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「あら残念。もう少し早かったら、お茶を淹れるところから見てもらおうと思っていたのに」
滑らかな所作でカップを扱いながらメリアが微笑んだ。
トールの引いた椅子に軽く一礼して腰を下ろす。礼法の先生として合格と笑顔で頷いたメリアは、厳格ではないが見る目は結構厳しい。物言いは柔らかいが不意打ちのように細かい指摘があったりする。
サロンとして使われているのは庭に面した南向きのサンルームで、ほどよく手の入った緑が心を和ませる。開け放した窓からは心地よい秋風が通っていた。
ほっと肩の力を抜いたミアに、大変だねぇと既にカップを手にしたアイルが笑う。
「あなただって、もう一度最初からレッスンしても良いのよ? おさらいしてみる?」
「必要を感じておりませんので謹んでご辞退申し上げます、母上。……うん、自分で言ってて居心地が悪いなあ」
渋い茶を飲んだように唇を曲げる兄に、メリアと目を見交わしてクスリと笑いあった。
「そういえば、今日のケーキってミアの発案だって?」
「発案というより、食べたいケーキの作り方を思い出して父様にお願いしてみただけなんだけど」
「最近はミアのおかげで、新しい料理やお菓子がたくさん食べられて嬉しいわ」
美味しいものを食べたいという欲求は味覚のある生き物共通、そんな認識はサイアニアスでも通用した。
幸いヘイアース家には料理上手が揃っており味覚の面で心配はなかったが、元の世界との調理法やレシピの違いはいかんともしがたい。
しばらくはそれほどでもなかったのだが、一月ほど前から「手に入らないと思うと欲しくなる」法則がミアに強く働いていた。
食の記憶と執着というのは恐ろしいもので、自炊している間にも作らなかったようなものも含め記憶から引っ張り出したありったけのレシピやアイディアを端から書き留めると、ミアは手に入る食材とそれらを比較検討して厨房へ突撃したのだ。
新たな調理法への探究心に溢れる父と、美味しいものへの好奇心に満ちた母はそれらを喜んで読みふけり、試行錯誤しながらも果敢に挑戦を始めていた。
「ちなみに今日は、ミルクレープというケーキです。トールが作ってくれたから間違いなく美味しいはずよ!」
メリアが胸を張った。
ちなみに、ヘイアース家での菓子作りはトールが主戦力である。成功率が高いという理由らしい。緻密な作業に慣れているからだろうか。
「ガレットを甘く柔らかく焼いてクリームと重ねるというのは、面白い発想だった。パウンド生地を焼くよりも失敗は少ないし、これからも気軽に作れそうだよ」
「父様、気軽って言っても何枚も焼くから手間はかかるでしょ?」
「同じ作業を繰り返して冷やすだけだから、焼き上がりを待つよりこちらの方が私は楽に感じるね」
熟練者の発言は一味違う。
ミアからすると似たり寄ったりなのだが、ミア自身は現在厨房で作業できる身長ではないので意見を出す以外は食べる専門で居られる。嬉しいことだ。
保冷の法術をかけられたホールケーキはまず四等分され、それを更に食べやすく半分に切り分ける。あっという間に取り分けまで終わり、ミアは手元へ届いたミルクレープの甘い香りに目を細めた。
初めての菓子に家族の反応は、と思ったが笑顔の兄がティーテーブルに乗った2ホール目にナイフを入れていたので気に病む要素は皆無だった。……もう食べ終わったのか、早すぎるだろう。
気を取り直して、ミアも自分のピースから一切れをフォークで切り分ける。
ジャムはあってもマーマレードはなかったので、今回は杏に似た果物のジャムを艶出しに使ってもらった。そのうちマーマレードも作ってもらうつもりだ。
ぷつつと小さな手ごたえを感じながらフォークを刺し、口へ運ぶ。
しっとりしたクレープ生地と雪のように溶けるクリームの舌触り、心地よく余韻を残すほどよい甘さ、果物のかすかな酸味と香り――
「……おいしい」
初作品とは思えない完成度に、思わずうっとりと笑みがこぼれる。
父が、魔道具だけではなく菓子作りの分野まで達人級とは。
(ほんっと、頼んで良かった……!)
甘くて美味しいものは幸せの源泉だ。次は何を作ってもらおうかと思いを巡らしながら二口目を味わう。
とろけるような味わいに夢中で1ピースを食べ終わると、自分のものではない満足げな溜め息で我に返る。目を上げれば他の三人は2ホール目も完食していた。
好評だったのは間違いないが、流れるように優雅な仕草でこの速度は解せない。
一度、最初から最後まで観察したいと思いながら、ミアは最後のピースに手をつけた。絶品ミルクレープを堪能しながら、ミアは歓談に入った三人の話に耳を傾ける。
最初は、今日のケーキに始まり最近食べた新しい料理についての感想だった。三人それぞれの好みがそれとなく現れていて興味深い。
食べ物の話から、ミアの敬語が抜けてきたことに話題が移り、そのうちミアの学習進捗へと変わる。
目の前で自分の話ばかりというのも落ち着かないが、懇談会のようなものだと言い聞かせつつ黙々とケーキを食べ茶を飲む。
「やはり、座学の進み具合が優秀だな」
「学ぶ意欲が絶対の燃料よね。法術の理論も今まで色々な子に教えてきたけど、発想が独特でこっちまで楽しくなるわ」
読み書きその他の一般教養と、法術理論、礼法を担当しているのは、それぞれトールとメリアだ。
その他、女性が身に付ける教養や技能も時間の余裕をみながら進められている。裁縫の担当がトールだったのには驚いた。父が万能すぎて怖い。
「さすがに身体作りはすぐ成果が出るようなものじゃないけど、少しずつ伸びてはいるなあ。このまま色々やってみたいことがあるよ。
地理については飲み込みが早いねえ。何話そうかってあれこれ考えるのも面白くて、教え子持ってる母さんの気持ちがちょっとわかったかもね」
体力づくりは当然のようにアイルが受け持っていた。
同時に、各地を移動して依頼をこなしていることから、サイアニアスについての一般知識を地図を片手に教えてくれる。
成人男性、しかも冒険者のアイルが指導する「体力づくり」が並みのものであるはずはないのだが、その反面、現地の体験を交えながらの地学と一般知識講座は、学ぶという感覚を忘れるほど面白い時間だった。
「そういえば、あなた仕事はどうしたの」
「今、休暇中。二人と一緒だねえ」
「嘘おっしゃい」
「冒険者なんて、仕事があってないようなものじゃないか」
「……ゼルが聞いたら泣くだろうに」
「あのご老体が泣いたところで、痛むような心は持ち合わせてないなあ」
……最近感じるのだが、この三人の会話が進むと高確率で物騒な内容へ転がっていくような。
母からのどこか咎めるような視線も、アイルはどこ吹く風とばかりに平然としたものだ。かえって、口元へ薄く笑みを刷く。
(うわあ、なんだか悪役っぽい顔してる…)
いつもつかみどころのない顔で笑っているものが、目を伏せて冷ややかな笑みを浮かべるだけでこんなに印象が変わるとは思わなかった。
普段通りの暢気な声音はいっそ酷薄と言っても良い気配に彩られ、かえって得体の知れなさを感じさせた。ミアにとって今まではただの暢気でおおらかな兄が、また違う顔を持っているということなのだろうが……
戸惑いながら見つめるミアの視線に気付いたか、ふとアイルが目を上げた。
視線がぶつかると、悪戯が見つかったようにきまり悪げに笑う。手にしていたカップを置いて肩を竦め、思案の顔で顎をひと撫でした。
「とはいえ、ギルドから捜索手配を受けるのも癪だなあ。……それについては、父さん母さんに一筆お願いしよう」
「何をさせる気だ?」
名案を思いついたと言わんばかりの息子へトールはゆっくり瞬く。
「俺への指名で長期依頼出してくれないかな。
それなら立派な仕事になるし、滞在場所も問い合わせ先もはっきりするから『山狩り』も回避できるかなあってね」
「そのくらいなら構わないけど……」
本当に居座る気なのね。
呆れる母へ、肘を突いたアイルが唇を尖らせる。そのわざとらしさにミアは堪えきれず吹き出した。
「……すごく納得」
「ミア、何を?」
「残念な美形って、兄様みたいなのを言うんだなってこと」
「……可愛い妹からのその評価。もしかして、これが反抗期ってやつ?」
これが反抗期のすべてだったら、きっと世界は平和に違いない。
スポンジケーキは微妙ですが、パウンドケーキはあるようです。
生クリームとバターはやや高級品だけど、入手は地域により簡単。
ベーキングパウダーは、まだ料理には使われてない可能性。




