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少女は白本を抱いて世界を渡る  作者: 柚森 信
二章:覚醒
9/44

009

父様のターン。

 


 ――机の上へ置かれた時計が、小さく三つ鐘を鳴らす。

 黙々とペンを走らせていた少女がふと顔を上げて瞬いた。文字盤へ目をやり溜め息をついてペンを置く。


「ミア、今日はここまでにしよう」


「目標まであと半ページだったんだけど」


 傍らで手本にしていた薄い冊子を眺め残念そうに呟いたミアは、机から書き取り用の紙を拾い上げインクの乾きを確認する。重ねても問題ないと判断して、卓上の文箱へ用紙を滑り込ませた。後で見直して綴り間違いの確認をするのだ。

 並びの机で作業をしていたトールが文箱の文字に目を留めて微笑んだ。


「ペンの使い方にもこちらの文字にも慣れて、筆跡もきれいになってきたね」


「そうかなぁ……」


 ミアは不満げに眉を寄せる。

 短文を連ねた冊子を手本としてもらっているのだが、これは文字を学ぶミアの教材にとトールが手書きで取りまとめたものだ。

 読みやすく揃った文面は、書き取りの手本という目的の為わざわざ活字に似せた書体で綴られている。ミアの学習進捗に合わせ、度ごとに内容も作り替えられていた。何から何まで至れり尽くせりで感謝するしかない。

 修得が早いから教材を作るのも楽しい、と笑ってくれるが、気合を入れて勉強に励むしか払ってくれる労力に報いる方法がないので、生きるための手段ということもあいまって日々の学習態度もこれ以上ないほど真剣である。


(筆記体で文章を読み書きできるようになるのって、いつになるんだろ…)


 以前に見せてもらった両親の美しい書面を思い出して、ミアは肩を落とす。

 三ヶ月が過ぎ、読むだけなら日常生活レベルを卒業して辞書を活用できるようになってきたが、書くことについては日々の練習を積むしかない。

 ミアは道具を片付けながら隣の様子を窺う。

 トールも作業の手を止め、なにやら書き付けていた紙を広げて確認をしている。


「今は何の設計図?」


「腕時計を作れないかと思っているのだよ。ミアの時計は本当に素晴らしかったからね」


 書き起こしている途中の図面を眺め、トールが心底楽しそうに笑った。

 サイアニアスで時計は魔道具に分類されるらしく、たったいま卓上で愛らしい鐘を鳴らした時計もトールの手によるものだ。

 洗練された優美なデザインも六時間ごとに鳴らす鐘の音を変える機能も魅力的で、こんな時計が自分の部屋にもあったらなぁ…とうっかり呟いたところ、数日後に笑顔でほぼ同じものを差し出され一瞬血の気が失せたのを思い出す。

 高かっただろうと受取拒否しようとしたら、空いた時間に作ったものだからとあっさり言われてますます驚いたものだ。


「この時計だってすごく素敵なのに」


「優れた品を見て、奮い立たない技術者はいないよ」


 近くにあった時計を撫でてトールを振り返る。飽きもせず図面を見つめる瞳は熱意に満ちていた。




 この世界にミアが持ち込んだのは、抱えていた書籍の包みと身に付けていたもの一式、あとはポケットに入っていた小物類だった。

 保護された場所でそれ以外の荷物は見つからなかったらしい。


(鞄は駅で落としたのかな? 携帯はちょっと見せたかったかなぁ……)


 残念だがないものは仕方ないと諦めた。オーバーテクノロジーな物品の持込数が少なく済んだと考えれば、それも良かったのだろう。

 あと、突然姿を消したであろう身として、自分が駅に居たという証拠を残せた可能性はある。

 そういえば、あの後どうなったのだろうか。転落後に荷物を残して姿を消したとなると失踪者扱いだろうか。あるいは…神隠しとしてニュースに…いや深く考えるのはよそう。戻る方法もないうえに今は6歳児だ。


 研究者夫婦にとってミアの荷物は宝の山に見えたらしい。宣言を受けていた写真集に始まり、洋服や靴、ポケットの中に入っていた硬貨に至るまで、二人の好奇心は尽きることがなかった。

 疲れきったミアを見かねたアイルにきつく窘められるまで質問攻めは続き、この手の話は一日三十分まで!、と息子に宣言されてようやく二人とも一時待機状態となった。つまり、問答は今も続いていたりする。

 ミアにとって意外だったのは、メリアではなくトールの方がより強い興味を示したことだ。

 確かにメリアも研究者、また女性としてミアの話題に一通りの好奇心と関心を示したが、彼女の専門分野が法術研究であるためか、今はミアとの話から拾ったアイディアを法術で再現できないかという方面に意識がシフトしている。

 だが魔道具を作成するトールにとっては、全てが強烈な刺激だったらしい。


「まさか、父さんを窘める日がくるなんて思わなかった」


 そうアイルが嘆いたように、強い静止が必要だったのは実はトールの方だ。

 一通りの好奇心が満たされれば満足するメリアと違い、使用目的に始まり、原理、材質、構成などミアの知識が及ばない範囲まで、果ては写真集の中の光景にまで細かい興味を示して質問を重ねてくる。

 メリアほどわかりやすいテンションの高さはないが、ミアの回答からまた他方面への質問を見いだし……と本当に終わりがない。

 一日最長三十分の制限は、もっぱらトールに科せられたものだったりする。


「懐中時計までしか意識が及んでいなかったけれど、あの大きさで実用化できれば技術革新は間違いないだろうね」


「あの世界でも、腕時計は懐中時計からの進化だったはずだし、確か開発初期は懐中時計を腕に巻いたところから……って話もあったかも」


「では、そこから少しずつ小型化していくとしようか」


 トールに見せた機械式の腕時計は社会人生活が落ち着いた頃に奮発して買ったもので、精査の法術や魔道具で構造を確認したトールがその緻密さ、精度に棒立ちで絶句するほど、この世界の時計とは隔絶した技術の結晶だったようだ。

 その直後からトールは、空いた時間を見つけては研究室に篭って図面を書き続けている。没頭していると言っても良い状態のはずだが、それでも家族と過ごす時間もミアの学習時間も減らさない。……いつ寝ているのだろう。


「さて、メリアを待たせすぎてもいけないな。お茶に行こう」


 片手を差し出され、椅子から立ち上がる。

 一人でも降りられない高さではないが、実はこれも訓練のひとつだったりする。

 立ち居振る舞いは日々の積み重ねという、メリアの異論を差し挟む余地もない主張が認められた結果、特定の時間を除いて礼法の実践が積極的に進められていた。

 多少窮屈ではあるが仕方がない。

 ミア自身の体験だけでなく転送される手紙の量からしても、両親が何かしら名のある人物であるのは間違いない。二人の関わりから、まかり間違って人前に出るような事態がないとも限らない。養女として二人に恥をかかせたくないのだ。

 ありがたいことに、兄主導による体力づくりの時間もあるおかげでストレスは溜まらない。……そちらの内容について、少々物申したいことがなくもないが。


 トールに軽くエスコートされながら、書斎を出てサロンへ向かう。

 ノックの後扉を開くと、お茶の支度はあらかた終わろうとしていた。


 

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