44 サギナとメリル
「大人気ないですね」
執務室に入ってきたマグリートにサイラルは開口一番にそう言い放った。
「用事は何なの?」
しかしマグリートは解さず、ソファに座って口を尖らす。
「用事はありませんよ。あなたが子供みたいに邪魔をするので、それの妨害です」
「子供みたいってひどいな」
「しかし、その通りでしょう?」
「だって。面白くないじゃない。まあ、反対はしないし、応援もしてるけど。こう簡単にうまくいってもね」
「簡単……。あなたは本当に暇のようですね。私が仕事を増やしてあげましょうか?」
「もう。サイラルは遊び心がないんだからさ。サイラルだって、このままうまくいったら面白くないだろう」
「そんなことはありませんよ。逆に早くそれなりの結論が見たいくらいです」
「結論?」
「結婚するか、否か。もし結婚しないのであれば、陛下との婚姻という手もありますからね」
「はあー。サイラル。君、本当に結婚したくないの?」
「当然です。結婚なんて面倒なこと、正直御免こうむりたいです」
「でもさあ。君にはしてもらわないと。そうだ!君。君がコダマちゃんと結婚したら?」
「却下です。私は馬鹿な女が好きではありません」
「馬鹿な女。そういったら候補者なんて誰もいなくなるよ」
宰相から難題を出され、マグリートは腕を組みソファに体を委ねる。
「お酒はないの?」
「サギナ。悪いが、何か持ってきてもらえるか?」
「わかりました」
二人の傍でやり取りを聞いていたサギナは頭を下げると部屋を出て行った。
「本当。君の部下はいい子ばかりだね。でも一生独身になりそうだけど」
「余計なお世話です」
「はいはい。でも、サイラル。この国のため、君は結婚しないといけないよ」
「……わかってます。しかし、もうしばらく時間が欲しい」
「やっぱりコダマちゃんにしたら?お馬鹿な子はかわいいよ。何を考えているか、わかりやすいし。ほら、それにあの体。すごく柔らかかったよ」
「……触ったのか?」
「うん。だって、胸の部分がすっごく膨らんでいたんだよ。何が詰まっているか気になってね。でも全部、彼女の胸だった。驚いたよ。しかもすごく柔らかくて」
「……マグリート」
「何?」
サイラルは心底軽蔑した視線を外務大臣に向けたのだが、彼はまったく悪気なく笑っていた。
★
「シガル」
ワインを貯蔵している地下室へ行く途中、サギナはシガルとすれ違った。
「会いに行くのですか?」
「ああ」
誰にと、聞くようなことはせず、シガルがただ頷く。
「君が彼女を再び呼び戻すとは思ってもいなかったです」
「……俺自身も、だった」
「まあ、これで妹も吹っ切れるはずです」
「妹……」
シガルの脳裏に自分と同じように不器用な女性の顔が浮かぶ。彼女と自分は似ていると日頃から感じていた。好意はもっていたが、それは仲間意識に近かった。
黙りこくってしまった友人の肩をサギナが叩く。
「私としては、コダマ様が王妃やサイラル様の奥様になってもらっては困りますので、さっさと君が貰い受けてもらえるとうれしい。まあ、一番は異世界に戻ってもらうことですけど」
「……それは彼女の意思で。俺は伝えるだけだ」
「弱気ですね。あれだけ荒ぶっていたのに」
李花が日本に戻ってから、兵団の訓練場に現れるシガルは仲間から遠巻きにされていた。それほど殺気が放たれており、訓練相手となる者がいないほどだった。
「ひとつだけ。妹の気持ちを聞いてもらえませんか?あいつはきっと一生抱えて生きていくつもりで。多分君に告白などしないでしょう。だから、君から振ってほしいのです」
「それは、」
「あいつは嫌がるでしょうけど。兄としては放って置けないので」
告白もされていないのに振る行動は、自意識過剰とも取れるもので、シガルは首を縦に振れなかった。
「それであれば君が昨日の夜、もんもんとしていたことをコダマ様に伝えてもいいのだけれども」
「それは、やめてくれ!」
昨晩、シガルも正常な男子であったので、李花の体を触れた後、なかなか寝付くことができなかった。
兵団専用の武堂の宿舎で、一般兵は四人部屋、近衛兵は二人部屋であった。しかし役職が高い者や王族や大臣を警護する近衛兵は一人部屋を当てがられていた。シガルとサギナは共に一人部屋で隣同士。シガルはまさかサギナに気づかれているとは思ってもいなかった。
「じゃあ、よろしくお願いします」
サギナはばつの悪そうなシガルに、いつもと違う、ほんの少しだけ優しげな笑顔を見てる。そうして勝手に言い捨てると地下室へと急いだ。
友人の背中を見送り、シガルは王宮の森へ足を進める。
李花への告白以外にも難題を持ちかけられ、無表情から険しい顔に自然となっていた。すれ違う兵士は何事かと道を開ける。
森の入り口で近衛兵に一礼し、中に入った。
小屋が見えてきて、緊張感が高まる。戦に行くか如くで、そんな自分が可笑しくなった。
扉を叩くと、メリルが顔を覗かせた。
無表情の中に、喜びの感情を見出し、サギナの言葉が事実であることを悟る。
彼女の背後に李花の姿があった。
顔いっぱいに喜びが溢れ、暗がりでもその頬が赤く染まっているのがわかる。
「メリル。ちょっと話がある。リカはちょっと待っててもらえるか?」
シガルの言葉は、メリルに驚きを、李花には落胆を、もたらした。
恋愛に疎く上、女心にも疎い彼は優先順位を間違った。
李花とはゆっくり話したい。その思いが裏目に出ていた。
シガルは彼女の表情の変化に気がついても後で話せばわかると思っていた。だから、その場で李花に説明もせず、メリルと共に小屋を離れた。
「何でしょうか」
小屋から少し離れたところで、メリルはシガルに冷たく尋ねる。
同類である彼にはメリルの抑えた喜びが伝わっていた。
どうしてもっと早く彼女の気持ちに気がつかなかったのかと悔やむほど、それは明らかだった。
「俺は、リカが好きだ」
一瞬迷ったが、シガルははっきりと自分の気持ちを言葉にした。
「わかっています」
メリルは視線を落とし、静かな声で答える。両手は胸の前で組まれ、かすかに震えていた。
「すまない。俺は、」
「わかっています。馬鹿な兄ですね。本当」
このようにわざわざ彼女を呼び出し、李花のことを好きだと宣言するなど、彼らしくなかった。
捻くれた兄の優しさ、そしてそれに答えたシガルの思いにメリルは目頭を熱くした。
「メ、メリル?」
「あ、私」
涙など何年ぶりだろうか、彼女は泣いていた。
「すまない」
シガルは慌ててハンカチを取り出し、彼女に渡す。
「謝らないでください。その方が、私は辛いです」
ハンカチを受け取り、メリルは涙を拭った。そうしてしばらくしてから、彼女は顔を上げる。
「王妃やサイラル様の奥様になられては困ります。だから、お願いします」
メリルがそう言って浮かべた笑顔は、兄のサギナと同じものだった。
★
小屋に一人で放って置かれた李花の行動は単純すぎた。
(一人で小屋で待つなんて無理。二人が何か話しているか気になるし。でもこういうときって通常、キスしているとか抱きついているとかそういう場面に遭遇するんだよね。でもそれだったら、それだ!)
彼女は念のために、鬘と眼鏡を身に付け、彼たちの後を追う。
二人に追いついた時は、すでにメリルが泣いている場面だった。
しかし、シガルはじっとその傍で立っているだけで、彼女には全く状況が掴めなかった。
(なんで泣いているんだろう。まさか、シガルさんがメリルさんを怒ったとか?)
もう少し様子を知りたくて、李花は足を踏み出した。
だが、それがまずかった。
乾いた小枝を踏んでしまい、小さいが耳に響く音を立てる。
「リカ?」
「コダマ様!」
二人に同時に姿を見られ、逃げることはできなかった。
「……ごめんなさい」
謝ったほうが無難だと、李花はすぐに頭を下げる。
だが、それはメリルの気持ちを逆なですることになった。
「やはり、認めたくありません。どうしてこんな人に。ボットさんにはもっとふさわしい人がいるのに」
「メリル!」
李花を詰ったメリルを宥めたのはシガルだった。
「悪いが、俺はリカが好きなんだ。ふさわしいとかは関係ない」
(好き?!ボットさん!)
ドサクサに告白されたが、嬉しいものは嬉しく、李花はその場で固まる。
「……わかってます。すみませんでした」
メリルはシガルから渡されたハンカチをきつく握ると、彼の元を離れた。李花の傍を通り、一度だけ振り向く。
彼女は彼を一途に見つめており、李花はその横顔が綺麗だと感じた。
(メリルさん。ボットさんのことが好きだったんだ。だから戻ってきてから私に冷たかったのか。こんな人っていわれてもしょうがないよね。私って馬鹿だし、)
「こんな人って言ってすみません。あなたが素直で優しいことを私は知っています。ただ悔しかっただけだから」
彼女は李花だけが聞こえるような小さな声でそう言うと、足早に立ち去る。
「メリルさん!」
(……すごいいい人。私なんて、本当に「こんな人」でしかないのに!)
反射的に後を追おうとした李花をシガルが捕まえた。
「メリルは大丈夫だから。俺の話を聞いて」
彼は両手で彼女の体を抱き寄せ、そのまま包み込む。少し腰を落として耳元で囁かれた声は低くて甘く、李花は眩暈を覚えた。