001 スライム、魔王軍辞めるってよ
「くそ! ニンゲンどもめ! 絶対に殺してやる!」
僕の目の前では、左足を失った狼男さんが、まるで宙を掻きむしるようにパンチを繰り出していた。
その目は赤く充血し、剥き出された牙は鋭く、唾液と血に塗れて鈍く光っている。
「おい、スライム! 早く治せ!」
「は、はい!」
バシッと狼男さんに頭を叩かれて、僕は狼男の治療を開始する。
この狼男さんが暴れているから、治療が遅れたのに、僕のせいにされても困る……。
そう思うけど、決して声に出さず、黙々と治療を開始する。
にゅんっと触手を伸ばすと、狼男さんの左足を止血する。
まずはお腹にパックリ開いた切り傷からだ。こちらの傷はかなり深い。このままだと死んでしまうような傷なんだけど、この狼男さんは無駄に元気だね。
「ありゃー……」
しかも、剣には毒が塗ってあったのか、狼男さんの体は毒にも侵されているらしい。
「ど、どうした?」
僕が意味深なことを言ったせいか、さすがの狼男さんも不安に思ったのか、僕の方を見て問いかけてきた。
「毒が回っているので、その治療から始めますね。お時間がかかってしまうかもしれませんが、ご了承ください……」
絶対怒られるなぁ。そう思いながら答えると、この狼男さんも他の魔族の例にもれず、目の端を吊り上げる。
「それをどうにかするのがてめえの仕事じゃねえか! ったく、ニンゲンも倒せねえスライムの分際で俺様の時間を取ってんじゃねえよ! ぶっ殺すぞ!」
「すみません……」
謝りながら、僕は解毒薬を体内で作ると、狼男さんのお腹の怪我部分に塗り込んでいく。
「いてえっ⁉ いてえじゃねえか!」
「うぐっ……。すみません……」
よほど痛かったのか、狼男さんに殴られる。
「ったく。まだ左足も治ってねえじゃねえか! 他の臆病者どもはどうした?」
「他のメンバーでしたら、魔力を使い切ったため気絶しています」
治療室の奥では、まるで死んだように気絶した様々な種族が折り重なっていた。
「使えねえなあ。治癒ぐらいしか能がねえんだから、それぐらいしっかりやれよ!」
「すみません……」
僕はようやく狼男さんのお腹の怪我を治すと、左足の治療に入る。
といっても、こちらは毒に侵されてないみたいなので、治癒魔法で生やすだけだ。
「終わりました。他に痛い部分はありますか?」
「ん? ねえな。ったく、おせえんだよ!」
「ぶふっ⁉」
治療が完了したら、狼男さんが左足の感触を確かめるように僕を蹴飛ばした。
「死にたくなかったら、次はもっと早くしろよ! この臆病者!」
「はい……」
ペコリと頭を下げて、狼男さんを見送る。
「はぁ……」
狼男さんが治療室を出ていくと、僕は飲み込んでいた不満を吐き出すように深い溜息を吐いてしまった。
まぁ、僕はスライムなので溜息なんてできないんだけど、それでもしたい時があるのだ。
魔族は、基本横暴だ。そして、個人の強さを最も貴んでいる。
その結果何が起きるかというと、僕らみたいな後方要員へのパワハラだ。
しかも、ここは治療室。怪我をした、言ってしまえばニンゲン相手に不覚を取った、負けた魔族が運ばれてくる場所だ。
強さを貴ぶ魔族にとって、敗北というのはなかなか受け入れがたい事実だ。
だから、僕のような治療要員への暴行は留まるところを知らない。
僕以外の治療要員が気絶しているのも、半分は魔力切れだけど、もう半分は魔族に殴られて気絶しているのだ。
「もうやだな……」
思わず泣き言が漏れてしまう。
僕は自ら望んで魔王軍に加わったわけじゃない。ただ治癒魔法が使えるから強制的に徴兵されたのだ。
そしてここ、対ニンゲンの最前線の要塞、ハッテンバロー大要塞の治癒室で、魔族たちに殴られ、蹴られながら魔族たちの治療に勤めてきた。
ここには休む暇もないほど怪我人が運ばれてくる。そのおかげで僕の治癒魔法の腕はかなり上がったけど、ニンゲンを倒したわけじゃないので、僕自身が強くなったわけじゃない。
だから、いつまで経っても魔族には下に見られるし、都合のいいサンドバッグでしかないんだ……。
こんな環境にいたら、いつか死んでしまう。
だから、僕は逃げ出すことにしたんだ。
それは衝動的な行動ともいえるし、計画的な行動ともいえるだろう。
僕はベッドに置かれた布団を体の中に取り込むと、体をぐんぐん縦に伸ばしていく。その姿は、先ほどまでここにいた狼男さんにそっくりだ。
これこそ僕が新たに獲得したスキル【擬態】である。
スライムのままではのそのそとしたスピードだけど、この体なら素早く走ることができる。
僕は慣れない体を動かしながら、治癒室の外に出た。
治癒室の外に出たのは何年ぶりだろう?
そんな考えがふと頭をよぎった。もしかしたら、百年くらい幽閉されていたかもしれない……。
僕は頭を振ると、すぐさま大要塞の中を走り出した。
大要塞の構造はわからなかったけど、幸いにもすぐに外に出ることができた。
たぶん、怪我人をすぐに治療できるように治癒室はすぐ外に出られる場所に造られたのだろう。
僕はそんな幸運を噛み締めながら、オオカミの姿になって月明りを頼りに大地を駆け出す。
そんな僕に最初にして最後の関門が姿を現した。城門だ。
城門には、武器を持った魔族が十人ほど警備に当たっていた。どうにかして彼らを騙して外に出ないといけない。
僕が治癒室を出たと知ったら、よくて半殺し、最悪の場合、殺されてしまう。
なので、僕は一芝居打つことにした。
僕はトップスピードで城門に突っ込んでいく。
「伝令だ! 通るぜ、兄弟!」
もちろん嘘である。
「おう! 気を付けろよ!」
え? こんな簡単でいいの?
そう思ってしまうほど、僕は簡単にハッテンバロー大要塞の外に出ることができた。
でも、考えてみれば、彼らは外からハッテンバロー大要塞に忍び込むニンゲンを警戒しているのであって、内側から出る分にはかなり緩い警備なのだろう。
こうして、僕はかなり久しぶりに外界に出ることができた。
足裏の肉球に感じる湿った土の感触、土や緑の臭い、月明りの冷たさ。すべてが記憶の彼方にあったものだ。
僕はようやく、自由を取り戻した。
感動に足が止まりそうになる。
でも、僕は全速力で森に向かって駆ける。
一刻も早く姿を隠したかった。
ハッテンバロー大要塞を抜け出した僕は、いわば脱走兵。脱走兵への罰は死罪と決まっている。もう魔族に見つかるわけにはいかない。
これからどうするかは、もう頭の中で妄想してきた。
僕は、魔王軍を裏切る。ニンゲン勢力に付く。
魔族に掴まったら死罪の僕を守ってくれる勢力。それは魔族と敵対しているニンゲンに他ならない。
無論、僕がスライムだとバレたら討伐されてしまうだろう。
でも、僕には【擬態】のスキルがある。
なんとか、目立たないようにニンゲンの世界に紛れ込もう。
◇
「こんな感じかな?」
月明りに照らされた池の水面には、金髪に青い瞳の裸の少女が映っていた。
歳はがんばれば十五に見えなくもないくらい。細身で小柄の少女だ。
スライムの僕には性別はない。それでもニンゲンには性別によって性差があることは知っている。
僕は持ちうる限りのニンゲンの知識を総動員して作った渾身のニンゲンボディーである。
なんでもニンゲンはかわいい存在に庇護欲を感じるものらしい。
自分ではかわいくできたと思うけど、実際にニンゲンに感想を聞かせてもらいところだ。
そして、僕を養ってほしい。
そういう意味ではニンゲンの女の子どもにしようかとも思ったけど、子どもだと動きが制限される可能性がある。
なので、ニンゲンの成人らしい十五歳にしたというわけだ。
でも、実際には成人しているより、子どもの方が優位に働く場合もあるだろう。
そんな時、子どもだと言い張るために、十五歳にも見えるし、子どもにも見えるような微妙な塩梅を上手く再現できたと思う。
「よいしょっと」
使い慣れない手というパーツ。でも、使い慣れれば便利そうだ。
そんな手で体の中に仕舞っていた布を取り出す。落ちない血の染みが付いた治癒室のベッドに使われていた白いシーツだ。
そのシーツの真ん中に溶解液で丸く穴を開けると、すぽっと頭を通す。あとはぶかぶかの裾を溶解液で膝くらいの高さで切り揃えた。
そうしてできた二つの余った布。一つは紐のようにして、胴体部分を結ぶ。そしてもう一つは、目立たないように頭に被る頭巾にした。
「これでいいかな?」
ニンゲンは男女問わず服を着るらしいからね。雑な作りだけど、服としては及第点だろう。
実は、この森から出たところに、ニンゲンの大きな街があることは確認してある。しばらくはここでニンゲンを観察して、ニンゲンの生活を学んでいこうと思う。
「がんばるぞー!」
意を決して、僕はもふもふの腐葉土の上を歩き出す。たまに木の枝や石が足の裏に当たって痛い。
「ニンゲンって、意外と弱い?」
本当にニンゲン側に付いて大丈夫なのかな……?
でも、もう賽は投げられてしまった。今さら後戻りなんてできない。
僕はこれからニンゲンとして生きていくんだ!
これは、後に奇跡の聖女として歴史に残る偉業を為す僕の偽りの物語である。
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