六話 魔王リスドォルは伴侶に見惚れる
私がユタカを目で捉えられたのは、拳がパノヴァの顔面にめり込んだ瞬間だった。
どうやって移動して、どうやって殴ったのかが全く見えなかった。
次に見えたのは、もう地面に倒れ落ちているパノヴァの姿と、何事もなく空に立っているユタカだ。
ゾクゾクと全身に痺れのようなものを感じた。
脳は熱を持ってクラクラするのに、体は静かに相手を見据える事しかできない。
あれは、誰だ?
よく知っているはずの存在が、全く違うものに見えた。
これが、自分よりも圧倒的な強者と対峙する感覚なのか。
いや、もしかしたらこれが恋なのかもしれない。
私は勢いよくユタカを抱擁していた。
触れたくて仕方なかったのだ。
これが私のものであると確認したかった。
力を持っていても、それを振るう覚悟が持てない幼さも、私は愛おしいと思っていた。
潜在能力が高くても発揮できなければ意味はない。
それはユタカ自身もよくわかっていたし、私も、それはそれで良いと思っていたのだ。
平和な世界の生まれだからこその弱さも魅力だし、私がユタカを守ってやればいいだけの話だった。
少しずつ育てていくのも楽しいだろうと思っていた。
しかし、圧倒的な力を躊躇なく発揮して見せたユタカを知ると、もう駄目だ。
私を確実に倒す事の出来る存在。唯一、私を力尽くで支配できる者。
魔物の本能が刺激され、発情すらしていたかもしれない。
強者に従いたい、傅きたいと、私はこの時初めて思った。
今まで私が抱いていた好意なんて児戯でしかなかったのだ。
「リズ様? あの、大丈夫ですか?」
あまりに動かない私を心配したユタカの声に、ゆっくり抱擁の力を緩めた。
「あ、ああ……すまない」
「えへへ、もしかして俺、格好良かったですか?」
ユタカは冗談めかして言っているが、私には事実でしかない。
どう答えれば良いのか迷った。
「そう、だな……素晴らしかった」
「そんな無理に褒めなくてもいいですよ、気を使わないでください」
反応が鈍い事を勘違いしたユタカがその場から引いてしまおうとした。
私は慌てて否定の言葉を並べ立てる。
「違うのだ、あまりにユタカが変わるから驚いて、この感情をどう言葉にすべきか、まだまとまっていなくて……惚れ直すという言葉では足りないくらい、今、私はユタカに発情しているのだ、信じてくれ!」
「リズ様!?」
ただ必死だった。そのせいでとてもお粗末な説明になってしまう。
私の失言にユタカが慌てふためいてしまっている。
「す、すまない、とてもおかしなことを言った。忘れてくれ」
「忘れる訳ないでしょう!? さっさともう一人ぶん殴って魔界から放り出して出禁にしてすぐ家に帰りましょう!? もう家から出しませんから!!」
ユタカの目が血走っている。
神の力が増幅していて、金色のオーラが全身に広がっている。
本物の神より力を扱えているのではないだろうか。
煩悩、恐るべし。
「お待ちなさい、神の力を纏いし人間」
私達の様子をずっと眺めていたであろうファリーヌが呑気な声をあげる。
「あん?」
「もしや、人間が魔王を支配しているのですか?」
好機だ。ようやく天使の思い込みを訂正できる。
「ちが」
「ああ、そうだ。私は勇者に敗北した魔王。全く魔界に影響を持っていない、ただの弱者なのだ」
ユタカの口を押さえ、私は天使の興味をひきそうな事実を交えたホラ話をする。
「よく見てみろ、自然だって美しいだろう。魔界はお前達に救済される前に、この人間によって救われている。私は勇者に従う事で生かされているだけの存在。しかし、奴隷として共に時を過ごして私は勇者に見初められたのだ」
ただ平和と言った所で嘘だと言われてしまうだろう。私の神の力が降り注いだ証拠なんてない。
それより、別の管理者がいて既に平和に導かれていると言った方がわかりやすく信憑性も高い。
ユタカが勇者であるのは事実だし、私も八百長だとしても勇者に敗北した魔王であるのも事実だ。
「私は婚姻の条件に魔物の保護をお願いしたのだ。奴隷と成り下がっている私の願いを聞き届けてくれている勇者に、少しずつ好意を抱くのも当然であろう」
「ふむ……では何故勇者が魔王を“様”で呼び、敬っているのでしょう」
「プレイだな」
私は人間の知識が増えている。いける。
「この勇者は、下位の者をあえて上位に見立てる事で、組み敷いた時により大きな興奮を覚えるのだ」
ユタカから恐ろしく強い視線を感じる。
すまない、悪気はないのだ。
「それに勇者の世界には年功序列というものがあって、どんな無能であれ、年齢が上である事が重視される特性がある」
「面白い世界ですね」
ファリーヌは完全に聞きに徹している。
勝った。
そう思った瞬間。
ユタカが私の顎を掴み固定し、深い口付けをした。
「んぅ!?」
「おやおや」
ファリーヌが楽しそうにそう呟いた。
私は突然の事に体が跳ねたが、すぐに体の力は抜けてユタカに抱き込まれた。
「そういうことだ。俺としては戦利品を壊されちゃ困るから、まだ続けるっていうなら全力で相手になるぜ?」
舌で自分の唇を舐め、ユタカはまるで悪役のようにそう言った。
おまけと言わんばかりに私の首筋を甘噛みする。
その思わぬ衝撃とくすぐったさに、私は小さく震えてしまう。
そんな様子にファリーヌは微笑み、ゆっくり首を横に振った。




