016 宴会の開始
人のよさそうな笑みを浮かべてそう言った爺は、今度は僕に向かって背筋をピシッと伸ばして、僕の左手を手に取り、まるで僕の左手の甲に押し付けるように深々と頭を下げる。
「聖女様、この度は私を含め、皆を治療してくださり、誠にありがとうございます。御覧の通り、皆が自由になった体で喜んでおります。長く、辛い時期でしたが、あなたはそれに最高の終わりをくださった。ありがとうございます……!」
なんとなく、この左手の甲に額を付ける行為が、深い感謝を示す行為だということがわかった気がした。
まぁ、間違っているかもしれないけど。
でも、この爺の感謝は本物だ。
だからだろう。僕は本音を口にしたくなった。
「なんだか、みんなを治療すると、心がポカポカするんだ」
それを聞いて、爺と呼ばれる個体はニコニコの笑みを見せた。
「ありがとうございます」
そして、なぜかもう一度礼を口にする爺。
なぜだろう?
「爺、ジゼルをお屋敷で引き取るわ。ジゼルのお部屋を用意してあげて」
「かしこまりました。すぐに手配いたします」
オーレリアの言葉に深々と頭を下げる爺。
しかし、この爺と呼ばれている個体の名称は何なのだろう?
まぁ、いっか。そのうちわかるだろう。
そして、辺りに漂っていた死臭を打ち消すようにして、おいしそうな匂いが辺りを包んでいった。
そして、その匂いが最高潮に達し、みんなのお腹の音が唱和し始める。
その時、満を持してテーブルの上に立ち上がったのは、オーレリアだった。彼女はワインの注がれたグラスを持ち、口を開いた。
「みんな、今日までの辛く長い時間をよく耐えてくれたわ! これより、我らは蘇る! 我らを打ちのめし、蹴落とし、忘却の彼方へと押しやった奴らに思い出させてやろうじゃない! いったい誰にケンカを売ったのかをね! 最初に狙うのは、紅の雫よ! そのために、今は英気を養いなさい! 乾杯!」
「「「「「乾杯!」」」」」
オーレリアが中身が零れるような勢いでグラスを突き上げると、広場を埋め尽くさんばかりの、いや、広場からはみ出ているニンゲンたちも木のコップを突き上げる。
みんなの怪我が治ったらすぐに戦う気なんだ。ずいぶん血の気の多い乾杯だなぁ。
まぁ、血の気が多い魔族とずっと戦争をしているニンゲンだからね。本来は血の気の多い種族なのだろう。
そんなことを考えながら、僕も遅れないようにグラスを持ち上げた。
その透明なグラスの中には、まるで血のように赤い液体が入っている。
ワインかぁ。存在は知っていたけど、飲むのは初めてだ。
まぁ、僕の場合は、飲んだり食べたりというより、体の中に取り込むといった表現が正しいのだけど。
それでも、僕たちスライムも味覚を持っているのだ。味はわかる。
とはいえ、種族が違えばおいしいと感じるものも違うわけで……。スライムとニンゲンの味覚が近いといいなぁ。
そう思いながら、僕はクルクルとグラスを回していた。
初めて飲むものだからね。やっぱりちょっと緊張するのだ。
先ほどは血のようなと表現したけど、血に比べるとずいぶんとサラサラしている。まるで水のような動きだ。
それを確認した後、僕はグラスを顔に近付けて匂いを嗅いだ。
あれ?
たしかワインって、ブドウとかいう果物から作るんだよね? なんでナッツみたいな匂いがするんだろう? 不思議だ。
しかも、香ってくるのはナッツの臭いだけじゃない。花の匂いもするし、そんなわけがないとは思うんだけど、間違いじゃなければ、スパイスのような匂いもする。
かなり複雑な香りが絡み合っている。まるで、香りの儀式魔法だ。
どうやら香りからでは味が想像できないようだ。
飲むしかないね。
僕は口を開けて、ワインを少しだけ口の中に流し込む。
「へぇー……」
まるで殴られたかのような衝撃のあるワインだ。それでいて、フルーティーで繊細な味わいがある。
初めて飲んだからこれ以上の分析はできないけど、僕は好きかな。魔族やニンゲンにワインが好きな個体が多いのも納得できるおいしさだ。
「どう? お口にあったかしら?」
気が付けば、かなり近い位置から僕の顔を見ているオーレリアがいた。
ちょっとびっくりである。ニンゲンに、こんなに近くから観察されたことはない。ちゃんとニンゲンになれているか不安になるくらいだ。
「うん。僕は好きだよ」
「そう。よかったわ」
オーレリアは思いのほかホッとしたような表情を見せると、僕の顔を覗き込んでいた顔を離した。僕もホッとする思いだ。
「お待たせいたしました」
ホッとしていると、爺が大きなお皿を持って登場した。
「さあ、料理が届いたわよ。私達も食べましょう。もちろん、ワインのおかわりもあるわよ」
僕とオーレリアの前にお皿とナイフ、フォークが並ぶ。
そして、大皿から爺が少しずつ僕たちのお皿に給仕を始めた。
昔、遠くから見た魔族の宴会は、大皿の料理を素手で掴んでむしゃむしゃ食べていたけど、ニンゲンだと食事の作法が違うのだろう。
ここは、隣に座るオーレリアの動きを参考にしようかな。
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