3-19 手紙
グレンがユーグシード教国を崩壊させてから、未だ2日しか経っていない。
それにも関わらず、教国は日常を取り戻しつつあった。
それと言うのも、ジェウェラ、エビタイ、セフォン大神官が、必死になって国の再生に着手していたからである。
まず、エビタイが被害を受けた家々に見舞金を提供。
商いの神に仕えているだけあって、莫大な貯えを有していたエビタイであったが、それを惜しみなく教国の民に分け与えたのだ。当分の生活費、崩壊した家屋の修繕費、公共私設の補修などに、それらは当てられることとなっている。
彼曰く、大災害が起こった時のための備え、と言う事であった。
そして次に、セフォンが教国とフォートレス王国の関係を修復する。
自国の崩壊をグレンが引き起こしたと知った彼は、それを厳しく糾弾。前日までどのようにして場を納めようか頭を悩ませていたが、それによって一転、王国と対等な立場を築く。
『実害があったのだから、我らの方が被害は大きい。王国には償う義務がある』
と言うセフォンに対して、
『被害を受けた教国の民の心中は察する。しかし、先に我らの仲間を攫ったのは教国の指導者たる大神官だ。その要求は不当でしかない』
とシャルメティエが反論した。
互いに譲らぬ平行線のまま話は進んで行き、結局結論は出なかったが、
『此度の事で、我が国は生まれ変わります。シャルメティエ殿、ここはひとつ、両成敗という形で良しとしてはもらえないでしょうか?』
と、ジェウェラが提言をしてきた。
始めは受け入れ難いと考えていたシャルメティエであったが、グレンの説得もあり、渋々承諾。それを受け、セフォンもあっさりとその条件を飲んだ。
どうやら、始めからそこを落とし所と考えて話をしていたようだ。
そして最後に、ジェウェラが教国にとって最も大事な信仰を立て直す。
彼は、リットーが今まで行ってきた悪事の全てを包み隠さず全信徒に伝えた。悲しむ者、信じられないと嘆く者も出たが、リットーの隠し部屋から救出された少女達の証言が決定打となり、それを事実として受け入れざるを得なくなる。
その様な者達に対しても、ジェウェラは慰めの言葉を掛けて回った。彼の信徒達に聞かせた博愛の精神は、嘘偽りのない物であったと言うことである。
ただ、そのような者の中には当然、グレンについて悪く言う者もいた。そしてそれとは逆に、教国の崩壊を引き起こしたのが彼であると言う事を信じない者もいた。
そういった者達に対して、ジェウェラは、
『貴方方には信心がないのか。グレン様はクライトゥース様の生まれ変わり。だからこそ、腐敗した教国を罰するために裁きを下したのです。その事に疑問を持つ者がいるのならば、説明してください。何故、あの方にあれ程の力があるのかを」
と言って、説き伏せたのだと言う。
そのやり取りのせいか、ユーグシード教国においてグレンのことを戦いの神の生まれ変わりだと考える者が増えたとか。
そして当然、戦いの神殿に足しげく通う信徒達の数も多くなり、ジェウェラは忙しい日々にさらに磨きを掛けている。
しかし、今は大切な仲間達に何が起きたのかを報告している最中であった。
「ふう・・・」
一区切りがついた所で、ジェウェラは息を吐く。
「お疲れ様です、ジェウェラ様」
言いながら、マリンは主の前に紅茶を差し出した。立ち上る湯気がまるで幻影のようにゆらゆらと揺れ、彼にここ数日の出来事が夢ではないかと錯覚させる。
しかし、それも紅茶を口にするまでの事。舌の上に広がる芳醇な味わいを楽しみながら、ジェウェラは現実感を手にしていた。
「皆は、なんと?」
マリンの問いに、ジェウェラは先ほどまでの会話を思い返す。
ジェウェラはこの数日に起こった出来事を、各地に散らばる仲間達に『念話』で伝えていたのだ。
リットーの企み、王国との確執、グレンとの出会い、『神々の遺産』、ハルマンの死、そして教国を両断した神の如き一撃。
これを聞いた者は、時に驚き、時に興奮し、時に悲しんだ。
特に、ハルマンと年の近い者達の悲しみは深く、それを慰めるのにジェウェラは多くの時間と言葉を費やした。
「皆、動揺していました・・・。仕方のないことです・・・。そう言えば、トープスの様子はどうですか?」
「まだ立ち直れていません・・・。『自分がもっと早く戻っていれば、ハルマンも死なずに済んだ』と、己を責めてばかりです・・・」
「そうですか・・・。あとで、声を掛けておきましょう・・・」
誰もが悲しみ、誰もが忘れられない仲間の死。
その中で最も早く悲しみに直面にし、そして最も早く立ち直ったマリン。彼女には、ハルマンの遺体を持ち帰った日から気に掛かっていたことがあった。
「ジェウェラ様・・・。『戦刃』は・・・我々はこれから、どうするべきなのでしょうか・・・?」
それはあの日、ジェウェラの迷いから生まれた思い。
導き手としての彼が迷うという事は、それに付き従う信徒達もまた迷うという事。マリンの心は揺れ、その頭の中には靄が掛かっていた。
しかし、すでにジェウェラの中の迷いは消え去り、彼の瞳は次なる道を確かに捉えている。
「実は、皆には報告ついでにその事に関しても伝えてきました。マリン、最後に貴女にも教えようと思います」
その言葉に、マリンの心臓は一度強く打つ。
緊張しているのではない。期待しているのだ。
道標たる彼がその輝きを取り戻し、かつてしてくれたようにこの手を取って導いてくれるのを。
「我々『戦刃』は、今日で解散とします」
しかし、その言葉は彼女の期待を裏切ったものとなった。
あまりの衝撃に、マリンは何も言い返す気力が湧かない。
ただ、一筋の涙が零れた。
ああ、これで全て終わりなのだ。結局、自分の人生など、あの時に救われて引き延ばされたに過ぎないのだ。
マリンが唯一持ち得る絆と言う繋がりが今、彼女の中から消え失せようとしていた。
しかし、彼女の涙を見たジェウェラは途端に慌て出す。
「ああ!すいません、マリン!まさか泣く程とは!勿体ぶった発言など、しなければ良かった!」
「え・・・?」
「実は、この話には続きがあるんです!他の者には先にこの話をしたんですが、順番を少々間違えてしまいました!」
「・・・・・・・それは・・・、なんですか・・・?」
マリンの瞳に期待が蘇る。
ジェウェラはその目を見つめたまま、先ほど乱した心を落ち着かせてから答えた。
「我々は、生まれ変わろうと思います」
その言葉の意図が、マリンには分からなかった。
故に黙る。
そして、待った。ジェウェラの口から、全てが語られるのを。
「簡単に言えば、活動方針を変えるという事です。勿論、私は今でも争いが文明の発展を導くという考えを捨ててはいません。ですが、モンドとハルマン、彼らの死が私にある事を気付かせてくれました」
ジェウェラは優しく笑う。
「それは、私にとって文明の発達などよりも、貴女達の方が大切だという事です。恥ずかしながら、私は仲間を失う事が怖くなってしまいました。皆の前で、あれだけの講釈を垂れて来たのにも関わらず、です。なので、これからは争いへの積極的な介入は避けようと思います」
「では・・・何をなさるおつもりですか・・・?」
それが最も重要であった。
これからマリンは、それを生きがいとしなければならないのだから。
「何も生み出さない争いに対する陰ながらの妨害。それにのみ、専念したいと思います」
「え・・・?」
マリンは疑問の声を上げる。
正直な所、ほとんど変化がないように感じられたのだ。
「まあ、今までとあまり変わりませんがね」
それを本人も自覚していたようで、恥ずかしそうに笑みを零しながら言う。
「何故、ですか・・・?」
理由を聞いてみたが否定する気はなく、マリンは彼の真意を問い質す。どのような理由があろうとも、受け入れるつもりではあった。
「グレン様に褒められましたからね」
それだけで、とは思わない。ジェウェラ達にとって、彼はそれ程の存在なのだ。
いや、今となっては『神の生まれ代わり』と称えても足りなかった。
「あの方は、今頃王国ですか。またお会いできる日が来ることを待ち望んでいるとしましょう」
しみじみと言った感じにジェウェラは語る。
そんな主にマリンは問い質した。
「ジェウェラ様、まだ『戦刃』解体の件についての説明がなされていません。一部とはいえ活動を続けるのにも関わらず、解散とはどういった理由があるんですか?」
「ああ、そうですね。それを言うのを忘れていました」
ジェウェラは再び意識をマリンに向ける。
「解散と言うと少し大げさですが、単に名前を変えるだけです。生まれ変わる切っ掛けとでも思ってください」
つまりは、今までとほとんど変わらず日々を過ごせると言う事であった。
それがどれだけ彼女に安心感を与えたか、ジェウェラですら理解してはいない。
「では、どのような名前になさるのです?」
マリンの当然の問いに、ジェウェラは恥ずかしそうにこう答えた。
「安直な案で申し訳ないのですが。ここはやはり、新たなる戦いの神の誕生を祝して、『戦神』にしようかと。響きも同じで、覚えやすいでしょう?」
グレンがユーグシード教国を両断した話は、瞬く間にフォートレス王国中に広まった。
それと言うのも、シャルメティエとチヅリツカが今回の一件を報告書にまとめ、レナリアが勇士仲間に言い触らしたからである。エクセも友人や同級生に語って見せたが、それはあまり影響してはいない。
民が興じる会話の中では、必ずグレンの名が出て来る状態が続いていた。
だが、その話を信じようとする者は意外にも少ないようだ。実際目にした訳でもなければ、そのような人間がいると納得できるはずもないため、当然と言えば当然である。
それでも、グレンの秘められた実力を見抜いていた者達がおり、その者達は今、彼の話を肴に酒を飲んでいた。
「くはははははは!」
「ははははははは」
笑い声の主は、ティリオン国王とバルバロット公爵である。
彼らがいるのは、王城にある王族のための食堂。
そこには2人の他に、ポポル、アルベルト、シャルメティエ、チヅリツカ、アルカディア、ヴァルジ、そしてバルバロットの妻であるユフィリアムがいた。
「いや、傑作だな!バルバロット!」
「その通りですな、国王」
「俺らは確かに、グレンの事をすげえと思っていた!でもよ、それでも足りてなかったみてえだ!」
「それは仕方ありますまい。この世に国を斬る事が出来る者がいるなど、誰が予測できましょう?」
「だけどよ!俺の国にはいるんだぜ!」
「ほう。一度、会ってみたいものですな」
酒に酔っているからだろうか、2人は冗談を交えた会話を繰り広げる。しかも、それは幾度となく同じ内容で繰り返されたものであり、周りにいる者は心底呆れ返っていた。
「や~ね~。国の重鎮達が~だらしなく酔ってるわ~」
そう言うポポルの顔も朱に染まっており、傍には葡萄酒の空瓶がいくつか転がっている。そのどれもこれもが最上級のものであったが、今日はティリオン持ちということで遠慮はいらない。
ただ、それを空けたのはポポルだけではなく、
「ぷはー!」
と、今もまた美味しそうに杯を空にしたアルカディアもである。彼女の後ろにはヴァルジが仕えており、すかさず酒を注ぎ足していた。
「ふふんっ!よもや酒がこれ程美味だとはな!おまけに、気分も楽しくなってきよる!爺!お前も飲め!」
「いえ、遠慮しておきます。以前酒に酔って暴れた経験がございまして、それを戒めとして生涯禁酒を貫いておりますので」
このやり取りも何度か繰り返されたものである。それでもアルカディアは初めて言われたかのように、不満を表情に出し、頬を膨らませた。
「つまらん奴じゃのー!余の酒が飲めんと言うのか!?」
「大変心苦しいのですが、その通りでございます。代わりに、アルベルト殿に勧めては如何でしょうか?」
「え゛・・・!?」
最早手慣れたヴァルジは、これまでと同じような手段に出る。執事に手で示されたアルベルトは、これまでと同じように困った顔で困った声を出した。
見れば、彼の顔は真っ赤に染まっており、その体には力が入っていない。国王の手前であるため、寝入ったり突っ伏したりすることはないが、それでも限界が近い事が容易に見て取れた。
アルベルトは、酒に弱い体質なのだ。
「い、いえ・・・僕はもう・・・」
それ故、一人称が普段のものとなってしまっている。さしもの彼も頭が回っていないようだ。
「なーにー!?アルベルト殿!そなたも余の酒が飲めんのか!?」
「え・・・あ・・・。い・・・頂きます・・・」
皇帝からの酌と言う事もあって、アルベルトは泣く泣く受け入れる。それでもヴァルジによって満たされた杯をすぐに口にはせず、じっと液面を見つめる。味の分からなくなってしまった酒に一体どれほどの価値があるのだろう、と心の中でぼやきながら。
そのまま黙り込んでしまったアルベルトであったが、彼の他にもそのような者達がいた。ただ、彼女達は酒を一滴も口にしておらず、気を沈めたように口を閉ざしている。
「どうしたの?シャルメティエちゃん、チヅリツカちゃん?」
そんな2人に向かって、ユフィリアムが声を掛ける。
実は酒宴が始まってからずっと気にはなっていたのだが、深く聞き入って良いものかどうか悩んでしまい、名前を聞くだけで終わってしまっていた。
それでも、酒の力を少しだけ借りて一歩前へ踏み出す。
「いえ、お構いなく」
「ユフィリアム様の御迷惑になりますから」
しかし、2人は弱々しい笑顔でそれを拒絶した。余程、言いたくないのだろう。
「ううん!構うわ!」
そして、それをさらに拒否するようにユフィリアムは2人に詰め寄る。
酒の力を少しだけ借りたとは言っても、ユフィリアムには大きな後押しとなるのだ。彼女の体質上、意識はしっかりとしているため、発せられた言葉は本心からのものではある。
「だから話して?」
2人が酒宴の席で酒も飲まず、落ち込んでいる理由。それは当然、ユーグシード教国での事件が関係している。
彼女達は自分達だけで先の件を解決しようとしていた。
解決に直接関係のない程度ならばグレンの力を借りることを許容していたが、ああまであっさりと彼の力で強引に解決されてしまったせいで、自分達の存在意義に疑問を抱いてしまったのだ。
常日頃から、そういった趣旨の発言をしているシャルメティエならば猶更である。そのため、その事を言い触らすのは彼女達としても快くはなかった。
見栄を張っている訳ではない。ただ、騎士という身分に属する者全てに申し訳なさを感じたのだ。
「安心して。主人には言わないから」
黙る2人に、ユフィリアムはそう言い聞かせる。
ここまで必死になられると困ったもので、シャルメティエとチヅリツカは互いの顔を見合わせると、諦めたように説明を始めた。
「――そう・・・。だから、元気がなかったのね・・・」
「申し訳ありません。ご心配をお掛けしてしまって」
「エクセちゃん――ご息女も守り切れず、不甲斐無いばかりです」
2人の重なる謝罪に、ユフィリアムは首を横に振った。
「そんなことないわ。確かに、娘が危険な目に遭ったのは事実よ。でもそれは、付いて行くことを決めた娘にも責任はあるもの。2人は良くやった、って主人も言っていたわ」
それは事実ではあったが、彼女達に対する慰めの言葉でもあった。
当然、2人もその事に気が付く。
だからこそ、笑みを作った。これ以上、守るべき存在である自国の民に気を使わせないために。
「ユフィの言う通りだ、シャルメティエ」
彼女達の会話を聞いていたのか、いきなりバルバロットが声を掛けて来た。シャルメティエとチヅリツカは、驚いたように彼に顔を向ける。
「まあ、あなた。盗み聞き?」
「そう言わないでくれ、ユフィ。同じ部屋にいるんだ。話し声が聞こえてくることもあるだろう。――でだ、シャルメティエ、そしてチヅリツカよ。お前たちはまだ若い。それ故、そのような事に頭を悩ませているのだろうが、それは徒労だ。グレンは――あやつは王国に生まれた嵐のようなもの。この国に恵みを与えることもあるが、決して手綱を握れる存在ではない。そのような者が暴れたのだ。俺が同行していたとしても、介入する余地はなかっただろう」
それはバルバロットにしては珍しい明確な慰めの言葉であった。
彼とて、部下に対して優しい気持ちを持たない訳ではない。しかし、それを相手に伝えるのに恥ずかしさを感じており、普段はそういった事を口にはしなかった。
では、何故今回は違うのか。
つまりは、彼も適度に酔っていたという事だ。
「ありがとうございます、バルバロット殿。その言葉だけで、幾分か心が軽くなりました」
滅多にないバルバロットの慰めの言葉を受け、未だしこりの残る気分ではあったが、シャルメティエは微笑む。これ以上、情けない姿を見せたくはなかった。
「そう言えば、グレン殿はどうしたのじゃ?」
バルバロットがグレンの名を出したことで、アルカディアが今回の主役の不在に今更ながらに気が付く。その事について事情を知っている者は、彼女に向かって軽く笑みを作った。
「な、なんじゃ?ティリオン殿にウェスキス殿、それにバルバロット殿まで・・・。グレン殿がどうしたというのじゃ・・・?」
「そ、それは・・・ですね・・・、アルカディア・・・皇帝陛下・・・」
アルカディアの疑問にアルベルトが答えようとする。
酔いつぶれて息も絶え絶えであったが、他の者に説明させる訳にはいかないと最後に残された力を振り絞っていた。
「グレンは・・・今・・・自宅謹慎中・・・なんです・・・」
「自宅謹慎、とな?」
「はい・・・。なんでも・・・今回の件で・・・深く・・・反省を・・・」
「反省?どうしてじゃ?今回の件は両成敗で治まったはずじゃ。もしや、『戦刃』だとか言う組織を放置したのを気に病んでおるのか?」
ジェウェラが率いる『戦刃』について、シャルメティエはしっかりとアルカディアに報告をしていた。その時に、ジェウェラから預かったアルカディア宛ての謝罪文を渡しており、彼女もそれにはしっかりと目を通している。
かつて、自分も同じように手紙を託した経験を思い出し、アルカディアは思わずジェウェラに親近感を抱いた。
それが理由ではないが、アルカディアはジェウェラ達『戦刃』の行動を不問としている。無論、国民を扇動して皇族を苦しめた事や自分の命を狙った者がいた事には怒りを覚えた。
しかし、今彼女が見るべきは未来である。過去の出来事に囚われたくはない、と広い心で許しを施した。
当然、二度目はないが。
「そうでは・・・ありません・・・。2人の・・・少女と・・・・教国の・・罪もない民を・・・傷つけた事・・・、それと・・・刀を折ってしまったのを・・・悔やんで・・・」
「エクセと民に関しては分かるが・・・刀?」
「はい・・・。『作者に申し訳がない』・・・と・・・」
「なるほどのう。生真面目な男とは思っておったが、そこまでとは」
若干呆れ気味にアルカディアは言う。
「しかし、となると少し可哀想じゃのう。このような美酒美食の揃った宴に参加できないとは」
そして、続く言葉には同情が込められていた。
しかし、その言葉にはユフィリアムから否定の言葉が入る。事情を知る者達は、再び笑みを浮かべていた。
「それがそうでもないんですよ、皇帝陛下様」
「む、これはユフィリアム殿。それは一体、どうしてなのじゃ?」
「ふふ。グレンさんには今、娘が付いていますから」
「ああー・・・」
アルカディアだけでなく、その事を知らなった者達は全て同じように納得のいった表情をしていた。グレンがこの場にいたら、赤面していしまいそうな光景である。
「む!となると今、グレン殿とエクセは一つ屋根の下で2人きりという事か!?」
「ふふ、そうですね。そうなりますね」
「それは・・・!ついに、グレン殿も一線を越えて来るのではないか!?」
興奮したようなアルカディアの声が食堂に響く。他の者もその点に関しては思う所があるのか、それぞれの感情を顔に表していた。
だが、シャルメティエだけは、
「チヅ、一線とは何を指しているんだ?」
と部下に質問をしていた。
それに困ったように対処するチヅリツカを尻目に、アルカディアはユフィリアムに問う。
「しかし良いのか、ユフィリアム殿?親公認とは言え、エクセはまだ幼い。言い方は悪いが、傷物になるのに多少なりとも嫌悪はあろう?」
その言葉にユフィリアムはことこと笑う。同時にバルバロットの「ふっ」という短い笑い声が聞こえた。
「娘への気遣い、大変痛み入る、皇帝よ。だが、心配無用。エクセとて、その覚悟くらいあるだろう。我らがとやかく言うことではない」
「まあ、あなた。そんな理由で笑ったの?」
バルバロットの自信を持った発言を受け、ユフィリアムが否定の言葉を発する。
「ん?では、ユフィは違うのか?」
「違います。私はグレンさんを信頼しているから、笑ったんです」
「ほほう。それはどうしてなのじゃ?」
「皇帝陛下様。私は以前、グレンさんに娘との夜を許した事があります。娘には早いですが、グレンさんの人となりを確かめたかったんです。そして、グレンさんはそれを呆れたように否定しました」
「まあ・・・、あの男らしいのう・・・」
「ふふ。男性としては珍しいですよね?それ以来、グレンさんには全幅の信頼を置いているんです。娘も、彼となら幸せな家庭を築けるはず」
この場にグレンがいたのならば、思わずこの場を去りたくなるような発言であった。いや、それはエクセも同じか。
ただ、バルバロットはそれに異議を唱える。
「何を言う、ユフィ。男たる者、惚れた女には積極的でなくてはならない。相手も想ってくれているならば猶更だ」
「はあ・・・、あなたならばそうおっしゃると思いました・・・。私の時も、そうでしたもの・・・」
「んん~?どういうこと~?」
ユフィリアムの呆れた様な呟きにポポルが食い付く。その瞬間、バルバロットはひどく気まずい表情をした。逆に、ティリオンなどは面白そうに笑っている。
「私とこの人が初めて会った時の話よ。その日、私の実家でパーティが開かれたの。私は少しだけ顔を見せた後、寝室で休んでいたんだけど。その時、突然この人が部屋に入って来てね。『惚れた。今からお前を抱く』って言ってきたの」
「うっわ~~!野っ蛮~~~!!」
ポポルの驚いたような、それでいて楽しそうな声に同調するように意味を理解できる女性陣は頷く。チヅリツカなどは若干引いていた。
「でしょう?その時ほど、男性のことを汚らわしいと思ったことはないわ」
「で、で、どうなったのじゃ?」
新たなる肴の登場に、アルカディアは興奮したように続きを促す。
「もちろん、強く拒絶しました。あまり男性と話した事はなかったんですけど、その時は恐怖よりも怒りが湧いて来たんです」
「それは~当然よね~。ま~ったく~、とんだ~男が~いたもんね~」
ポポルは横目でバルバロットを見ながらそう言った。それをバルバロットは目を閉じ、なんとか表情を崩さないように耐えている。
それを庇うように、ティリオンが開いた。
「まあ、仕方ねえよ。当時、ユフィリアムは深窓の令嬢ってんで、王都中の男共の注目の的だったからな。俺も妃に迎え入れようと思ったくらいだしよ」
「なんと!」
「だけどよー、小うるさい連中が『病弱な女に王の子を産めますか?』なんて言うもんだから、許されなくてな。その時はまだ親父が生きていたから、大した力もなくてよ。で、その時に相談したのがバルバロットな訳だ」
「ふむふむ」
「そしたらこいつ、『お前に相応しいか、俺が見て来てやる』なんて言い出してよ。そんで帰って来て早々、『あの女は、俺がもらう』とか言いやがって。あの時は本気で呆れたぜ」
言葉こそ辛辣ではあったが、アルカディアに語るその口ぶりはとても楽しそうであった。と言うよりも、バルバロットの方をちらちらと見ながら話す仕草から、敢えてそのような言葉選びをしているようだ。
「し、仕方がないでしょう・・・。ユフィ程の女を見れば、誰だってそうなります・・・」
「ほー、そうかいそうかい。それで、年が10以上も離れた女に惚れたんかい」
「な、なんと!ユフィリアム殿、その時そなたはいくつだったのじゃ!?」
「確か、17歳くらいだったかと思います」
「まあ~!それは~野蛮ね~!」
「ポポル・・・!貴様、言いたいだけではないか・・・!」
「うふふ~」
バルバロットの睨みに怯むことなく、ポポルは口に手を当て優雅に微笑んで見せた。
「しかし、それでよく夫婦になろうと思ったのう」
歳の差、最悪の第一印象。
およそ婚約に結びつくとは思えない条件であったため、アルカディアの疑問は当事者以外には当然のものであった。
「ふふ。それがですね。この人も流石に自分の行いを恥じたのか、翌日以降謝罪のために家を訪れるようになったんです」
「ほほう、それは殊勝な心掛けじゃな」
「それが1年続きました」
「1年!?」
予想以上の長さにアルカディアは驚きの声と共にバルバロットの方を向く。その男はやはり、恥ずかしそうに目を瞑っていた。
「雨の日も風の日も、たまの雪の日も。一日も欠かすことなく、贈り物を持って来たんです」
「ああー!あった、あった!びしょ濡れになって城に帰って来た時もあったから、一体何事かとビビったもんだ!」
「なるほどのう。その姿に心打たれた、ということじゃな?」
「ふふ、そんな所です」
ユフィリアムは思い返す。
自分の部屋を埋め尽くさんばかりに広がった贈り物たち。
ただ、彼女はそれらにほとんど手をつけなかった。高級品、嗜好品ばかりが贈られる中で、ユフィリアムが唯一喜んだ物が贈り物と共に渡された手紙である。
どこに行った、どこと戦った、何を食べた、何を見た。
およそ意中の異性に送るに相応しくない内容ではあったが、普段自室にこもりっ放しのユフィリアムには非常に興味の引くものであった。
そこに謝罪はない。
それでも構わない程に、ユフィリアムは楽しんだ。
そして、ついには直接話を聞こうと部屋に招き入れたのである。
「そんなんでユフィリアム程の女と結ばれるんなら、俺もやったぜ!――どうだ、ユフィリアム?今からでも遅くねえ。俺の第4王妃にならねえか?」
「あらあら、国王様ったら」
ティリオンのその言葉は、当然冗談である。
言われたユフィリアムもそれが分かったがために優雅に笑って見せた。
が、夫であるバルバロットにとっては良い気分がする訳もなく、彼のこめかみには怒りによる血管が浮き出ている。
「これはこれは、国王・・・!少しばかり、冗談が過ぎますな・・・!」
その言葉を聞き、ティリオンは期待通りの展開に、にやりと笑う。
「おいおい、バルバロット。こんなにも楽しい酒の席だ。無礼講で行こうじゃねえか。昔みたいに接してくれていいんだぜ?」
その言葉を受け、今度はバルバロットがにやりと笑った。
「いいだろう・・・。ならば、ティリオン。あまりふざけた事を抜かすと、殴り飛ばすぞ。昔のようにな」
かつて、バルバロットはティリオンのお目付け役であった。
当時の王から絶大なる信頼を得ていたバルバロットは、彼自身の厳格さもあり、その役目を担っていたのだ。
それ以来2人は親交を深めていったのだが、ティリオンが王となってからはバルバロットもそれ相応の態度へと変わっている。
「くはは!上等だ!久しぶりに一戦交えようか!?確か、俺の3勝258敗だっけな!?」
「2勝274敗だ、たわけが。よもや酒に酔ったというのか?もしそれならば、手加減をしてやろう。俺は武器を使わん」
「なに言ってやがる!てめえは素手の方が強えじゃねえか!」
「ふっ。そうだったか?まあいい。いずれにせよ、貴様が王になってからどれ程衰えたか確かめる良い機会だ。言っておくが、俺はまだまだ強いぞ」
「上等だ!おい、シャルメティエ!お前の剣を貸せ!」
ティリオンはシャルメティエに向かって手を出す。
「え!?し、しかし、陛下!使うのならば、せめて木剣を――」
「それじゃあ、こいつに簡単に折られるんだよ!いいから、寄越せって!」
「も、申し訳ありません・・・。剣は置いてきてしまいました・・・」
酒宴の席に武器を持ち込むのは無粋。
誰もがそう考えるようにシャルメティエも考え、実行していた。
「なに!んじゃあ、持って来させるか!」
と言うと、ティリオンは扉に向かって「おい!」と声を掛ける。
すると、メイドが1人姿を現した。
「な・・・何用でしょうか・・・?」
言うまでもなく、そのメイドにも部屋の中の会話は聞こえており、問い質さなくても予想できたが、できればそうであって欲しくないと聞いてみる。
「剣を持ってこい!なんでもいい!」
「で、ですが・・・ティリオン様・・・」
「いいから持って来い!従わねえなら、ケツ触るぞ!」
「それでお許しいただけるのならば、別に・・・」
「よし、よく言った」
そう言って、席を立つティリオン。
それを呆れたように女性陣は見つめ、
「もお~、王様~、酔い過ぎ~。メイドちゃん~、酔っぱらいは~放っておいて~、変な事される前に~逃げた方が良いわよ~」
とポポルが代表して言った。
「で、ですが、ウェスキス様・・・」
「いいから~、いいから~」
手を振るポポルにそう言われ、近づいて来るティリオンに頭を下げつつメイドは扉を閉める。
「あ、てめ、ポポル!余計な事、言いやがって!」
「は~い、は~い。いいから~、大人しく~、席に戻りましょうね~」
「ったく、折角バルバロットの奴をぶっ飛ばせると思ったのによ!」
「ふっ。そのような事を言って。心の中では、ほっとしているのではないか?」
「なんだと!?」
バルバロットの挑発にティエイオンは声を大にして返す。
当然、どちらも酒の席での戯れであり、本気で戦おうとも怒っている訳でもなかった。
「む、これはまずい。爺、あの2人を止めるのじゃ」
しかし、傍から見れば彼らの喧嘩は本物に映り、アルカディアがヴァルジに制止の指示を出す。シャルメティエやチヅリツカも、少しだけ腰を浮かしていた。
「畏まりました。では――」
そう言って、ヴァルジが近づこうとすると、
「分かった、分かった。大人しくするよ」
と言って、ティリオンは静かに席に座り直す。
それが丁度会話の隙間になったようで、宴が始まってから初めての静寂が訪れた。
そのせいだろうか、誰もがその音を耳にする事が出来たのだ。
こんこん、と何かを叩く音を。
「ん?」
まずティリオンが声を上げ、扉に目を移す。しかし、誰かが声を掛けてくるわけでもなく、扉を開けるでもない。
こんこん、と再度音が聞こえる。
「なんだ?」
再びティリオンが疑問の声を出し、皆も辺りを見渡して音の発生源を探す。
こんこん、という音が三度響いた時、シャルメティエがある一点を指差した。
「陛下。おそらく、あちらの窓ではないかと」
その窓の窓掛はすでに閉められており、外の様子を窺い知ることは出来ない。そのため、シャルメティエが席を立ち、窓に向かって近づいて行く。
その様子を見ながら、誰もが少しだけ緊張した面持ちをしていた。
風という可能性はない。窓を叩く調子が一定で、複数回あった。そんなに都合の良い風が吹くものか。
ならば、人か。その可能性が最も高いが、ここは王城の5階。さらに外には見張りもいる。そんな場所に来れるような人間がいるものだろうか。ただ1人だけ心当たりはあったが、その者ならば堂々と入ってくればいい。
いずれにせよ、見れば分かる事であった。
「では、開けます」
急に開けるのも何だと思い、シャルメティエは他の者に声を掛けてから窓掛に触れる。そして、間髪入れずにさっと引いた。
「む・・・?」
そこにいたのは、可愛らしい小鳥であった。
「んだよ、鳥かよ」
「可愛い~わね~」
ティリオンとポポルがそれぞれの感想を口にする。
しかし、チヅリツカはその光景に疑問を持ったようだ。
「ですが、珍しいですね。日も落ちたこんな時間に、しかもこのような高い場所に、こんなにも小さな鳥が飛んで来るなど」
「ふむ、確かにな」
その疑問にシャルメティエも頷くが、だからと言って、それが何か重要な事であるとも考えられなかった。
そんな彼女の耳に、こんこんという小鳥が嘴で窓を叩く音が聞こえる。
「どうやら、部屋に入りたがっているようだな」
「明りに引き寄せられたのでしょうか?夜とは言え、そこまで気温が下がっている訳ではないですから」
「陛下、如何いたしましょう?」
2人で議論をしてみたものの、判断はティリオンに任せる他ない。
「あ?なにがだ?」
「この鳥を部屋の中に招き入れるかどうか、です」
「ああ、そんな事か。別にいいぜ。無礼講だ。入れてやんな」
「分かりました」
可愛らしい鳥とは言え、その実態は野生の獣でしかない。そのような存在を王城に、しかも食事の場に迎え入れてもいいのかと言う疑問だったのだが、ティリオンはいとも容易く承諾する。
「陛下に感謝するのだぞ」
と言いながらシャルメティエが窓を開けると、小鳥はまるで一礼したかのように頭を下げてから、部屋の中へと飛び込んだ。
その様子を目にしたのはシャルメティエだけであったので、1人だけの驚きを抱えながら小鳥を目で追いかける。急にその小鳥が、何か特別な存在であるかのように感じられた。
そして、小鳥は部屋の中をぐるっと飛び回ると、ある人物の肩に降り立つ。
それは、ヴァルジの肩であった。
「おお!爺の肩に鳥がとまったぞ!」
「ほほ、そのようですな」
「枯れ木と間違えたのかも知れぬな!」
「陛下・・・それはあまりにも厳しいお言葉・・・」
「冗談じゃ、許せ!それにしても、可愛らしいの~。余は鳥をこんなにも間近に見たのは初めてじゃ。――ん?」
その時、アルカディアがある事に気付く。
その小鳥の足、そこには何故か紙が巻き付けてあったのだ。
「これは、なんじゃ?」
立ち上がり、小鳥に手を伸ばすもヴァルジの肩を伝うことで、上手い事逃げられてしまう。
「な、なんじゃ、この鳥!無礼な!」
「ほっほっほ、陛下のことを怖がっているのですな」
「別に取って喰いはせんのに!――まあ良い。爺、代わりにその鳥の足に付いている物を取ってやれ」
「足、ですか?」
命じられたヴァルジは小鳥の足に視線を移す。そこには細い蔓で縛られた紙があった。
それを目にした瞬間、ヴァルジの瞳が大きく見開かれる。
「こ、これは・・・!」
思わず叫んだヴァルジは、小鳥に指を差し出す。先ほどアルカディアが手を近づけた時とは異なり、小鳥は執事の肩からぴょんと指に乗り移った。
「なっ!?」
アルカディアが驚きと嫉妬の混じった声を上げるが、それに構っている余裕がヴァルジにはない。急いで空いている方の手で紙を取り外す。すると、小鳥は再びヴァルジの肩へと戻った。
ヴァルジは紙を広げると、
「やはり・・・!」
と呟く。
「なんじゃ、爺?それは一体、何なのじゃ?」
問い掛ける主にヴァルジはこう答える。
「これは、エルフからの手紙です・・・!」
その言葉は部屋中の者を驚かせた。
「なんと!前に言っていたエルフの友人がいるという話は真であったか!」
「当然でございます。私が陛下に嘘をお伝えするはずがございません」
「して!して、何と書いてあるのじゃ!?」
エルフに会ったことのある人間は、この辺りではほとんどいない。ましてや友人ともなると絶対にいないとまで言い切れるほどであった。それ故、その手紙の内容にアルカディアが興味を示したとしても、決して不思議なことではない。
主の期待に応えるよう、ヴァルジは一通り手紙に目を通す。
「どうじゃ、爺!?何と書いてある!?」
「それが・・・」
「うむ!」
「読めません」
「は・・・?」
呆気に取られたアルカディアに向かって、ヴァルジは手紙の内容が分かるように見せる。そこには赤ん坊が書きなぐったような、それでいて何かを模しているような、不思議な文字列が記されていた。
「な、なんじゃ・・・?これは・・・?」
他の者も遠巻きに眺めるが、やはりアルカディアと同じ感想しか思い浮かばない。
「これはエルフ族に伝わる文字です。彼らは人間と会話することが出来ますが、基本的には自分たちの言語で文章を書いたり、会話をしたりします。私も少しばかり学ばせてもらいましたが、どうやらすっかり忘れてしまったようですな」
「これが文字なのじゃな・・・」
などと、アルカディアは驚いたが、他の者はその事について理解していた。王国の学院において、必ず学ぶ事柄であるからだ。
ただ、読めたり話せたりできるかどうかは別の話である。
「この中に、これを読める者はおるか?」
そのため、アルカディアの問いに全員が首を横に振った。
エルフ語という学問分野はあるが、基本エルフとの交流のないフォートレス王国おいてそれを専門的に学んでいる人間はいない。と言うか、片手間に学んでいる者すら少ない程だ。
しかし、その数少ない人物をアルベルトは知っていた。
それをアルカディアに伝えるため、手を上げて意思表示をする。
「おお。アルベルト殿、そなたなら読めるのか?」
「い・・・え・・・」
「ならば、どうしたと言うのじゃ?」
「き・・・っと・・・・・・ならば・・・」
アルベルトは今、泥酔していた。
先ほどアルカディアに飲まされた一杯が決定打となり、ついに意識が混沌の中へと誘われてしまったのだ。それ故、最後にアルカディアにグレンの近況を伝えて以降、会話に参加できていなかったのである。
それでもアルカディアの力になろうと手を掲げたのは、さすが王国騎士団団長と言った所か。
「ん~・・・。申し訳ないが、アルベルト殿、そなたが何を申しているのかが全く分からん・・・」
「です・・・から・・・・・・・ならば・・・」
「駄目じゃ。何を申しておるのか、さっぱりじゃ」
「もお~。しょうがないわね~、アルベルトちゃん~」
アルベルトとアルカディアのやり取りに痺れを切らしたポポルが立ち上がる。そして、トコトコとアルベルトの隣にまで歩いて行くと、彼の体に触れ、
「はい~。――『大回復』~」
と回復魔法を唱えた。
瞬間、アルベルトの体がしゃきっと起き上がる。
「感謝いたします、ウェスキス殿。おかげで気分が良くなりました」
酔いという苦痛から解放されたアルベルトが、爽やかな笑顔を浮かべながらポポルに感謝の言葉を述べた。先ほどの彼とは大違いの振る舞いである。
「お礼は~いいから~。誰なの~?エルフの~文字を~読める人って~?」
ポポルに問い掛けられたアルベルトは、ちらりとティリオンの方を向いてから答えた。
「ラグナ王子です」
「ああ」
アルベルトの答えに対し、思わず納得の声を漏らしたのはティリオンである。先ほどの視線の理由も、それにより理解していた。
「ラグナ・・・?誰じゃ・・・?」
「国王のご子息であらせられます」
「つまりは王子か!余の弟のソーマと同じじゃな!」
酔っているため、少し理解の遅れたアルカディアが喜々としてそう言った。それと同時に、自分の弟の顔を思い出す。
前回の王国訪問の時もそうであったが、1週間という僅かな期間であっても、ソーマのことが恋しくなっていた。
あの頼もしい顔立ちを久しぶりに見たい。
アルカディアはそんな事を考えて顔をにやつかせたが、今はそんな事をしている暇ではないと意識を現実に戻した。
「ところで、ティリオン殿?」
「ん?」
「そなた、自分の息子の特技を忘れていたのだな。なんと薄情な父親である事か」
ラグナがエルフ語を読めると教えてくれたのはアルベルトである。本来ならば、父親であるティリオンの口から出なければならない情報であったが、そうはならなかった。
もしや、あまり親子関係が良い方ではないのか。
アルカディアは目の前の国王らしくない国王の未だ知られざる一面を覗き見た気がした。
しかし、そうではない。
「おいおい、それは勘違いだ。勘違いだぜ、アルカディア」
「ほお。では、何故思い出せなんだ?」
「ラグナには――俺の可愛い息子にはな、そういった特技が山ほどあるんだよ」
「ふむ。山ほど・・・とな?」
「そうだ、山ほどだ。例えば・・・・・・あー・・・駄目だ、酔っぱらってるせいで出てこねえ・・・」
「そなた・・・」
「アルベルト!今のお前なら、分かるだろ!?アルカディアに教えてやってくれ!」
父親としての責務を放り投げ、ティリオンはアルベルトにそう命じる。
即座に立ち上がったアルベルトは、
「畏まりました」
と言うと、アルカディアに向き直り、説明を始めた。
「ラグナ王子は大変勤勉なお方です。幼き頃より読書に親しまれ、その知識量は並みいる学者を遥かに凌駕します。今話題に上がっているエルフ語だけでなく、古代エシェ語、古代オンテ語、ゲペッテン古語などにも精通。さらには言語だけでなく、生物、地理、歴史、魔法にも造詣が深いのです。それらに関する論文も多数発表されていまして、『フラムト山脈の生態系とウウリ草の関連性について』、『リツ山及び周辺の河川水の安定性』、『フォートレス王国:その成り立ち』、『装備容量の数値化検証』などがあります。特に、昨年王子が発表された『鉱物採取の効率化』は大変素晴らしく、それにより王国における資源採取が大幅に改善されました。他にも――」
「ああー!もう良い!長い!」
アルベルトのラグナに関する説明、それらを要約すると「ラグナは天才」ということだ。
先ほどのアルベルトの説明にもあった通り、フォートレス王国の王子ラグナは幼い時分より読書に没頭するようになる。その切っ掛けが、グレンが兵士を辞めたことなのはラグナ本人以外は知らない。
けれどもその中で、ラグナは膨大とされる情報をその頭に詰め込んでいた。そのような事、長い時間を掛ければ誰でも出来たが、ラグナは1冊の専門書を1回読んだだけで全て暗記し、理解することが出来るのだ。加えて、天性の発想力から様々な理論を組み立てることも出来た。
あまり他人に言い触らすような性格ではないため、長い間誰もそれに気付けなかったが、つい数年前に父親であるティリオンとの会話でそれが発覚。
以降、ティリオンの後押しもあり、ラグナはその才覚を世に示すようになった。
その事が、ラグナの自信を若干でも取り戻す要因になっている。
「とにかく、そのラグナという王子ならば、この手紙を読めるのじゃな?」
「はい。そういう事になります」
「ならば、話は早い。誰でもいい。その者をここまで呼んでくるのじゃ」
アルカディアの号令にすかさず3人の騎士――アルベルト、シャルメティエ、チヅリツカが動こうとする。
しかし、それをヴァルジが制した。
「お待ちくだされ、お三方。――陛下、この手紙は私宛てに送られた物。それを翻訳していただくのに、王子殿下にご足労願うのは大変失礼であると思われます。ですので、私の方から王子殿下を訪ねようと思います」
「ふむ、確かにの。ならば、誰かに王子の部屋まで案内してもらうとしようか」
その言葉に、再び騎士達が動こうとする。
そして今度は、ティリオンがそれを制した。
「じゃあ、俺が案内してやるよ」
そう言って、国王は席を立つ。
「これはこれは。ティリオン皇帝陛下御自らの御先導とは、なんと恐れ多い」
「そんな畏まらなくてもいいぜ、爺さん。俺も丁度、自慢の息子をアルカディアに紹介してえと思ってたんだよ」
「む?余にか?」
「ああ。俺が退位した後は、ラグナが国王だ。今から顔合わせしといても、早過ぎるってことはねえだろ?」
「確かに。では、余も行くとしようかの」
ティリオンに続き、アルカディアも席を立った。
顔は赤いが、どちらとも足取りはしっかりとしており、支えはいらないようだ。
「そんじゃあ、行くとするか」
ティリオンの掛け声を受け、アルベルト、シャルメティエ、チヅリツカの3人も扉へと向かおうと動き出す。
「おっと、付いて来るのはアルベルトだけで良い。シャルメティエとチヅリツカは、まだちっとも酒を飲んじゃいねえだろ?少しくらい楽しんどけ」
「いや、ですが陛下・・・」
「いいんだよ。ほれ、行くぞ、お前ら」
そう言うティリオンを、アルカディアはしげしげと眺めた。
「珍しいの。女好きのそなたが2人を連れず、アルベルト殿を連れて行くとは」
「くはは。まあ、美女ならお前で足りてるしな」
思わぬ一言に、アルカディアは酒とは違った理由で顔を赤くする。
「な、何を言うか!よもや、また余を揶揄っておるのか!?」
「揶揄っちゃいねえさ。本心も本心。俺は顔と髪の美しい女が大好きだからな」
アルカディアは肉体的に魅力が皆無とは言っても、その顔と髪は称賛に値してしかるべき美しさを誇る。そのため、ティリオンの賛辞も過剰ではなく、男ならば誰もが思い浮かぶ感情であった。
「何なら、お前を俺の第4王妃にしてやってもいいぜ?」
しかし、それが冗談だと言う事は誰もが理解できた。
「ふむ・・・。それも・・・良いかもしれんのう・・・」
「あ・・・?」
今度はティリオンにとっての思わぬ発言が、アルカディアから飛び出した。
「そうすれば、王国と帝国の関係がより強固なものとなる。加えて、このような大国を治める王の子じゃ。さぞや優秀な人材が生まれるであろう」
「お、おい・・・アルカディア・・・」
「そうとなれば、善は急げじゃ。グレン殿がエクセとの関係を進展させない今、先にティリオン殿と子作りを済ませておくのも悪くはない」
アルカディアはそう言うと、ティリオンの腕に自分の両腕を絡ませる。その行動に、さしもの彼も心を弾ませてしまった。もしも、アルカディアに豊満な胸があったならば、あっさりと落ちていた事だろう。
「では、行くとしようか。ティリオン殿」
それは、正直かなり魅力的な提案であった。
が、さすがに冗談を本気で実行する訳にもいかず、
「ま、待て!お、俺には3人の妻と9人の子供が・・・!」
と必死にその腕を振り解こうとする。
その姿を見て、アルカディアは口の端を上げた。
「ぷっ・・・ははっ・・・・はっーーーーはっはっはっ!」
「ああ・・・?」
突然笑い声を上げたアルカディアを、ティリオンは訝し気に見る。
「かかったな、ティリオン殿!今まで散々揶揄われたお返しじゃ!そなたの慌てふためく様は随分と滑稽じゃったぞ!」
その勝利宣言に、突然の出来事過ぎて何も出来ないでいた者達は安堵の表情を見せる。続いて、ティリオンの醜態に笑い声を発する者――とは言っても、そのような者はバルバロットとポポルくらいだが――もいた。
「アルちゃん~、すご~い~。あの王様が~1本~取られるなんて~」
「不甲斐無いぞ、ティリオン。そんな事では、まだまだ未熟と言わざるを得ないな」
「がっ・・・!ぐっ・・・!」
2人の言葉を受け、ティリオンは心に傷を負ったような声を漏らした。
「う、うるせえ・・・。とにかく、ラグナの部屋まで行くぞ・・・」
反論する余地がないのか、ティリオンはそう言うと、そそくさと部屋を出て行ってしまう。どうしようもない状況であるため、それが最善の一手である事は言うまでもない。
「では、我らも行くとしようか。爺、アルベルト殿」
上機嫌のアルカディアがそう言うと、3人もティリオンの後を追うように部屋を出て行った。
その直後、ポポルが、
「あら~。バルさん~、こんな美女たちを~1人占め~?良いご身分ね~」
とバルバロットを揶揄い始める。
「馬鹿を言え。俺の目に、ユフィ以外の女が輝いて映る事などあり得ん。ましてやポポル、お前など女とも思わ――」
お互い酔っていたのだろう。
バルバロットが口を滑らせた所で爆発音が聞こえたのは、決して聞き間違いではなかった。
後ろから聞こえた爆発音も、ティリオンの「ほっとけ」の一言で片づけ、4人はある部屋の前まで辿り着く。
「ここが俺の息子の部屋だ」
その部屋の扉には、『ラグナ様のお部屋』と書かれた表札がぶら下がっていた。花やら星やらが彫り込まれた非常に可愛らしい一品である。
「な、なんじゃ?この自己顕示欲に満ち満ちた札は?ティリオン殿、そなたの息子は少々悪趣味なのではないか?」
「ああ、これか?これはな、メイド達がわざわざ作ってくれたんだとよ。どうやら俺の息子は俺に似て、女にモテルらしい」
その台詞から、アルカディアはラグナという王子が顔の整った美男子である可能性を見出す。正に王子様といった感じだろう、と。
(ソーマも負けてはいない!)
と、変な所で対抗心を燃やしてしまうアルカディアであったが、そんな彼女を他所にティリオンは扉を叩いた。
「ひゃう!は、はい!」
(――ん?)
しかし、返って来た声は頼りない少年の物であった。
アルカディアは先ほど構築したラグナ予想像を一旦崩して、再度組み立てようとする。
「ラグナ、俺だ。少し用があって来た。開けてくれ」
「父様!?わ、分かりました!少々お待ちください!」
ここまで聞き、アルカディアの中でラグナという人物の姿がもう一度形成される。
おそらく、ティリオンの息子と言うには幼い年齢のはずだ。未だ言葉も話せない娘もいるのだから、決しておかしな話ではない。
そして、高い可能性で美少年である。
使用人を虜にしてしまうという事実だけでなく、声の響きからそう判断した。
(これでは、立派な男であるソーマと争うこともないな)
などと、安堵とも残念とも取れる結論をアルカディアは導き出す。少しだけ勝ち誇った顔をティリオンに向けるが、彼は扉の方に目を向けているため、気付いてはくれなかった。
そして、その扉がゆっくりと開かれる。
「どうしたんですか、父様――わっ!」
続いて、急いで扉が閉められた。
流れるような展開に、アルカディアはラグナの姿を見逃し、ヴァルジは目を点にさせてしまう。しかし、ティリオンとアルベルトには予想通りだったのか、至って平然としていた。
少しの間が空き、再度扉が少しだけ開く。
「あの・・・父様・・・」
「どうした?」
ティリオンが発したその声を聞いて、アルカディアは少しばかり驚く。それは、彼が今まで発したどの言葉よりも優しさに満ち溢れていたからだ。
子煩悩か、とアルカディアは愉快に小さく笑った。
「知らない人が・・・います・・・」
「そうだな、知らない奴だ。だけど、安心しろ。こいつらは、帝国の皇帝とその執事だ」
「皇帝・・・様・・・?」
「そうだ。お前に用があるのは、この2人なんだ」
ティリオンにそう言われ、片方の金色の瞳がアルカディアとヴァルジを捉える。皇帝はそれを見つめ返し、執事は優しい笑顔が見えるように礼をした。
扉の隙間が、少しだけ狭くなる。
「ティリオン殿、ラグナ王子はどうしたのじゃ?折角の初顔合わせ。面と向かって挨拶がしたい」
アルカディアの当然の言葉に、ティリオンは少しだけ顔を顰める。
「悪いな、アルカディア。ラグナは人前が苦手でよ。特に初対面の相手となると、警戒しちまうんだわ」
父親からの呆れとも取れる台詞を聞き、扉の後ろでラグナは顔を俯かせた。
ただ、言うまでもなくティリオンにその気はない。アルカディア相手には真実を伝えても問題ない、と判断しただけであった。
それでも未だ自己不信から完全に抜け出せていないラグナにはそう聞こえ、アルカディアにも呆れられるだろうと唇をきつく結ぶ。
「なんじゃ。余と一緒じゃな」
「え・・・?」
しかし、アルカディアから予想外の事実を告げられたことにより、ラグナは伏せた顔を上げ、結んだ口を開いた。
「こ、皇帝様も・・・人前が苦手なんですか・・・?」
「うむ。大嫌いじゃ」
「で、ですが・・・この前は・・・堂々と・・・」
「式典の時か?それは・・・・・・なんでじゃろうな?」
この返答に、ティリオンだけが「ふっ」と笑う。
「もしかしたら、慣れてきておるのかもしれん」
「慣れ、ですか?」
「そうじゃ。余も幼い頃は人目を恐れた。衆目に晒されるなど、まっぴら御免じゃった。だが、爺と出会い、アルベルト殿と出会い、ティリオン殿と出会い、他の多くの者と出会い、余は少しずつ強くなっていったのかもしれん」
「強く・・・」
それは少年にとって、希望のようにも聞こえた。
「時に、ラグナ王子。お主、歳はいくつじゃ?」
「え?・・・14歳、です」
「なんじゃ。余よりも大分幼いではないか。安心せい。あと10年もすれば、余のように大勢の民の前でも堂々としていられよう」
「あれが堂々って態度かよ」
アルカディアの渾身の激励にティリオンが茶々を入れる。
息子を気遣う彼女の優しさが嬉しくて、思わず口を突いて出てしまっていた。別の言い方があるだろう、と思わなくもないが。
「う、うるさい!――とにかくじゃ!ラグナ王子!そのような事を悩まずとも良い!数をこなせば、どうとでもなる!」
照れ隠しの暴論ではあったが、実を言うとその結論はかつて父親であるティリオンからも教えられた事柄であった。
その時は「父様だから出来た」と判断したが、同じ性格のアルカディアから言われると、不思議と自分でも出来そうな気がしてくる。
「そうじゃ!今度、余の弟に会わせてやろう!経験にもなるし、お主と然程年も変わらぬから良い友になるであろう!」
「ほ、本当ですか?」
「ああ!それに、余の弟は次期皇帝じゃ!次期国王であるお主と今から顔合わせをしておけるなど、丁度良い機会というもの!」
その言葉に、ラグナは破顔する。
生まれて初めて出来る友達も嬉しかったが、何より現皇帝であるアルカディアが自分の事を『次期国王』と見なしてくれているのが嬉しかった。
「えへへ」
そこから零れた笑い声は廊下に立つ者達にも聞こえており、皆揃って笑みを作る。
「さ。そうとなったら、まずは余と顔を合わせてみよ。これも経験であるし、余もそろそろお主の顔が見たくなってきた」
先ほど見た金色の瞳。
あれには、数々の芸術品を見て来たアルカディアも惹かれていた。
2つ揃えばさらに美しい物となるだろう。
その期待を込めて、ラグナが出て来るのを待つ。
「は、はい!」
少年は決意の籠った返事をすると、ゆっくりと、しかし確実に扉を開けて行く。
そしてついに、その全貌を露わにした。
「ようやく『初めまして』じゃな。ラグナ王――子?」
最後の一言は、首を傾げながら発せられた。
城内では「どの王女よりも可愛い」だの、「黙れば美少女、喋れば美少年」だの言われているラグナであったが、アルカディアはその顔を見るのが初めてなのだ。
加えて、今ラグナは目を隠す程に長い前髪を髪留めで視界の邪魔にならないように纏めている。
つまりは、その女性的に整った顔立ちを余すところなく公開しているのだ。黄金の双眸も、眩いばかりにこちらを見つめて来る。
また、その愛らしさをさらに加速させているのが服装だ。
時間は夜。と言う事は、ラグナは当然寝間着を着用している。そう、フリルや花柄のついた可愛らしい一着を。
「のう、ティリオン殿・・・」
「ん?」
「余は、今まで誰と話しておったのじゃ・・・?」
「誰って、ラグナじゃねえか」
「ラグナとは、そなたの息子であるはずじゃよな・・・?」
「おう。どっからどう見ても、俺の可愛い息子だ」
そこまでで、アルカディアは一度深呼吸をする。
心を落ち着かせて、現状をしっかりと把握――いや、受け入れようと一所懸命に努めた。
「なるほど・・・。確かに、可愛い息子じゃ・・・」
とりあえず、本人を前にしての疑問や動揺は隠しておこうと思うアルカディアであった。
そんな彼女をラグナが不思議そうに見つめて来るのだが、その表情がこれまた愛らしく、思わず抱きしめたくなるような誘惑にかられる。
なるほど、メイド達が魅了される訳だ。
これは、ティリオンとは別の意味で国民に人気のある王になりそうだとアルカディアは思った。
「あの・・・皇帝様・・・?」
「ん!?――ああ、すまぬ。少しぼうっとしてしまった。とりあえず、自己紹介をさせてもらおう。余はアルカディア=ファース=ルドヘルム=ルクルティア。お主とは今後とも付き合いがあるじゃろうから、よろしく頼む」
そう言って、アルカディアは手を差し出した。
「は、はい!あ!ぼ、僕の名前は、ラグナ=オルジネイト=ヴァン=フォートレスと言います!よ、よろしくお願いします!」
ラグナもその手を握り返す。
「と、ところで、皇帝様・・・!」
「なんじゃ?」
「僕に用があると父様が言っていましたが、どのようなご用件でしょうか・・・!?」
「ああ。そうであった、そうであった。実はお主に翻訳してもらいたい文があるのじゃ」
「お手紙、ですか?」
「うむ。エルフ語で書かれておっての、我らでは読めなんだ。――爺」
「はい」
主に促され、ヴァルジがラグナの前まで歩み出る。
少しだけ肩を震わせたラグナであったが、執事の優しい笑顔を目にしたことで安心し、動揺の色はすぐに消えた。
そんな少年に向かって、片膝を付いたヴァルジは先程の手紙を恭しく差し出す。
「よろしくお願いいたします、ラグナ王子殿下」
「は、はい・・・」
ラグナはそれを両手で受け取った。
「あ、廊下で読むのも変ですから。ど、どうぞ、部屋の中に入ってください」
「ふむ。では、失礼するとするかの」
ラグナの提案にアルカディアが頷くと、全員そろって部屋の中に入って行く。
そこには少年の体と比べ幾分か大きいベッドや立派な机、そして数多くの本棚があった。
分野別に整理整頓されているが、収まりきらないのか、床に直接山積みされている物もある。知識の集合体であるそれらが総額でいくらなのか、王子であるラグナにとって気にするような事ではない。
しかし、それらよりも気になる物が山積みされており、ある一区画を占領していた。
「のう、ラグナよ・・・。あれらは、どうしたのじゃ・・・?」
アルカディアが指差す先、そこには大量のヌイグルミが置かれていた。動物やモンスターを可愛らしく象った物が多く、つぶらな瞳がこちらを見つめてきている。
あまり見慣れない光景に、アルカディアは軽い恐怖を覚えてしまった。
「あの子たちですか?メイドの皆がくれたんです」
「そうか・・・。メイドが、な・・・」
ここでアルカディアは、先ほどのティリオンの話を思い出す。
ティリオンはラグナの事を「女にモテる」と評したが、これはそういうものではないのではないか。惚れた男に対する行動と言うよりも、溺愛している娘や妹に対する行動と言っていい。
使用人の中でのラグナの立ち位置が、なんとなく分かってきたアルカディアであった。
「さすが、俺の息子だ。俺がお前くらいの時には、こんなにも多くの貢ぎ物を貰った記憶はないぜ」
「ほ、本当ですか!?実は、この服も貰ったんです!」
父親に褒められ、浮かれるラグナの顔は眩しい。
少年のことだ、贈り物を受け取る際にもこれくらいの笑みを浮かべるのだろう。もしこのような笑顔を見られるのならば、いくらでも貢いでしまいたくなるというものだ。
これは将来、恐ろしい国王が生まれるかもしれない。
そう考えるのは、果たしてアルカディアだけであろうか。
「国王、ラグナ王子。ご歓談はそこまでにして、手紙に話を戻しましょう」
話が脱線し続けるのを受け、アルベルトがそう声を掛けた。
「ああ、そうだったな。悪い、悪い。んじゃ、ラグナ。頼むわ」
「はい、父様」
そう言うと、ラグナは机に腰掛ける。
そして先ほど受け取った手紙を丁寧に広げると、そこに書かれてある文章に目を通した。
「えっと、『大陸中に散らばる全ての我が友に告げる。私はエルフ族の長、クロフェウ』。」
全く時間を掛けず、ラグナはエルフ語を翻訳して見せる。
だが、他の者はその事よりも手紙の内容に気を取られた。
「族長とな!?爺!お前、そのような者と友人じゃったのか!?」
「クロフェウですか。懐かしいですな」
「爺さん、何者だよ・・・」
「エルフの長が、ヴァルジ殿に出した手紙ですか・・・。一体、どのような事が書かれているのでしょう?」
最後に発せられたアルベルトの言葉は誰もが持つ疑問であり、ラグナが語る続きを待つ。
しかし、少年は黙ったままで、残り少ない文章をじっと見つめていた。
「どうした、ラグナ?」
その様子に違和感を覚えたティリオンが問い掛ける。父親の方に顔を向けたラグナは、少し困ったような表情をしていた。
「それが、父様・・・」
「読めないのか?」
「いえ、そうではありません。ただ、ちょっと・・・。もしかしたら、間違えて覚えちゃったのかな・・・?」
ラグナはあらゆる事に関する知識だけはあるが、それを実際に使用したことのあるものは少ない。
エルフ語もその中の1つであり、読み書きも話す事もできるが、エルフやエルフ語の使える人物に対して実践的に使用したことはなかった。
そのため、自分の知識が間違っている可能性がある事は常に考慮している。
これも、自分に自信のない事から生まれる思考であった。
「アルベルト。そこの本棚から、エルフ語の辞書を持って来て」
「畏まりました」
一応の意味も込めて、ラグナは辞書に頼る事を決める。その際に騎士団団長であるアルベルトを顎で使うあたり、少年が王子であることを伺わせた。
アルベルトもすかさず応対しているのを見るに、当たり前の事と感じているようだ。
「お持ちしました、ラグナ王子」
「うん、ありがとう」
アルベルトの手から辞書を受け取ると、ラグナは慣れた手つきで頁を捲った。
辞書を見て、手紙を見る。
それを複数回繰り返すと、本を畳んだ。
「うん・・・やっぱり間違ってないよね・・・」
「一体、どうしたってんだ?」
息子の慎重とも取れる行動を、ティリオンは訝しむ。
他の者も似た様な面持ちで、ラグナの事を見つめていた。
「すいません、父様。ちょっと信じられないような内容だったから、間違えちゃったのかと思いまして」
「ほお、一体どんな事が書かれてたんだ?」
勿体ぶったラグナの言い方に、最早待ちきれないといった感じでティリオンは問う。
「じゃあ、最初から言い直しますね」
そう言うと、ラグナは再び手紙に視線を落とした。
「『大陸中に散らばる全ての我が友に告げる。私はエルフ族の長、クロフェウ。』――」
そこまでが、先ほどラグナが翻訳した部分だ。
そして、ここからが少年が口にするのを躊躇った部分。
しかし、それも仕方のない事だと誰もが思うであろう。
ラグナが告げたその内容は、受け入れる上で、あまりにも真実味に欠けていたのだ。
「――『頼む。エルフ族全滅の危機に、力を貸して欲しい』」
それを聞き、すぐに言葉を発することが出来た者は誰もいなかった。




