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第13話:聖女の誓いと、遠のく平穏

「掃除しただけ」という僕の言葉は、熱狂した群衆の耳には届かなかったらしい。

「英雄だ!」「聖者様だ!」「フロンティアの救世主!」

感謝と称賛の波が、津波のように僕に押し寄せる。人々は僕に触れようと手を伸ばし、中にはその場で祈りを捧げ始める者までいた。


(う、うわぁ…どうしよう、これ…)


人々の善意は分かる。分かるが、僕にとってこの状況は、ゴーレムとの戦闘よりも遥かに恐ろしかった。人々の期待と注目が、重い鎖のように僕に絡みついてくる。


「カイ殿、こちらへ!」


僕が人波に呑まれて溺れかける寸前、リナが僕の手を掴み、力強く引き寄せた。彼女は、まるで熟練の船頭が荒波を乗りこなすように、巧みに人々の間を抜け、僕を安全な場所へと誘導していく。その背中が、今はとても頼もしく見えた。


僕たちがなんとか群衆から抜け出そうとした時、人垣をかき分けて、聖女セレスティーナが追いついてきた。その顔には、先ほどまでの疲労ではなく、神々しいまでの決意が浮かんでいる。


「お、お待ちください、カイ様!」


カイ様!?

いつの間にか、僕の呼称がランクアップしていた。様付けで呼ばれることなど、人生で一度もない。


「先ほどの奇跡、改めて御礼申し上げます。あなた様は、このフロンティア、いえ、この国にとっての希望の光です。どうか、このまま行かせないでください。お話が、あります」


彼女の必死の訴えに、僕たちが足を止めていると、今度はギルドマスターのドルガンさんが、数人の屈強な冒険者を連れて現れた。彼は、この騒ぎを収拾しに来てくれたらしかった。


「カイ君、無事か! とんでもないことをしてくれたな! とにかく、ここじゃ話にならん。もう一度、ギルドの執務室に来てくれ」


こうして僕は、半ば強制的に、再びギルドマスターの執務室へと連行されることになった。



執務室には、僕とリナ、そしてセレスティーナとドルガンさんがいた。ポーション先生も、後から息を切らして駆け込んできた。


席に着くなり、セレスティーナは姿勢を正し、改めて僕に深く頭を下げた。

「カイ様。先ほど、あなたはあの一帯を『掃除した』と仰いました。ですが、あれは断じてそのようなものではありません。私が『浄化の奇跡』と呼ぶ、聖なる御業です」


彼女は、専門家としての見地から、僕が行ったことの異常さを語り始めた。

「あの“枯れ病”は、強力な魔力を帯びた菌類による、一種の呪的汚染でした。私は、治癒魔法で患者一人一人の体内の菌を滅することはできても、環境そのものに蔓延した汚染を浄化する力はありませんでした。ですが、あなたは、あの地区全体の地下水脈と大気、その全てを、たった一人で、しかもほんのわずかな時間で、完全に浄化してみせた。それは、我が教会に伝わる伝説の中で、建国の聖人たちが行ったとされる『国土創造』の御業に等しいのです」


セレスティーナの言葉は、熱を帯びていた。彼女は、僕を宗教的な奇跡の体現者として、心から信じているようだった。


「カイ君」と、ドルガンさんも続く。「君は、この街を救った。フロンティアの住民全てが、君に感謝している。君は、もうただのFランク冒険者じゃない。この街の英雄だ」


僕は、そのあまりにも重すぎる称号に、ただただ縮こまるばかりだった。

「いえ、ですから、本当に大したことでは…」


僕がいつものように謙遜すると、セレスティーナは静かに首を振った。そして、彼女は意を決したように、椅子から立つと僕の前に進み出た。その行動は、数日前にリナがしたことと、全く同じだった。

彼女は、その場でためらいなく膝をつき、祈りを捧げるように両手を組んだ。


「カイ様。どうか、私をあなたの側に置いてください」

「ええっ!?」

「私は、聖女として、あなたのその御業を、そのご存在を、すぐそばで見届け、記録し、後世に正しく伝える義務があります。そして、私の持つささやかな治癒の力で、あなたの御身をお守りしたいのです」


聖女による、事実上の臣従の誓い。デジャヴュを感じる光景に、僕の隣にいたリナの眉が、ぴくりと動いた。


「お待ちください、聖女殿」


リナが、冷ややかな声で制した。

「カイ殿は、静かな生活を望んでおられます。あなたが側にいれば、教会の目も光ることになり、かえってカイ殿の平穏が乱されるのではありませんか?」


それは、僕を案じる、護衛騎士としての純粋な懸念だった。

だが、セレスティーナも引き下がらなかった。

「いいえ、逆です。カイ様は、もはやご自身が望むと望まざるとに関わらず、平穏ではいられません。そのお力を聞きつけて、やがて国中から、いえ、世界中から、救いを求める人々、あるいはその力を利用しようとする悪意ある者たちが、この街に殺到するでしょう。そうなった時、一個人の力で彼らを捌くのは不可能です。ですが、教会という公的な権威を持つ私が間に入ることで、カイ様への理不尽な要求を退ける『盾』となることができるのです」


彼女の言葉には、完璧な説得力があった。僕が望むスローライフを守るためには、皮肉にも、聖女という権威の助けが必要になる、と。


「カイ君、聖女殿の言う通りだ」と、ドルガンさんも頷く。「君は、もう昨日の君じゃない。良くも悪くも、有名人になってしまったんだ。その自覚を持つべきだ」


僕は、完全に追い詰められていた。

片や、僕を物理的な脅威から守ると誓う最強の剣士。

片や、僕を社会的な面倒から守ると申し出る聖女。

どちらの申し出も、今の僕にとっては、断る理由よりも受け入れる利点の方が大きいように思えた。


「……はぁ」


僕の口から、今日一番深いため息が漏れた。

「…分かりました。僕でよければ。よろしくお願いします、セレスティーナさん」


僕が観念してそう言うと、セレスティーナは顔を上げ、心からの安堵と喜びに満ちた、聖女の名にふさわしい微笑みを浮かべた。


こうして、僕のパーティ(と呼んでいいのか分からないが)に、二人目の仲間が加わった。

僕の望みは、ただ、庭付きの家で、静かに家庭菜園を営むことだったはずだ。

それなのに、僕の側にはいつの間にか、国を代表するような剣士と聖女が、護衛として控えている。


執務室を出て、三人で家路につく。

僕を中央に、右にリナ、左にセレスティーナ。まるで、どこかの国の王族の行列のようだった。

道行く人々が、畏敬の念を込めて僕たちに道を開ける。


僕のスローライフは、一体、どこへ向かっているのだろうか。

頭を抱える僕の耳に、二人のひそひそ声が聞こえてきた。


「…というわけで、カイ様の護衛は、私が担当します」

「いいえ、物理的な戦闘は私の役目です。あなたは、カイ様の健康管理と、来客の対応をお願いします」

「それも私の務めですが、カイ様の神聖な御身に害虫が寄り付かぬよう、四六時中、聖なる結界を張っておくべきです」

「む…それもそうですね…」


僕のあずかり知らぬところで、僕の日常のスケジュールと警備体制が、着々と固められていく。

僕がただ、静かに暮らしたいだけだというのに。その道のりは、果てしなく遠いように思われた。

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