end
出立の朝は運のない事に雨だった。雨合羽に身を包み荷馬車に運ぶ荷物の指示を出していく。今までなら雨の当たらない場所で準備を待つだけだったが、継承権のなくなった今は直接現場に出て指示を出していかなければならない。風邪を引こうが怪我をしようが全て自己責任だ。
「殿下」
「ルークか。どうした?」
振り返ると見慣れた黒髪の従者が立っていた。王都に残り補佐官の勉強を続けるルークともしばらく会うことはないだろう。
「僭越ながらお見送りに参りました」
「ああ、雨の中悪いな」
笑ってそう返すとポーカーフェイスなルークには珍しくギュッと眉を寄せて私を睨んだ。
「私を恨んでおられないのですか?」
「恨む?どうして」
「一番近くにいた私が貴方を正していればこんなことにはならなかった。それでも私は自分の私利私欲の為に動いたのです。恨まれても当然だと思っています」
ローズマリーのことだとすぐにわかった。確かにルークは俺を騙し俺の婚約者を手に入れた。だがあの時の俺はまわりが見えなくなるほどマリアンヌを愛していた。きっと止められたって聞く耳持たなかっただろう。
「誰も恨んでいないさ。確かにマリアンヌを好きになった代償はでかいが後悔はしていない。彼女のおかげで人を愛する気持ちや自分の未熟さを知ることが出来たんだ。ローズマリーだって、お前と結ばれた方がきっと幸せだろう」
「…はぁ、貴方は本当に馬鹿な人だ」
「なんだって?」
「いいえ。準備が終わったようですね。ほら、早く乗って下さい」
ルークにはぐらかされ部下達が待つ荷馬車に押し込まれる。雨だから馬車に乗る者と馬で移動する者を半数に分け交代しながら向かう予定になっている。荷馬車の中では荷物を詰めた狭い隙間に二人ほど乗り込んでいた。
「殿下、本当に後悔はないのですか?」
「なんだよ、さっきもそう言っただろう」
馬車の下からルークが話しかける。ルークにしてはしつこい聞き方だ。眉を寄せるとルークは相変わらずの憎たらしい真顔で俺を見上げている。
「初めから多くを持つ人間は、その持っているものの有り難みに気付かないものです。そして、失って初めて後悔する。人生はそう何度もやり直しがききませんよ」
「どういう意味だ?」
「自分でお考え下さい。では、ご健闘を祈っております」
ルークが離れたのを合図に馬車が動き出す。焦って馬車から身を乗り出して小さくなっていく姿をずっと眺めていた。しばらく会えないと思うとあんな奴でも寂しいものだ。
ルークの姿が見えなくなり馬車に体を戻す。雨合羽を着ていたにしてもビショビショだ。フードを下ろしてポケットに入れていたハンカチを取り出す。顔を拭こうとしてハンカチに刺繍された俺のイニシャルがほつれているのに気づく。濃紺の布地に金糸のイニシャル。王子が持つハンカチにしてはなかなか年季が入ったそれをぼんやりと眺めながらほつれた糸を撫で付ける。
「そのハンカチは?」
部下の一人が話しかけてきた。二人ともフードを被ったままなので顔はわからないが、これから辺境の地で共に働く仲なのだから気軽に話しかけてほしいと言いだしたのは俺だ。気を取り直して笑顔を向ける。指揮官の一番最初の仕事は部下との信頼関係を作ることだ!
「昔、ローズマリーに貰ったものなんだ。彼女はセンスが良かったから、貰ったものは未だに全部とってあるよ」
他にもペンやネクタイに本。本当に全て俺の好みのものだった。今思うと、それほど彼女が俺のことをよく見ていてくれたということかもしれない。
「殿下にとって、今でもローズマリー様はただの幼馴染みなのですか?」
「ああ、そうだな…」
フードからポタポタと雫の落ちる音がする。ゆっくりと大きくなっていく水の染みを見つめながら、初めて自分の感情に目を向けてみた。城を出て一人になったからこそ、素直に考えられた。
「少し前までは、そうだった。でも彼女を手離してからは、自分の一部が無くなったように落ち着かない気持ちが続いて、そして他の男の腕に居るのを見た時は激しく嫉妬した。全部自業自得なのに、狡い考えだよな」
ローズマリーを失った喪失感がマリアンヌを失った時よりも大きかった事に気づいてから、なるべくこの感情に目を向けないようにしていた。まったく、本当に薄情で狡い自分が嫌になる。
「でしたら、私も狡いですわね。こんな騙すような形で貴方の気持ちを確かめるなんて」
………。
気のせいか、隣の男の声が急に高くなりローズマリーの声に聞こえた気がする。
「…そんなわけないな。ローズマリーの話をしていたから幻聴が聞こえてきたようだ」
「幻聴ではございませんよ」
隣で話していた兵士が突然フードを脱いだ。そこから現れた顔に飛びそうになった意識を必死に捕まえる。
「ロ、ローザ!?」
美しい髪を三つ編みにし兵士服姿のローズマリーが強い眼差しで俺を見据えていた。夢でも幻でもない。彼女自身だ。
「殿下、最後にお聞きします。私を愛しているのなら、このまま私も連れて行って下さい。愛していないのなら、私はルークのもとに戻ります」
「な、何を言っている!帰るんだ。アルカナに君を連れて行くわけにはいかない。王位につけるかもわからない俺に着いてきたって何もいい事はないんだ。ルークと結婚した方が君は幸せになれる」
ローズマリーは一体何を考えているんだ。アルカナはまだ治安も良くないし贅沢な暮らしも出来ない。王位継承権だって今じゃ従兄弟のルークの方が上だ。どう考えたってローズマリーを連れて行くことなんて出来ない。
馬車を止める為に立ち上がろうとした俺の腕をローズマリーが掴んで引き止める。
「自分の幸せは自分で決めます。私は今、貴方が私を愛しているのかを聞いているのです」
強い眼差しから逃げることが出来ない。そんなことを言ってしまえば、きっと彼女の一生を台無しにしてしまう。愛していないと言えばいいだけだ。わかっているはずなのに、こんな時にルークの言葉が蘇る。
『人生はそう何度もやり直しがききませんよ』
ルーク、お前こうなることをわかっていたんだな。憎たらしい男の顔を思い出して、ため息みたいに笑みが溢れる。
「…今回の事で、俺がいかに馬鹿な男だかわかったと思う。それに、アルカナに行けば王妃とは違った苦労をすることにもなる。それでも、私について来てくれるのか?」
震える手を握りしめてローズマリーを真っ直ぐ見つめる。ローズマリーは化粧もドレスも着ていないけれど、今までで一番美しく微笑んだ。
「もちろん。それが私の幸せですもの」
その答えを聞いた瞬間、腕を伸ばしてローズマリーを力いっぱい抱きしめていた。
「ローザ、愛してる!やっぱり君を手離したのは間違いだった!」
雲の隙間から日が差した。いつの間にか止まっていた馬車のまわりで聞き耳を立てていた部下達がはやし立てる。皆やっぱり知っていたようだ。
ああ神様、俺は今、人生で一番正しい選択をした。
もともと短編予定のお話だったのでこれで終わりです。意外と反響あってびっくりしました。この終わり方じゃ納得いかない方もいらっしゃるかもしれませんが、私はこういうくっ付いたり離れたりのカップル嫌いじゃないです。
ルークが人気だったのでそのうちルーク視点のお話も書けたら書こうと思います。皆様その時までまた、お元気で。