第十一話 無駄なんかじゃない、異世界召喚
なんとも不思議な聖女であった。異世界アレンセルで時空を司る女神は、そんなことをぼんやりと考えていた。あの白い召喚魔法陣と同じ、純白に輝く髪を撫でながら、彼女は召喚陣に最後の力を送り込む。そして地球とアレンセルとの繋がりを、完全に断ち切った。それに少し、寂しさのようなものが彼女の中で生まれていた。
彼らは便宜上、自らを神と名乗っているが、本質はこの世界を守護する精霊と同じである。精霊の中でも力が強く、世界に影響を与えられるだけの能力を持つ大精霊を、神と呼ぶ。地球で伝えられているような神とは違い、彼らは決して万能ではないが、出来る限りのことはしてきたのだ。
彼女はその神の中で、どちらかと言えば人間のような考えを持つ少し異端な神であった。異界との関わりが強いこの世界で、その時空を管理する者。それ故に、時々零れ落ちてしまった者と関わることが何度もあった。それらの出会いが、彼女に人間の思考を学ばせたのだ。
自分の手が届かないところで落ちてしまった者を助け、この世界を守るために聖女を招き入れる。その時の対応や条件の設定なども、彼女自身が考えた。大切な世界を守るために、人間の思考を考慮して、反発心を起こさないような構造を作りあげた。それにより、長年の平和が保たれていたのだ。
そこに生じた、今回のイレギュラー。最初は小さなきっかけであった。しかしそれが、少しずつ大きな流れを作り、最後には世界すらも巻き込んでしまう大きさへと成長していく。
このような結果になったことに、彼女は本当に驚いていた。どうしてこうなった、の方向に。まさか幽霊一人で、ここまで運命を変えてしまえるとは思っていなかったのだ。
本来の未来の結果を知っていたからこそ、女神は悩む。結果的に大団円っぽく終わったからいいじゃん、という気持ちと、カオスとなったアレンセルの今後の管理の大変さに、遠い目をしたくなる気持ちの両方が溢れていた。
『だが、これが余の介入した結果』
小さな呟きと共に、女神は傍にいた精霊に狭間の管理を任せる。他世界に力を繋げるのは神といえど、非常に力を使うことである。消耗した力を癒すため眠りに入ろうとした彼女は、今回の聖女との初めての出会いと、二回目の出会いを思い出していた。
初めて聖女に会ったのは、彼女が満身創痍で厄を浄化し、その命がもう残り少なくなっていた時であった。瘴気に身体を蝕まれていた彼女を、女神は救おうとしたが、それを止めたのは聖女本人だった。
『もう疲れちゃったんです。このまま、みんなのところへ逝かせてください』
この世界を救うために召喚した少女の言葉に、女神は唇を噛み締めた。神がアレンセルに直接介入すると、世界の次元に歪みを作ってしまう。そのため、彼らは自分たちの領域である次元の狭間でしか、その力を振るうことができなかった。
厄を浄化したことを感じ取った女神が、聖女の精神体を呼び寄せた。そして告げられた思いの悲しさに、やりきれない気持ちが彼女の首を振らせた。確かにアレンセルを救うために、他世界から適合できそうな人間を呼び込み、ある意味利用していただろう。それでも、彼らを使い潰すつもりはなかった。神にとっても彼らは、大切な世界を救ってくれた、恩人なのだから。
しかし、今回の聖女の命は――尽き果てようとしていた。この世界に召喚された彼女は、己の使命を果たそうと必死に取り組んでいた。しかし、旅の仲間となった者の裏切りや、死霊の軍勢に多くの仲間を失い、そして最後には、信頼していた騎士が彼女を庇い、黒い触手に飲み込まれてしまったのだ。
それに彼女は一人、慟哭をあげ、残り少ない力を使って瘴気の泥を浄化した。厄を浄化するための力を使い切ってしまった彼女は、己の命を賭けて厄を浄化したのだ。もう彼女に、生きる気力は何も残っていなかった。
女神には、過去を変える力はない。運命を変える力もなかった。このまま彼女を死なせてしまう運命に、己の力のなさを噛み締めるしかない。これでは、彼女はこの世界を救うための生贄でしかないではないか、……と。
しかし、そこで女神は気づく。今回行った聖女の召喚の時に、彼女とは別の存在の気配が、召喚陣から感じられたことを。その存在は、彼女が選んだ者ではなかった。だからその存在と彼女を切り離し、そのまま彼女だけを召喚した。
そしてその結果が、聖女を死に追いやろうとしている。故に、彼女は賭けた。時空の空間は、過去や未来に繋がっており、己が手掛けた魔法陣なら繋げることができる。そのイレギュラーは、どうやら精神体だけしか召喚陣に触れていないようだが、逆に好都合だろう。
このまま見過ごせば、この少女は絶望の中で孤独に死んでいく。それなら、彼女と同じ世界の人間ならば、この聖女を助けてくれるかもしれない。もし害となるだけならば、己が渡した力がなくなるようにすればいい。そうすれば、霊体では何もできないはずだろう。
そうして、彼女は地球の召喚陣にリンクし、一人の少年を巻き込むように召喚した。女神が関与できたのは、そこまでだった。せめて、聖女の未来に一筋の光が訪れることを願って。
女神としては、藁にもすがる諦めの気持ちを含んだ悪あがきであった。過去を改ざんするなど、人一人の力で出来るはずがない。これほどの絶望を覆すのは、無理だと考えていたのだ。しかし、そんな彼女の行動が、文字通りこの世界の運命全てを変えてしまった。
そして数刻後、呼び寄せた満身創痍のはずだった彼女が忽然と消え、次に現れたのは元気いっぱいにピンピンしている聖女様であった。濁った目で絶望を浮かべていた少女が、もはや別人となっている大変貌。女神様の目が点になった。
しかもあの悲惨だった彼女の旅が、何をどうしたらあそこまでぶっ壊れるのだ。オカンはどこから出てきた。前の旅では、聖女の無事を願って見送ったはずの脇役の神官長が、なんでメインキャラになっている。あの絶望しかなかった五ケタの死霊の軍勢相手に、幽霊七ケタをぶつけるいじめって何をしているんだ。
旅のメンバーも、跡形もなく消え去っていた。聖女を裏切るはずだった仲間は、神官長に投獄され、死ぬはずだった仲間は神官長に平伏を示している。訳がわからない。幽霊の少年が通ってきた軌跡を何度振り返っても、訳が分からなさ過ぎて、女神は初めて知恵熱を出しかけた。
神も諦めた運命。それが聖女と幽霊とオカンの三つが揃ったことで、全てが覆されたのだ。世界は平和となり、聖女を含め多くの人が幸せになり、さらに女神を寝込ませる。誰も知らない時空の狭間で、オカンの存在が神々に刻み込まれていた。
そして、己の勝手で巻き込んでしまった一人の少年が起こした、本人も誰も知らない奇跡を、女神は己の心に深く刻んだ。たった一人の少年の勇気が、生み出した可能性。元の世界へ帰ってしまうのは寂しいが、それが彼女が選んだ道。希望に溢れ、嬉しそうに別れを告げる聖女へ、彼女も精一杯に応えようと思った。
この世界を救ってくれてありがとう。二人の救世主のこれからを願いながら、女神は静かに眠りに落ちた。
******
「……あー、頭がいてぇー」
白い病室の中の、これまた白いベッドの上で、俺は未だにガンガンする頭にうなっていた。父さんが二日酔いの頭痛で寝込んでいるのを見て、何を大げさなと思っていたが、それを心の中で詫びる。これはきつい。
医者は頭を強く打ったかして、記憶の混乱が生じたのだろうと判断していたが、俺はそれが違うことを知っている。今はだいぶ落ち着いているが、アレンセルにいた頃の一年が一気に俺の記憶に詰め込まれたのだ。
生きていた頃の俺と、死んでいた頃の俺の記憶が、衝突しているのがこの痛みの原因だろう。なんとなくだけど、俺の中でこの二つがゆっくりと融合しようとしているのがわかる。辛いのは変わらないが、久々に感じる痛みという感覚に、俺は思わず笑ってしまった。
「……俺、死んでいたんだよな。しかも異世界に行って、冒険もして。これが全部俺の妄想だったら、相当やばい妄想癖だな」
少し収まってきた痛みに頭を掻きながら、俺は窓から見える青空に目を向けた。灰色のビルが並び、電車や車といった科学技術が謳歌する世界。スーツを着たサラリーマンが時計を見ながら駆けていき、スーパーの袋を下げた年配の人が歩いている。
それがなんだか不思議で、俺は気づけばぼんやりと景色を眺めるのが日課になっていた。これが本来の日常のはずなのにな。たった一年だったはずなのに、こんなにも鮮明にアレンセルでの日々が思い起こせる。
普通なら、きっと信じられない出来事だ。異世界に夢を見ていた俺が、臨死体験をしたことで、起こしてしまった夢。そう考えるのが自然かもしれないが、彼女の存在がそれを否定していた。
「結花ちゃん、今日来るんだっけ」
昨日まで面会謝絶になっていた俺の病室。あの事故の時、俺と彼女と傍にいた猫は、奇跡的に助かった。運転手の証言では轢いたと思った時、突如白い風が巻き起こり、気づけば俺たちを素通りしていたらしい。
慌てて車から降りて、気絶する俺たちを病院へ連絡してくれた。その後、その人は涙を流しながら謝罪を繰り返していた。正直に言えば、複雑な気分ではあったけれど、俺は彼を許した。同じようなことを繰り返したら、化けてやるからな、とそれだけは言っておいたけど。
ただそれから、俺は断続的に続く頭痛に入院することとなった。事故にあったっていう連絡を受けた俺の家族に抱きしめられた時は、思わずボロボロと泣いてしまった。友達から送られてくるメールや電話に、涙腺は緩みっぱなしである。後で絶対にネタにされるだろうけど、どうしても涙が止まらなかった。
もう二度と会えないと思っていた。もう二度と誰かと触れ合うことはできないって思っていた。今まで当たり前だった日常が、こんなにも心に響くだなんて思ってもいなかった。
嬉しい気持ちと、温かい気持ちが俺の中で溢れている。だけど同時に、寂しい気持ちと、申し訳ない気持ちもあった。俺のこの喜びは、本来はあるはずがないものである。それを手にしてしまったことへの、彼女に向けた罪悪感。
俺とは違い、結花ちゃんは本来受け取れたはずのものを全て放棄した。彼女が地球に帰ってきてしまった理由は、確実に俺が原因である。俺を助けるために、彼女はアレンセルでの生活を捨てたのだ。
……俺は、どんな顔で彼女に会えばいいんだよ。何を言えばいいのかもわからない。落ち込みそうになる思考に、深いため息が俺の口から洩れた。
「にゃー」
「……にゃあ?」
項垂れていた俺の耳に届いたのは、猫の鳴き声と、何かを引っ掻くような音であった。病室の入り口を見たが、発信源はそこではない。だいたい、ここは病院だ。ペットの持ち込みなんてできないだろう。頭痛で幻聴まで聞こえ出したかと思った俺は、おもむろに窓を眺め、……ベッドから跳び起きた。
「大福ッ!? 何やってんだ、お前! ここ四階だぞ!」
慌てて備え付けの棚の中からスリッパを出し、バタバタと窓へ向かった。病院の窓なので全開にはできないが、猫一匹を入れる隙間ぐらいなら作れる。後で怒られるかもしれないが、こんな足場の悪いところに放置はできなかった。
「お前な、落ちたらどうするんだ。もう一回言うけど、ここ四階だからな」
「ふみゃぁー、にゃん!」
「いや、にゃんじゃないよ。なんでそんなに自慢げに、胸を張って不法侵入を誇らしげにしているんだ。ここまで登って来れたのは、普通にすごいけど」
危険だからと怒るつもりが、彼のマイペースさにどうも調子が出ない。俺はガクッと肩を竦ませながら、大福の頭をちょっとお仕置きもかねて乱暴に撫でてやった。やめろ! と言うように、猫パンチで手に肉球をふにふにされる。なんだ、この戦意を削ぐ攻撃は。
「おらおら、ここか。そんなふにふに攻撃で、俺のぐしゃぐしゃ攻撃から逃れられると思っているのかっ!」
「にゃぁーん」
「……元気だね、二人とも」
「いや、ちょっとおふざけのつもりが予想以上に気持ちよく……」
俺の独り言に反応があったことに気づき、驚きにゆっくりと後方を振り返る。そこには果物のバスケットを持って佇む、黒髪の女の子。そんな彼女の顔に浮かぶのは、ものすごく反応に困っているのがわかる苦笑い。こんな時、どんな顔をすればいいのか俺もわからない。
そして俺の攻撃など何もなかったかのように、大福は起き上がり、結花ちゃんの足元へ駆けていった。ちょっと待って、大福さん。こんな恥ずかしい現場を異性に見られた、俺へのフォローとかは一切ないの? 君の持つ癒しの空気で、この居た堪れない空気を頼むから浄化してくれぇーー!
「頭痛がまだするって聞いていたから心配していたんだけど、元気でよかった」
「あー、うん。痛みは徐々に引いてきているから、大丈夫だとは思う」
「みゃー」
器用な手つきで、手に持つ林檎の皮をスルスルと剥いていく結花ちゃん。聖女の旅の時とか、お手伝いでよく皮むきをしていたからな。暗殺者さん仕込みのナイフ捌きに、あの一年間が彼女にもしっかり根付いているんだと感じた。
とりあえず大福がばれたら大目玉だから、結花ちゃんが持ってきたバスケットの中で大人しくしてもらった。人が来たら、彼ならちゃんと隠れてくれるだろう。
「その、結花ちゃんは怪我とか大丈夫だった?」
「私はほら、ちょっとかすり傷ができただけだから。大福もお手伝いしてくれるし、助かっているよ」
「にゃっふぅー」
えっへん、というように白い毛を膨らませる大福に、俺は思わず噴き出してしまう。こいつの性格もあるだろうけど、何を考えているのかがすごくわかりやすい。
結花ちゃんはあの事故の後、軽い健診だけで済んだ。彼女にも、運転手さんは謝っているようだ。許してはいたけど、静かなる怒気を感じてはいたのか、少し顔色は悪そうだったらしい。結花ちゃんにとって、事故には苦い思い出がある。それぐらいで済んだのは、彼女の寛大さだろう。怒らせたら怖いけど。
「ごめんね、一真くん。記憶の障害がこんなにも酷いとは思っていなかったから」
「結花ちゃんが謝る必要はないよ。謝るのは、むしろ……」
申し訳なさそうな彼女の表情に、俺も口を開いて、そして言葉が出てこなくてゆっくり閉じた。結花ちゃんは俺と違って、アレンセルでの一年間の記憶をしっかり持っている。今より少し成長した彼女を知っている俺は、なんとも不思議な感覚であった。
彼女が俺に謝った記憶の障害は、きっと一時的なものだろう。だけど俺が謝るべきことは、彼女の一生ものである。とても、比べることができない。
「……今の一真くんが考えていること、あててみてもいい?」
「えっ、俺の?」
「うん。私がこの世界に帰ってきたことを、俺の所為でって考えていないかな」
的確に図星をつかれ、俺は自分の口元を手で隠す。そんなにも表情に出ていたかと思っていると、結花ちゃんはおかしそうに笑っていた。
剥き終わった林檎を細く切りそろえ、それをお皿に盛り付ける。次に、何でもない様に美しい林檎の白鳥を作り上げ、近くのテーブルに置いた。そして、俺の方へ真剣な表情で向き直った。
「もしそうなら、私は何度でも言うよ。一真くんの所為じゃないって」
「そんなことは」
「私は断言できるよ。それを私に教えてくれたのは、他でもない一真くんでしょ」
「……あっ」
『結花ちゃんの所為じゃない!』。俺はずっと彼女に、そう言い続けてきた。俺が結花ちゃんを助けたのは、俺が勝手にやったことだから。幸せになって欲しいからって、そう言って。
……俺、本当に考えなしだよな。彼女と同じ立場になって、ようやく気づくだなんて。そして彼女が、あの時の俺と同じ気持ちなら、絶対に折れないことも知っている。結花ちゃんが望むのは、償いなんかじゃ決してないから。
「わかっている。そんなのわかっているけど、でもっ! 結花ちゃんは、あんなに頑張っていたじゃないか。必死に訓練を受けて、みんなに認められて、世界を救うだなんて大変な役目だって達成して。それでこれから、今まで頑張った分をみんなからもらえるはずだったんだろ。それなのに、俺を助けるために、辛い思い出がある地球に帰らせてしまって。これじゃあ、結花ちゃんが今まで頑張ってきたことは――」
「無駄なんかじゃないよ」
堰を切ったように捲し立てる俺に向けて、結花ちゃんの落ち着いた声が病室に響いた。
「……私は、アレンセルを救えてよかった。神官長さんや旅のみんなや、見えなかったけど幽霊のみんなにも出会えて嬉しかった。そんなみんなの笑顔を守れたことが、私の一番の誇りだから」
「結花ちゃん」
「私はただ逃げていただけ。辛いことから逃げて、アレンセルに逃げ込んでいた。だけど、逃げるだけじゃ駄目だってわかったから。聖女の報酬なんかよりも、私はもっと大切なものを、あの世界でたくさんもらえた。教えてもらった。かけがえのない一生ものの宝物を、私はもうちゃんと受け取ったんだよ」
……あぁ、ちくしょう。結花ちゃんの守護霊として、支えるって、守るって言ったのは俺だろうが。これじゃあ、どっちが支えられて、守られているのかわかったもんじゃない。泣きそうになった視界に、慌てて力を入れて堪える。俺のなけなしのプライドにかけて、泣いているところだけは見せる訳にはいかない。
そんな噛み締めていた俺の手が、優しい温もりに包み込まれる。それに目を見開くと、そこには彼女の温かさそのもののような、綺麗な笑顔が咲いていた。
「私が――私たちが異世界召喚されたことは、決して無駄なんかじゃない。そして、一真君とこうして手をつなぐことができてよかった。ずっと、ずっとあなたに言いたかった」
幽霊だった時には、感じることができなかった様々な感情が、俺の中にいくつも生まれては破裂するように膨れ上がる。ものすごく今更で情けないが、俺は思春期に入って今まで、一度もこんな風に女の子の手を握る機会なんてなかった。最後はきっと、小学生の時ぐらいだ。
涙は引っ込んだが、別のものが俺の顔から出そうになった。
「あの時も、今までも助けてくれてありがとう。一真君に会えて、本当によかった」
さすがは、聖女様。後光がさすかのような、眩しい笑顔です。俺は色々な意味で、もうノックアウト寸前です。あと数秒ぐらいで、真っ白になれる自信が無駄にあります。
「……お、俺も、ありがとう。こうして生きていられて、素直に嬉しい。幽霊体験もできたし、異世界を満喫できたし、すっげぇ自慢できる仲間もたくさんできた。俺も、あの世界に召喚されてよかった。……結花ちゃんに会えて、よかった」
なんとか意識を繋げながら、俺も精一杯の気持ちを伝える。それに彼女も頬を赤らめて、照れていた。
そんなお互いに居心地の良いような、悪いような、変な空気が漂う。そこにバスケットから顔を出した大福が、咳払いをするように鳴いた。彼の行動でようやく握っていた手を二人で外し、曖昧な笑みを浮かべあった。
「そ、そうだ。一真くんに、これを届けに来たんだ」
「これって、なんか厚いな」
結花ちゃんがいそいそと取り出した、白い封筒のようなものを俺は受け取る。たぶん葉書サイズぐらいの大きさのものが、何枚も入っているのだろう。首を傾げながらも、封を開けて取り出したものに、俺はしばらく声を失った。
「……神官長? それにみんなのも」
「うん、一真くんの分の写真だよ」
あの日に撮った、集合写真も含め、そこには楽しそうに笑うみんなが写っていた。時々ぼんやりと顔が写った心霊写真がいくつもあったが、見覚えのある顔もいくつかある。思わず無心になって、それを眺めた。
他にも旅の途中で寄った街や、街道なんかも写されていた。俺たちがいた神殿の様子も撮られており、異世界で暮らす人々の様子もあった。なんかでっかいドラゴンを倒して、ブイサインをする暗殺者さんの写真も見つけた。そういえば、世界中を回って撮ってきたって言っていたか。
ほんの数日前まで、俺たちがいた場所。俺たちにとって大切な思い出。たった一年程度の出来事だったのに、もうずっと長いこといたような感覚だ。こんな風に思い出を形にしてくれたみんなに、感謝が心に溢れた。
「……あれ? 写真に字が」
「あっ、それね。神官長さんの字だよ。私のスクールバッグに入っていた教科書を見て、日本語を勉強したんだって。それね、みんなからの言葉だよ」
オカンが万能すぎる。世界を超えても、凄さを伝えてくるとはさすがである。俺は一枚ずつ、じっくり目を通していった。
『姿は見えなかったけど、私たちを助けてくれてありがとう。ユイカさんのこと、ちゃんと守らないと承知しないからね』
『旦那は右腕の俺に任せておけ。達者でな』
『精霊、ユイカをよろしく。主の伝説は、この右腕の我がしっかり支えるぞ』
文章だけで、誰の言葉なのかがすぐにわかった。お前ら、まだ右腕争いをしているのかよ。しかもこれは、大変な役目を仰せつかったな。もちろんだ、と三人が写った写真に向けて返事をした。
『酒と女はいいぞ。存分に楽しめよ。あといいか、カズマ。最後に俺が、ここで夜の技を色々教えて――』
『カズマへ。前半の文章が途中で消えているだろうけど、気にしなくていいわ。説教されているから。それから、人生を精一杯に楽しみなさいね。そして、悔いの残らない様に生きなさい。いってらっしゃい』
『良き生を』
後ろ姿のオカンが、写っているだけの写真。しかしよく見ると、正座されて説教を受ける騎士団長さんと、呆れた顔の賢者さんと、眠そうな顔の賢王さんらしき人たちが見える。この人たちは、本当にブレないなぁ。頑張れ、神官長。
『カズマさんへ。この写真を、あなたに見ていただけていることが嬉しいです。これから先、きっと大変なことや辛いこともあるでしょう。ですが、お二人なら大丈夫です。私が保証致します。それと、一人で抱え込まないで、もっと周りに頼るように。それでは、どうかお元気で』
アレンセルで一番お世話になり、一番巻き込みまくった神官長。最後まで、心配をかけさせてしまったみたいだ。ただ彼とわらわらと写るぼんやりとした影だらけに、素敵な文章やらの台無し感がひどいが。てめぇら、自重しろ。
そして、ふと写真の裏にまだ字が書いてあったことに気づく。ひっくり返してみると、追伸と書かれていた。目で文章を追っていき、その内容に俺は咳き込む。そして、声に出して笑ってしまった。
騒がしかったらしい病室に、怪訝そうな顔の看護婦さんが顔を覗かせたので、慌てて謝った。そして最後の神官長からの追伸に書かれていた彼の名前を、俺は小さく口にする。感謝と、激励を込めて。
「……そうだ、結花ちゃん。俺が退院したら、今度友達とカラオケの約束をしたんだ。よかったら、一緒に行ってみないか」
「えっ、でもご迷惑じゃないかな。それに、私カラオケとか行ったことがないよ」
「大丈夫大丈夫。結花ちゃんなら、全然問題ない。俺もいるからさ」
結花ちゃんは声が良いから、歌ったら絶対に上手だろう。これからは、俺が彼女の結びつきを支えていくんだ。一人じゃなくて、二人で一緒に。
「うにゃぁーー」
「あっ、大福。も、もちろん、お前のことも忘れていないさ」
「なむ」
「仲いいね、二人とも。あっ、ねぇ一真くん。カラオケのやり方とか教えてくれる? やっぱり、練習しておきたいから」
「えっ? 別に適当でいいと思うけど」
「もぉー、そんなの駄目だよ」
「真面目だなぁー」
なんでもない、そんな普通の会話に、俺たちは笑っていた。これからはきっと、いつも通り学校に行って、卒業して、仕事に就いて、もしかしたら結婚して、そして年を取っていくのだろう。そんな日常が楽しみで、仕方がなかった。
――こうして、巻き込まれ召喚をした幽霊の旅は、聖女を導き、幽霊たちの愛のキューピッドとなり、世界を混沌とさせ、オカン最強伝説を打ち立てながら世界を救って終わった。羅列すると、やっぱり色々ひどい。それに俺は、また笑ってしまっていた。