陰謀の匂いとハーブの解毒剤
「……なんだか、今日の風の匂いは少しばかり『悪趣味』ですわね」
ある日の朝、ハーブ園『プチ・ルテティア』のテラスで淹れたてのセージティーを口に含んだ瞬間、私はふと手を止め、眉をひそめた。
前世のフランス宮殿——数々の権謀術数や、毒殺の噂が日常茶飯事だったヴェルサイユで生き抜いた私にとって、空気の微細な変化や、不自然な異物の気配を嗅ぎ分ける感覚は、いわば体に染み付いた本能のようなものだった。
昨夜から滞在しているアルフレッド王子を狙う刺客が動き出すなら、まさに今日だ。
私はカップをソーサーに静かに置くと、すぐに立ち上がり、園の中心にある石造りの井戸へと歩み寄った。
「マリー様、どうなさったんですか?」
朝の仕込みをしていたクロエが首をかしげながら近づいてくる。
「クロエ、今日の水は一切使わないように。そして、村の人々にもハーブティーの給仕を一時中断するよう伝えてちょうだい」
「えっ……? 何かあったんですか?」
「ええ。この井戸の底から、わずかですが……『紫水晶の毒花』と硫黄が混ざった、いやらしい人工の毒の匂いが漂ってきていますのよ」
私が井戸の縁を覗き込みながら冷ややかに告げると、ちょうどその背後を通りかかったルークが、一瞬で表情を険しくさせ、腰に下げた大剣の柄に手をかけた。
ルークの鋭い眼光が、ハーブ園の裏手にある茂みの影を射抜く。
「……気づくのが早いな、お姫様。どうやら、俺たちの可愛いゲストをご所望のネズミどもが、すでに敷地に忍び込んでいるらしいぜ」
ルークの言葉が終わるか終わらないかのうちに、ガサリと音を立てて、黒い覆面をまとった三人の男たちが茂みから飛び出してきた。
彼らは冷酷な笑みを浮かべ、それぞれに毒を塗った暗殺用の短剣を構えている。
「さすがは噂の『プチ・ルテティア』の主だな。だが、井戸の水に王族をも一撃で仕留める『黒死の猛毒』を混ぜちまった以上、お前たちの命運もここまでだ!」
リーダー格の男が下劣な声を上げた瞬間、ルークが風のように踏み込み、その巨体から繰り出される圧倒的な剣圧で男たちの武器を力任せに叩き落とした。
「お前らの相手は俺だ。よそ見をしてんじゃねぇよ」
「ぐっ……なんだこの怪力は……!?」
男たちがたじろぐ隙に、私は手元にあった木製のバケツから、井戸の水をほんの数滴だけ小皿に取り出した。
——やっぱり。水の色がわずかに濁り、不気味な黒い泡がぷつぷつと浮き上がっている。王子の命を狙う刺客が、村全体を混乱に陥れるためにこの井戸を汚染したのだ。
「私のお気に入りの井戸を、こんな下品な劇薬で汚してくれるなんて……許しませんことよ」
私はフンと鼻を鳴らし、エプロンのポケットから小さなガラス瓶を取り出した。
中に入っているのは、私が昨日から念のために調合しておいた『万能ハーブ解毒液』だ。高純度のエルダーフラワー、解毒作用を持つドクダミの近縁種、そして魔力を浄化する『ホワイト・セージ』の精油を極限まで濃縮した、私特製の最高傑作である。
「お前たちのその安っぽい毒など、私のハーブの気高き浄化の前には無力ですわ!」
私はその解毒液を、井戸の中へ一滴残らずポタリと投げ入れた。
――瞬間。
井戸の底から、シュワシュワと心地よい炭酸のような音が響き渡り、ほんの数秒前まで不気味に黒濁していた水が、まるで嘘のように透き通った青い輝きを取り戻した。
それどころか、井戸の周囲一帯に、爽やかな森林の朝を思わせる清らかなハーブの香りがふわりと広がり、刺客たちが持ち込んでいた毒物の魔力すらも完全に相殺してしまったのだ。
「なっ……馬鹿な……!? 一瞬で毒が消えただと……!?」
刺客の男たちが信じられないものを見るように目を見開き、恐怖で後ずさった。
普通の毒殺計画であれば、これで万事休すだったはずだ。しかし、相手が悪かった。私は前世のヴェルサイユで、数々の毒の噂や陰謀の渦中に身を置きながらも生き延びてきた(そして、その恐怖に怯え続けた)トラウマと、この世界最高の植物知識を持っているのだ。毒への嗅覚と対策にかけて、私を欺ける者などこの世に存在しない。
「お仕事の邪魔をしたお礼ですわ。ルーク、お仕置きなさい!」
「おう、任せな!」
ルークが凄まじい気迫で踏み込み、大剣の背で刺客たちの腹部を次々と正確に打ち抜いた。
「ぐはっ……!」という情けない声を上げ、三人の男たちはあっという間に地面に崩れ落ち、気絶した。
騒ぎを聞きつけて、宿舎の部屋からアルフレッド王子が青い顔をして飛び出してきた。
「ま、マリー様……!? いまの物音は……ぼくを狙った刺客ですか……?」
私は汚れ一つないドレスの裾を上品に払いながら、優雅に微笑んでみせた。
「ご安心なさって、アルフレッド。ご覧の通り、不愉快な虫けらどもはすべて排除いたしましたわ。それに、私たちの生活の命綱である井戸の水も、この通り完璧に浄化済みですの」
王子は、気絶した刺客たちと、何食わぬ顔でティーカップを持ち直す私の姿を交互に見つめ、呆気に取られたように瞬きをした。
「きみは……いったい、何者なんだ……? 宮廷のどんな魔術師や毒見役よりも恐ろしい手際じゃないか……」
「ただの、美しいハーブ園の主ですわよ」
私はクスリと笑い、クロエに指示して刺客たちを村の倉庫へ厳重に拘束させる手配をした。
隣国の陰謀がいかに泥臭く、卑劣なものであろうとも、我が『プチ・ルテティア』の平和と美意識を脅かすことは決して許さない。
夕暮れ時。
すっかり元気を取り戻したアルフレッド王子を交え、テラスで温かいハーブティーを囲みながら、私たちは穏やかな夕日を眺めた。
狙われた恐怖を乗り越え、少年の顔にはかつての気高い輝きが戻っていた。
「マリー様、本当に……ありがとうございました」
「お礼なら、その美味しい紅茶を綺麗に飲み干してからおっしゃいなさいな、アルフレッド」
ルークが腕を組んでフッと鼻を鳴らす横で、私は優雅にカップを傾けた。
どんな陰謀の匂いが漂おうとも、私が育てるハーブの香りは、いつだってこの世界を清らかに浄化し続けるのだ。物語はさらに深く、美しく、次の章へと進んでいく。




