31 新しい決定
「泣いているのか?」
「係長!」
止まらない涙と格闘していると、突然背後から泰貴に声をかけられた。
「勝手に入ってこないでくださいよ」
李花は文句を言いながらも渡されたハンカチを素直に受けとり、両目を押さえる。驚いたせいか、涙は止まってくれた。
(本当なんだったんだろう。涙)
「ありがとうございます」
涙を拭き終わり、そのまま返そうとすると泰貴がちょっと引いた表情をする。
「あ。その辺置いといて。後でメイドが取りに来るだろ。ところで李花、何で泣いていた?」
「それがわからないんですよ」
「わからない?ボットと会ったか?」
「は、はい」
「それで何か話したか?」
「いえ、別に。あ、ボットさんに何かされたわけじゃないですから!」
(いやいや。何か誤解してる?確かにあの人、無愛想だけど、本当は優しいもん。まあ、あまり好かれていないだろうけど)
「ふうん。あいつ何も、」
泰貴はあごに手をやり、少し考える仕草をした。
親父ポーズなので、美女がやるには違和感があった。
「何ですか?」
「何でもない。さあ、いよいよ明日で最後だな。ちょっと王宮の見学でもしようか」
「ええ?だって、一応私、戻ってくる設定になっているんですよね?だったら最後っぽいことしたらいけないんじゃないですか?」
「そうか。じゃあ、俺だけ見てくるぞ」
「え?卑怯ですよ。私も行きたい」
「じゃ、ついてこい」
「え、はい」
邪気のない、子供のような笑顔で手を差し出されたので、李花は思わずその手を取ってしまった。
★
昼食前、緊急に三大臣が召集された。
機嫌が良さげな王に対して、サイラルは複雑な顔をした大臣達を出迎えることになる。
最初に口を開いたのはキリアンだ。
「今日集まってもらったのは、王妃選定についてだ。余はナガイではなく、サイラル・エファンの娘と婚姻を結ぶ」
「あらあら」
「なんと」
「サイラル殿?」
マグリートは意外な顔をして口笛を吹き、二人の大臣は驚きの声をあげる。
サイラルは、予想していた通りの三人の反応、注がれる視線を受け止め、王を仰ぐ。
「どういうことでしょうか? 陛下?」
「サイラル殿はまだ結婚もされてない身、話が途方もない気がいたします」
財務大臣のジャン、国防大臣のリカルドは怪訝そうに意見した。
「まあ。先の話っていえば先だけど。僕は賛成。早速サイラルのお嫁さん探ししちゃおう」
だがマグリートだけは対応が柔軟というか、面白がって茶々を入れ、サイラルは口を歪めて、彼に睨んだ。
「大体王妃はナガイ殿に決まっていたはずだ。それをいまさら」
「ナガイとリカは異世界へ返す。そして王宮の池は解体。異世界の者を今後呼ぶつもりはない」
「なんと、それなら。我が娘を。ああ。それもできないか」
「サイラル殿。初めからこれを狙っていたのですな。それで我が娘に」
ジャンとリカルドは自分たちの娘たちがすでにサイラルの計らいで意中の人を見つけているので、悔しそうな様子を露わにした。
「ジャン。リカルド。お前たちは勘違いをしている。サイラルは本来ならば、王位すら望める立場にある。彼は第九代ライベル王とタエの子孫であり、王家はこの八十年の間、それを伏せていた。彼の血は彼がナガイ達を呼んだことで証明されている。まだ証拠が必要であれば、マグリートに聞けばよい」
「サイラル殿が?」
「第九代ライベル王の子孫……」
予想外の事実を告げられ、二人は顔を合わせると黙ってしまった。
「キリアン。いえ、陛下。あなたは結局知っていたんだね。しかもサイラルまで説得して。本当、あなたはもう立派な王だ」
マグリートが褒め称えると、キリアンが口を歪めた。
「説得はまだ成功していない。生まれてもいないのにすでに親馬鹿な宰相殿は、娘を余に嫁がせることに不満があるらしいのだ」
「不満?サイラル。贅沢だね」
「不満などはない。ただ、結婚が、」
「結婚!そうか。サイラル殿。私の妻の妹がまだ未婚でして」
「おお。そういうことか。その手がある。俺の兄の義理の妹が」
「待って待って!サイラルのお嫁さんは僕が探すから」
黙っていた二人の大臣は新たなる可能性を見出し活気付き始め、マグリートは面白い遊びができそうだと騒ぎ立てる。
「ねぇ。もしかしてサイラルが不満なのって。あれなの?もしかして天下の宰相様はまだ、だったりするの?」
「そうなのか」
「サイラル殿が……」
「そんなわけはない!」
有らぬ方向に話がいきそうだったので、サイラルが珍しく大声を出した。
すると三大臣は顔をあわせ、意地悪そうな笑みを浮かべる。
そうして、その後も、会議は会議らしくない話で盛り上がり、サイラルは頭を抱え、キリアンはおなかを抱えて笑っていた。
★
そんな中、異世界日本組は王宮の中で、迷子になっていた。
「係長、これ迷子じゃないんですか?」
城の案内を買って出た近衛兵を断り、泰貴は李花を連れて部屋を出た。
国立学院、図書館、吹き抜けの廊下を抜け、中庭に入る。そこまで順調だったのだが、王宮の建物に再度戻るときに出口を間違ったらしい。同じような造詣の廊下を足が痛くなるまで歩き続けることになり、李花は恐る恐るその可能性を口に出した。
「そうか?」
しかし前を歩く頑固な美女は認めようとせず、歩を進める。
「係長。やっぱり迷子ですよ」
「迷子じゃない。俺はここを歩きたかったんだ」
「ここ?」
続くのは薄暗い廊下で、ほかには何もない。
「わかった、わかった。迷子だ。迷子。認めるよ」
泰貴は子供っぽく、その場に座り込んだ。
美女がやるので拗ねているようで、可愛かった。
(ああ、本当。元の姿に戻ったら、可愛いとかとはほぼ遠くなるだろうな。また鬼係長に戻るのか)
李花は「彼」の姿に目をやりながら、帰った後の心配をする。
(そういえば十六日も行方不明になってるってことだよね。やばいな。警察とか動いてるかも)
突然黙って天井を仰いだ李花の様子を思い測り、泰貴は立ち上がった。
「どうした?」
「いや、あの。ほら、帰ったらどうなるのなと思って」
「帰ったら、まず婚約かな」
「え?誰と誰が?」
「お前と俺。十六日もお前と二人で消えたんだぞ。異世界トリップしたんだなんで、いえないだろう?かといって記憶がないというのも病院送りになるし。だから、一番いいのが、婚前旅行。まあ、無断欠勤だから首になるかもしれないが。安心しろ。貯金は十分あるし、次の仕事もすぐに見つける」
「ええ?なんですか。それ、私の意志は?」
「意志?お前、俺のこと嫌い?」
「嫌い、じゃないですけど。いきなり結婚なんて……」
(うん。前と違って嫌いじゃない。でも結婚って)
李花は唇を噛み、腕を組んで悩み始める。
「冗談だよ。冗談。結婚はまだいい。でも、婚約はするからな。多分無断欠勤で首になるから、お前の親に説明がつかないだろ。婚約者として俺が責任を取ってやる」
「え?」
(確かに無断でいなくなった。しかも男の人と二人で。お父さんが怒るだろうけど。そんなことしなくても)
「俺はいい男だから。お前の準備ができるまで待ってやる。養ってやるから、花嫁修業がんばれよ」
「えっと」
(なんて答えたらいいんだろう。かばってもらうのはうれしいけど。そんなに勝手に決められても)
眉を寄せ、どうしていいかわからず唸っていると、泰貴はその頭に触れた。
「まっ。もしお前に別に好きなやつができたら、あきらめてやる。大人の男だろ?」
同時に頬にキスを落とされ、李花は壁際まで飛びのいた。
そうして「彼女」はある人物が側にいたことに気がつく。
「ボットさん!」
(うわ。見られた。なんで、こうタイミング悪いだろう。誤解されるのに!)
動揺している李花とは逆に、泰貴は驚くこともなく彼に視線を投げた。
「ボット。何か言いたいことでもあるか?」
(係長!余計なことを!ただでさえ、もうボットさんとギクギャクしているのに)
「いえ、何もありません。ナガイ様、コダマ様。陛下から昼食のお誘いです」
完璧な無表情。
シガルは李花に視線すら向けることもなく、「彼女」の名でなく、姓を呼ぶ。
「つまんない男だな」
「何かいいましたか?」
「別に。李花。行くぞ。腹へってるだろ?」
泰貴は鼻で笑うと李花の腕を掴む。そうしてシガルの側を通り抜け、歩き出した。