

 しかし、彼はそういった事柄に関して、過去の経験から非常に慎重な性分となっていた。そのため、テレサピスの提案を容易く受け入れる事は出来ない。

 「か、考えさせてくれ・・・」

 ここで明確に否定しても、テレサピスが了承してくれる可能性は低いため、グレンはそう言って答えをはぐらかす。

 それは少女にも理解できたようで、若干の呆れた様子を見せた。

 「仕方ないですわね。早急にエクセリュートさんと身を固めて、他の女性にも目を向けてくださいましね?確か、帝国のアルカディア様とも同様の約束をなされているのでしょう?」

 「あ・・・いや、それはだな・・・」

 一方的な約束ではあったが、確かにアルカディアともそのような話をしている。

 それを順守するかどうかはグレン次第であり、今のところ乗り気ではなかった。しかし、断り切れていない側面もあり、それが彼の男らしさと言えばそうである。

 要は、グレンも女に興味がない訳ではないのだ。

 「分かっていますわ。グレン様は、そのような男性です。ですから、私はただ待つだけですわ。でも、あまり女を待たせるものではありませんわよ」

 テレサピスは片目を閉じつつ、指先でグレンの胸に触れる。その仕草には明確な色気があり、グレンも僅かながら頬を染めた。

 結果として、彼が嫌悪した種馬のような扱いなのだが、男としての反射的な反応であるため仕方ない。

 「さ、お店に戻りましょう。きっと、エクセリュートさんが妬いていますわ」

 そう言って微笑むと、テレサピスは店の中へと入って行く。

 残されたグレンは、困ったように立ち尽くしていた。





 少女達の服代を――気前よくリィスの分も払ってあげた――支払うと、グレン達は店の外に出る。

 「ありがとうございます、グレン様」

 「いや、気にしないでくれ。これは、私がしたくてした事だ」

 そもそも何故グレンがエクセと共に買い物に出かけたのかと言うと、彼がユーグシード教国で少女の眠る部屋に押し入ったからである。その行動に対する償いとして、今回こういった金払いの良さを見せていた。

 勿論、もう1つの罪に関しては一生背負っていくつもりである。

 「でも、今回でグレン先生の趣味が分かった気がしましたよ」

 「そうね。エクセに入れ込んでいるのも、分かる気がしたわ」

 トモエの言葉に、ミミットが同意するように返した。

 と言うのも、グレンがエクセのために選んだ服が偏った赴きを呈していたからである。

 後で家に届けてもらうため実物は店に預けてあるが、それら全てが露出の少ない物であったのだ。色も控えめな物ばかりであり、彼の好みが『清楚』な女性である事が容易く理解できた。

 「いや、あれはエクセ君に似合いそうな服を選んだだけでだな・・・!」

 少女達の揶揄いの言葉を受け、グレンは慌てたように弁解をする。こういった経験のない彼にしてみれば、非常に戸惑う展開であった。

 「言い訳は男らしくありませんわよ、グレン様。自分の趣味嗜好は、潔く受け入れた方が良いと思いますわ」

 それは彼女自身にも当てはまる事であるが故に、テレサピスは諭すように言う。だからと言って、それをグレンも行える訳ではなかった。

 そのため、どう答えれば良いか悩むグレンであったが、そんな彼に向かって丁度良く声を掛ける者が現れる。

 「おお!見つけましたぞ、グレン殿!」

 それはヴァルジであった。

 ルクルティア帝国の皇帝に仕える執事は、アルカディアの手紙を国王であるティリオンに届けると、彼に書いてもらったグレンへの手紙を受け取っていた。そして、今までグレンを探していたのである。

 「ヴァルジ殿・・・!?どうしたんですか・・・!?」

 ヴァルジが1人で行動している状況に違和感を覚えたグレンは、少しだけ緊張感を持って問う。もしかしたらアルカディアの身に何かあったのではないか、と考えもした。

 しかし、グレンの元に辿り着いたヴァルジは、至って平静な様子。そこから、非常事態ではないことを察した。

 「実は、グレン殿に依頼したい事がありましてな。今まで探していたんです」

 「それはご足労を。どのような依頼ですか?」

 絶えず走り回っていたヴァルジであったが、呼吸は乱していない。それでも、グレンの問いに少しだけ間をおいて答える。

 「私と一緒に、エルフの森に向かってはいただけないでしょうか?」

 エルフの森――その言葉が発せられた瞬間、グレンの後ろにいる少女達がざわついた。トモエの「エルフだって!」と言う声が、グレンの耳にも届く。

 彼自身もその依頼は意外であり、目を軽く見開いていた。

 「エルフの森、ですか?何故、そのような場所に?」

 「実は、エルフの友人から手紙が届きましてな。『一大事ゆえ、力を借りたい』と書かれていました。子細を知るため訪ねようと思い、陛下に御相談した所、『グレン殿が同行するのならば許可しよう』と言われたのです」

 なるほど、経緯は分かった。

 しかし、腑に落ちない部分がグレンにはある。

 「分かりませんね。ヴァルジ殿程の実力の持ち主であるならば、私の助力など無用なはず。何故、皇帝陛下はそのような事を・・・?」

 グレンの言葉に、聞かれたヴァルジは首を横に振った。

 「私の未熟故でございます。陛下は私が1人で行動する事を許さず、そのような条件をお申し付けなさったのです」

 アルカディアとヴァルジの厚い主従関係に関してはグレンも理解しているため、決して違和感のある理由ではなかった。自分に助力を請われるのも、迷惑だとは思わない。

 しかし、まずは詳細を聞いてからだ。

 「その『エルフの森』は、どこにあるんですか?」

 彼の問いに答えるよりも先に、ヴァルジは少女達の方へ1度視線を移す。

 かつてヴァルジはエルフの友人から住処に関する一切を他言しないよう厳命されていたため、グレン以外の者に聞かれる訳にはいかなかった。

 「ここではお伝えできかねます。ですが、王国よりも遥か西に位置するとだけ申し上げておきましょう」

 ヴァルジは修行と称して国々を渡り歩いた過去がある。

 その際に、エルフの森に迷い込んだという話をグレンは聞いた事があったため、老執事の話す事実に関して疑いはない。

 ただ、『遥か』という言葉が引っ掛かった。今の彼には王国を――いや、エクセの傍を離れたくない理由がいくつもある。

 「それは・・・どれくらいの時間、この国を離れる事になるんですか・・・?」

 「何とも言えませぬ。一体、エルフに何が起こっているのかも分からぬ状況なのです。詳細を知らせるよう手紙を飛ばしても、返事を寄越せない程の事態なのか・・・。とにかく一大事であるため、それ相応の時間を取らせる事になると思われます」

 そう言われ、グレンは珍しく少しだけ表情を曇らせる。

 ヴァルジの頼み事であるため無下にしたくなかったが、関係が薄い存在に関する事件に、自分がそこまでの負担を強いられる必要があるのかと僅かながらに不快感を覚えた。

 「申し訳ありませんが、ヴァルジ殿。その依頼は受けられません」

 そのため、依頼の拒否をする。

 ヴァルジも予想していたとばかりに、何の驚きも見せなかった。

 「やはりそうですか・・・」

 「はい。王国が関係していないのであれば、私が動く理由もないはずです。ヴァルジ殿もエルフの事は気にせず、皇帝陛下の御傍に仕える方が宜しいのではないですか?」

 少し冷たい言葉ではあったが、グレンにしてみれば至極真っ当な意見である。彼の後ろで会話を聞いている少女達も、同様の感想を持っていた。

 やはり、何が起こっているのかという情報がないため、緊急性を感じられないのだ。

 それでも友人の危機と聞いてヴァルジが容易く引き下がる訳もなく、懐から事前に用意しておいた交渉材料を取り出す。

 「グレン殿。結論を出すのは、こちらの手紙を読んでからにしてはいただけませんか?」

 「手紙?」

 ヴァルジが差し出した封筒を受け取ると、グレンはその目を大きく見開いた。

 (国王からか!?)

 驚きと共に、グレンは急いで手紙を取り出す。

 そこには単純に『行ってこい』とだけ書かれていた。

 「なるほど・・・。どうやら国王は、エルフの件を重く受け取ったようですね・・・」

 実際はアルカディアとの逢引に釣られただけであったが、同席していたアルベルトにも勧められたため、グレンに同行を指示していた。

 かと言ってエルフに重きを置いている訳ではなく、帝国との関係を重視しただけである。アルカディアの頼みを断るのは、ティリオンとアルベルトにとって快くはなかったのだ。

 (うーむ・・・)

 しかし、グレンは渋る。

 前回の時もそうであったが、長旅における食事が課題であった。教国への旅路には様々な条件が重なってエクセが付いて来てくれる事になったが、今回はあまりにも突発であり、少女も安易に了承はしないだろう。

 それ以前に、グレンはエクセを危険な目に遭わせたくはなかった。

 前回は楽観視していたため同行を頼んだが、今回は『一大事』らしい。エクセを連れて行くという発想はなく、それ故過酷な旅路になる事が予想された。

 だが、そこでグレンは考える。

 むしろ丁度良いのでは、と考える。

 少女に依存し、彼女ありきの生活から少しでも脱却する良い荒療治になるのではないか。そうすれば、これ以上エクセに迷惑を掛ける事もない。

 グレンは、そう思い至った。

 「分かりました。国王の命とあらば、同行しましょう」

 そのため、グレンは一転してヴァルジの依頼を承諾する。

 前回のユーグシード教国遠征に関する命令に関しては渋ったのにも関わらず、全くもって体の良い発言であった。

 「おお!感謝いたします、グレン殿!では、明日の朝にでも出発するといたしましょう!」

 「分かりました。――という訳だ、エクセ君」

 グレンは後ろを向き、世話になっている家の少女と顔を合わせる。

 エクセは、決意に満ちた表情をしていた。

 「はい、分かりました。私も、準備を済ませておきます」

 予想外にも、エクセは付いて来るつもりなようだ。

 それがグレンを想っての事だとは容易に理解できるが、同級生であるミミットとトモエは「え!?」と驚いていた。

 「ちょっと、エクセ!何、言ってんの!?」

 「そうよ!学院だってあるのに!それに、教国で危ない目に遭ったのを忘れたの!?」

 2人の意見にグレンも大きく頷く。

 「2人の言う通りだ、エクセ君。今回、君は来なくていい。私も教国の件で反省した。今後、君を僅かでも危険な場所に連れて行くつもりはない」

 グレンの言葉には誰もが納得し、異論を唱える者はいなかった。

 しかし唯一人、エクセだけが呆然としたような表情を見せている。グレンと長期間離れ離れになるという事実が、少女にとって、それ程の衝撃であったのだ。

 「だから先程、『しばらく留守にするよ』と言おうと思ったんだが・・・」

 エクセの表情に戸惑いながらも、グレンは自分の意思を告げる。それでも少女は理解を示したような動きを見せず、ただただ立ち尽くしていた。

 「駄目ですわ、グレン様。エクセリュートさん、理解を放棄しているようですの」

 テレサピスの言葉に、グレンは頭を抱えてしまうのであった。






 翌日の朝、少しばかりの荷物を持って、グレンはヴァルジと再会をする。

 先日手に入れた大太刀『雪月花』もしっかりと装備しており、おそらく初めて戦闘に用いる事になるであろう期待にグレンも胸を躍らせた。

 しかし表情は普段と変わらず、ヴァルジのもとに辿り着くと気軽に挨拶をした。

 「おはようございます、ヴァルジ殿」

 「おはようございます。――そちらのお嬢様方は、お見送りですかな?」

 挨拶を返して早々、ヴァルジはグレンに付いて来た2人の少女に言及する。

 そこには学生服を着たエクセと、何故かレナリアがいた。

 「そうっす!」

 びしっと手を上げて、元気良くレナリアが肯定をする。

 彼女がこの場にいる理由は、あの後ファセティア家の屋敷に帰宅した2人を訪ねていたからだ。ユーグシード教国へ向かう道中にした約束を覚えていたのである。

 そして対面したエクセの様子に疑問を持ち、詳細を伺ったことで今回のグレンの任務について、ある程度は理解している。その時に、「じゃあ、アタシが」と言ったが、それもやはりグレンに止められていた。

 なので仕方なく、傷心のエクセと共に見送りに来ている。

 「にしても、国の英雄の出立なのに、見送りって少ないんすね。前回もそうだったっすけど」

 周りをきょろきょろと見回しながら、レナリアは口走る。

 確かに、英雄と評される程の人物が他国に向かうというのに、扱いが小さい気がしなくもない。前回は式典の最中であったという理由で納得できるが、今回ばかりはもう少し大々的に扱われても良いのではないか。

 「それは当然だろう。勇士の依頼で国外には何度も出ている。今更、取り立てて祭り上げるような事ではない」

 しかし、グレンは気にはしなかった。

 むしろ、そちらの方が都合が良いとまで考えている。

 「そんなもんすか?」

 「そういうものだ」

 そう言ってレナリアとの会話を済ませると、グレンはヴァルジに向き直った。

 「それでは行くとしましょう」

 友人の身を案じる老人を慮って、グレンは早めの出立を提案した。

 しかし、ヴァルジは頷かない。ただ一点、エクセの事を見つめている。

 「宜しいのですか、グレン殿?エクセお嬢様が先程から黙ったままですが・・・」

 加えて、少女は沈痛な面持ちをしている。グレンと離れるのを寂しがっているのは明白であり、自分の依頼で少女に辛い想いをさせてしまうという事実に、ヴァルジは心を痛めた。

 そして、それはグレンも理解しており、再びヴァルジに背を向けると、エクセの表情を伺う。

 「グレン様・・・」

 見上げる少女の瞳には寂しさが滲んでおり、彼の気持ちを揺るがせる。グレンとて、エクセと離れるのに抵抗がない訳ではなかった。

 しかし、連れて行くという選択肢はない。

 「エクセ君、昨日話した通りだ。しばしの別れだが、我慢してくれ」

 グレンは出来るだけ優しく語り掛ける。

 少女の肩に手を置き、目線を合わせるように膝を付いた。

 「分かっています・・・。グレン様が私を想ってくださっている事・・・十分に理解しています・・・」

 それでも、付いて行きたいという思いがエクセにはあった。離れたくないという想いが少女を縛っていた。

 「大丈夫だ。出来るだけ早く帰って来る。――そうだ、エクセ君。以前、私とした約束を覚えているか?」

 「え・・・?」

 それは「自分を一生守る」と言った事だろうか、とエクセは考える。

 しかし、あの時の記憶がグレンに無いことは承知しており、別の可能性であることを察した。

 「はい・・・。2人だけで、どこかに出掛ける・・・と・・・」

 それは未だ果たされていない約束である。

 グレンはそれを片時も忘れた事はなく、これまでの遠出においても常に意識していた。

 「おそらく、エルフの住処はまだ私が訪れた事のない場所にあるだろう。その道中、君を連れて行きたいと思える光景に出会えるはずだ。それを楽しみに待っていてくれ」

 そう言って、グレンはエクセに微笑みかける。

 自分にのみ見せるその笑顔に、エクセは鼓動を高鳴らせた。頬も赤く染まり、少しだけだが悲しみも薄れていく。

 「本当ですか・・・?」

 最後に、グレンの口から明確な返事を聞きたかった。それが我が儘である事は自覚していたが、愛しい者との長い別れの前には、それくらい許されるであろう。

 「ああ、勿論だとも。きっと良い場所を見つけて来る。約束しよう」

 そう言うと、グレンは立ち上がる。エクセも、それ以上引き留めるつもりはなかった。

 ――が、それに異議を唱える者が1人。

 「えええええええ!?旦那っち、それで終わりっすか!?」

 突然大声を上げたレナリアに、他の3人は目を向ける。

 「な、何か問題でもあるのか・・・?」

 「大ありっすよ!そこは抱き締めるとか、『チュッ』ってするとかあるじゃないっすか!アタシはそれを見るために早起きまでしたんすよ!?」

 レナリアは更に声を張り上げ、熱弁した。

 その言葉にグレンは呆れ、エクセは大いに慌てる。

 「お前は、またそういう事を・・・」

 「レ、レナリアさん!何を言っているんですか!?」

 顔を真っ赤にしたエクセに詰め寄られるも、レナリアは分かっているとばかりに少女の肩を両手でぽんぽんと叩く。頷く表情が、変に生温かい。

 そして、グレンに指を突きつけると、こう言った。

 「いいっすか、旦那っち!?お嬢がさっきまで拗ねていたのは、旦那っちの浮気を心配してたからなんすよ!?」

 「「――!!」」

 レナリアの発言にはグレンだけでなく、エクセも驚いた。

 そのような気など全くなかったのだが、言われると想像してしまうもので、少女はグレンが他の女性と楽しそうにしている場面を思い浮かべる。

 途端、わなわなと震え出した。

 「グ、グレン様が・・・!う、浮気・・・!グレン様が、浮気・・・!??」

 「落ち着け、エクセ君。――レナリア、余計な事を言うんじゃない。私はただ、ヴァルジ殿の依頼をこなしに行くだけだ」

 浮気も何も、実質的に2人はまだそういった関係ではないのだが、そこに異論を挟む者はいなかった。本人達も同様である。

 「いやいや、旦那っち。それはまかり通らないっすよ。男は女の目が届かなくなった途端、すぐ別の女に手を出すんすから」

 経験則なのか、姐と慕うメリッサから聞かされていたのか、レナリアは自信満々に断言した。

 そして、ヴァルジの方を向くと、同意を求めるように、

 「ねえ、お爺ちゃん!?」

 と聞く。

 「む・・・ど、どうでしょうな・・・」

 自身も男であるためグレンの味方をしたかったが、ここは巻き込まれないのが最善と判断したヴァルジは口を濁す。幸い、レナリアはすぐにグレンに視線を戻した。

 「それに不安を覚える女心を理解してあげるのが、年上の男の役目なんじゃないっすか!?」

 「ぐっ・・・!」

 そういうものなのか、とグレンは言葉を詰まらせる。彼も男として、大人として、良い所を見せたいという欲があった。

 「だ、大丈夫だ・・・エクセ君・・・!私は、そのような男ではない・・・!」

 しかし、口から出た言葉は極々一般的なもので、エクセの中に芽生えた不安を取り去るには不十分であった。彼を見つめる少女の瞳の中に一抹の不安を見たグレンは、少しばかり心を傷つける。

 「もーーーー!駄目駄目っす!旦那っち!」

 事の発端であるレナリアは、呆れたとばかりにグレンに向かって声を上げた。

 そして、グレンとエクセの間に立つと、

 「しょうがないっすねー。ここは、このレナちゃんにお任せっすよ」

 と言った。

 「何をするつもりだ・・・?」

 不安しか感じないグレンは、行動の予測がつかない後輩に対して問い質す。しかし、レナリアは「ふっふっふっ」と笑うだけで、説明しようとはしない。

 「いいから、アタシの言う通りにするっす。旦那っちが浮気しないように、お(まじな)いを掛けてあげるっすよ。これで、お嬢も安心っす」

 そう言うと、レナリアはグレンとエクセそれぞれに向かって手を差し出した。一体どういう意図があるのか、と2人はそれを見つめる。

 「2人とも、手を出して欲しいっす。あ、旦那っちはさっきみたいに膝を付いてもらえると有り難いっす。――そうっす、そんな感じっす。もうちょっと、お嬢に近づいてもらってもいいっすか?」

 グレンの右手首を左手で掴み、エクセの左手を右手で握るレナリア。

 その光景は、まるで男に愛を誓わせる神官のようであった。グレンには分からなかったが、それを理解したエクセは喜びに頬を染める。

 「じゃあ、行くっすよーー!」

 とレナリアは宣言をすると、次の瞬間には意地の悪い笑みを浮かべ、

 「――えい」

 と気の抜けた声を出した。

 そのような掛け声を発して何をしたのかと言うと、エクセの手に関しては何もしていない。だが、グレンの右手首を掴んだ左腕には思いっきり力を入れており、彼の手をエクセの胸に沈み込むくらいに押し当てさせていた。

 必然、グレンの右手に今まで感じたことのない柔らかさと弾力が伝わる。

 加えて、男としての本能的な反応なのか、その手を軽く握ってしまってもいた。服越しとは言え、グレンの右手は至福を掴む。

 そんなグレン史上最大の不覚と言っても過言ではない事態に、2人は何が起こったのか分からないまま、その光景を黙って見つめていた。

 レナリアは笑顔、ヴァルジは目をぱちくりさせる。

 そして数秒後、

 「う、おお!」

 と叫び声を上げたグレンが、急いで手を離した。

 同時にレナリアの左手も振り払っており、自由になった右手を今度は自分の左手で掴む。驚愕に動悸が激しくなるが、何よりもまずエクセへの謝罪が先であった。

 「すまない、エクセ君!油断していた・・・!」

 「い、いえ・・・!今のは、グレン様のせいではありませんから・・・!」

 エクセも出来る限り落ち着きを装って言葉を返すが、その顔は驚くほど真っ赤に染まっており、先程の事態に心乱されていることは明白であった。逆に、グレンは顔を青くしている。

 そして、その事態を招いた張本人であるレナリアは、うんうんと頷いていた。

 「これで万事心配無用っす!お嬢の体の素晴らしさを知った旦那っちは、他の女に見向きもしなくなるに違いないっすよ!『男は体で縛れ』ってやつっす!あ、これ、姐御の言葉じゃなくって、アタシが自分で作った言葉っすから!」

 レナリアは自慢気にそう語るが、それはつまり先程の行動全てが彼女の責任であると言ってるようなもので――。

 「そうか・・・!では、お前を叱りつければいいんだな・・・!」

 と、グレンの怒りを買う結果となってしまう。

 「あれえ!?なんで、旦那っち怒ってるんすか!?ここはアタシに感謝する所っすよ!?」

 「ふざけるな・・・!エクセ君への謝罪も無しか・・・!?」

 ここは年輩者として先輩として、グレンはレナリアを静かに叱る。それによって少女も怯んだ様子を見せたが、悪びれているようには見えなかった。

 さささっと、エクセの後ろに隠れる。

 「助けて欲しいっす、お嬢!旦那っちが、無表情ながらも殺気をアタシにぶつけてくるっす!」

 続いてエクセに助けを求めるも、被害者である彼女に反応はない。

 それを不思議に思い、レナリアはエクセの顔を覗き込もうと立ち位置を移動させる。その動きに合わせて、エクセは顔を逸らした。

 「ぎゃー!お嬢も怒ってるっす!」

 当然の結果が、さも予想外であるかのようにレナリアは声を上げる。ただ、レナリアからは見えていないだけで、実を言うとエクセは小さく微笑んでいた。どうやら、彼女を揶揄っているだけなようだ。

 「許して欲しいっす、お嬢!アタシはただ、お嬢のおっぱいの良さを旦那っちにも知って欲しかっただけなんすよ!そうすれば、絶対にお嬢を裏切らないと思ったんす!」

 「え・・・?グレン様『にも』・・・?」

 レナリアの必死の説得の中に存在する違和感を見つけ、エクセは疑問を口にする。ユーグシード教国での生活において、レナリアが自身に働いた所業をエクセは知らないのだ。

 「あ、そう言えば、お嬢は知らないままだったっすね。実を言うと、教国で部屋が一緒になった時に、眠っているお嬢のおっぱいを揉ませてもらったっす」

 「え・・・!?」

 驚きのあまりエクセはレナリアに向き直り、少しだけ距離を取る。少女の腕は自身の胸を庇うように交差しており、その目はレナリアへの警戒を露わにしていた。

 「あ、あれ・・・?お、お嬢・・・?」

 「酷いです・・・。私が寝ている間に、そんな事を・・・」

 エクセはさらに距離を取り、ついにはグレンの後ろに隠れてしまう。そんな少女に手を伸ばしたまま、レナリアは悲痛な声を上げた。

 「うええええ!?男の旦那っちと女のアタシに対する反応が逆じゃないっすか!?」

 「レナリアさんの事なんて、もう知りません・・・!」

 「ぎゃああああ!どうすれば良いっすか、旦那っち!?」

 「知らん。今後一切、エクセ君に近づかなければ良いんじゃないか?」

 「絶縁!?それは勘弁して欲しいっす!!」

 などと、騒ぎ立てる3人。

 レナリアは必死であったが、グレンもエクセも冗談の面が強かった。

 「あ、あのー・・・。もうそろそろ、宜しいでしょうか・・・?」

 緊張感がなく、緊急性にも欠ける彼らに向かって、ヴァルジが申し訳なさそうに呟く。やはり関係性の薄い者にとって、他種族の危機など重要ではない事が伺えた。

 同じ人間でも国が違うだけで大抵がそうなのだから、非難されるような態度ではないが。

 「これは、すいませんでした・・・!――ではエクセ君、レナリア。行って来る」

 「あ、はい。行ってらっしゃいませ、グレン様。それと、アルカディア様の執事さん」

 「んえ?い、行ってらっしゃいっす・・・!」

 そんなこんなで少女2人に見送られながら、グレンとヴァルジは王都ナクーリアを後にした。

 まずは馬車で西のアンバット国まで向かい、そこからは状況に応じた移動手段を用いて目的地を目指す。

 その間十数日であったが、特に何事もなく行きの旅は終わった。強いて言うならば、とある地域一帯を荒らす盗賊ギルドに襲われたとか、大型モンスターの群れに出くわしたとかであったが、グレンとヴァルジにとっては他愛のない出来事である。

 前回の女性に囲まれた旅を経験したグレンは、なんと平穏な旅路なのだろうと思うばかりであった。

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