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40 湖面の満月


 李花は湖の中に立っていた。

 冷たいはずなのに、その感覚はなく夢だということに理解する。


「リカ」


 名を呼ばれ振り返るとそこにいたのは自分自身だった。


(違う。髪の色、目が違う。そう、これはルイーザさんだ)


「こんにちは」


 ルイーザは湖面の上に浮かんでおり、微笑をたたえている。


(同じ顔なのに、なんか上品な笑顔。おかしな感覚)


「アヤーテ王国にリカは戻りたい?」

「え、」


(何を突然。まあ、夢だからか)


「はい。ボットさんに会って、気持ちを伝えたいです。これじゃ、前に進めないので」

「ねぇ。もしシガルがあなたのことを好きだったら、アヤーテに住んでくれる?」

「えっと、お姉さん。それはないと思いますよ。あなたと同じ顔だから好意は持ってくれると思いますけど、好きとは違います」


 李花はそう言うと、ルイーザは声を立てて笑い出す。


「そうかしら?」


 一通り笑い、彼女は李花の目の前に来た。湖面の上に浮いたまま、腰をかがめ、李花を覗き込む。


「確かめたくない?シガルの気持ち?」

「えっと。それはそうですけど。もう私は戻れませんし」

「ふふ。今日は満月よ。戻れるわ」

「だから、お姉さん。王宮の池は壊されてるはずですし、あと、キリアンが再び儀式をすると思いませんから、無理ですって」

「そうかしら?」


 ルイーザは悪戯をする時の子供のように笑うと、弾けるように消えた。


 取り残される李花。

 上空には月。

 そして湖面には二つの月が映っていた。

 月に触れようとすると、突然いつも聞いている着信メロディが鳴り出した。それは湖全体を揺らし、月の姿もかき消す。


「…………」


 目を開け、音を鳴らし揺れている携帯を掴む。


「もしもし」

「……寝てたか?」

「はい。ちょっと」

「夕飯。どうする?」

「あ!食べます。ちょっと待てってください」


 夢の余韻で頭ははっきりしていないが、空腹は覚えていた。

 電話を切ると、彼の部屋に急いで向かった。


「夢。ルイーザ妃の?」

「はい。変な夢だったですけど」

「そうか。ルイーザ妃」


 夕食は鍋中心で、霜降りの牛肉が皿の上で薔薇を描いており、鍋の中ではすでに野菜とたっぷりのお肉が煮立っている。魚介類の焼き物と揚げ物。伊勢えびを器とした刺身の盛り合わせ。モズクの酢の物に、蒸し物は土瓶蒸しだった。


 鍋を突きながら、李花は先ほど見た夢を泰貴に話す。


「それで、何を言われたんだ。ルイーザに」

「えっと、それは」

「シガルのことだろ。いい姉ちゃんだな。そういうところもお前と一緒だ」


 微笑まれ、どうしていいかわからず彼女は俯く。


「戻りたいか?」

「え、だって」

「戻りたいか?」


 言葉を詰まらせる李花に泰貴は再度静かに問う。

 その瞳は真剣そのもので、冗談には聞こえなかった。


「はい」


(嘘はつけない。戻ってボットさんに気持ちを伝えたいのは本当だもの。じゃないと前に進めない。彼を忘れられない)


「そんなに好きなのか?やつが」

「わかりません。ただ、どうしても忘れられないです。私、このままじゃ、前に進めません」

「……わかった。じゃあ、一度戻って来い」

「へ?」

「まあ、戻れるかどうかは奴次第だけどな。でも戻れるって事は奴もお前が好きってことだ。あー。その時点で俺は失恋か」

「泰貴さん?」


(えっと何言って)


 泰貴は、下ろした前髪を掻き毟り悔しそうに天井を仰ぐ。

 ついて行けずに李花は随分間抜けな顔で彼を見ていた。


「お前、おかしい!」


 それを見て笑い出す彼。


「泰貴さん!」


(何、何なの?)


 困惑はさらに深くなり、李花も髪を掻き毟りたくなる。


「悪い。悪かった。悔しくて、動揺してしまった。情けない」


 笑いを引っ込ませて、泰貴は李花に向き合った。


「最後に一緒に飲んだとき。奴に言ったんだ。お前のことが好きなら再び呼び戻してみろって。確証はないけど、可能性はあるだろう?奴とお前の先祖が親戚だってこと。もし神様がいたら、きっと奇跡は起きる。まあ、奴が実行に移せばだけど。かなりへたれ野郎だからな。奴は」

「泰貴さん……」


(そんなこと話していたんだ。あの夜に。ボットさんが私のことを好き。うーん。可能性は低いな。でももし戻れたらボットさんが私のことを好きってことで)


 心臓が急に鼓動を早め、体が火照ってきた。


「あー。嫌になる。俺じゃなくてシガルのためにそんな表情をするなんて。くそ。あのへたれ。こうなったら最後まで意地悪をしてやる。李花」

「泰貴さん?」

「食事が終わったら、湖の散策だ。湖面に月が二つ映ったらお前の勝ちだ」

「湖?」

「まあ、水辺ならどこでもいいと思うが、そのほうがロマンチックだろ?それとも風呂に入って、そのまま裸でいきたいか?」

「それは嫌です」

「だったら食べろ。食事が終わって池にいって何もなければ、あきらめろ。風呂も入るな」

「え?」

「それくらい意地悪させろ。この十六日間。ずっと俺は我慢をしてきた。この俺がだ。無理やり抱いて孕ませるって手段もあったのに」

「え?それは犯罪!」


(そんなこと考えてたの!)


 腰を引いた李花に泰貴は溜息をついた。


「するわけないだろ。でもそれくらい俺は追い込まれた。どうみても俺のほうが条件はいいのに。お前はなびかない。あんなへたれのどこがいいんだが」

「ボットさんはへたれじゃありません」

「へたれだ。好きな女に告白すらできないなんて」

「好きな……。それはちょっと違うと思います」

「ふーん。そう思うか。それなら、お前はきっと今日は戻れないな。いや永遠に。これはシガルの気持ち次第だからな」


(意地悪。喜ばせたと思えば、こんなこと)


「泣くなよ。マジで困る」


 泰貴はテッシュボックスから二、三枚テッシュを取り出し彼女に渡す。


「飯を食べろ。それから湖に行く。いいな」

「はい」


(泣いてもしょうがないのに。馬鹿だな。戻れるか戻れないかは。ボットさんの気持ち次第。戻れなかったら、これであきらめよう)


「この肉。すんごいうまい。食べてみろ」


 李花用の生卵入りの器に肉を放りこみ、泰貴は笑った。


「笑え。泣くな。笑顔が見たい」

「……はい」


 彼の笑顔は寂しげで、李花は涙を拭くと笑みを返した。


 二人が旅館を出て、湖に出たのは午後八時ごろだった。

 李花が異世界に行くと、泰貴は一人で旅館に戻ることになる。そうなると不信感を抱かれるので、旅館はチェックアウトしていた。荷物は泰貴が抱え、ゆっくりと湖畔を歩く。

 

「もし私がいなくなったら、泰貴さんはどうするんですか?」

「そうだな。俺だけ戻るとお前のお父さんに半殺しに会うから、お前が戻ってくるまで待つよ」

「え?」

「必ず戻って来い。アヤーテに永久に住むにしても、幹夫さんと竜太にはきちんと説明すべきだろ」

「はい」


(……なんか、恥ずかしい。そんなこと考えてもなかった)


「まあ、あのへたれ次第だけどな。あのへたれ。お前が好きでもずっと気持ちを隠して生きるつもりかもしれないし。馬鹿だな」

「馬鹿なんて」

「馬鹿だろ。あーむかつく。あのへたれに負けるなんて」

 

 泰貴は前髪を掻き揚げ、空を見上げた。


「あー。いい月だ。あんなに曇っていたのにな」

「本当。綺麗」

「まあ、湖にはまだひとつの月だけどな」


 彼の言葉に李花の胸が少し痛む。


(……うぬぼれていたかも。言葉ではボットさんが私を好きじゃないっていったけど。やっぱり期待してるから。あの笑顔、抱きしめられた時の感触。まだこんなに憶えている)


「もうちょっと近くにいこうか」

 

 ベンチに荷物を置き、二人は湖の周りを囲む古ぼけた柵の近くまできた。

 長い足で柵を飛び越え、泰貴は李花に手を差し出す

 彼女は迷うことなく、柵に足を掛け登る。そして彼の手を掴んだ。

 

「月はまだひとつだけだ」

 

 手を繋いだまま、水際まで来て泰貴が足を止める。

 彼の手は暖かく、李花の手をぎゅっと握っていた。


「泰貴さん」


 放してください、と言いかけたが抱きしめられ、そのまま動けなくなる。


「諦めろ。そのうち忘れられる」


 上から降ってくる優しい声。

 体を包む彼の体温。

 目を閉じて、彼の想いに浸って李花は改めて自分の気持ちと向き合う。


(こんなに好いてくれてる。きっともうこんなに想ってくれる人とは、一生会えないかもしれない。言い方はきついけど、泰貴さんは優しい。だからきっと私は幸せになれるはず。でも……)


「……へたれめ」


 呪いかけるような唸り声を泰貴が発した。

 驚いて目を開ける。

 辺りは急に月明かりを失い、暗く静まり返っていた。

 だが、湖面には揺るぐことない月が映っている。


「戻りたいか?」


 彼は李花から手を離し、そう問う。


「はい」

 

(嘘はつけない。結果なんてわからない。でも今の気持ちを大切にしたい)


「しょうがないな。行って来い。でも十六日後必ず一度は戻って来い」

「はい!」


 しっかり返事をして李花は泰貴から離れ、湖に近づく。


「おい!ちょっと待て!」

「え、あ!」


 彼が止めるのも聞かずに、彼女は無謀にも足を突っ込んだ。そしてそのまま吸い込まれるように湖に引き込まれる。


「馬鹿野郎!」


 慌てて泰貴が湖に入るが、彼女の姿は煙のように消えていた。


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