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本に結ばれた人~知識と生存の本〜(ネギを握りしめて異世界に落ちた私の、のんびりサバイバル)  作者: 式文紫
第3章 冬霞~森に広がる新たな縁~

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閑話 蒼き風と冬を歩む者たち

閑話 蒼き風と冬を歩む者たち


 ババロア領の冒険者ギルドから、蒼き風が宿泊している柳の宿へ使いが訪れたのは、夕暮れが近づいた頃だった。


 柳の宿は、街の中でも古くから営業している宿の一つだ。建物そのものは年季が入っているものの、隅々まで掃除が行き届き、磨かれた床や手入れされた家具からは、女将の心遣いが感じられる。


 女将のアンナは、ギルドから預かった伝言を手に、古いながらも清潔に保たれた階段を上っていった。階段の一番上、廊下の突き当たりにある部屋が、蒼き風の泊まっている部屋だった。アンナは扉の前で足を止め、軽くノックをする。


「蒼き風の皆さん、いらっしゃいますか?」

「はい。どうぞ」


 中からガルドの声が返ってきた。

 アンナが扉を開けると、部屋の中にはガルドたち五人と、小さなノームのバルバロがいた。バルバロは部屋の隅に用意された椅子に座り、皆の様子を眺めている。


「お寛ぎのところ失礼しますね。ギルドから伝言を預かってきました」

「ギルドから?」

 ガルドが顔を上げる。

「はい。明日の朝、ギルドへ来てほしいとのことです。詳しいお話は、ギルドでされるそうですよ」

「そうか。分かった。明日の朝だな」

「ええ。皆さんにお伝えしましたよ」

「わざわざありがとう」

 ガルドが礼を言うと、アンナは柔らかく微笑んだ。

「それでは、失礼しますね」

「ちょっと待ってくれ」

 ガルドは小さな袋を取り出し、アンナへ差し出した。

「いつも世話になっている。これは少しだが」

「まあ、ありがとうございます」

 アンナは恐縮しながらも、丁寧に受け取った。

「それと、夕食を部屋まで運んでもらえるか? 今日は皆でここで食べたいんだ」

「もちろんですよ。準備ができましたらお持ちしますね」

「頼む」

 アンナはもう一度頭を下げると、静かに扉を閉めた。

 部屋の中では、皆が自然とガルドの方を向いていた。

「明日の朝、ギルドか」

 ロックが腕を組む。

「何か決まったんだろうね」

 ミーナが言った。

「黒き霧の件だろう。領主様から何か話があったのかもしれない」

 ガルドはそう答え、テーブルの上に置いていた荷物を片付け始めた。

「明日になれば分かる。今日はゆっくり休もう」

 トーマも頷いた。

 バルバロは皆の話を聞きながら、小さく膝を抱えていた。父親のことが気になっているのだろう。明日の呼び出しが何につながるのか、まだ分からない。期待したい気持ちと、何も進展しなかったらという不安が、幼い表情に浮かんでいた。

「心配するな。明日になれば、きっと色々決まる」

 ガルドがバルバロに声を掛ける。

「だから今日は、しっかり食べて力をつけて寝ろ!」

「……うん」

 バルバロは小さく頷いた。


 その後、アンナが夕食を運んできた。

 テーブルに並べられた料理から、温かな湯気と食欲を誘う香りが広がる。

 大きな器に盛られているのは、スタンプボアの角煮のシチューだった。


 じっくりと煮込まれた肉は、表面に艶のある濃い色のソースをまとっている。匙を入れると、肉の繊維がほろりとほどけ、器の中に溶け込んだ旨味の香りがふわりと立ち上った。野菜にも肉の味がしっかり染み込み、柔らかく煮えた根菜をすくうと、シチューの濃厚な香りが一緒に広がる。

 その横には、焼きたてのパンが籠いっぱいに盛られていた。


 丸く膨らんだ表面はきれいな焼き色がつき、ところどころに香ばしい焦げ目がある。ちぎると中から白い湯気が立ち上り、ふんわりとした生地から小麦の甘い香りが漂った。

 さらに、小さな器にはヨーグルトが用意されている。白いヨーグルトの上には、蜂蜜を絡めたナッツがたっぷりと乗せられていた。蜂蜜の透き通った黄金色がヨーグルトの表面にゆっくり広がり、香ばしいナッツの香りが甘く鼻をくすぐる。


「おお、これはうまそうだな」

 ロックが思わず声を上げた。

「温かいうちに召し上がってくださいね」

 アンナはそう言って、空いた皿を片付けてから部屋を出ていった。

「いただきます」

 ガルドの声を合図に、皆が食事を始める。

 まずはシチューを一口。

 柔らかく煮込まれたスタンプボアの肉は、噛むほどに深い旨味が広がる。脂はしつこくなく、煮汁に溶け込んだ野菜の甘みと香辛料の香りが、肉の味を引き立てていた。熱々のシチューが身体の内側から温めてくれる。


「これはいいな。肉が本当に柔らかい」

 トーマが満足そうに頷く。

「このシチュー、パンにも合うよ」

 ミーナはパンをちぎり、器の中に残ったシチューをたっぷりと染み込ませた。ふわふわのパンが濃厚な煮汁を吸い、口に入れると小麦の甘みと肉の旨味が一緒に広がる。

「おかわりしたくなる味だな」

 ニルも静かにパンを口へ運んだ。


 バルバロも小さな手でパンを持ち、シチューを少しずつ食べていた。熱さに気を付けながら口に運ぶと、ほっとしたように頬が緩む。

 食後には、蜂蜜がけのナッツが乗ったヨーグルトを口にする。

 なめらかな酸味のあるヨーグルトに、蜂蜜の優しい甘さが混ざる。そこへナッツのカリッとした歯触りと香ばしさが加わり、シチューの後でも重たく感じない。

「これも美味しいね」

 ミーナが微笑む。

「甘いのに、さっぱりしている」

 バルバロも器を両手で持ち、ゆっくり味わっていた。

 皆で食卓を囲み、温かい料理を食べているうちに、部屋の空気も少しずつ和らいでいく。

 それでも、バルバロの表情から不安が完全に消えたわけではなかった。

 ガルドはそれに気付いていたが、今は無理に問いかけることはしなかった。ただ、明日へ向けて少しでも安心できるよう、いつもと変わらない声で話しかける。


「明日は朝からギルドへ行く。きっと色々決まるからな。今夜はしっかり休んでおけ」

「……うん。分かった」

「腹もいっぱいになっただろう?」

「うん。おいしかった」

「それなら十分だ」

 ガルドが笑うと、バルバロも少しだけ笑顔を見せた。

 その夜、蒼き風は翌日の準備を整え、早めに休むことにした。


 *


 翌朝。

 朝食を済ませた蒼き風は、バルバロを連れて冒険者ギルドへ向かった。

 バルバロは人目を避けるため、大きな袋の中に入っている。袋の口は少し開けてあり、外の様子が見えるようになっていた。ガルドが袋を肩に掛け、歩くたびに中で揺れないよう気を付けている。


「苦しくないか?」

 ガルドが小さく声を掛ける。

「大丈夫」

 袋の中から、バルバロの声が返ってきた。

 ギルドへ到着すると、受付のシエルが五人の姿に気付いて声を掛けた。

「おはようございます。お待ちしていました」

「おはよう。昨日、伝言をもらったんだが」

「はい。ギルド長がお待ちです。こちらへどうぞ」

 シエルはカウンターから出て、奥の廊下へと案内した。


 普段は冒険者たちの出入りで賑やかなギルドも、朝のこの時間はまだ人が少ない。奥へ進むにつれて、受付や談話スペースのざわめきも遠ざかっていく。

 やがて、ギルド長室の前に到着した。

 シエルが扉の前で足を止める。

「こちらです。皆さんがお見えになったことをお伝えしますね」

 そう言って、扉をノックした。

 返事を待つ間、ガルドはふと室内から漂う気配に気付いた。

 強い。

 ただ強いというだけではない。扉越しにも伝わってくる圧力に、身体が自然と緊張する。まるで、部屋の中にいる者たちが、こちらの存在を確かめているかのようだった。

 隣にいたロックも、わずかに眉を寄せる。

「……何だ、この気配は」

 ミーナも息を呑んでいた。

 袋の中のバルバロも、外の様子をうかがうように静かになる。

 シエルは普段通りの表情で、扉の向こうへ声を掛けた。

「蒼き風の皆さんがお見えになりました」

 少しの沈黙の後、室内から低い声が返ってきた。

「入れ」

 シエルが扉を開く。

 ガルドは一度、深く息を吸った。

 何が待っているのかは分からない。だが、ここまで来た以上、臆するわけにはいかない。

「行くぞ」

 仲間たちに短く告げ、ガルドは部屋の中へ足を踏み入れた。

 室内には、ソファに腰掛けたギルド長マインズの姿があった。そして、その向かいには見覚えのない二人の男が座っている。

 一人は銀色の髪を持つ、整った顔立ちのエルフ。もう一人は大柄な身体つきで、冬だというのに軽装の男だった。

 その二人を見た瞬間、ミーナの目が大きく見開かれた。

「……っ!」

 次の瞬間、ミーナはその場に膝をついていた。

「ミーナ?」

 突然の行動に、ガルドたちは驚いて彼女を振り返る。

「どうしたんだ?」

 ミーナはすぐには答えられなかった。目の前のエルフから伝わってくる気配と、その姿に見覚えがあったからだ。

「一人は……氷結の貴公子よ。Sランクの……」

 その言葉に、ガルドたちの表情が変わる。

 氷結の貴公子。

 その名は、冒険者の間でも知られている。氷の魔法を極めたエルフであり、数少ないSランク冒険者の一人だ。

 アイズは膝をついたミーナを見つめた。

「ハーフエルフか」

 その視線は、ミーナの耳へと向けられていた。純血のエルフより短く、人間の耳とも異なる特徴。アイズはそのわずかな違いから、彼女がハーフエルフであることを見抜いたのだ。

「今は冒険者としてここにいる。立て」

 落ち着いた声だった。

 威圧するような響きはなく、ただ同じ冒険者として接している。ミーナは一瞬戸惑ったものの、ゆっくりと立ち上がった。

「失礼しました」

「気にするな」

 アイズはそれ以上何も言わなかった。

「ははっ、そんなに驚かなくてもいいぜ。俺はゴリアテだ。よろしくな」

 大柄な男が豪快に笑いながら声を掛ける。

「俺はアイズだ。先ほど紹介された通り、冒険者をしている」

 二人が名乗ると、ガルドたちも姿勢を正した。

「俺はガルドです。蒼き風のリーダーをしています」

「ミーナです」

「ロックだ」

「トーマです」

「ニルです」

 それぞれが名乗り、簡単に挨拶を交わす。

 その間に、ガルドは肩に掛けていた袋をそっと下ろした。

「バルバロ、もう出てきていいぞ」

 袋の口が動き、小さなノームが顔を覗かせた。周囲の様子を確かめてから、バルバロはゆっくりと袋から出てくる。

「おはようございます」

 小さな声で挨拶をすると、マインズが穏やかに頷いた。

「よく来たな、バルバロ」

 バルバロはガルドの後ろに隠れるように立ち、室内にいる二人を見上げた。

 知らない人間が何人もいる。しかも、先ほどから感じていた強い気配は、目の前の二人から伝わってくるものだった。

 けれど、銀色の髪の男を見た時、バルバロの表情が少し変わった。

「……エルフだ」

 小さく呟いた声に、アイズが視線を向ける。

「そうだよ。俺はエルフだ」

 その言葉を聞いたバルバロの肩から、少しだけ力が抜けた。

 ノームにとってエルフは、決して遠い存在ではない。森や自然の中で暮らす者同士、古くから隣人に近い関係にある。もちろん、すべてのノームとエルフが親しいわけではないが、互いの存在を知り、交流することもある種族だった。

 初めて会う相手でも、エルフだと分かったことで、バルバロの中に安心感が生まれたのだろう。


「俺はアイズだ。よろしくな」

 アイズが穏やかに声を掛ける。

「……バルバロです」

「バルバロか。よろしく」

 アイズは小さく頷いた。

 その様子を見ていたゴリアテが、にっと笑う。

「よし、みんな揃ったな。まずは話を聞かせてもらおうぜ」

「そうだな」

 マインズが椅子を勧め、全員が席に着いた。

「では、始めよう。今回、アイズ殿とゴリアテ殿にここへ来てもらったのは、黒き霧についての調査を進めるためだ」

 マインズが説明を始めた。


「二人は領主様から依頼を受け、黒き霧の調査と、必要であれば討伐への協力を引き受けてくれた。蒼き風は実際に黒き霧と遭遇している。そこで、現場で何があったのか、詳しく話を聞きたいというわけだ」

「そういうことだ。よろしく頼む」

 アイズが静かに言った。

「実際に戦ったお前たちの話が聞きたくてな。気になったことは遠慮なく聞かせてもらうぜ」

 ゴリアテは身を乗り出すようにして笑った。

 ガルドは頷き、黒き霧に遭遇した時のことを話し始めた。

 森の入口付近で見られた魔獣の異変。クロトゲノキの近くで黒き霧を見つけたこと。幹を引っ掻くような動き。そして、こちらに気付いた黒き霧が襲い掛かってきたこと。


 ロックやトーマも、戦闘中に見た動きや攻撃の特徴を補足する。

「霧のような身体だったためよく分かりませんが、ミーナの矢と、ロックの盾が当たったので、攻撃がまったく通らないわけではありません」

「火と光、それから冬属性の攻撃に反応があったんだな?」

 アイズが確認する。

「はい。俺たちが持っている手段では光でしたが決定的なダメージを与えられませんでしたが、他はどうかはまだ分かりません。」

「黒き霧は本来、真冬に現れる魔物だと聞いている。今回のように秋の終わりに出現したことも、森の異変と関係しているのかもしれないな」

 アイズが考え込む。

「クロトゲノキの幹を引っ掻いていたという話も気になる。何かを探していたのか、それとも別の目的があったのか」

「俺たちにも分かりません。ただ、あの場所に何かがあった可能性はあると思います」

 ガルドが答えた。

「その後、バルバロを見つけたんだったな」

 マインズが話を続ける。

「はい。バルバロは父親を探して森へ戻り、黒き霧に襲われていました」

 ガルドは、ノームたちが秋の収穫に出た時のことから説明した。

 森で黒き霧に襲われた際、父親のババロが仲間を逃がすために最後まで残ったこと。村へ戻った後、バルバロが父親を探そうと誰にも告げずに村を抜け出したこと。そして、一人で森を進む途中、再び黒き霧に襲われたこと。


「バルバロはクロトゲノキの根元に隠れていました。俺たちが見つけた時、黒き霧は木の幹を引っ掻いていたんです。今考えれば、木を狙っていたのではなく、隠れていたバルバロを探していたのかもしれません」

「なるほどな」

 ゴリアテは腕を組み、バルバロへと視線を向けた。

「怖かっただろうな。一人でよく逃げたもんだ」

 バルバロはガルドの後ろから少しだけ顔を出した。

「父さんを探したかったんだ。でも、見つからなくって、」

「そうか」

 ゴリアテは大きく頷いた。

「父親のことが心配だったんだな」

「うん……」

 アイズもバルバロへ視線を向ける。

「森の中で、黒き霧はどのくらい近くにいた?」

 バルバロは少し考えた。

「すぐ近くだった。木の根っこのところに隠れてたら、黒いのが木をガリガリしてた」

「音が聞こえたのか?」

「うん。怖くて、動けなかった」

「そうか。よく無事だったな」

 アイズの声は静かで、バルバロを急かすような様子はない。

「その後、蒼き風が助けてくれたんだね?」

「うん。」

 バルバロはガルドの服を小さな手で握った。

「それから、父さんはまだ見つかってないから……」

 マインズが告げる。

「黒き霧の調査と並行して、ババロの行方についても情報を集めていくつもりだ」

「よろしくお願いします」

 バルバロは小さく頭を下げた。

 アイズはその姿を見つめていたが、やがてゴリアテへと視線を向けた。

「実際に現場を見たい。黒き霧が現れた場所と、クロトゲノキの位置を確認しておきたい」

「そうだな。話だけじゃ分からねぇこともある。現地で見た方が早い」

 ゴリアテはマインズへ向き直った。

「ギルド長、蒼き風を道案内に頼めないか? あの場所を知っている連中が一緒なら、調査も進めやすい」

「俺たちも同じ考えだ。現場までの道を知る者が必要になる」

 アイズも続ける。

 マインズは蒼き風の五人へ視線を向けた。

「どうだ、ガルド。同行を頼めるか?」

「もちろんです。俺たちが知っている範囲であれば、案内します」

 ガルドは迷わず答えた。

「ただし、黒き霧が再び現れる可能性があります。現場へ向かう際は、十分に注意が必要です」

「分かっている。無理をするつもりはない」

 アイズが頷く。

「それにしても、お前たちはなかなか筋があるじゃねぇか」

 ゴリアテは蒼き風の五人を見回し、豪快に笑った。

「黒き霧を相手に無理をせず、仲間を守って撤退する。それに、バルバロを助けるために動いたんだろ? いい判断だと思うぜ」

「ありがとうございます」

 ガルドは少し照れたように頭を下げた。

「おう! これから色々話そうぜ。現場のことも、森のこともな!」

 ゴリアテの笑い声がギルド長室に響いた。

 こうして、蒼き風と二人のSランク冒険者は、黒き霧の現場へ向かうことになった。

 それぞれが持つ情報を持ち寄り、森に起きている異変を確かめるために。

 そしてバルバロもまた、父親の行方につながる何かが見つかることを願いながら、大人たちの話に耳を傾けていた。

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