第一章二十三話「夢を叶えるための言葉」
「ではひとまずお別れじゃな」
月明りが照らす中、イブは手を振った。
空の一部はうす紫に染まっている。もうすぐ日が昇るだろう。時間にして一時間弱。作戦のことを考えるとあまり余裕はない。
「死なないでくれよ」
圭太は少し気分が悪かった。
作戦上仕方ないのだが、イブは一人での行動となる。両足を動かない彼女を護衛もつけず放置しなければならない。そうしなければ作戦が成り立たないとはいえ、どうしても心配してしまう。
「不老不死の魔王に何を言うんじゃ……ケータこそ、失敗せぬようにな」
イブは呆れたように肩をすくめて、圭太と同じ他人を心配しているような顔になる。
命をベットするなと言いたいのだろう。作戦通りに事が進めばよいが、想定外の事態にはそれ相応の対価を支払わなければならない。圭太の命は優先的に支払われると分かっているから、イブは似合わない心配を顔に塗っているのだろう。
「分かってる。じゃあ行こうかシャルロット」
圭太はシャルロットの手を取って振り返り、イブから遠ざかるために走り出した。
「イブ様を一人にするのには抵抗があるんだが」
「そう言うと思ってたけど、イブと一緒に行動はできない。スピード勝負だからな」
手を引っ張っていることに怒られると思ったのだが、シャルロットは嫌な顔をするだけで手を振り払おうとしなかった。圭太に手を握られていたほうがいいと直感で理解したのだろう。
前世では異性の手を握ったことがない圭太が向かっているのは、この町でもっともナヴィアがいる可能性が高い場所。奴隷市だ。
エルフたちは一足先に奴隷市に向かっている。早く合流しなければならない。
「イブ様とスカルドは納得していたようだから問題ないだろうが、わたしは何も聞いていないぞ」
「シャルロットは俺と一緒だから大丈夫だろ。やることも単純だし」
「何をやるつもりだ?」
「奴隷解放。どうせほとんど寝てるだろうから、奴隷を叩き起こすところからやらないといけないんだけどな」
最大の難敵であるサンは起きているだろうが、サンに頼りきりになっている他の人間はぐっすり寝ていることはずだ。奴隷も夜は寝ているのが難点だが、起こす手間を考慮してもまだ昼よりはマシだ。
「簡単に言ってくれるな。楽ではないだろう? 奴隷の解放なんて」
「だから魔族のナンバーツーに頼ってるんだよ。俺一人だと不可能だからな」
「なるほど。自分の実力を過信していないのはいいことだ」
シャルロットに褒められても嬉しくはない。せめて全部が成功してからだ。
圭太は微妙な気持ちのまま足を止めた。目的地に着いたからだ。
「じゃあ奴隷市の前まで来たし、英雄になりますか」
イロアスを構えて、圭太は呟く。
ここから先は戻れない。セーブポイントのないこの世界ではリセットもできないしゲームオーバーもできない。ぶっつけ本番で攻略するしかないのだ。
「ここが奴隷市……」
シャルロットの目が鋭く研ぎ澄まされていく。夜間でも奴隷は檻の中。もちろん屋根はない。屋外の狭い檻に放置されて、寝心地がいいわけがない。見える位置の奴隷たちもどこか寝苦しそうにしていた。
「そういやシャルロットは初めてなのか。どうだ? 檻は斬れそうか?」
「見たところは鉄のようだから余裕だ。わたしの剣も神造兵器だからな」
シャルロットは剣を抜き、試しとばかりに鳥かごのような檻を一つ斬り落とした。
「大丈夫みたいだな。鍵を盗む手間が省けたよ」
「ケータまさかわたしを呼んだのは自分が楽するためか……?」
「そんなことないぞ」
図星だったので圭太は目を逸らした。
「と、とにかくだ。気付かれる前に救っていこう」
「分かった。全部斬るから少し離れるぞ」
「頑張れ。俺は解放された人たちを集めておく」
シャルロットがクレーターを残して姿を消し、物を斬っているとは思えない音が圭太のもとまで聞こえてくる。
「一応隠密行動なんだけどなあ……」
圭太は苦笑した。これではいつ気付かれてもおかしくない。まあ準備される前に逃げられるかもしれないが。
圭太は奴隷市を散策するように歩く。
シャルロットが檻を壊してくれているので、後は首輪を繋いでいる鎖を破壊すればいい。スカルドが手配してくれたエルフたちが散開して鎖を引きちぎっているから圭太が手伝う必要はなさそうだ。
圭太の役目は外敵との交戦、および殿を務めること。脱獄に集中してもらうために最弱の勇者は自ら引き受けた。
「どうして、ここに」
檻の一つから声がした。圭太が声のした方向に顔を向けると、見知った顔の奴隷が檻を斬られたところだった。
何が起こったのか理解できない様子の彼女を見て、圭太はやはりエルフたちを借りてよかったと思った。解放だけならシャルロットだけでもいいだろうが、事情を説明するのはさすがに一人ではできない。迅速に行動するためには人手が必要だった。
「人間だからな。人間の町にだっているさ。立てるかナヴィア」
「はい。ありがとうございます」
圭太は右手をナヴィアに差し出し左手に持ったイロアスで彼女の首輪を檻に繋いでいる鎖を断ち切った。
さすが斧槍だ。重みと遠心力のおかげで紙を切るように鉄の鎖が砕けた。
「ぱっと見連れてこられたばかりだから調教の時間もなかったってとこか? 普通に歩けそうだな」
ナヴィアの体をさっと確認して、決して卑猥な目的はない、外傷がないことに安堵した。
奴隷がどれぐらいの間隔で展示されているのかは分からない。最悪自力では歩けない者もいる可能性だってある。現に圭太が軽く見回しただけでも肩を借りている奴隷だったエルフや魔族はそこそこいた。
「はい。檻さえなければ一人で逃げられます」
「弓持ってくればよかったな。戦力が一人増えたのに」
頼りになるナヴィアに圭太は苦笑した。これなら放っておいても一人で逃げられていたかもしれない。
「奴隷を逃がすのですよね? わたくしも手伝います」
「助かる。俺は万が一に備えておきたいからな」
今のところ人間が気付いた様子はない。だがそれも時間の問題だ。シャルロットは隠密行動しようなんて考えを持ち合わせていない。迅速ではあるものの派手に動いているのだ。気付かれないと考えるのは少々楽天的だ。
「終わったぞ。魔族とエルフはすべて解放した」
シャルロットが圭太の近くに降り立った。比喩ではなく上から降ってきた。多分跳ねるように移動していたからだろう。次からはやめてほしい。
圭太はシャルロットの功績を確認するために辺りを見渡した。
「人間放置かよ……まあしょうがないか。連れ帰っても仕方ないからな」
解放された奴隷にはエルフが近付いて鎖を断ち切っている。だが、まだ檻に入ったままの奴隷も少なからずいた。全部人間の奴隷だ。助けてくれないのかと絶望し、捨てきれない希望の込められた視線がいくつも圭太に注がれる。
「じゃあ早急に出ていこう。こんな肥溜めに長居する必要はない」
圭太は無言の助けを乞う声を無視して宣言した。
人間まで助ける時間は、残念ながら存在しない。
「すんなりと脱出できたな」
エルフと魔族の元奴隷、護衛のエルフ数名と圭太とシャルロット。合わせて二十三名は草一本ない荒野を走っていた。
奴隷の何人かは足が自由に動かないらしく、護衛役やナヴィアたち元気なものが肩を貸していた。いくら急ぎたくても足取りはどうしても遅くなってしまう。
「勇者の盾に依存しているんだろう。生半可な実力でこの大陸は生き残れないからな」
この大陸は言うなればラスボス直前のエンカウント地帯。雑魚魔物の実力も相応に高いらしい。
人間が長い間この大陸に根を下ろせなかったのも魔物が原因だったりする。今町を築けているのは勇者の一味がよく働いているからだ。
「わたくしたちにとってはいいことですけどね。長い間拘束されていた方は歩くだけでも難しいですから」
両脇に子供を抱えているシャルロットは余裕そうで、女性に肩を貸しているナヴィアもまだ余裕がありそうだ。
「だが、簡単にはいかないだろう」
シャルロットは神妙な顔になった。
「だな。もう日は昇った。なのにまだ大した距離は動けていない。大所帯だから遠くからでもすぐ見つかる。来るならもうそろそろじゃないか?」
圭太の予想を裏付けるように遠くで爆発音のようなものが聞こえた。
元奴隷とエルフの護衛の表情が引き締まる。何かが爆発するような音が近付いていたからだ。
「ああ、ちょうど今か」
圭太がイロアスを構えると同時に、一団の進行方向に大きな砂ぼこりが巻き上がった。
砂ぼこりはすぐに晴れ、銀色の使い込んだ鎧を着たイケメンが姿を現した。
「勇者の盾……!」
「待てシャルロット。お前は奴隷を頼む」
剣を抜いたシャルロットの肩を掴み、圭太は代わりに前へ出る。
「奴隷を盗んだのは君たちか?」
すでに剣を抜いているサンの表情は冷たく、初めて会ったときの印象とは百八十度違う様子だった。これが勇者の盾の戦闘状態なのだろう。
「よお英雄。そこをどいてくれないか?」
「そうはいかない。僕の立場だってある」
予想通りの返答に圭太は肩をすくめる。
「奴隷をよく思っていないんだろ? たった一人で追ったせいで散り散りになった奴隷を逃がしてしまった。それなら文句は出ないはずだ」
「……なるほど。良い言い訳だ」
納得してもらえたようだ。圭太の提案にサンは小さくあごを引いた。
サンは英雄だ。圭太にはできないことだってこなせるのは間違いない。だが、一人でいる限り人手が必要な仕事には支障が出ることだってある。
サンに頼りきっている人間は、彼の言い訳を言及できない。
「シャルロット。奴隷たちを頼む」
この場でもっとも頼りになる名前を呼んで、圭太はイロアスを水平に構える。
ここから先は通さない。たとえ人類を救った英雄であろうとも。
「……ケータはどうするつもりだ?」
「代表者同士、積もる話があんだよ」
カラカラと笑う圭太はサンだけを視界に収めていた。
サンはしっかりと圭太を見ている。まるで剣を喉元に突きつけられているようだ。手が震えてくる。
「死ぬなよ」
「大丈夫だって」
シャルロットのまだ何か言いたげな視線を背中で受けたが、圭太はそれ以上口を開かなかった。
シャルロットは護衛のエルフたちに目配せする。エルフと魔族の全員が小さく頷いて、サンの横を通り抜けようと歩き始める。英雄である騎士は一団の動きに目もくれず、圭太を睨み続けていた。どうやら本当に逃がしてくれるらしい。
元奴隷集団の最後の一人、ナヴィアが横を通り抜けようとしたとき、サンの剣が鋭く光った。
「っぅ!」
ナヴィアがかかとを押さえてうずくまる。足を斬られたようだ。一人で歩けそうにない。
「なっ、何すんだよ!」
「奴隷一人と首謀者の首。それが逃がす対価だ」
手を伸ばせば届く距離でうずくまっているナヴィアには目も向けず、サンは堂々と宣言した。
「……奴隷は逃がしてもいいだろ」
圭太はサンに明確な敵意を抱くのを意識しながら、後戻りしようするシャルロットを手の動きで抑えた。
サンは見るからにイケメンで勇者の一味で騎士の一人だ。テンプレ主人公よろしく言葉を覆さないだろう。
「いや、彼女は逃がさない。奴隷を大切に扱う若者が嘘だった失望は、彼女を本物の奴隷にしなければ取り戻せない」
やはり逃がすつもりはないようだ。サンは首を横に振って固い意思を見せる。
シャルロットも自分の役目をまっとうしてくれるようだ。名残惜しそうに表情を歪め、元奴隷を連れて去っていった。
「奴隷を嫌ってるんだろ? なのにどうして奴隷を売りたがるんだよ」
サンはシャルロットたちを確認しようと振り返ったりはしない。多分気配か何かを感じ取っているのだろう。振り返った瞬間に斬りかかろうと思っていただけに残念である。
「あの町は奴隷を売ることで成り立っている。商品を盗まれては町が潰れてしまう」
「融通が利かないな。良くないことだと分かっているんだろう?」
「勇者様が僕に頼まれたのだ。僕の個人的な感情で断っていいわけがない」
サンははっきりと言い切った。
人間のあんな顔を前世で見たことがある。詐欺に引っかかった人間を追うドキュメンタリーだ。あの人は悪くないんですぅとか言ってる結婚詐欺の被害者とまったく同じ顔をしていた。
「カッ! 何が勇者様だ。道具に奴隷の面倒を見させているクソ野郎じゃねえか」
「勇者様の悪口を言うな」
圭太が鼻で笑い飛ばすと、サンは予想通り不愉快そうに眉を寄せた。
「俺も勇者だ。お前の言う勇者様とは違うが、俺も呼ばれたものなんだよ」
「そんなわけない!」
なおも嘲笑を続けているとサンがいきなり斬りかかってきた。
「クッ!」
反射的にイロアスを両手で持ち直すと、両手の間に剣が振り下ろされた。まるで隕石でも落ちてきたような衝撃だ。支えきれずイロアスの持ち手こど額に当たる。
サンは一撃加えるとすぐにイロアスの間合いの外まで離れた。どうやらカッとなったらしい。どことなく恥ずかしそうにしている。
実力は思っていたほどではない。シャルロットとおなじぐらいだ。剣技の洗練さはシャルロットが上だが身体能力はサンのほうが高い。筋力にモノをいわせてゴリ押ししてくるため、めちゃくちゃ頑張ればなんとかなるかもしれない。
「いきなり斬りかかってくるのか。どんな教育してんだよ」
頭がズキズキと痛む。たんこぶができたのだろう。この世界に湿布はあるのだろうか。
圭太は手の汗を裾で拭って、ニヒルに気丈に不敵に笑う。顔が引きつっていることは隠したい。
「諦めてくれ。今の一太刀で分かった。君は僕よりも弱い」
圭太の虚勢は気付かれていないようだ。サンはいたって大真面目な顔で降伏を勧めてきた。
「ああそうだよ。俺はお前には勝てない。時間稼ぎが精いっぱいだ」
今度は圭太が前へ出る。サンの首を斬り飛ばそうとイロアスを水平に振り抜いた。
横薙ぎの一撃を、サンは一歩前に出て刃の範囲から逃れ、柄の部分を片手で止める。そして攻撃を止められて硬直している圭太に再び斬りかかる。
圭太は両手を引き戻して辛うじて防ぐ。しかし、サンは関係ないとばかりに柄ごと叩き込んだ。
体が真っ二つにはならなかったがイロアスの柄がめり込んだ箇所の骨は軋み、剣の勢いを止められなかった圭太は地面を滑った。
「がほっげほっ」
額のたんこぶなんてどうでもよくなる衝撃に、圭太は地面に四つん這いのまま咳き込む。
最初の一撃は手を抜いていたのか。何が頑張ればどうにかなるだ。赤子が大人を相手するようなものではないか。
「ケータ様……!」
「うるさいな。なんだよナヴィア。集中させてくれ」
悲痛な声が聞こえて、圭太は荒れる息で言い返した。
話をする余裕はない。集中したところでどうにかなる相手でもないが、ナヴィアを守るためにも一秒でも長生きしなければならない。
「お逃げください」
どうやら耳もやられたようだ。
「はぁっ? 何言ってんだ」
敵に操られているのか裏切っていたのか。どちらにせよ圭太の集中を削ぐには十分だった。冗談でも言っていいことではない。
「わたくしを奴隷にすると言いました。ここでケータ様が逃げたとしても、わたくしを連れ帰らなければならないあの人間は後を追えないはずです」
「そうだね。追いかければ彼女に逃げられてしまう。それはできない。僕は彼を逃がしてしまうだろう」
やれやれとでも言いたげに首を振るサンに、圭太の顔は青筋が走った。
今すぐその整った顔面を叩っ斬ってやりたかったが、実力差が実力差なので押し止まる。
「わたくしは足を斬られて逃げられません。ですがケータ様ならまだ逃げられます」
「だから逃げろってか。お前を置いて、俺一人で安全に」
合理的な判断だと、圭太は思った。
彼女と同じ立場になったら同じように置いて行けと頼んだだろう。
そうだ。単純な話なのだ。
ナヴィアはエルフで圭太は勇者。価値は勇者が圧倒的に高い。たかがエルフの少女一人のために消耗していいわけないし、二人とも命を投げ出すなんてもってのほか。圭太がサンと戦うこの状況は無駄でしかないのだ。
圭太も同じ判断を下すと思った。だからこそ彼女の意思を尊重することも考えた。でも、圭太はその考えが間違っていると既に理解している。
「はい。ここで見捨てられたとしても、わたくしは恨みません。むしろ妥当な判断だと評価いたします」
なぜならナヴィアの声は弱々しく、その瞳は潤んで輝いていたからだ。
「――ククッ」
「……ケータ様?」
「アーハッハッハッハ!! 笑わせんなよナヴィア!」
おかしかった。腹がよじれるほど笑った。笑ったせいで傷に響いたが、それでも圭太は止まらなかった。
「彼女の覚悟を笑うなんて君はひどい人間だね」
サンが本気で侮蔑しているような表情で圭太を睨む。だが圭太はその視線すらおかしかった。
「笑っちまうさ。俺が戦う理由ってのは、とっくに話しただろうが」
知らないなんて言わせない。彼女本人が聞いてきたのだ。圭太が力を求める理由を。ナヴィアに頭を下げてまで強くなりたい原動力を。
「戦う、理由? ……あっ」
ナヴィアは思い出したのか口元に手を当てた。
どうやら忘れてはいなかったようだ。もしも忘れていたのならサンを無視して説教の時間になっていた。
「いいかナヴィア。俺が欲しいのは逃げてくださいなんて涙交じりの言葉じゃない。夢を叶えるための言葉なんだ」
逃げてもいい。圭太が死ねばイブは悲しみ、魔族は再び衰退していく。無策で死ぬわけにはいかない。ナヴィアも言っていた。ここで逃げてもデメリットはない。
だが、圭太は逃げない。
夢があった。戦いに身を投じるだけの理由があった。男の子なら誰もが憧れるものに、かつて自殺しようとした圭太もなりたかった。
ヒーローになるには、今しかない。
「助けてください!」
ナヴィアの言葉に、圭太は口角を吊り上げた。
答えは決まっている。
「――任せろ!」
圭太はナヴィアに背を向けて、高らかに宣言した。
俺の背中は安心できるか?
「……まるで悪役になった気分だよ」
一連のやりとりを見守っていたサンが、苦々しく呟いた。
「貴重な体験だろ英雄。じゃあ次の役目も分かるよな?」
圭太は不敵に笑い、イロアスを構え直した。
悪役に許される結末はただ一つ、正義に敗れるのみだ。
「倒せると思っているのかな? 僕と君の実力差は気合で覆るようなものじゃない」
「知るかよ。実力差を覆してこその勇者だろ?」
「なるほど。君は確かに勇者だね。僕の知る彼女と同じ目だ」
サンの姿が消える。目の前に現れた騎士は両手剣を下段に構えていた。
圭太が脊髄反射でイロアスを地面に突き刺すのとサンが剣を振り上げたのは同時だった。
爆発したような音。気が付けば圭太は空を飛んでいた。視界には剣を振り上げた姿勢で止まっているサンの姿がある。圭太をイロアスごと吹き飛ばしたのだ。
再びクレーターを残してサンの姿が消える。三度目の行動だ。圭太は落ち着いてイロアスを盾代わりに構える。
予想通りサンは圭太の目前に現れた。剣を構え無機質な瞳を向けてくる。圭太の背筋に冷たいものが走った。
サンがまた剣を振り、圭太はボールのようにまた飛ばされる。体がバラバラになりそうだ。電車に轢かれてもここまでの衝撃はないかもしれない。
圭太は宙に浮いているサンに安心した。いくら常人離れの英雄でも、空中で移動はできないはずだ。魔法は使えないだろう。使えたらわざわざ剣を振るう理由がない。
まるで圭太を嘲笑うように、サンの姿がまた消えた。
目を見開いている圭太の腹に、岩のように重たい拳がめり込んだ。
「で、どんなどんでん返しをしてくれるのかな?」
サンは華麗に着地し、圭太は潰れたカエルのように地面に激突した。
サンの手に剣はない。足場代わりに使ったのだろう。それなら空中での移動にも説明がつく。
「ガフッ」
四つん這いになっている圭太の口から、滝のように血が流れていく。内臓でも潰れたのだろうか。防衛反応か腹の感覚がなくなった圭太は事態を掴めない。
「君の動きはまだまだ素人だ。致命傷を防ぐ技術は抜きんでているけど、結局はそれだけ。死ななければ勝てるほど殺し合いは甘くない」
どこからか飛んできた剣を手に取り、サンは冷ややかに見下してくる。
「ああ、みたいだな。目が霞んできやがった」
「血を流し過ぎたみたいだね。よく防いだと思うよ」
他人事のように健闘を讃えてくるサン。圭太はもはやなんとも思わなくなっていた。
「にしても、お前の主ってひどいやつだよな」
「……なんだって?」
圭太は立ち上がろうとしたが、震える足は体重を支えられない。仕方がないのでイロアスを杖代わりにしてなんとか立ち上がった。
「俺はそっち側の事情なんて分からないけど、奴隷が欲しかったから魔王を倒したんだろ?」
「違う。勇者様は皆の幸せを祈って戦ってきた」
「じゃあどうしてこの大陸は奴隷の苗床になってるんだよ」
「それは……」
サンが反論を見つけようと目を泳がせる。
サンだって一度は頭をよぎったはずだ。
自分たちは正義のために戦った。魔族は悪で、魔王を倒せば世界は平和になると思っていた。魔族と人間の戦争は終結し、悲しみはなくなると思っていたはずだ。
だが結果はどうだ。
魔王がいなくなり、人間はこの大陸に上陸した。魔族を奴隷として鹵獲しており、小競り合いは毎日発生している。怨嗟を言う立場から言われる立場に代わってしまった。
考えたはずだ。自分はなんのために戦ってきたのか。
思ったはずだ。自分たちが魔王を倒した行為こそ悪なのではないかと。
「しかも勇者の仲間ってのは道具なんだろ? 首輪が付いていないだけで奴隷と何も変わらないじゃないか」
「違う! あの方は」
「現実から目を逸らすな。お前は魔王以上の力を持った腐れ外道にこき使われているだけだ」
圭太はよくある展開だけに手に取るように理解していた。だからこそ、サンが動揺する言葉を狙う。
「違う。違う! 勇者様は奴隷を見て悲しそうな表情を浮かべていた。共に戦った名も分からぬ兵士のために涙を流した」
「そのほうが民衆の共感を得られるからな。ただの演技だ」
「黙れ! 勇者様は! コハク様はそんな方じゃない!」
英雄は揺れる瞳と立場から目を背けるように、圭太を黙らせるために動き出す。
圭太はかろうじて立っているような状態だ。防ぐことはもちろん指一本動かせない。
ナヴィアの悲鳴がどこか遠くで聞こえた。
突如圭太の全身を暴風が叩いた。
「なんだ……?」
剣を突き立てようとする直前で、サンは動きを止めていた。
その整った顔立ちは、圭太が初めて見る驚愕の色に染まっていた。
「――グッドタイミング。間に合ったか」
圭太は首元の剣には目を向けず、血まみれの口で不敵に弧を描く。
さすがだ。なんとちょうどいいタイミング。狙っているとしか思えない。
「なんだこの魔力は。こんなのまるで魔王じゃないか」
サンの言葉に圭太は内心で手を叩いた。
今も吹き荒れている暴風は魔力の奔流だ。発生源は奴隷を逃して大騒ぎ中の町から。誰がやっているのかはサンの言う通りだ。もっとも頼りになる戦力とわざわざ別行動したのは理由があるからだ。
「いつつ。さてと、第二ラウンドと行こうぜ英雄」
圭太はよろめくように一歩下がって、震える腕でイロアスを構え直す。
「何を言ってるんだ町が」
「心配するな。まだなんの被害も出ていない」
「なっ、まさかこれも君の仕業だと言うのか? 一体何が目的だって言うんだ」
何が目的って、決まっている。
「人間をこの大陸から追い出す。ここは魔王と魔族の国だ。人間がいていい場所じゃない」
魔王も魔族もエルフもみんなが望んでいることだ。平和というとても単純でとても困難なたった一つの願い。
「魔王が復活したというのか?」
「驚くのもいいが、のんびりしてていいのか? この寒気がするほどの魔力に、なんの狙いもないとでも?」
「狙い? でも、町の方角から煙は上がっていない。破壊はされていないはず。じゃあこの魔力はなんのために出続けているんだ? 魔力を垂れ流しにしたところで魔物を呼び寄せるだけなのに」
そこまで考えを口にして、サンは開いた口が塞がらなくなっていた。
信じられない。表情はそう語っていた。
「気付いたか? 俺たちの作戦に」
ようやく敗北の可能性に気付いたらしい。イケメンが苦痛に歪む表情はとてもスカッとした。
「魔物を呼び寄せて町を破壊するつもりなのか。君たちは」
「ご名答。さあ続きだ。逃がさねえぞ。意地でも俺を殺せ」
圭太の作戦はこうだ。奴隷を解放して注意を向け、サンを町の外まで誘い出す。そして町の外でサンを足止めし、その間に町に残ったイブが魔力を放出して魔物を引き寄せる。
軍隊規模で防衛している町でなら上手くはいかないだろうが、この大陸で戦える人間はサン一人。工夫次第で足止めも容易だし危険な目に遭うのは圭太のみ。しかもナヴィアたち奴隷の解放までできるのだ。イブもスカルドもすぐに了承した理由である。
「バカげている。そんな暇なんて――ッ!?」
サンの言葉は途中で切られた。突如地面から直径三十センチほどのツタがいくつも絡みついたからだ。サンは動けないらしく、体を何度も揺すっている。
「早かったな」
「全力で走ったからな」
圭太が虚空に呟くと、空から落ちてきた魔族が簡潔に返事した。
シャルロットは脇に人を抱えて全力疾走してくれたらしい。あまり無理をされるとイブにまた怒られてしまうのだが、状況が状況なので黙っておく。
「たどり着く前に死ぬかと思ったぞ小娘」
「父さん!」
シャルロットの脇に抱えられている見知った超絶ロン毛クソイケメンに、ナヴィアの表情がぱあっと明るくなる。
「すまない遅くなった……一人で守り抜いたのか。やるな人間」
ほとんど怪我のないナヴィアに満足したのかスカルドは圭太を認めてくれた。
「お褒めに与り光栄だ族長。これで俺たちの勝利は確定した」
かなり嬉しかったが、今は喜んでいる余裕がない。
圭太は緩みそうになる頰を気合いで引き締めた。
「魔族……それに新たなエルフだと?」
増援が来るとは思っていなかったのか、サンは囚われの身のくせにとても鋭い目つきで睨む。
拘束した判断は素晴らしい。拘束しなければサンは増援二名に斬りかかっていただろう。いくらシャルロットやスカルドでも苦戦は避けられない。
「そこら辺の魔族と一緒にするな。わたしは四天王最後の一人、シャルロット。時間稼ぎで済ませるつもりはない」
「四天王……! まだいたのか」
「お前らに殺された三人の仇、今ここで取らせてもらう」
直接向けられたわけでもないのに喉が干上がるような殺気。剣を抜いたシャルロットは殺意に顔を歪めていた。
「あー、悪いシャルロット。盛り上がってるところ水差すけど、ちょっと待ってくれ」
圭太は肩を掴んで、今にも首を斬り飛ばさんとしているシャルロットを止める。
触れただけで火傷しそうな殺気は、圭太の顔を見るとなりを潜めた。どうやら言うことは聞いてくれるらしい。
「形勢逆転、だな」
「そうだね。全部計算していたんだろ?」
「ここまでうまくいくとは思ってなかったさ。勇者の盾は頑丈なだけで強くないってのが元々の目論見だったんだ」
盾っていうからてっきり防御に秀でていて攻撃はあまり得意ではないと思っていた。圭太が勝てる確率は低いが殺される確率もまた低いだろうとふんでいたのだ。結果として死にかけているので、計画通りだとほくそ笑むことはできない。
「想定外になれたのか。だけど結果的に君は勝った。人間はこの大陸から駆逐される。君の計画通りだ」
サンは諦めの表情を浮かべていた。シャルロットの実力が生半可なものではないと理解したようだ。シャルロットと一緒にスカルドと圭太の相手はできないと察したらしい。
「それなんだけどさ。取引しないか?」
「えっ?」
「右腕を落とせ。そしたら解放してやる。腕一本あれば民衆を先導して逃がすくらいできるだろ?」
サンの目に希望が浮かぶ。
「な、何を言っているんだケータ! そいつは数々の同胞を屠ったんだぞ」
シャルロットは圭太の肩を掴んで振り向かせ、胸ぐらを掴んで持ち上げる。
傷に響いて口から血がこぼれそうになった。慌てて飲み込んでシャルロットの顔にぶちまけることは避けた。
「分かってるよ。だけど、だからといって同じことをすれば戦争は終わらない。復讐は復讐を生むんだ」
「理屈なんてどうでもいい。わたしは――」
「今殺せば人間側の恨み憎しみが増えてしまう。それはまずい。だから今は被害を最小限にして、後回しにするべきだ」
シャルロットはサンを、ひいては勇者一行をとても憎んでいるらしかった。
だが、憎悪に身を委ねられても困る。
サンは勇者の一味であり、町の守護者だ。この場で殺せば憎しみはたくさん生まれるだろう。
復讐は何も生まないなんて綺麗事を言うつもりはない。ただ、恨みを買って人間と全面戦争になれば弱体化している魔王では勝てない。今よりもさらに悲惨な運命を魔族は歩むだろう。
それは許されない。だから殺すとしても時と場所を弁えなくてはならない。
「しかし――」
「忘れるな。俺たちの目的は人間を殺すことじゃない。一人でも多くの魔族を助けることだ。殺すことだけを目的にすればいずれ滅びるぞ」
「ぐっ」
衰退の一途を辿っていた魔族を率いていたからこそ思う部分があったのだろう。
シャルロットは悔しそうに顔をしかめで圭太の胸ぐらを離した。
「どうだ英雄。悪い話じゃないと思うが」
「分かった。君の交渉を受け入れよう」
サンは即答で提案をのんだ。
「じゃあ腕一本な。シャルロット……殺すなよ?」
まだ殺気立っているシャルロットに、圭太はあえて任せた。
圭太はもう動けない。ナヴィアやスカルドは武器を持っていないので、腕を切り落とす役目は自然と決まってしまう。
「分かっている」
シャルロットは短く答え、目にも留まらぬ速さでサンの腕を斬り飛ばした。
「――ッ!!」
サンは苦痛に顔を歪める。しかし唇を噛んで叫び声を必死に堪えた。意地、なのだろう。
「よし交渉成立。スカルド。拘束を解いてやってくれ」
「分かった」
スカルドは一度頷き、サンを解放した。
「シャルロットは俺と一緒に町まで戻ろう。時間はないからな。抱えてくれるか?」
「了解だ。舌を噛むなよ」
軽口を叩いて、シャルロットは笑みの仮面で感情を隠す。
「人間を、助けてくれるのか?」
「勘違いするな。俺が助けたいのは奴隷だけだ」
イケメン騎士特有の勘違いを、圭太は鬱陶しそうに否定した。




