53 運命の月
王宮の池の取り壊しの儀式を無事に終え、キリアンにも挨拶をした後、二人はボット家に戻った。
「お帰りなさいませ」
出迎えるのは老年の執事だ。
マグリートのフォーネ家に仕えていたやり手の執事で、彼がボット家に来た今はその息子がフォーネ家の執事を代行している。マグリートの推薦で雇っており、新しい使用人ばかりのボット家で大変重宝されていた。
ちなみにボット家は、主人のシガルがほとんど戻らなかったため、使用人はいなかった。新たに李花を迎え入れることになり、使用人を雇うことになったのが、なぜか使用人のほとんどは女性で男性は老年ばかりだった。
上空に青く澄み切った空が広がる。
キリアンが立会いとなる結婚式のため、会場は王宮内になった。
王宮内で場所を選んでもよかったので、李花は王宮の森の中にした。
招待客は貴族たちの力の均衡も考え、池の取り壊しの儀式の参加者に匹敵する人数だ。もちろんその費用はシガル持ちだったため、マグリートからは条件付で借用金の申し出があったぐらいだ。
しかし、十四歳から兵団に入り、無駄使いを一切していなかったシガルだったため、資金を借りることなく、結婚式を執り行う算段がついていた。そのことに大変残念そうなマグリートはサイラルから冷たい視線を浴びていた。
ウエディングドレスの型は李花自身が仕立て屋と話して、決めた。
ふわりと丸い袖は肩から肘までを覆う。胴体の部分は襟なしの大胆な形。スカートは何重ものレースを重ねて縫いこみ、裾が大輪の花のように広がっていた。色はもちろん純白で、髪はメリルに編みこんでもらい、スカートと同じレースで髪を覆う。李花としてはベールをつけたかったが、そのようなしきたりがないため、髪飾りの一部としてベールのような形にした。
「……」
(え?変かな?)
臨時の控え室になっているあの小屋に入ってきたシガルは、彼女の可憐さに目を逸らした。鈍い李花は変なところがあるのではないかと、自分の姿を確認する。
「あなたが魅力的すぎて目を逸らしてしまったのですよ」
最近はすっかり打ち解けたメリルがそう説明し、シガルの顔が一気に火照った。
「そうなんですか?」
嬉しくなって、近寄り仰ぎ見て聞き返すと「そうだ」と息絶え絶えに彼が答える。
メリルは首を横に振った後、式が始まると二人に声をかけた。
「い、行こうか」
「はい」
ぎこちなく差し出されたシガルの手をとり、彼女は立ち上がる。
スカートは足首までなので、歩きやすく、それでも足元に気をつけながらゆっくりと足を進める。
王宮の池だった場所は完全に埋めたてられ、花園に生まれ変わっていた。
庭師に先に話を通していたため、土を入れた後、すぐに別に育てられていた花を移植した。よって、花園は驚くべき速さで完成している。
美しい花々はそれぞれの色と形を競うように咲き誇り、色鮮やかだった。
そんな中、純白の壇上で、正装のマントを羽織り、キリアンが待ち構えている。
壇上に向かって歩きながら、李花は自分の手が緊張で汗ばむのがわかった。しかしシガルが安心させるように握った手に力を込め、微笑む。それでどうにか落ち着くことができ、キリアンの元まで辿り着いた。
「シガル・ボット。お前はこのリカを永遠に愛し、妻として慈しむことを誓うか」
「はい」
最初に問われたのはシガル。
彼は間髪置かず答える。
「リカ。お前はこのシガル・ボットを永遠に愛し、夫として慈しむことを誓うか」
「はい」
次は李花で、彼女もすぐに返事をした。
二人の答えを聞き、キリアンが大きく頷く。
「それでは二人の誓いを正統とみなし、王の名の下、二人の結婚を祝福する」
そう宣言がされ、二人の婚姻は正式なものとなった。
「いよいよ、これでコダマちゃんもボット夫人か。リカちゃんって呼んでもいい?」
「ええっと」
「ボット夫人とお呼びください」
返事に躊躇しているとシガルがすかさず答えた。
王宮の池だった花園は大勢の人で溢れ返っている。池の片鱗など全く感じさせなかった。
(そういえば、タエさんの墓は?!)
シガルが同僚の近衛兵に連れ去られ、一人になり、一息ついていると彼女は池近くにあったタエの墓を思い出す。
きょろきょろ周りを見渡していると、サイラルが姿を現した。
「彼女の墓ですか」
「はい」
(なんでわかるんだろう)
様子を窺いながら頷くと、彼は少し離れたところを指差す。
「彼女の墓は動かしていません。囲いもつけてあるので荒さられることもないでしょう」
「宰相様」
「それくらいはしますよ。さすがに」
サイラルは少し柔らかく笑う。
(もしかして、少しは許す気持ちになったのかな。でもそう簡単じゃないよね)
期待はしたが、それは言うべきことではないと李花は口を噤んだ。
「あなたはナガイ様のことが好きだと思ってました。なのでシガルのために戻ってきたことは驚きでした」
「……そう見えてましたか?」
「ええ。ナガイ様はあなたを守るために必死でしたからね」
「そうですよね」
(泰貴さん、本当に私のことを好きだった人。でも私は答えられなかった。どうしても)
「エファン様」
「また、あなたですか。本当に心が狭い」
サイラルは少し焦って現れたシガルに呆れた声を上げる。
(心が狭い。なんだろう。いつも言われているけど。そんなことないのに)
「まあ、私はここで退散します」
彼はシガルの側を通り何かを囁く。
(何?)
とたん険しい顔をしたシガルを見て、李花は心配になった。
「リカ」
音量を一段と落とし、彼は彼女の側に立つ。
「何を話してた?」
「えっと、タエさんのお墓のことです」
「それだけ?本当に?」
「えっと、あの。泰貴さんのことを聞かれて」
鋭い彼の瞳に隠し事は無理で、李花は素直に白状する。
「どんなこと?」
「えっと、私が泰貴さんのことを好きだって思ってた」
「……そうなのか」
「そんなことないですよ!」
(もう結婚してるのに!なんでいまさら)
「すまない。本当に俺は心が狭い男だ。エファン様のいう通りになるかもしれない」
「え?どういうことですか?」
「言わない。絶対に」
「え?」
シガルは李花を抱きしめると強引にキスをする。
「ま、」
「待たない」
「人が、」
「関係ない」
好奇な視線が二人を包み、近衛兵から冷かしの言葉が飛ぶ。
そうして随分長い間キスをされ、李花は解放された。
★
闇が空を覆い、黄金の丸い月が姿を現す。
「この日を選ぶとは陛下も人が悪い」
式が終わり、二人のために用意された部屋で、窓から月を眺めていると拗ねた様にシガルがつぶやいた。
「……運命の日。私はこの日でよかったと思います」
「俺は怖いな。あなたがまたどこかに行きそうだ」
「そんなこと」
「そんなことない?だったら、こっちにきて」
シガルは近衛兵の制服で結婚式に臨んでいた。今は制服を脱ぎ、薄い白いシャツにパンツ代わりのズボンを履いていた。
「えっと」
そういう李花もドレスを脱ぎ、かなり薄手のワンピース姿だ。
「不安なんだ。それをかき消したい。だから今夜はあなたを抱く」
シガルは彼女の返事を聞く前にその手を引き、ベッドに押し倒した。
「シ、シガルさん」
(だ、ダイエットしておけばよかった。ああ。馬鹿)
こうなることはわかっていたはずなのに、食料制限してなかった自分を悔やむ。
「愛してる」
そう囁かれ、キスをされ、李花から思考が飛んだ。
恋人達の甘い夜は始まったばかりで、運命の月がそれを優しく見守っていた。
★
「ああ、今頃いいな」
「……マグリート。邪魔です。出て行ってもらえませんか?」
「なんで?君も失恋だろ?」
「は?何を言って」
「君、実はルイーザのことも好きだっただろ」
「ありえません」
「嘘だ」
「嘘ではありません」
「いいよ。いいよ。今度はさ。コダマちゃん似の子、探してくるからさ」
「必要ありません」
サイラルは冷たくあしらうと執務を続ける。そんな彼を眺めながら、マグリートはワインの入ったグラスを煽った。
★
「余の短い初恋だったな」
キリアンは王室の窓から月を眺め、呟く。それから窓の側を離れ、ベッドに身を投げた。
王はまだ十四歳。
多感な年頃で、今日ばかりは彼は王ではなく一人の少年として、ベッドの中で丸くなった。
★
「サギナ。どうぞ」
「お酒?」
サギナは妹が持ってきたワインの瓶を見て驚く。
「一緒に飲みましょう」
「お前が?」
「はい」
「いいよ」
「……失恋に乾杯」
メリルの言葉に目を細め、サギナは妹の持つグラスと自分のものを重ねた。
★
――黄金に輝く月の下、それぞれが想いを噛み締め、夜を過ごす。
ある者は喜びを、ある者は悲しみを。
数奇な運命を歩んだ二人の女性、そしてその子孫たち。
解けた糸は再びつながり、新たなる糸を紡ぎ出していく。
(完)