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第30話:黄金の代価と、新しい家族

僕が「治してあげる」と告げた瞬間、市場の時間は、止まったように感じられた。

金貨の山を前に呆然としていた商人たち、僕の行動に度肝を抜かれた野次馬たち、そして、絶望の淵から引き上げられたエルフの少女、ライラ。その全ての視線が、僕一人に注がれていた。


「へ、へへ…」


最初に我に返ったのは、商人たちのリーダー格の男だった。彼は、下卑た笑みを浮かべ、金貨が詰まった革袋に手を伸ばそうとする。

「ありがてえ! さすがは聖者様だ! 話が分かる!」


だが、その手が革袋に触れるより早く、銀色の閃光が走った。

リナが、音もなく僕の前に立ち、その鞘に収まったままの愛剣『刹那』の柄で、商人の手を打ち据えていたのだ。


「ぎゃんっ!」

「勘違いするな、下衆が」


リナの、絶対零度の声が響く。

「カイ殿は、お前たちの言い値で買うと仰った。金貨3000枚。それ以上でも、それ以下でもない」

彼女は、溢れ出た金貨の山から、驚くほど正確に3000枚を数え上げると、それを商人たちの足元にばら撒いた。そして、残りの金貨が入った革袋を、何でもないように僕に返す。その一連の動きは、あまりにも洗練され、そしてあまりにも威圧的で、商人たちは何も言い返すことができなかった。


「さあ、檻の鍵を渡せ」

リナに睨まれ、商人たちは慌てて鍵を差し出すと、這うようにしてその場から逃げ去っていった。


鍵を受け取ったライラが、震える手で檻を開ける。彼女は、衰弱した相棒――グリフォンのゲイルの元へと駆け寄った。

「ゲイル…! ごめんね、ごめんね…!」

涙を流しながら、ゲイルの汚れた黄金の羽を撫でるライラ。ゲイルは、弱々しく一声鳴くと、主の手に、その大きな頭をすり寄せた。


さて、問題は、この巨体をどうやって僕の家まで運ぶか、だ。

「カイ様。ギルドに連絡し、大型の荷馬車を手配いたしましょう」

セレスティーティーナの提案は、もっともだった。だが、衰弱したグリフォンを、街中で荷馬車に乗せて運ぶのは、あまりにも目立ちすぎるし、彼自身の負担にもなるだろう。


僕は、檻のそばに落ちていた、掌ほどの大きさの石ころを拾い上げた。

そして、創成魔法を発動させる。石は、僕の手の中で形を変え、美しい木の葉の形をした、緑色のブローチへと変わった。僕は、そこに、精神を安定させ、苦痛を和らげる効果のある、穏やかな魔力を付与した。


「ライラさん。これを、ゲイルの首元につけてあげてください。少しだけ、楽になるはずです」

僕がそう言うと、ライラは戸惑いながらも、ブローチを受け取り、ゲイルの首の付け根にある羽毛の間へと、そっと差し込んだ。

すると、ゲイルの荒かった呼吸が、少しずつ、穏やかになっていく。その虚ろだった瞳に、かすかに理性の光が戻った。彼は、僕の方をじっと見つめ、そして、小さく、感謝を告げるように鳴いた。


「…すごい。ゲイルが、落ち着いてる…」

ライラの驚きの声。

こうして僕たちは、少しだけ落ち着きを取り戻した巨大なグリフォンを連れて、人々の注目を浴びながら、我が家へと帰還した。



家に到着すると、僕たちは、ゲイルを広い庭の一角に、そっと休ませた。僕が創り出した、魔力に満ちた芝生と、清らかな小川は、彼が療養するには、最高の環境だろう。


家の中に招き入れたライラは、ずっと縮こまっていた。僕と、リナと、セレスティーナ。この家の住人が、全員、フロンティアでは伝説級の有名人であることに、彼女は道中で気づいたのだろう。そして、自分の相棒のために、そんな彼らが、とんでもない大金を支払ってくれた。その事実が、彼女を萎縮させていた。

やがて、彼女は意を決したように、僕の前に進み出ると、その場で膝をつこうとした。

「あの、カイ様…! このご恩は、一生をかけて…!」


「はい、ストップ。そういうのは、もう間に合ってますから」

僕は、リナとセレスティーナがやった時と同じように、彼女の言葉を遮った。そして、セレスティーナが淹れてくれた温かいハーブティーを、彼女の手に握らせる。

「まずは、ゆっくり休んでください。ゲイルのことは、僕に任せて」


僕の言葉に、彼女は、涙で潤んだ緑色の瞳で、こくりと頷いた。


そして、いよいよ、治療の時間だ。

僕たちは、庭で横たわるゲイルの元へと集まった。

僕は、その巨大なライオンの胴体に、そっと両手を置く。そして、創成魔法の意識を、彼の体内の隅々まで行き渡らせた。


(なるほど…これは、巧妙な毒だ)


僕の脳裏に、毒の正体が映し出される。それは、単一の毒ではない。何種類もの魔力阻害因子を組み合わせ、神経伝達を麻痺させ、魔力循環を滞らせる、極めて複雑な「魔力性タンパク質複合体」だった。並大抵の解毒魔法や薬草では、到底、分解できないだろう。


(だが、その結合は、根本的に不安定だ)


僕の目には、その複雑な毒の、構造的な弱点が見えていた。

僕は、解毒剤を「創る」ことにした。彼の体内で、だ。

僕は、ゲイルの血液中に存在する微量な金属元素と、彼の体内の魔力を触媒にして、毒の複合体だけを標的にして、その結合を無力化する、新しい「酵素」を創り出す。

それは、外科手術よりも、ずっと精密で、高度な、生命そのものへの干渉だった。


僕の手から、生命の色を思わせる、穏やかな緑色の光が、ゲイルの体へと流れ込んでいく。

ゲイルの体が、一度、大きく痙攣した。

次の瞬間、彼の全身の羽毛の根元から、汗のように、黒く、粘り気のある液体が滲み出し始めた。それが、僕が創り出した酵素によって、無力化され、体外へと排出されていく毒の残骸だ。黒い液体は、空気に触れた瞬間、サラサラとした黒い砂となって、地面に落ちていった。


数分後、毒は、一滴残らず、ゲイルの体から排出された。

彼の呼吸は、深く、力強いものに変わる。色褪せていた黄金の羽は、陽光を反射し、本来のまばゆい輝きを取り戻し始めた。濁っていた瞳は、天空の支配者にふさわしい、鋭く、そして知性的な輝きを宿していた。


グルルル…、と喉を鳴らし、ゲイルはゆっくりと身を起こした。そして、僕の手に、その大きな鷲の頭を、そっと擦り付けてきた。それは、絶対的な感謝と、そして、魂のレベルでの、主従の誓いの証だった。


「ゲイル…! よかった…本当によかった…!」


ライラは、完全に回復した相棒の首に抱きつき、声を上げて泣いていた。

リナとセレスティーナは、その光景を、優しい眼差しで見守っている。僕がまた一つ、常識外れの奇跡を起こしたことには、もはや驚きもしないようだった。


僕は、ゲイルの頭を優しく撫でながら、静かに言った。

「よし、これで大丈夫。あとは、栄養のあるものをたくさん食べれば、すぐに元気になりますよ」


ライラは、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げると、僕を、リナやセレスティーナと同じ、熱い、信仰にも似た眼差しで見つめていた。


こうして、僕の家には、三人目の同居人(?)と、一頭の伝説の魔獣が、新たに加わることになった。

僕の、騒がしくも穏やかなスローライフは、また一つ、新しい家族を迎えて、その彩りを増していく。

僕がただ、市場にナイフを試しに行っただけだというのに。人生とは、本当に、何が起こるか分からないものだ。

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