2. ただの裏山です
午後、箒を侍従に預けた俺は、中庭の奥にある薪小屋へ案内された。
冬の手前の風が袖口を冷やし、割った木の甘い匂いを運んでくる。
薪の山の前に立つ大男が、斧の柄で地面をどんと叩いた。靴底から足首へ、音がびりっと伝わる。
「おれは四天王のゴルム。若様、ぜひ貴殿の腕を拝見したく参りました!」
太い黒の眉がぐっと持ち上がり、俺の頭より大きな手が差し出される。
敬語を浴びせられると、足の裏が落ち着かない。偉い人にそんなふうに呼ばれたら、まず俺のほうが頭を下げなくちゃ。
「こちらこそ、お世話になります! 薪なら、村で毎日割ってました!」
俺はその手を握るより先に膝をつき、土下座で挨拶した。
「若様! おれにではなく、薪へ向かっていただきたい!」
肩をつかまれたと思う間もなく、ゴルムの手が俺を軽々と引き起こす。
足元を確かめて顔を上げると、後継候補のザイラスが金縁の片眼鏡を直していた。
「せっかくですから勝負になさい。村の斧も用意してあります」
「働く勝負なら、ありがたいです! 割った薪は、どこへ積めばいいですか?」
薪小屋の入口には使用人が並び、奥の空っぽの棚には薄い日が差している。あそこを埋めれば、少しは役に立てそうだ。
「まずは割ってごらんなさい。運ぶ相談は、その後です」
ザイラスは薪の山から節の多いものばかりを選び、ゴルムと俺の足元へ置いた。
どれも枝の根元がこぶみたいに盛り上がり、木目がぐにゃりと曲がっている。
「同じ薪です。村の道具では歯も立たないでしょうが、条件は公平ですよ」
片眼鏡の奥の目だけが、ほんの少し笑っていた。
「がはは! 節など、この斧で叩き割ってみせましょう!」
ゴルムが俺の背丈ほどもある斧を肩へ担ぎ上げる。刃が傾くたび、薪小屋の壁に落ちる影まで揺れる。
俺の手には、村で使っていたのと同じくらいの重さの斧が渡された。手のひらに重みが収まると、ようやく肩の力が抜ける。これなら、何をすればいいか分かる。
「剛腕様、そこ、節の真上ですけど……」
「若様、おれの腕を見届けてくだされ!」
振り下ろされた刃は、鈍い音を立てて節で止まり、薪を台ごと地面へ押しつける。
大男が腰を落とし、うなって引いても、節の周りはぴくりとも口を開かなかった。
「……なるほど。これは、なかなかの薪ですな」
「剛腕殿でも割れぬ薪です。村の小僧には、なおさらでしょうね」
「木目は、こっちへ逃げてます。刃も、そっちへ置いてみますね」
俺が台の上で薪を回すと、離れた回廊でブリーナが足を止める。
白銀の直髪の参謀が目を向けたのは、俺の顔ではなく、節だった。
「その細い斧で何をするのです? 言い訳の支度ですか?」
ザイラスに答えようと、俺は薪の節のない側を指さす。
「ここの線に沿って割ります。力を足すより、刃を当てる所を替えるんです」
使用人の手が棚の前で止まり、ゴルムも薪から斧を引き抜いた。
節を避けて木目に沿わせれば、俺の村の斧でも薪は割れる。
柄を握り直し、息を吐いて、俺は木目へ一振り、刃を落とした。
乾いた音とともに薪がぱかりと開く。白い内側に日が当たり、鼻先へ新しい木の匂いがふわっと広がる。
「太刀筋が陛下と同じだ! 〈岩竜の鱗をも断つ太刀筋〉だ!」
ゴルムが斧を投げ出し、俺の前で地響きを立てて膝をついた。
使用人たちは、薪より先に大男の膝を見てぽかんとしている。俺も、割れた薪とゴルムの顔を見比べるしかない。
「若様、その太刀筋はどこで!」
「いや、裏山で……」
ゴルムは跳ねるように顔を上げ、まっすぐ俺を見つめた。
「裏山! 伝説の修行場か!」
「ただの裏山です!」
割った薪は、俺の靴の前に転がったままだ。あれを拾って棚へ積めば、それで終わりのはずなのに。
「そこでこの所作を! 険しい山で腕を磨かれたのですな!」
「薪を取りに行く山ですよ? 斧と背負い籠を持って登るだけなんです」
「籠まで背負って! 毎日の鍛錬を欠かさぬとは!」
「持って帰らないと、母さんが煮込みを作れないんで……」
ブリーナが薪のそばにしゃがみ、割れた面を指でそっとたどる。
その指は、節を避けた線の上でぴたりと止まった。その動きを追うと、俺の息まで落ち着いてくる。
「刃は、節の脇を通ったのね」
「はい。そこなら、斧が途中でつかえないんです」
ゴルムが、彼女の指す割れ目へ眉がくっつくほど顔を寄せる。見つめる顔は大まじめで、俺は口を挟む間をつかめない。
「深く読まれた一振り! おれの斧は、まだ粗い!」
「粗くないです! 節にさえ当てなきゃ、剛腕様のほうがずっと速く割れます!」
ザイラスの口元から、すうっと笑いが消えた。
「偶然です。次の薪なら、同じようにはいきません」
「ならば、次も見届けましょう! 若様、もう一本!」
左眉の跳ねに木屑が付いていて、俺が手で払うと、ゴルムまで一緒に頭を下げる。
「若様、ぜひおれにその修行をご教示くだされ!」
「違います」
ゴルムは立ち上がり、割った薪を両手で大事そうに持ち上げた。
薪の先が鼻に触れそうなほど、顔と木が近い。
「ご自身の腕まで控えて言われるとは。武を誇らぬ方だ」
「いや、それ、うちの村では普通で……」
「若様の薪割りは、陛下直伝の〈王の剣〉の修行なのですな!」
いっそう深い礼をされて、俺は斧を脇に置き、慌てて土下座で返した。
「教えるなら、薪の割り方です! 剣なんて、持ったこともありません!」
顔を上げた俺へ、中庭を横切るグラウスが、ふさふさの白髭の上から片目をつぶってみせる。
魔王は何も言わず、のんびりした鼻歌とともに薪小屋の前を通り過ぎた。
「陛下が笑っておられる! その慎みも学びます! 今後は、節をよく見ましょう!」
ゴルムにまた軽々と引き起こされた俺の横で、ブリーナは木片を裏返す。
断面を見比べた彼女は、割れ目が合うように、元の位置へ静かに重ねた。
「残りも、ここへ積めばいいですか? 俺、まだ働けます!」
「若様には、割る方を。運ぶ腕なら、ほかにもありましょう」
棚まで続く道は、ザイラスの足元だけがぽっかり空いている。
ゴルムが、ザイラスの胸元へ薪の束をずいと押し出した。
「何をしているのです? 私は判定を」
「結果はご覧のとおり。こちらを棚までお運びくだされ!」
「後継候補の私に、薪運びをさせると!?」
「薪は、運ぶ者の身分を選びませぬ!」
使用人たちの目が、空の棚と片眼鏡のあいだを行ったり来たりする。
ザイラスは差し出された薪を受け取り、胸の前へぎこちなく抱えた。
「俺が運びますよ! 積む場所も、もう分かりましたから」
「それはそちらの分です。若様は次の薪をお願いいたします」
ゴルムの指は、もう新しい薪の木目を探している。
村では、薪が割れるのは当たり前で、誰も手を叩いたりしない。ここでも同じつもりなのに、薪より俺のほうを見られている。
だから柄を握り直した手のひらが、妙にむずがゆかった。
ザイラスは棚へ向かう途中、抱えた薪越しに、通りがかった侍従を呼び止める。
ザイラスが口を開く前にゴルムは背を向け、使用人だけがその顔を見ていた。
「その小僧、偽物だ」




