十三話-果たして
橋の欄干に足をかけたとき、
暗闇の中、燃える光が大きな音を鳴らして橋の下の河原で爆ぜた。
それは辺り一帯を照らして、爆風を生んだ。
鮮烈な光景だった。
キラキラと視界が潤んだ。
腕の中の赤ん坊の目に映る光が、パチパチと輝いていた。
夜空を見上げると、ノイズのような音を立てながら流れ星のような光がいくつも飛んでいた。
命をもらった気がした。
◇◇◇
尖ったくちばしのような口先。
鳥の翼や尾羽のように扇形に広がる鰭。
顔の下には数本のトゲのような突起が生えている。
濃いオレンジ色が少し透ける体は、両手に乗りそうな大きさだ。
勝手に"ダイダイ"と名付けた、可愛らしい妖精類。
あの日、橋の下で爆ぜて光っていた。
空から落ちてきたのに平然と生きていた姿は、まさに妖精か何か、神々しい存在に見えた。
ダイダイは、初めて出会った橋の辺りや、わたしの住むアパートの周辺にいるようだった。
赤ん坊はダイダイを見ると喜んで、声を出して手を伸ばした。
ダイダイは不思議とよくわたしたちの目の前に現れるけれど、こちらから近づこうとすると、いつもどこかへ飛んでいってしまう。
昨日は会えなかった、今日は会えた、そんな日を繰り返した。
「見て、ダイダイいるよ。」
お昼前。赤ん坊を抱いて散歩に出ると、草の茂る空き地の大きな石の上にダイダイがいた。
少し近づいたところで歩みを止め、日傘を置いて、赤ん坊を抱き直し、ダイダイの方へ向かせた。
赤ん坊は「あー。」「うー。」と、手をパタパタさせる。
太陽の光を受けたダイダイは、キラキラと内側から輝いていた。
「ダイダイ、可愛いね。綺麗なオレンジ色だね。」
ダイダイは石の上から下りると、リスのように機敏に動いては止まり、動いては止まり、警戒しながら、道に沿って少し先の林のほうへ泳いでいった。
愛嬌のある泳ぎ方が可愛くて、つい笑ってしまう。
赤ん坊をまた抱き直して、日傘を拾い、わたしは林のほうへついていくことにした。
「ダイダイ、どこに行ったかな?」
林の横の道は日陰になっていて、涼しい。
草が茂る木立の中に、そこだけ草が踏み均され、入り口のように開けた場所があった。
日傘を閉じ、一歩だけ踏み込んで林の中を覗いてみる。
林の中は、外から見た印象ほど暗くはなかった。
少し開けた場所に背の高い木があり、その枝に鮮やかなオレンジ色が見えた。
「ダイダイいた。ダイダイいたよ。ほらあそこ。」
指さして赤ん坊に教えると、赤ん坊もダイダイを見て「だーだ。」と声を出した。
「そう、だーだ。呼べるね。」
ダイダイは木の高いところで口を丸く開けて空を見上げていた。
「なにしてるんだろうね……? 欠伸かな。」
ゆるく夏の風が吹いている。
ダイダイの様子を、わたしはボーっと眺めていた。
赤ん坊は飽きたのか、地面の草へ強く手を伸ばそうとするから、腕がジンジンとしてくる。
穏やかな空気が、妙にヒリヒリと感じられた。
林の中に入り込んで、この時間にずっと閉じ込められればいいのに。
そんなファンタジーがあればいいのにと思った。
例えばあの妖精類のように。
ただ生きているだけでいいなら良いのに。
携帯端末の通知音が鳴った。
「……さ、もう少しグルっと歩こうね。」
林から体を退いて、道へ戻った。
◇◇◇
心に臓器があるんじゃないかと思った。
だってひどく重くもたれるから。
血管が震えてるんじゃないかと思った。
だって体中の血が浮いて抜けていきそうだから。
◇◇◇
部屋の窓から、用水路の縁に止まるダイダイが見えた。
「だーだいるよ。用水路の所にいる。」
寝転がってメリーで遊んでいた赤ん坊を抱き上げて、窓越しに見せた。
ダイダイが一瞬こちらを見たような気がした。
赤ん坊は「だーだ!」と呼び、その小さな手で窓を叩いた。
窓を開けると、冷房の効いた部屋に夏の熱気がムワッと入り込んできた。
「わぁ、暑いね。
だーだはこの暑さでも大丈夫なんだね。
妖精類の体って、温かいのかな、ヒンヤリしてるのかな。」
キラキラと光るオレンジの体は、ヒンヤリしてるようには見えなかった。
ダイダイが燃えるように落ちてきた夜のことを思い出した。
「だーだの体は、熱いかもね。」
ダイダイがピッと顔をこちらへ向けたので、赤ん坊はキャッキャと手を叩いて喜んだ。
それに驚いてか、ダイダイは飛び出すようにどこかへ泳いでいってしまった。
◇◇◇
橋の上を歩きながら見た夏の花火大会は、賑やかで幸せだった。
わたしも花火になれたらいいのに。
火薬が無い、空っぽの玉だ。
◇◇◇
赤ん坊は、夜空を点滅しながら飛んでいく飛行機を無邪気に見ている。
外灯に少しだけ照らされた、暗い橋の上。
ここでもらった気がした命は、生きるのに使い果たしてしまった。
「ごめんね。」
橋の欄干に足をかけたとき、
ふいに、赤ん坊が声を上げた。
少し離れた橋の欄干に、ゆっくりと舞い降りた妖精類がいた。
ダイダイだった。
暗闇のなかで、内側から燃えるように輝いている。
いつもならすぐに逃げてしまうダイダイが、しばらくこちらを見ていた。
「ダイダイ。」
呼んだその瞬間、たくさんのオレンジ色の光が、後ろから空へ向かって飛んで行った。
それは大きな音を立て、風を巻き起こした。
ダイダイによく似た妖精類たちだった。
ダイダイはその仲間についていくように、跳ねるように空へ飛び上がった。
「ダイダイ、どこへ行くの。」
たくさんの光がどんどん小さな点になって、見えなくなる。
その数十秒後、いくつもの強い光を放つ流れ星が銘々に空に線を描いた。
あの日の夜と同じだった。
細い光の筋が、ノイズのような音とともにひときわ明るく輝いたかと思うと、あっという間に小さくなって消えてしまう。
ダイダイは、もう戻ってこない気がした。
おいでと言ったのか、さようならと言ったのか。
空へ飛び上がっていく姿が目に焼き付いている。
欄干から足を戻した。
「逃げてもいいのかな。」
そんな未来があるなら、ファンタジーみたいだと思った。
◇◇◇
水曜日の夕方。
隣の公園のセミが淋しげに鳴いている。
あたしはいつものように博士の研究所に来ていた。
いつもはあたしに読ませるための妖精類の資料が家のあちこちに仕掛けられているのに、今日は何も置いていない。
あたしは大人しく博士のいるいつものテーブルに来た。
「博士、それは何を読んでるの?」
「君のお祖父さんが研究していた、妖怪と妖精類の類似性について、私も改めて調べてみようと思ってね。」
テーブルの上には妖怪についての民俗学的な資料と、どう考えてここに集めたのか、関連が分からない本が置いてあった。
「"火球と隕石"って、妖怪じゃなくない?」
「ああこれは、そういう自然現象が妖怪による怪奇現象だと云われるようになったからだよ。
こういうのが、妖精類の生態に関係するんだ。」
勝手に資料をペラペラと捲ってみる。
博士は何も言わず、自分の手元の物を読んでいる。
家の中に何も読み物を置かなきゃあたしがここに来ちゃうのをわかっていただろうに、このテーブルにだけこんなに置いちゃうなんて。
ふぅん? と、あたしはニヤっとなった。
「大きい流れ星が火球で、地上に落ちたのが隕石?」
「そう。そして火球は天狗の仕業とも云われていたんだ。」
傍らの板状タブレットには、天狗について書かれたページが表示されている。
それを読んでいると、博士が「この妖精類。」と、1枚の写真をあたしに手渡した。
「"恐科テング属悪型亜属ウミテング種"。
妖精類の死に方というのは種によって様々でね。
未だあまり解明されていないけれど、このウミテング種についてはある程度分かっているんだ。」
天狗の鼻のように口先が長い妖精類。
オレンジ色の体は宝石のような透明感があってなんとも綺麗だ。
天狗みたいって言ったら可愛いイメージは全くないだろうけど、愛嬌のある姿でとても可愛らしくて、好きだなーってあたしは思った。
「このウミテング種が、どう死んじゃうの?」
あたしは勝手に、妖精類たちは寿命がきてヘナヘナと力尽きて、あの半透明の体がどんどん透明になって、空気に消えていくんだと思ってた。
博士はテーブルの上の『流星現象の観測と解析』を開き、パラパラとページを捲った。
「ウミテング種は、火球のように光りながら空へ飛び、燃え尽きて死ぬんだ。
燃え尽きなかったものは、隕石のように地上に落ちてくる。
仲間と何度かウミテング種の観測に行ったよ。
1匹だったり、集団だったりで空へ飛び上がっていった。
何をきっかけにこの行動をするのかはまだ分かってはいないけれどね。」
火球の写真のあるページを開いて、博士は上から下へ指を動かして隕石が落ちてくる様子を表した。
「ねぇ博士。もしかして、ウミテング種は宇宙に行こうとして、途中で燃え尽きて死んじゃうのかな?
レミングの大移動みたいな。」
「レミングはみんな死ぬわけじゃないからその例えは微妙なところだけど……なるほど、ウミテング種たちが宇宙を目指しているというのは面白い仮説だね。」
でもそっかと、あたしは悩む。
元気な流れ星かと思ったらウミテング種の死ぬ時の光だなんて。
間違えて願掛けしちゃいそう。
「あれ……でも、もしかして、博士?
妖精類って感情の生き物なんだよね? ウミテング種は流れ星になろうとしてるのかもよ? 誰かの願いを叶えたくて、流れ星になろうとしてるのかも。」
「良い想像だ。もしそうなら、ウミテング種はとても健気だね。
ただ、妖精類は確かに他の生き物の感情の影響を受ける生き物だけれど……基本的には他の生き物のために何かをしてあげようという感情は無いんだ。
あるとすると、そういう感情を持つ別の種の妖精類になる。
ウミテング種は恐科テング属悪型亜属だから、恐れから燃え尽きて死ぬか地上に戻るかを選択している。
偶然生き残っているのではなくて、選び取って地上に落ちているんだ。
そしてその恐れが何なのか……そこはまだ分かってない。」
「なぁんだ。」と気が抜けたあたしは、重力任せにソファに座った。
ウミテング種は何をそんなに恐れているんだろうって、能天気に生きてるあたしは何か見落としながら生きてるんじゃないかなって、自分の中に漠然とした足りなさを感じてふと怖くなった。
「……。
君のお祖母さんがこの前、有名店の羊羹をくれたよ。
一緒に食べようか。」
「え! ほんとに! 羊羹大好き!」




