第72話 アクアの記憶 後編
◇◇◇◇◇◇
水の大精霊アクア視点
あれから、どれほどの時が流れただろうか。
陸地には町ができていた。
人間と直接言葉を交わすことはなかったが、大きな魚を捕まえた日は港の近くにそれを置いておくと、人々が笑顔で持って行った。代わりに、人の方でも何か贈り物があると、私が拠点として使っている岩場に木箱に詰めて届けてくれるようになっていた。
互いに言葉を交わすことなく、贈り物を通じて交流を深めていく──そんな静かな関係が続いていた。
また、漁をしている人たちが私に気づくと、手を振ってくれることもあった。
この平穏がずっと続けばいいと願っていた、ある日のことだった。
漁をしている船に、クラーケンの触手が絡みついているのを目撃した。
「助けないと……!」
相手は全長十メートルを超える巨大なイカ。一方、私は人間と変わらぬ体格。
明らかに分が悪い。それでも、船の上の人間たちがクラーケン相手に立ち向かうのは不可能だ。今まで受け取ってきた恩を返さなければ。
私は急いで襲われている船へと向かい、手にした三叉の槍──トライデントをクラーケンに突き立てた。
何度も突き刺すうちに、クラーケンの身体の傷跡に見覚えがあることに気づいた。
──このクラーケンは、私の故郷を襲った張本人だった。
恐怖がこみ上げてきたが、それよりも人の町が同じ悲劇に見舞われるわけにはいかないという想いが勝った。
さらに何度か槍を突き刺していると、クラーケンは船に絡めていた触手をほどき、私の方へ狙いを定めてきた。
私は海面近くまで逃れ、全力でジャンプして襲われていた船を確認する。
船はボロボロだったが、二人の人影が残っていた。陸地も近い──なんとかなるだろう。
「逃げて!」
声が届くかは分からなかったが、叫んでみた。そしてクラーケンの注意を引くように、大陸とは反対の方向へ全力で泳ぎ出した。
かつて逃げるだけだった幼い自分とは違う。今回は私の方が速く、クラーケンは追いつけていないようだった。
適宜後ろを振り返りながら泳ぎ続け、かなりの距離を稼いだと思ったそのとき──
別のクラーケンが、まったく別方向から現れ、私を襲ってきた。
急いで逃げようとしたが、そのクラーケンは動きも鋭く、あっけなく触手が私の体に巻きついてしまった。
苦しい……痛い……全身の骨が折れる感覚と激痛が走る。
──あぁ、終わりだ。
直感でそう悟った。
次の瞬間、黒く巨大な塊がクラーケンに食いつき、その頭部ごと飲み込んだ。
私は触手から解放され、残った力を振り絞ってその塊から距離を取った。
「えっ……?」
痛みに耐えながら視線を向けると、そこには先ほどのクラーケンと、別方向から来たクラーケンの両方を口に咥えた、黒い巨大な存在があった。
クラーケンが赤子に見えるほどの、巨大な身体と丸い瞳──
「リビアタン……」
私の故郷で守護神とされていた、伝説の海の魔物だった。
私たちローレライは、リビアタンの身体についた寄生虫を取り除く代わりに、リビアタンが私たちを守るという共存関係を築いていた。
故郷が襲われたとき、リビアタンは不在だった。……食事のため、故郷から離れていたのだ。
遠のく意識のなか、人の町が二の舞にならぬよう願いながら、私は深い海へと沈んでいった。
◇◇◇◇◇◇
『大精霊様、大精霊様!』
誰かが私を呼んでいる?
目を開けると、膨大な情報が頭の中に流れ込んできた。
私は、水の大精霊──ウンディーネになった?
精霊の存在は両親から聞いたことがあったが、まさか自分がその一柱になるとは。
「どうしたんですか?」
『近くで人の子が溺れているんです。その子が“この状況をなんとかしてくれる子を呼んできて”って……』
水の子がそう告げてくる。
「わかりました、案内してください」
『はい、こちらです』
水の子についていくと、川の中央で太い枝にしがみつく、小さな少女がいた。その近くには植物の大精霊が居た。
「あのぉ、何かお困りですか……?」
「見ての通りなんだけど、この冷たい水から抜け出したいの。助けてくれない?」
「えっと……」
助けを求められて戸惑いつつも、これから始まる大精霊としての未来に、少しだけワクワクしていた。
◇◇◇◇◇◇
ラミナ視点
「最後はクラーケンから船を救って、その後姿を消したって子がいたんだ」
「それが、例のローレライだったんですか?」
「うん。暗い夜の海で歌声の聞こえる方向へ行けば、必ず陸地が見えるって言われてる。船乗りを導くローレライ。あの子が歌っていた歌が、私の故郷で今も語り継がれてるんだ」
へぇ〜……。ミントは神木、アクアはローレライ。
となると、グレンやまん丸の精霊になる前の話も、気になってくる。
『自分自身の生前を評価されると、なんかこそばゆいですね』
「やっぱり、アクアのことだったんだ?」
『えぇ』
ここで、ふとした疑問が浮かんだ。
「魔物と精霊の発生って、同じ時期だったはずじゃないの?」
『そうやで。でもな、うちら精霊って、自分の魔素を使い切ったら消滅してまうんや』
あ……。それ、前にも聞いたような気がする。
「ってことは……代替わりってこと?」
『えぇ、私は水の大精霊として三代目になりますね』
なるほど、そういうことか。
「ラミちゃん、アクアちゃん何か言ってるの?」
「うん、先輩が話してくれたローレライって、アクアのことなんだって」
「やっぱり! ハンゾーじゃないけど、私も……」
ミラはそう言うと、昨日のハンゾーと同じように、すっと立ち上がって深々と頭を下げた。
「私の先祖を守ってくれてありがとう。うちは代々、海で働く船乗りの家系なの。クラーケンに襲われてた船にいたの、きっと私の先祖だったんだと思う。アクアちゃんがいてくれたから、今の私はここにいる。本当にありがとう」
『ふふふ、どういたしまして。漂流した船を陸に導いたり、クラーケンを引きつけたり……正解だったようですね』
「“どういたしまして”だって」
「そっか、アクアちゃん、また歌聞かせてね」
『えぇ、もちろんです』
アクアがそう返事をした瞬間、昼休みの終わりを告げるベルが鳴り響いた。
“あっ……またクロエ先生に怒られるやつだ……”
そんな予感が頭をよぎりながら、私は慌てて片付け、ミアンとともに教室へと急いだ。
……そして案の定、こっぴどく叱られた。
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