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37 李花の気持ち

 座卓の中心に甘エビ、マグロ、鯛、イカ等の刺身が盛り合された舟盛り。小鉢は山菜の和え物。酢の物は海草と蛸。揚げ物は手の平大のソフトシェルの蟹の唐揚げに、焼き物は車海老の塩焼き。ニンジンやインゲン等の野菜の色鮮やかな炊き合わせに、高級感たっぷりの器に入った茶碗蒸し。デザートは果実入り水羊羹。

 デザート以外は一緒に持ってきてもらい、座卓の上は溢れんばかりの料理で埋め尽くされた。


「さあ、食べるぞ」

「はい!」

 

 食べ物に目がない李花は、またしても料理に気をとられ、先ほどの違和感をすっかり忘れ去っていた。

 泰貴も夕日を眺めていた様子とは異なり、いつもの調子に戻り、李花をからかいながら、マグロの刺身を口に入れる。


「お前、もうちょっとゆっくり食べろよ。なんか、いろいろ台無しだぞ」

「ふぉ?」


 蟹の唐揚げに齧り付いていた彼女は彼の言葉に顔を上げる。すると眩しいくらいの笑顔を向けられ、喉を詰まらせそうになった。


「おい!」


 慌てて泰貴が立ち上がり、背中叩く。吐きだすことはなかったが、無事に固体が喉を通過した。


「本当、まったく」


 李花は呆れた様子の彼から少し冷えたお茶を受け取り、一息をつく。


(だってさ、なんかめちゃくちゃまぶしい笑顔だったよ?動揺しないわけないじゃない。か、泰貴さんは横暴なところあるけど、基本イケメンだし)


 湯飲みを両手で持ち、泰貴を窺う。すると視線があって、逸らしてしまった。


「なんか、傷つくな。それ」

「あ、すみません」

「まあ、いい。ゆっくり食べろよ。子供じゃないんだから」

「わかってますよ!」


(さっきは動揺しただけなんだから。とりあえず、か、泰貴さんを容易に見ないようにしよ)


 そう心に決めて、李花は喉を詰まらせることなく、順調に食べ続けた。


「まだ、食べれるのか?」


 舟盛り、焼き物、揚げ物を平らげても、ペースを緩めることない彼女に対して、泰貴はすっかり箸を止めていた。


「はい」


(えっと、食べないほうがいいのかな?でも泰貴さんはもう食べないみたいだし。もったいないよね?)


 箸を止めた彼女を見て、彼は苦笑する。


「いや、別に驚いているだけだから。どんどん食べろよ。多分その栄養は全部胸にもっていかれてるんだろうけど」

「え?なんですか?」

「いや、別に」


(胸?確かに大きいとは思うけど。それと食べ物にどんな関係が。でも太るとやばいかな。でも前よりは少しやせたし、大丈夫だよね。だってもったいない)


「食べろ、食べろ。お前、太るタイプじゃないみたいだし。明日は結構歩くことになるしな」

「そうなんですか?」

「ああ。山道を三時間くらいかな」

「三時間?そんなに?」

「ああ。まあ、大丈夫だ。雇った探偵がすでに下調べしてるから」

「探偵?そんなもの雇ったんですか?」

「ああ。曽祖父の姉と従姉妹ってことはわかっていたし、戸籍を調べれば早かったけど。流石に村のことまではな。しかも廃村してたし。調べてもらってよかったぞ。村の写真もある。一見ちょっとホラーだが、見るか?」

「いや、いいです。もう夜なので」

「そうだな。眠れないって添い寝をねだられても困るしな」

「そんなことしませんよ!」

「当たり前だろ。冗談だ。でももし、夜中俺の部屋を尋ねてきたら、その時は遠慮しないからな」


 泰貴は持っていた湯呑みを卓上に置き、李花を真正面から見つめた。熱を帯びた黒い瞳が彼女を捉え、息苦しくなる。伸ばしかけていた箸を魚の箸置きに置いて逃げるように俯いた。


「まったく……」


 吐息と共にそうつぶやいて、泰貴は唇の端を少し上げる。


「……とりあえず今日は早く寝ろな。風呂は部屋についている奴を使え」

「え、はい」


(元からそのつもりだったけど。なんだろう)


「さあ、俺も食べようかな。なんか小腹が空いてきた」


 彼はそう言いながら、彼女が食べようとしていた次の獲物――炊き合わせの蓮根を奪い取る。


「うまい。やっぱり単なる煮物とは違う」

「え、あ」


 うろたえる李花を横目に泰貴は次々と炊き合わせの野菜を口に入れていく。


「待ってください。ゴボウが!」

「お前、ゴボウ好きなのか?」

「はい」

「じゃあ、やる」


 口に中にゴボウを突っ込まれ、驚いたがそのまま咀嚼した。


「美味しい」

「だな」


 ゴボウのシャキシャキ感の前に照れなどどこかにいってしまい、李花は何事もなかったように食事を続けた。




「じゃあ。おやすみ」


 デザートの果実入り水羊羹を平らげ、のんびりしていると泰貴に部屋を追い出され、李花は部屋に戻ってきていた。彼は今から一人で晩酌をすると言っており、付き合おうかと提案したところ、冷たく断られた。


「本当。わけわかんない」


(でも、なんか一緒にいたら時たま緊張するし、一人のほうがいいか)


 そう自分を納得させ、部屋を改めて眺める。


 李花の部屋は泰貴と同じ座敷部屋だった。違うのは内風呂の有無のみで、六畳の和室が二つ、襖を区切って続いていた。一つの部屋に座卓が置かれ、もう一つの部屋の片隅には布団一式と浴衣。浴衣は三種類で柄はすべて同様の花模様だったが、色がそれぞれ赤、紺、紫色に分かれていた。


「浴衣か。まあ、見る人いないし。いいか」


 一番無難な紺色をとり、とりあえず着替えてみた。


「右、左どっちが上だっけ。まあ、いいか」


 適当に羽織り、帯を締めてから、内風呂に向かう。


「うわあ。なんかやばい」


 内風呂の天井は吹き抜けで、大人二人が入れる大きさの木の樽にはたっぷりお湯がはいっていた。ガラス扉で区切られた脱衣所にはバスタオル、石鹸やシャンプーなどの入浴セットが完備されていた。


「一生分の贅沢って奴かな」


 一人ではとても泊まれない部屋で、李花は恐縮しながら浴衣を脱ぐ。


(泰貴さん。うう。こんな部屋を用意してもらって、これは本当にまずいかも)


 結婚の二文字、もしくは家政婦の三文字が頭に浮かぶ。


(もう観念するしかないのかな。結婚は無理だけど、家政婦なら。私の料理おいしいって言ってくれたし)


 李花はそんなことを思いながら、桶でお湯をすくい体にかけた後、お風呂に浸かる。


「気持ちいい!」


 肩までつかり、柔らかく暖かいお湯の恵みを堪能する。背中を樽の側面に委ね、全身をお湯の中で開放する。


「一人風呂最高!」


 温泉の経験なら何回もあったが、胸に刺さる視線に何度も不快な思いを抱いた。リラックスなどした記憶がなく、李花は初めて温泉の良さがわかる。


「泰貴さん、ありがとうございます」


 隣の泰貴の部屋を拝み、彼女は感謝を示す。

 そうして、これはもう家政婦になるしかないかと思ったとき、水面に丸いものが見えた。


「つ、月?」


 李花は水面に写ったものを確かめようと動きを止め、それを凝視する。


「やっぱり月だ!」


 はっきりとその形が見えた時、心の中から気持ちが溢れて来た。彼女は立ち上がり、一心不乱に月を捕まえようとした。しかし、それは揺れるばかり、取り止めのないものだった。

 しばらくお湯と格闘していたが、ふと空を見上げる。

 雲ひとつ浮いていない夜空に、満月に近い月がぽっかり浮かんでいた。


「なんだ……」

 

 水面に写った月は影でしかなく、彼女が期待したものではなかった。

 それがわかると、急に冷え込んだ気がした。


(何、期待してるの。私。馬鹿じゃない)


「馬鹿だ」


 崩れるようにお湯につかり、顔を手で覆う。 

 水面の月を見たとき、彼女の心を支配したのはただひとつの思いだった。


「戻れるわけないのに」


 指の隙間からはらはらと涙が零れる。そうして、すでに濡れている頬を何度も濡らす。

 お湯を掬い何度も顔にかけてみたが、涙は止まらなかった。


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