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36 係長の想い

 平日の定食屋の混みは半端ではない。そんな中、席をどうにか獲得して二人は注文した。泰貴はカツ丼、李花は親子丼である。

 ほぼ同時に来た丼ものを「いただきます」と言い合い、食べる。


「美味しい」

「うん。うまい」


 この定食屋は解雇になった「箱舟」の近くで、何度か営業係の皆で食べに来たことがあった店だった。二人は駆け落ちしたと噂されており、「箱舟」の社員がいた場合、冷やされたに違いない。しかし運良く社員が店内にいなかったため、不要なからかいを受けることもなかった。


「李花。就職活動はどうだ?」

「えっと、いやあ。難しいですね」


(嘘ついてもしょうがないし)


 今日の面接官は女性で冷たい視線を向けられた。前の会社「箱舟」はこの会社の競合相手でもあったので、当然の話だ。解雇になった理由を執拗に聞かれ、仕方なく「無断で旅行にいったため」と説明をしたら、その態度はさらに冷たくなった。


(あの分じゃ、連絡こないかな)


 浮かない顔をしている李花のコップに水を注いでから、泰貴は自分のコップにも注ぐ。


「あ、すみません」


(なんてこと。係長についでもらうなんて。本当、私だめだめだ。こんなんじゃ、本当に無職のままかもしれない)


「李花。お前、もしかして解雇理由、正直に話したのか?」

「え?いえいえ。あんなファンタジーなこと言ったら頭がおかしいって思われるので、言ってませんよ!」


(係長。私が異世界トリップしたって言ったって思っているの?さすがの私もそんな馬鹿なことは言わない。誰も信じるわけないのに)


 そこで泰貴はなぜか溜息をついた。


「もしかして、無断で旅行にいったため、とか説明した?」

「はい。そうですけど」

「お前、馬鹿だな」

「え?なんでですか?」

「そんな奴、雇ってくれるわけないだろう?そこは、交通事故にあって連絡ができなかったら、首にされたとか、もっといい理由を作ればいいだろう」

「え、でもそんな」


(そんなこと言ったら、病院とか聞かれるだろうし。嘘ついたら、ああ、でも旅行自体嘘だけど)


「まあ、いいよ。お前がいつまでたっても無職だったら俺が家政婦として雇ってやるから」

「なんですか。それ、雇うって」

「結婚するのが嫌なんだろう?だったら、職業として考えたらどうだ?お前の料理うまいし、掃除とかも苦じゃないんだろう?」

「まあ。そうですけど」

「考えとけな」


 泰貴はそういうと器に残っていたご飯を掻きこみ、コップの水を飲み干した。


(考えとけか。まあ、奥さんよりはよっぽどいいけど。でもこのままズルズルと好意に甘えてもな。ああ。でもお父さんとかは係長と私が結婚するって思い込んでるし。あー頭が痛い)


 結局、憂鬱になり、李花にしてはめずらしく、ご飯を残してしまった。

 こんな風に戻ってきてから彼女は食欲をなくすことが多くなり、体重は少し減っていた。窮屈だったズボンやスカートが楽にはけるようになったのは嬉しいが、気分が乗らないのは最悪だった。


「李花」


 駅まで送ってもらい、改札に入る前に泰貴は彼女を呼び止めた。


「何ですか?」

「俺と旅行行かないか?」

「え?」

「嫌だろうけど、ついてきてくれないか。一人ではどうも乗り気がしなくて」


 珍しく彼の表情が曇っていたので、李花は少し心配になり、泰貴の傍に戻ってきた。


「どうしたんですか?大丈夫ですか?」

「俺、田舎に行こうかと思って」

「田舎?……もしかしてタエさんの?」

「ああ」

「どうしてですか?」

「これ、サイラルから預かってきた」

「ひっ!」


 泰貴から見せられたものに李花はちょっと驚いて引き気味になる。

 それは丁寧に結ばれた一房の黒髪だった。


「いや、昼食時に出すのもどうかと思って。俺も持ってきたくなかったけどな。タエさんのことを考えると」

「タエさん?この髪はタエさんのですか?」

「ああ。なんでも、サイラルの母親の日記に挟まっていたもので、タエさんのものと知って捨てようかとも思ったけど、保管していたらしい」


(ああ、タエさん。異世界から人を呼ぶのを禁止したけど、もし誰かが来て帰ることがあれば、この髪を田舎に持っていってほしかったのかな)


 それは彼女の矛盾した気持ちだが、理解はできた。


「タエさん。帰りたかったんでしょうね」

「そうだな。でも帰っても酷い思いをするかもしれないので、帰れなかった。後は残した子どものことも心配だったんだろう。タエさんは産み落とした子とは死ぬ前に一度も会うことはなかった。しかし、子のことは気に掛けていたはずだ」


 いつまで人毛を持っていると怪しまれるので、それは再び鞄に入れながら、泰貴は言う。


「一緒に行ってくれるか?」

「はい」

「部屋も一緒な」

「え?それはちょっと」

「冗談だ。付き合ってもらうから、旅費は俺が持つ」

「いえ、いらないですよ!私だって少しは貯金が」

「その田舎の近く、温泉がすごい有名な旅館があるんだ。一泊四万なんだけど」

「えっと、」

「宿代は俺が出す。温泉に入りたいし。もちろん部屋は別だ。交通費は自腹でな」

「……ありがとうございます」


(なんか、係長どうしてこんなに)


 彼の好意が李花を絡めとり、動けなくなりそうだった。


「そんな顔するな。なにか辛い」

「え?どんな顔で」

「……ほら、もう帰れ。出発は明後日でいいな。電車で片道4時間の旅だ。また電話する」


 泰貴はそう言うと、彼女に背を向け歩き出す。


「か、泰貴さん!」

「お、今度は俺の名前ちゃんと呼べたな。じゃあ、気をつけて帰れよ」


 少しだけ振り向き、泰貴は手を振るとそのまま歩いていってしまった。


(どうしたんだろう。なんか、ちょっと)


 振り向いた彼の表情は笑っていたが悲しそうで、李花は胸にじくじくと痛みが走った。




「すごい景色ですね!」


 子供みたいに李花ははしゃぎ、窓の外を食い入るように見ている。向かいに座る泰貴は彼女が窓から体を乗り出すのではないかと内心ひやひやしていた。


 

 三日後、二人はタエの村へ出発した。

 駅で待ち合わせ、電車を二回乗り換えたところで、風景が一変した。それまでは灰色の町並みが続いていたが、緑一色になる。

 李花はインドアではあるが、公園や庭園など緑のある場所が好きなタイプなので、窓から風に乗って入ってくる湿った森の香りは彼女の心を和らげた。

 この二日間、別れ際の泰貴の表情が気にかかり、旅行をキャンセルしようかと迷ったくらいであった。だが、こうして自然の中を走る電車に乗り、彼女の憂鬱は吹き飛んでいた。


 一時間ほどローカル電車を味わい、目的の湖水駅に到着する。駅を出ると宿から出迎えが来ており、二人は車に乗り込んだ。


「まずは風呂だな。風呂」

「え?まずは食事にしませんか?お腹すいちゃって」

「電車の中で駅弁食べてなかったか?」

「あ、そうでしたっけ」


 ギクシャクすることなく李花は泰貴と会話と続ける。

 一昨日見た、彼女が不安になるような、彼らしくない表情が嘘だったようで、李花は深く考えることなくこれから向かう旅館に思いを馳せる。

 一泊四万円の駅名と同じ湖水の名を持つ湖水館。

 湖の側に立っている上に温泉も楽しめる二重にお得な旅館だった。

 泰貴は宣言した通り、部屋を別に取っていた。しかも李花の部屋にはお風呂も付いている贅沢ぶりで、それを聞いた時、彼女は真剣に辞退を申し出た。

 だが「その胸は凶器だ」という李花には理解不能なことを言われ、押し切られて今に至る。


「飯は一緒に食いたいな。だったら食事の後でいいか」


 湖水館に到着するころには泰貴は李花の主張を受け入れ、結局彼の温泉堪能は食後になった。




「いや、すごいな……」

 

 車から降り、スーツケースを運んでもらいながら、宿に入る。

入り口では、女将と仲居が深々と頭を下げ二人を出迎え、李花は完全に腰が引けた。


「あの、すんごい高いですよね」

「ああ。まあ、後で体で払ってもらうから」

「え?!」

「冗談にきまっているだろ」


 漫画のようなポーズを披露した彼女に、女将と仲居が少なからず驚いたように目を開く。それに対し、泰貴は息を小さく吐いてから二人に微笑みかけた。


「三日間お世話になります」


 イケメンの笑顔に、職業を忘れるくらいに二人は惚ける。李花の奇抜な行動など脳裏には残りもしない。


「部屋に案内していただけますか?」

「はい。いますぐに」


 泰貴の言葉に二人は我に返り、仲居はスリッパを用意し、女将は営業スマイルを浮かべる。そうして、円満に李花と泰貴は部屋に案内してもらった。


 部屋は別でも食事は同じ部屋でとる。

 宿泊費を出してもらっている上、一応二人旅だ。

 李花は素直にその提案を受け、泰貴の部屋に来ていた。


「係長……」

「泰貴だ」

「あ、泰貴さん」


(本当、呼び方を変えるのは難しい。でも本当、もう同じ会社でもないんだから、気をつけないと)


 そんなことを思いながら、目の前の美男を眺める。

 彼は浴衣に着替えて、部屋の奥の窓から湖に目を向けていた。


「なんか、決まってますね」

「そうか。まあ。俺はかっこいいからな。何着ても似合う。女体化のままだったら、それは色気のある女ぶりだったかもな」


(そうですね。はい。この人の自信は。まあ、事実だけど)


 いつもの調子の彼に悪態をつきたくなるが、堪えてその横に並ぶ。

 大きな窓いっぱいに広がる湖と空。

 黄昏時のオレンジ色の光が西の空を彩り、沈みかける太陽は湖面に真っ直ぐな道を示す。それは丁度二人に道案内しているようだった。


「あの道が、俺たちの道であればいいんだがな」

「え?」


(どういう意味?俺たちの道?もしかして係長、違った。泰貴さんはタエさんの田舎がどこかわからないとか?いやまさか)


 泰貴の言葉からそんなことを想像していた李花だが、顔を上げ息を呑む。


(どうしたの?なんで?)


 泰貴は目の前の風景ではなく、どこか遠くを見ているような表情をしていた。李花はどうしていいかわからず、ただ隣で日が完全に沈むまで湖面を見続けるしかなかった。


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