おまけ 一つ屋根の下で
王都に戻って来てからというもの、グレンはファセティア家の屋敷ではなく、自分の家に篭っていた。その理由が教国での一件である事は、言うまでもないだろう。
自分が出し抜かれたせいでエクセやレナリアを傷つけてしまい、その怒りに任せた破壊衝動により教国に住む多くの民草を危険な目に遭わせてしまった。
これは猛省すべき事案であり、故にグレンは自身に自宅謹慎という罰を課したのだ。誰も彼を責め立てなかったのも、そうしようとした理由である。
それが今回の罪に相応しい罰かどうかは分からないが、彼にはこれくらいしか思い浮かばなかったのだからしょうがない。
ただ、今の状況では罰になるとは到底言えないだろう。
なぜならば彼は今、エクセと2人きりでいるのだから。
「お風呂上がりました、グレン様」
「あ、ああ・・・」
風呂から上がって来たエクセが、ベッドに座るグレンに語り掛ける。
どうしてこうなったのかは、分からない。
グレン自身、己の許し難い所業に狼狽えたまま帰国をし、傷心のまま自宅に篭る事を決めたのだ。
その時にエクセが、
『それでしたら、私がグレン様のお世話をします!』
と言った事くらいは覚えているが、何故それを承諾したのかを思い出せなかった。
もしかしたら、心のどこかで慰めて欲しいという気持ちが芽生えていたのかもしれない。それともエクセの言う事を聞けば、彼女への贖罪になると思ったのか。
いずれにせよ、女々しい事だとグレンは考える。
「グレン様・・・?」
いつものように変わらない彼の表情から、悲しみを感じ取ったエクセが声を掛ける。その中に心配の念が含まれている事を察したグレンは、「なんでもないよ」という風に笑みを作った。
「エクセ君。喉が渇いただろう?水を持ってくるよ」
「あ、いえ、お気になさらず」
そう言われたが、グレンは構わず台所まで移動する。そして、コップに水を汲んでくると、それをエクセに渡した。
「ありがとうございます」
水を受け取ったエクセの笑顔は眩しく、グレンは心が洗われるような気がした。
少女はどこか座れる所がないかを確認しているようで、辺りをきょろきょろと見回している。独り身だけあって、グレンの家には必要最低限の家具しかなく、丁度良い椅子などは見つからなかった。
「ああ・・・、すまなかった・・・。エクセ君のような子は、立ったまま飲食はしないんだな」
「こだわりがある訳ではないのですが、そう躾けられたもので」
「だったら、台所まで行こう」
「ふふ。それでしたら、始めから一緒に行けば良かったですね」
「ふっ、確かにな」
互いに笑顔を見せあうと、2人は揃って台所まで向かう。
台所にあるテーブルには来客用を含め2つの椅子があったため、グレンとエクセは向かい合うようにして座った。テーブルは小さく、2人の距離も大分近い。
エクセは早速喉を潤すと、静かにコップを置いた。
「御馳走さまでした」
「もういいのか?」
「はい」
そこで会話が途切れる。
決して気まずくはないが、このままというのもどうか。
グレンもすでに風呂には入っており、これ以上何かすることがある訳ではなかった。そのため、就寝を申し出ようと思ったが、眠くもない。
エクセだけでも先に寝かせよう――そう思い立ち、口を開こうとする。
しかし、彼に先がけ、少女が言葉を発した。
「グレン様、何かお悩みではないですか?」
「ん・・・?」
そう聞いてみたが、エクセの中で答えはすでに出ていた。
あれだけの惨事を引き起こしたのだ。心優しいグレンが気に病まないはずがない。
そして、それを自分に打ち明ける程グレンの心が弱くない事も分かっていた。
「いや、大した事ではないよ」
予想通りの返答をされても少女は挫けない。
むしろ、それをさらに上回る策を用意していた。
「グレン様・・・グレン様が抱える強大な力を持つが故の悩み、それを私が解決できるとは思いません。ですが、少しでもグレン様の心が安らぐ方法をお父様から聞いて参りました」
「バルバロット公から?」
「はい。少々お待ちください」
エクセは席を立ち、玄関へと向かう。
そこには一旦家に帰った際に用意してきた彼女の私物が置いてあった。今着ている寝間着も、その時に持ってきた物であり、それ以外にも様々な小物を持って来ている。
当然、それらはユーキやミカウルが運んだ。
グレンの耳に、エクセが何やら漁っているような音が聞こえる。そして、少女の「ありました」と言う声が聞こえた後、こちらに戻って来る足音がした。
「こちらです」
戻って来たエクセは、その両手に瓶を抱えていた。その瓶の中には、果物の浮かんだ液体が入っている。
「エクセ君、それは・・・」
「はい。グレン様がお気に召したと言う果実酒です。お父様から、男性は悩み事がある時にはお酒を飲んで忘れるものだと聞かされました」
そう言うと、エクセは果実酒をテーブルの上に置いた。
続いて、コップを取り出し、グレンの前にそれを置く。
「お注ぎいたします」
「いや、そんな、君にそんな真似を――」
「いいんです。さ、グレン様」
こうなったエクセは頑なだ。
それを理解しているグレンは観念したようにコップを手に取り、少女に向かって差し出す。
エクセは瓶の蓋を外すと、そこに果実酒をたっぷりと注いだ。
「ありがとう」
こういった場合、乾杯の1つでもするのだろうが、相手は未成年だ。
礼だけ言って、グレンは酒を一気に飲み干す。
久方ぶりに味わった美酒に、彼は舌鼓を打った。
「――ん?」
いや、少し違う。
何やら前回よりもさらに美味しい気がした。
「どうなさいました、グレン様?」
その原因がエクセである事は、簡単に予想付いた。
まさか注いでもらう相手によって酒の美味さが変わるとは、との驚きと共にグレンは少女を見つめる。
「あ・・・あの・・・」
その視線に、エクセは恥じらいを見せた。
「ああ、すまない。君に注いでもらった酒が美味しくてな。驚いてしまった」
「え?――ふふ。グレン様、いつの間にお世辞がお上手になられたんですか?注ぐ人が変わっても、お酒の味は変わりません」
「いや、本当だとも。もしかしたら、君は酒の女神なのかもな」
「もう酔われたんですか、グレン様?まだまだ、お酒はたっぷり残っていますよ」
「そうか。では、頂こう」
慣れない冗談を言って、少しだけ恥ずかしかったグレンであったが、こんな夜も良いものだと笑みを作った。
もう一杯酒を飲む。
「ふむ・・・。やはり、美味いな」
「私も学院を卒業したら、お酒を御一緒させていただきたいです」
「いや、君は止めておいた方が良いんじゃないか・・・?」
「?――どうしてですか?」
「いや・・・まあ・・・なんとなくだが・・・」
「ふふ。それでしたら、私の代わりにグレン様がたくさん召し上がってください」
「ああ、すまない」
飲み干してはエクセが注ぎ、注がれてはグレンが飲む。
酒が進めば会話も進み、2人は話に花を咲かせた。
そうこうしていると、あっという間に酒を飲み干し、グレンはすっかり出来上がってしまう。
彼は酒に強い方ではあったが、肴もなしに次々と胃の中に収めたせいで、予想以上に回ってしまったのだ。
グレンの顔は今、猛烈に赤くなっていた。
「だ、大丈夫ですか・・・グレン様・・・?」
今まで見たことのないグレンの顔色を気にして、エクセは問い掛ける。
これはさすがに不味いというのは、酔った記憶のない少女にも理解できた。
「ん・・・?何がだ・・・?」
「お顔が・・・とても赤いです・・・。ひどく酔っていらっしゃるのではないですか・・・?」
「ああ、酔っているとも・・・。俺は、お前に酔っている・・・」
そのグレンの発言を、エクセはすぐに理解できなかった。
しかし、次第に理解をしていき、それによって顔も赤くなっていく。
その顔色は、今のグレンに匹敵していた。
「え?え?え?あ、あの・・・!その・・・!グレン様・・・!?」
「聞こえなかったか?お前の美しさに、俺は心底酔い痴れているのだ」
「え?・・・ええええーーーーー!?」
グレンからの思わぬ愛の告白に、エクセは驚愕の叫び声を上げる。
「グ、グレン様!酔って・・・酔っていらっしゃいます!グレン様は、酔っていらっしゃいます!」
エクセとて、グレンの言葉が嬉しくない訳ではない。
しかし、今この状態のグレンからそう言われても喜んでいいか分からず、大いに混乱していた。
「――エクセ」
「ひゃ、ひゃい!!」
グレンのいつもとは違う――君付けではない、という意味ではない――呼び掛けに、エクセは心を痺れさせる。深く低く、少女の胸に染み込んでくるような囁き声であった。
「お前は全てが美しい。髪も、肌も、瞳も声も、そして心も、全てが愛おしい」
言いながら、グレンは手を伸ばし、エクセの頬にその右手を触れさせる。
今までにない大胆な行動に、エクセの心臓は暴走していた。
「グ、グググググ、グレン様・・・!!!!???」
正直、この事態はエクセにとって誤算であった。
父親に言われたように嫌な事を忘れてもらうための酒であったのにも関わらず、酔っているせいでグレンはやたらと積極的になっている。
こんなの自分の知っているグレンではない――という気持ちもあったが、これはこれで悪い気はしなかった。
ただ、どうするべきか。それが問題であった。
「そんなお前を、俺は守り切れなかった・・・」
興奮しながらも悩む少女とは対照的に、グレンは声を落とす。
「お前に、傷を負わせてしまった・・・」
その事について、グレンはエクセに直接謝罪をしていない。少女ならば必ず許してくれると分かっているからだ。
これは、謝罪の必要がないと判断したのではない。自分を許された立場に置きたくなかっただけである。
少しでも叱咤してくれるのならば、蔑んでくれるのならば、まだいい。だが、エクセはグレンに許しの言葉を施し、あまつさえ笑顔を見せて来るだろう。
ならばせめて少女に対する罪を自分の中に残しておく。
それが、グレンが自分に課したもう1つの罰であった。
しかし今、彼は酒に酔っている。そのため、内に仕舞い込んでいた本音を吐露し、また更に余計な事まで話してしまう。
「聞いてくれ、エクセ」
「は、はひ・・・!」
未だ自分の頬から手を離さないグレン。エクセは、ぼんやりとした頭で返事をしていた。
「お前はかつて、俺の事を『国の宝』と言った。覚えているか?」
覚えている、とエクセはこくこくと頷く。
「俺が『国の宝』ならば――エクセ、お前は『俺の宝』だ」
「ふぇぇ・・・」
驚きと喜びと恥じらいが、エクセの口から変な震え声となって飛び出した。
グレンは深く酔うと気障ったらしくなるようで、彼の言動一つ一つが少女の心をくすぐっていく。無論、グレンでなければそのような反応はせず、グレンだからこそエクセの瞳は潤んでいた。
「だから、誓わせてくれ。もう二度と、お前を傷つけるような目には遭わせない。俺は一生お前を守る」
畳みかけるような告白。
それはもう、求婚と受け取っても相違ないものであった。
戦いを生涯の伴侶としてきた男がついに、1人の女に全てを捧げる。
今ここに、一組の夫婦が誕生したのだ。
「グ、グレン様!もう寝ましょう!」
しかし、エクセは冷静に対処した。
グレンが酔っていなければ快く受け入れたのだろうが、今それをするのは少しばかり卑怯な気がしたのだ。と言うか、明日の朝には忘れているのではないだろうか。
そういった諸々の事情を考慮して、エクセはグレンに就寝を促す。
ただ、「寝る」という言葉には、いくつかの意味があるため、
「はっはっはっ。エクセは大胆だな」
と、グレンは少女の意図とは異なる解釈をしてしまっていた。
「?――と、とにかく!横になってください!」
どんな意味で言ったのか分からないエクセは一度首を傾げるが、すぐに立ち上がり、グレンの隣まで移動する。そして、彼の太い腕を掴むと、精一杯の力で引っ張った。
「分かった、分かった。まったく、意外と積極的なんだな」
エクセの必死の頑張りに応えるようにグレンは立ち上がる。
そして、少女に導かれるようにベッドまで歩いて行った。
「あ・・・。そう言えば、今夜私はどこで寝ればいいのでしょう・・・?」
グレンが酔っていなければ、エクセをベッドに寝かせ、彼自身は適当な所で寝るという選択肢もあっただろう。
しかし、今グレンは酔っている。
そのため正常な判断ができず、先ほどの勘違いをそのまま口にしていた。
「何を言っている?一緒に寝るんだろう?」
「え?え?・・・・ええええーーーー!!!???」
グレンの提案に、エクセは先ほどよりも大きな声を出す。
その顔はやはり赤く染まっており、瞳も潤んでいた。
そんな少女を他所に、グレンはベッドに入り込む。エクセにも早く入ってくるよう、ポンポンと自分の隣を叩いていた。
当然、エクセは悩む。
この展開は、少女にとって決して嫌なものではなかった。しかし、殿方のベッドにそう易々と潜り込んでいいものか分からず、二の足を踏んでしまう。
それでも最後には、
「お、お邪魔します・・・」
と言って、ベッドに入る。
そのベッドは、グレンが眠るという事もあってか比較的大きい物であった。しかし、やはり2人は狭く、体と体が密着した状態になってしまう。
普段ならば喜んだエクセであったが、この場においてはそれよりも緊張の方が強い。
グレンに鼓動の音が聞かれないか心配であった。
「グ、グレン様・・・」
エクセは体を横に向け、グレンの名を呼ぶ。
逞しい腕に触れ、彼の体温をその手に感じ取った。
が、グレンからの返事はない。
「グレン様?」
訝しんだエクセは体を起こし、グレンの顔を確認する。
彼は、すでに眠っていた。
「――ふふ」
その安らかな寝顔を見て、エクセは微笑む。
これならばきっと、悩み事もすぐに忘れることが出来るだろう。
当初の目的を無事達成出来たことに、少女は安堵した。
そして、眠りにつこうと再び体を横にする。
その時、グレンの腕を抱き締めたのは彼女だけの秘密だ。
続いて目を閉じると、エクセは世界に自分達2人だけしかいないような感覚に包まれる。
(おやすみなさい、グレン様・・・)
グレンとエクセ、2人だけの夜はこうして過ぎて行くのであった。
翌朝、目を覚ましたグレンが大声を上げてベッドから落下した事は、誰もが分かっていたことである。




