第三章二十五話「ピンピンしてる」
「なんだよケータ。オレに用事――ってお前大丈夫か?」
泥の魔物モドキと戦ってどれぐらい経ったか分からなくなったころ、虚空にできた黒い穴からシリルが出てきた。
イブに無理やり押し出されたりでもしたのだろう。突然いた場所が変わって驚いている様子だった。
「よお来たか。待ってたぜ」
圭太はイロアスを杖替わりに立てて、崩れそうになる体を支えた。
顔に血がついていない場所はなく、赤く染まった服はズタボロに千切れているのにずっしりと重たくなっていた。
相対するのは泥の魔物。魂の集合体。イブと別れたときに比べその体積は肥大化していた。
血を吸っても成長するなんて聞いていない。生きて帰れたらイブに文句の一つでも言ってやらねば気が済まないな。
「生きてる、のか?」
「もちろん。ピンピンしてるぜ?」
当たり前だろ、と微笑もうとする圭太。しかし渇いた血と力の入らない筋肉のせいで表情筋はまったく動かなかった。
顔で安心させられることは失敗したので圭太はイロアスを構え直して威厳を保とうとする。血でべっとりと濡れているせいで手が滑って放り投げそうになった。
「どう見ても死にかけだと思うけどなオレは」
シリルは顔を引きつらせていた。やっぱり安心させる作戦は失敗したようだ。
大丈夫だ問題ない。そう言おうと思ったが体力の無駄な気がしたのでやめた。
客観的に見て、圭太はいつ死んでもおかしくないような状態だ。出血がひどすぎるせいで頭もろくに動かないし、呼吸は荒くなりすぎて息を吸い込むだけで苦しい。そもそも圭太は虚勢をはるだけの余裕がなかった。
「それで、用事なんだけど」
「見たら分かるよ。アイツをどうにかしろってことだろ?」
「理解が早くて助かる」
圭太は頭を下げる気力もなかったので、背中で語ってみせた。言い方を変えよう。何もできずに泥の魔物を睨み続けた。
「アレはなんだ? 魔物なのか?」
「似たようなもんだ。はるかに強いけどな」
「そんなにかよ。分かった。やってみる」
背後に立つシリルの様子は分からない。だけど雰囲気で何かをしようと気合いを入れているのは分かった。
泥の魔物がシリルに標的を移して泥で形成した触手を、圭太はイロアスを振り回して斬り落とす。
「――――――――オレは拒絶する。オレからすべてを奪おうとする現実を、オレの未来を拒むものを、拒絶する。オレはシリル。皆を守る者だ!」
……泥の魔物に変化はなかった。
「なんだそれ。オリジナルか? すげえ恥ずかしいな」
心なしか体が軽くなった圭太は、実際傷の半分以上が塞がっているからなのだが痛覚がマヒしている本人は気付いていない、振り返って残念そうな目をシリルに向ける。
「うるっせえよ! こちとら必死にやってんだよ!」
「ああ、悪い悪い。つい」
「つい、じゃねえだろ!」
ウガーッと吠え、両手をバタバタと振って怒りを露わにするシリル。
「ほっ」
圭太は性懲りもなくシリルへと伸びる泥の触手を振り向かずに斬って、油断して怒鳴っているシリルを指差す。
「おいこらシリル。戦場でぼーっとしてんじゃねえよ」
「誰のせいだよ! っていうかまだ動けるのか?」
「魔力が関係してるかなーと思ったんだけど、やっぱり違ったか」
シリルの魔力阻害なら攻略の手助けになるかと思ったのだが、効果はなかったようだ。
恐らくただの魔物なら消滅していたのだろうが、残念ながら泥の魔物は魂の集合体。しかも魔力タンクの代わりに使われていたものだ。自分で魔力を構築するなど造作もないのだろう。実に厄介な相手だ。
「分かってたのか?」
「予想はしていたんだけどな。イブが匙投げたぐらいだ。魔力だけじゃないってのはなんとなく分かるよ」
イブなら魔力を奪う魔法が使える。色々な魔法を使った結果の対策なしだろうから、多分試すぐらいはやったはずだ。
「じゃあなんで呼んだんだよ!」
「何事も試してみないと分からないだろ?」
万が一があるかと思ったがどうやら意味はなかった。イブはしっかりと実験をやっていたようだ。
「お前ホントそういうとこあるよな!」
さてどうしたものかと思考を練り始めると、シリルに怒鳴られてしまった。
なんとなく納得いかなかった。後で詳しく話をしなければならない。
「さてと、じゃあ逃げてもいいぞ」
「はあ?」
圭太が軽くなった体でイロアスを手足のように振り回し、シリルに伸び続ける触手や泥の飛沫を片っ端から迎え撃つ。
シリルに背中を睨まれているのは気配で分かったが、振り返る余裕はとっくになくなっていた。
「当たり前だろ? お前の、全力だよな? あの恥ずかしい詠唱」
「――ああそうだよ全力だ! オレにできる最大の魔法だ!」
シリルとの会話を勝手に動く口に任せていると、なぜか背中を刺す視線が強くなった気がした。
「そう怒んなよ。とりあえず、通用しないんだからここにいる意味はない。反乱軍の援護に戻ってくれ」
魔力阻害が通用しない以上、シリルは役に立たない。武器も持たず身体能力もただの子供なのだから、圭太の隣に並ぶことはできない。
「お前はどうするんだよ」
「俺か? コレを放っておくわけにはいかないだろ」
圭太が逃げることは不可能だ。
現状泥の魔物を倒す方法はなく、野放しにしていれば被害は甚大になるのは間違いない。
戦いを放棄するという選択肢を、英雄に憧れている人間が選べるはずがないのだ。
「その体で?」
「動くから問題ないって」
圭太は知らなかったが、シリルの魔法には軽めの治癒効果が含まれている。
血でべとつくのが問題なぐらいで圭太の傷は半分近くが治っている。またしばらくは時間稼ぎができるようになった。
「問題ない? んなわけないだろ!」
泥の魔物モドキに集中させていた意識が、シリルの怒声によって霧散する。
「お前、仲間はどうしたんだよ! あの奴隷は!? ここに捕まってた奴もいたんだろ!?」
ナヴィアとイブのことだろうか。
集中力が切れた間にも迫る泥の触手を、圭太は勢いと体を使って押しとどめる。
少しでも血を吸おうと圭太の体の中で蠢く触手を、少々強引に引き抜いた。
「逃がしたよ。魔力量が高いからな。足手まといだ」
圭太の体から血が溢れてくるが、感覚がマヒしているせいか痛みはまったくない。
「じゃあオレはどうなんだ。魔力はないぞ」
「ここ以外で活かせる場所があるだろ。だから魔力がない俺が残るんだ」
魔力阻害の魔法は使い道がたくさんある。
イロアスを振り回すことしかできない圭太と比べれば、その価値は計り知れない。
「この作戦を提案したお前は、責任も取らず戦線を離れるのか?」
「誰が無責任だ。俺はお前らを思って」
「じゃあ仲間を頼れよ!」
シリルにまた怒鳴られてしまい、圭太は無言になる。
「一人じゃダメでも力を合わせればどうにかなるかもしれないだろ!? どうしてお前はその可能性を最初に捨てるんだ!」
力を合わせれば。
そんなことは分かってる。だけど、それはとても難しい。
適材適所という言葉がある。その配置こそ圭太の仕事であり、常に全体を把握していなければならない。
全体を見ていれば当然細部まで目が届かない。何か問題が発生したとしても他に救援を求めることもできない。適材適所、配置している戦力はすべて余らないようにしているからだ。
この泥の魔物を止める役割は圭太一人と設定した。だから勝ち目のない戦いでも孤独に戦わなければならない。
「本当じゃよ。ケータは一人で走りすぎる」
「そうですよ。言いたいことを全部言われたのは寂しいですが」
シリルではないトゲを含んだ声がした。
「お前ら。どうして戻ってきたんだ」
泥の魔物の猛攻を退けた隙に背後に視線を送り、シリル以外の影二つに圭太は目を見開く。
体良く逃したはずのイブとナヴィアが、呆れたように立っていた。
「矢を取りに行けと言ったのはケータ様ですよ?」
ナヴィアは驚かれるなど心外だとばかりに苦笑する。
背中には大陸を渡ったとき以来の矢筒が背負われていた。中には矢がぎっしりと積まれている。反乱軍や牢獄を守っていた兵士からかき集めたのだろう。矢の質にはバラつきがあるように感じた。
「ワシは元凶を拾いにな。間に合ったようでよかったのじゃ」
そう言って宙に浮いているイブは背中に背負っていたものを下ろす。
勢いよく落とされたものは、ふぎゃと悲鳴をあげた。
「起き抜けに炎を喰らったアタシの身にもなってほしいわ」
頭をさすりながら、英雄の一人であるキテラがため息を吐く。
どんな起こされ方をされたのかは聞かないでおこう。
「知らぬ。元はと言えばお前のしでかしたことじゃろうが」
イブに睨まれて居心地が悪くなったのか、キテラはもう一度ため息を吐いた。
「キテラお前生きてたのか」
「ちょっと勝手に殺さないでくれる? アンタとは鍛え方が違うんですけど」
圭太が正直な心境を口に出すとギロリとした目で睨まれてしまった。
だって死にかけという話だったじゃないか。
「おい人間。戯言はよい。さっさと解決策を言わぬか」
「すみません。ないんです」
「オレの魔法も通じませんでした」
人間なので圭太とシリルは頭を下げた。
「主らではない。分かっておろうが。邪魔をするな」
「「はいすみません」」
イブの冷たい目に、圭太とシリルは声を揃えて再び頭を下げる。
「アレは今までアタシが殺めてきた魂よ。魔力を魂ごと所有することで総量を増やしてたの」
圭太たちの茶番を無視してキテラはイブの問いに答えた。
「じゃろうな。で?」
既にこの場にいるほとんどの共通認識など興味はない。
イブは続きを催促する。大切なのはあの化け物の対処法。キテラしか知り得ない秘密の暴露である。
「対策はないわ。消滅させる方法はない」
「おいこら」
期待を裏切られたイブの手に黒い炎が宿った。
「待って。現状を止める方法ならあるわ。アレは魂。肉体を求めているの」
焦ったように両手を前に出し、キテラはイブの動きを制止させる。
「つまり、誰かが体を提供すればあの化け物を止められるってことか」
ふーんと言ってから圭太は手を叩く。
「おいケータ」
「ケータ様」
「お前……」
イブ、ナヴィア、シリルの順番で、なんとも言えない目で圭太を見てくる。
何か言いたげだ。彼女たちが何を言いたいのかはすぐに理解できた。
「なんだよ。予想できてるならいいだろ? 俺を使えば」
「「「ダメ(だ)(です)(じゃ)!」」」
三人が声を揃えて、圭太の提案を却下する。
「魔力を失いかねないから、簡単じゃないわよ?」
「ほら。俺だろ」
キテラにくぎを刺され、圭太は自分を指差して胸をはる。
この場で魔法がまったく使えないのは圭太のみ。魔力を失っても支障がないのもまた圭太のみだ。
適役中の適役。まさしく適材適所だ。
「お前がやればいいだろが」
「そうですよ。元々入っていたんですから」
シリルとナヴィアが顔をしかめてキテラを睨む。
「残念ながら無理よ。見ての通りアレは暴走してる。アタシはボロボロだし、また入れれば内側から食い破られるわ」
キテラの見た目はいつも通り憎らしげな美人だ。
だけど髪の艶はなくなっていた。瞳に宿る力も弱まっているし、唇から水分も抜けている。
見た目こそ虚勢を張っているだけで、実はかなり消耗しているのかもしれない。
「じゃがケータでなければならぬ理由なぞないじゃろうが」
圭太が適任なのだが、と言おうとする前にイブに睨まれてしまった。読心術は使えなかったはずなのに。
「他にできるとすれば魔王だけよ。でも、属性を捨てることができるかしら?」
「何?」
よく分からないものを捨てるかたずねられ、イブは片眉を吊り上げた。
「魂の集合体は魔力を持っているわ。つまり属性も持っているの。ただ入れたところで属性同士が反発して暴発するわよ」
「また厄介なものを作りおって。待っておれ。すぐに属性を捨てる魔法を――」
「そんな時間はない。分かってるだろイブ」
両手を広げて魔法陣を形成するイブを、圭太は止めた。
新たな魔法を使っている時間も隙もない。泥の魔物はナヴィアと圭太で抑えているがいつ均衡が破られるかも分からない。イブとキテラという二つのごちそうを前に泥の魔物の動きは活発になっていた。
「ケータ……じゃが」
「大丈夫だって。なあキテラ。俺が死ぬ可能性はどれくらいだ?」
心配そうなイブの視線を軽く受け流して、圭太はキテラにたずねた。
失敗の可能性が分かれば知りたい。確率論なんて不確かだけどないよりはマシだ。
「分からないわ。やってみないと何とも言えない」
「だとさ。じゃあ試してみようぜ」
ある意味予想通りだったけど、やっぱり確立は不明らしい。そんな気はしていた。期待なんてしていない本当だ。
腹をくくれ。さもないと失敗するぞ。
運命か神とかにそう言われている気がした。余計なお世話だ。
「ですがまだ方法があるはずです。いきなりケータ様が」
「ナヴィア」
往生際悪くも他の道を探そうとする従者を、圭太は優しく呼んだ。
「俺が、信用できないか?」
「……いえ。そんなことはありません」
圭太がまっすぐ見つめると、ナヴィアは折れたように目を伏せた。
他に道はない。
シリルとナヴィアは助けを求めたのだから圭太より危険な目に合わせるつもりはない。キテラは再び泥の魔物を取り込む余裕がなく、イブがほとんどの力を失うなんてあり得ない。
この場にいるメンツでの最適解はやはり圭太が身を犠牲にすることだけだ。
「キテラ頼む。俺はどうすればいい?」
「アタシがやるわ。魔王は魔力を貸してちょうだい」
「仕方がない。好きに持っていけ」
人を使うことに慣れているからかキテラの的確な指示が飛び、イブはそっぽを向いて同意する。
「ケータは近付いてくれればいい。後は覚悟を決めておくことね。痛いわよ?」
「望むところだ」
今さら痛み程度で怯むものか。圭太は高らかに自分の胸を叩いた。
「それじゃ行くわ。最初で最後の共同戦線よ」
魔王と英雄の一人の共同作戦が、始まった。




