第四章八話「実らない」
「うわぁー。いい眺めなのー」
宿の一室に通されたクリスが大きな窓に駆け寄った。
「見晴らしがいいね。小さな村なのに、よく用意したもんだ」
「わざわざ引き留めてきただけはありますわ。満足ですわ」
クリスの背中越しに窓の外に広がる光景を見て、サンとイオアネスも感嘆をこぼす。
宿は村の外れにある高台に作られていた。規模は大きくなく二階建てなのだが、元々高台なだけあって見晴らしのよい景色が窓の外に広がっている。
純粋な建物の高さで言えばもちろん王宮のほうが高く、王宮からの景色を見慣れているはずのイオアネスが満足しているのはすぐ近くにある湖が窓の外から一望できるからだ。
「そうね。窓の外はいいんだけど……この床は何?」
子供のように喜ぶクリスに微笑んでから、キテラは自分の足元を指差して眉を寄せる。
常に魔導書と睨みっこをしていてそれなりに博識であるキテラでも知らない床。乾燥した草を編んで作られたような板を木板の上に敷き詰めているようだが、今までの人生でそんな建築方法に遭遇したことはない。
建物に入る際に靴を脱げと言われた。土足禁止という話だったが普通の家なら靴を脱ぐのはベッドの上だけだ。少なくともキテラたちは水浴び以外で靴を脱いだのはとても久しぶりだった。
何から何まで自分の常識とは離れた建物。キテラは警戒心を強くしていた。
「なんだか変なにおいがするの。でも嫌いじゃないの」
「嗅いだことのないにおいだ。イオ様は知ってますか?」
「いえ、わたくしもはじめてですわ」
キテラのように警戒を強めてはいないが、クリスやサン、イオアネスもまた見慣れぬ建築に首を傾げていた。
「これは畳って言うんだよ」
唯一畳の存在を知っている琥珀が、四人の疑問を解消するために口を開いた。
「コハクは知ってるの?」
「うん。故郷にも同じものがあったんだ。とっても懐かしいよ」
琥珀は目を細めて、召喚されて以来再会できないと思っていた文化を指でなぞる。
畳は日本特有の文化であり、金髪だけど純日本人である琥珀にとっても馴染み深い。まさかこの世界でも触れられるとは思わなかった。
「そう言えば極東では不思議な内装の建物があると聞いたことがありますわ。お兄様が仕事を放り投げて大騒ぎになったのはいい思い出です」
「あぁー、ありましたねそんなことも」
イオアネスがポンと手を叩き、嫌なことを思いだしたと言わんばかりに遠い目になった。
「サンも経験したんだ。じゃあそんな昔じゃないのね」
「僕が騎士団に入った年の話だよ。行方不明だ誘拐だって王都中を捜索したんだ」
サンは苦笑いを浮かべているが、当時はさぞ大騒ぎになっただろう。
行方不明を疑われたということは、誰にも伝えず忽然と姿を消したということだ。
子供の家出でもかなりの騒ぎになるのに、実行したのは一国の主であるエドワード。何らかの事件に巻き込まれたのかとか政治の機能が完全に停止してしまうとか山のような問題が発生したはずだ。
「結局捜索が始まって一週間が経ってからようやく書置きが見つかりまして。慌てて極東に使いを出したのです」
いつもは凛としているイオアネスですら、当時のことを思い出して顔を引きつらせている。
「あははっ、エドワード様にも困ったものだね」
直接経験したことのない琥珀は苦笑いを浮かべてそう言うしかなかった。
「よく覚えておいてください。お兄様の妻になるなら」
「妻ぁ!?」
「どういうことなのコハク!」
イオアネスの言葉を聞いたキテラとクリスが琥珀に掴みかかった。
そして世界を救う勇者の肩を掴んで前後にガックンガックン揺さぶって、真相を問いただす。
「可能性の話だよ。魔王を倒したら嫁にどうだーって」
「それを受けたのかい!?」
今度はサンも参戦してきた。
「どうしてサンが血走った目なのかは分からないけど、うん。この世界に残り続けるならそれもありかなーって」
琥珀は首をガックンガックンと揺らされながら困ったように笑う。
「ありかなーって、そんな簡単に」
「ボクにとってこの世界に残り続けるってことは魔王討伐を諦めるに等しいからね。それならエドワード様と一緒に生活するのも悪くないだろうなって思って」
エドワードは王様、最高の玉の輿なのは間違いない。
まあ冗談だけど、エドワードほど賑やかな人の隣ならきっと退屈はしないだろう。むしろ琥珀からお願いしたいぐらいだ。
「ああ、あの人の元に帰れないならってことね」
「あの人?」
「コハクが好きな人のことなの。サンが知らないのも無理ないの」
キテラが納得したように手を打ち、サンが検討もつかずに首を傾げ、クリスが哀れな男に補足説明をしてあげた。
「確かトバクンだっけ?」
「なぇっ!?」
想い人の名前を出された琥珀が、顔を赤くして奇声を出して飛び退った。
「あっやっぱり気付いていなかったの」
「夜よくうなされているものね。何度か飛び起きてるし」
その反応にやれやれと肩をすくめて、クリスとキテラがため息を吐く。
「うぅ。気付いていたの?」
「もちろん。あんなに叫ばれちゃあね」
確かに夜な夜な夢に見ることはある。手を取るのに間に合わず、嫌な光景を前にして飛び起きたことも一度や二度ではない。
だけどまさか、二人に気付かれていたなんて。穴があったら入りたい気分だ。
「でっでも、鳥羽君のことはどうやって知ったの?」
琥珀が聞くとキテラとクリスの視線は一か所に集まった。
「てへっ」
琥珀が視線を追うと、そこには悪戯っぽい笑みを浮かべる王女様の姿が。
「あっイオまさか」
「全部話してしまいました。てへっ」
舌を出して悪戯っ子のように笑っているイオアネス。
彼女があることないことすべてをキテラたちに吹き込んだのは明白だった。
「やっぱり! もうっなんで全部話すのさ!」
「だって教えてって言われたんですものー」
イオアネスが笑いながら走って逃げ、琥珀も後を追って部屋から飛び出していった。
「……じゃあ知らなかったのは僕だけなのか」
二人の足音が聞こえなくなったころ、サンは地面に手をついて項垂れた。
「何肩を落としてんのよ。どうせ実らない恋なんだし」
「それは分かってるけど、やっぱり思うところはあるよ」
「アンタもわがままね。まあいいわ」
キテラはサンが琥珀に親愛以上の感情を向けていると気付いていた。
気付いていたからこそ、あからさまに傷ついた様子を見せているサンに一瞬だけ悲痛な表情を浮かべる。
「村長の話だとここの宿には変わった浴場があるそうよ。なんでもオンセンって言うらしいわ」
キテラは押し入れに入っていたタオルをサンに投げる。床ばかりを見ているサンは当然受け取れず、背中にタオルが乗った。
「一人寂しく感傷に浸ってなさい」
そんな二人の様子を眺めていたクリスは、いつもとは違う大人びたため息を吐いた。
「……広いな。これがオンセン」
白銀の鎧を脱いだサンは、タオルを片手に呟いた。古傷を抱えた筋肉質な体。これ以上の野郎の裸に関する情報は省略する。
浴室の床は石畳で作られていた。と言っても規則正しく並んでいるわけではなく、石の形をパズルのように当てはめたものだ。堅苦しい印象はなく、むしろ肩肘張らずにリラックスできる。
入口とは反対側は浴室半分を占めている浴槽があった。床と同じ石をパズルのように組んだもので、溢れんばかりに湯気の立つお湯がはられている。
「また別の変なにおい。これもコハク様の故郷と同じなんだろうか」
サンは知らなかったが、においの正体は硫黄である。もちろん琥珀には親しみのあるにおいだ。
「わぁー! こっちも凄いのー!」
「!?」
この場にいるはずのない声にサンは反射的に振り返った。
「クリスはしゃがないの。他人の迷惑になるでしょ」
声の方向はサンがたった今入ってきた入り口からではない。木で簡単に組み立てられた壁の向こうから聞こえてくる。
多分壁で仕切られている向こう側も同じような造りになっているのだろう。サンは向こうに悟られないように息を殺すことを決めた。
「でも誰もいないの貸し切りなのー!」
クリスは公共の場だということを一切考えていないようで、隣の浴室からばしゃあんと水に飛び込むような音が聞こえてきた。大分派手にいったようだが、正しいマナーではないことはサンでも分かる。
「まったくこれだから。聞こえてるんでしょーサン!」
「!?」
突然話しかけられたサンは両手で口を覆う。
何を言われるか分かったものではない。触らぬ神には祟りなし。見えぬキテラには不満なしだ。
「答えないつもり? 魔力は探知できてるのよ」
「……」
心臓が跳ねたような感覚がしたが、サンは持ち前の筋肉で無理やり反応を抑え込む。
「もし居留守を決めるつもりなら覗かれたってコハクたちに言うからね」
「分かった分かった! なんだよ」
どうやら黙ってたほうがキテラには不満だったようだ。
想い人にあることないこと吹き込まれるわけにはいかないので、サンは慌てて口を開く。
キテラなら相手が一番困ることを平然とやってくる。戦闘時なら頼もしいことこの上ないが今となってはただただ脅威だ。
「そっちは湯加減どーお?」
「最高だよ。まったく」
何かと思えば当たり障りのない世間話で、呆れたサンは湯舟につかりながらため息を吐いた。
「何怒ってるの? あっまさかアタシの裸を想像してるとか?」
「んなわけあるか! 考え事をしてたんだよ」
確かにキテラのスタイルはとてもきれいだとは思うが。普段は真紅のマントで見えない部分まで壁一枚向こうではあらわになっているのは間違いないが。
誓って仲間の裸を想像して欲情なんてしない。サンは慌てて否定するが長風呂が確定した。
「考え事?」
「魔王を倒したらコハク様は帰るつもりなんだよね」
「そうね。大切な人が向こうにいるみたいだし」
「またこっちに戻ってこられるのかな?」
サンが浴場に入るまでの間、ずっと頭の片隅で自問し続けていた問い。飄々としていたキテラもたまらず黙り込んだ。
帰りたいと言うのならそれでもいい。琥珀は元々別の世界から魔王を倒すためだけに呼び出された人間だ。サンたちに引き留める権利はない。
だけど帰るとして、またサンたちの前に姿を現す日は来るのだろうか。
世界を渡る魔法なんて聞いたことがない。アダムなら可能なのだろうが魔王がいなくなった世界に召喚するメリットがない。二度と琥珀に会えない可能性も高いのだ。
大切な人と一緒に過ごすうちにサンたちのことを忘れてしまうのだろうか。考えたくないのにどうしても最悪の可能性が頭をよぎってしまう。
「キテラ?」
「いいじゃない。そんなこと」
黙り込んだキテラの名前を呼ぶと、彼女は投げやりとも取れる言葉を返してきた。
「望む通りにさせてあげましょ。アタシたちにできるのはあの子の手助けだけよ」
「そうだね。だけど」
「ウジウジ考えないでよ。らしくないわね」
らしくない。確かにそうかもしれない。
サンは皆を後ろから押していくような人間だ。先頭に立って引っ張るのではなく、脱落者が出ないようアシストする役をすることが多い。
手助けする立場がウダウダと悩んではいられない。確かに、キテラの言う通りだ。
「コハクが笑っていられるなら満足。そう思ってるのはアタシだけ?」
「ううん。僕も一緒だよ」
サンは首を振って、キテラの言葉に同意する。
琥珀の助けになるために旅に同行する。きっと全員が同じ思いだろう。
結局皆琥珀が好きなのだから。




