27 シガルの選択
「係長?」
扉を叩いても反応がなかったので、李花はそのまま部屋に入る。
食い入るように日記を読んでいた泰貴は驚いたように顔を上げた。
「李花」
「大丈夫ですか?」
「ああ。用事は済ませてきたか?」
「ええ」
(用事って、知ってるくせになんだかな)
李花のちょっと拗ねた態度に泰貴は強張った顔を和らげた。
「俺も用事してこよう。あ、日記は借りていくな。長くかかりそうだし、俺が中身を全部読んでから、明日にでも教えてやる」
「え?係長?」
有無を言わせぬ様子で、泰貴は日記を掴むと片手で抱えた。
「じゃあな」
軽く手を振り、「彼」は唖然とする李花を残して部屋を出て行ってしまった。
「何、なんだろう?」
そのつぶやきは誰にも拾われることはなかった。
★
「ナガイ様」
部屋を出た泰貴はシガルに強く睨まれた。
想定内のことだったので、驚きもせず、しかし懐に抱える日記を持つ手には力が入る。
「日記に都合の悪いことが書かれていましたか?」
「別に。ちょっと錯乱している女性の日記だから、あいつには辛いかなと思ってな」
「錯乱?」
「ま、面白いことにはさせないつもりだ。俺とあいつは元の世界に帰る。それだけだ」
シガルにそう言うと、泰貴は隣の自室に戻った。
部屋にはメリルが待機しており、彼は羽ペン、インク、紙を用意するように伝える。そうして筆記用具を彼女から受け取り、一人になりたいと部屋から閉め出した。
「邪魔はさせない。絶対に」
日記を再び読み始めた泰貴は後悔した。
シェリルは徐々に精神を病み始めた。書かれている内容は支離滅裂になっていたが、どの頁にもサイラルや夫への愛情が示されていた。
最後の日付は、三九三年の四月。
計算するとサイラルを産んでから十五年後。
まだ生きててほしいと思いつつ、すでに彼女はこの世にいないと彼女の日記が物語っていた。
自殺か病死。
自殺の可能性が高い。
母親の無念を晴らすため、サイラルは泰貴を呼んだ。
直接の不幸を呼んだのはエファン家だが、元々の原因は異世界の血だ。
そのために母親は精神を壊し、死んだ。
血への復讐、そのためにサイラルは異世界の者を呼んではならないというタエの言葉を裏切った。
「でも俺には関係ない。帰るんだ。日本に」
シズコとタエは先祖であるが、彼自身ではない。
復讐の道具になる気はなかった。
しかし、李花の場合は違うだろう。
サイラルに同情し、残ることを選択するはずだ。
「だから外務大臣は李花にこの本を読ませようとした。そうはさせるか」
泰貴はこの日記の内容を李花に伝えるつもりはなかった。
満月の夜にサイラルの血を利用して、日本に帰る。
彼はそう決めると、次の満月の日を割り出そうと日時を紙に書き出し始めた。
★
「マグリート様。あなたが予想する日記の内容を教えてください」
「あれ、君読んでないの?」
サイラルと入れ替わるように屋敷に現れたシガルは、マグリートの部屋に入ると間髪入れずそう聞いた。
「私は読んでません。ナガイ様が私の代わりに、リカに読んでましたので」
「ナガイ殿かあ。あ、まずいね。それ。というか、その可能性もあったのか。ちょっと失敗しちゃったな」
「失敗?どういう意味ですか?」
「あのさ。コダマちゃん、どれくらい読んでた?」
「それはちょっとわかりません。ただ、ナガイ様がとりあげるように日記を持ち去りましたが」
「そうなんだ。あーやっぱり失敗しちゃったね」
口を尖らせ、マグリートは持っていたワイングラスの中身を一気に飲んだ。
「これは、僕が直接話すしかないか。それなら」
シガルは首をかしげ、彼の言葉の続きを待つ。
「シガル。サイラルの母親は自殺した。黒い容姿のため、夫と子と共に暮らすことができず、精神が崩壊したんだ。かわいそうだと思わないかい?もし、タエが異世界の者を呼ぶことを禁じていなかったら、彼女は今頃王族として生きていたかもしれない。それなのに非業な死を遂げてしまった。コダマちゃんならどうするだろう。同情するだろ?」
「それは、」
「コダマちゃんの元の姿、見たくない?」
「どういうことで、」
「知ってる?君の血にコダマちゃんと同じ血が入っているはずなんだ。だから、コダマちゃんを再び呼び戻すことができるはずだ」
マグリートから持たされる情報。それがシガルの脳を駆け巡る。
「ナガイ殿とコダマちゃんを一度戻し、その後に元の女性の姿のコダマちゃんだけを呼び戻す。そうすればみんなうまくいくだろう?」
「それは」
李花が女性としてこの国に戻ってくる。
それはシガルにとって青天の霹靂としか思えないことだった。
だが、淡い期待を持つ自分がいるのがわかる。
姉とよく似た少年。
本当は女性である彼女。
世話がかかって、庇護欲を掻き立てる存在。
姉の代わりではない。元から姉にはそんな気持ちをもったことがなかった。
きっかけは彼女の、姉に似た顔。
しかし、一緒に過ごす内に、彼女の素直さに絆されていった。
自分の中に何かの感情が芽生えている、目を背けていたが本当はわかっていた。
「ちょっと面倒だけどね。ほら、サイラルが血の証明をしたいだろ?で、キリアンも君もコダマちゃんこと大好きだし」
マグリートはゲームを楽しむかのように笑う。
「そんなの、リカの意思を無視するわけには、」
「だから、日記なのさ。今更僕が話しても信憑性を疑われるかな。やっぱり日記だよね。シガル。君、ナガイ殿から日記を返してもらいなよ。そうして君がコダマちゃんに読んであげるんだ。どう、やってみない?」
結局シガルはマグリートの問いに答えることなく屋敷を後にした。
男体化した「彼女」が苦労していることは、彼自身が一番知っていた。
元の女性に戻れば、それが解消されるのか。
この国で彼女は幸せなのか。
その可能性を考えてみた。
しかし、シガルは目を閉じ、再び開くと首を横に振った。
「ナガイ様」
それからシガルは王宮に戻り、メリルに用事を言いつけ、泰貴の部屋に堂々と入る。
「何のようだ?」
出迎えた「彼」は、不機嫌さを隠すことなく鋭い視線を寄越した。
対するシガルは息を吸うと、泰貴を睨み返す。
「あなたに相談したいことがあります」
予想外の言葉に泰貴は眉をひそめた。




