第47話 オーク実験
アクアとまん丸が戻ってきた。
『すいません、お待たせしました』
「アクアもまん丸も、任せっきりでごめんね」
『いえいえ、大丈夫ですよ』
『ボクも大丈夫だよ~』
二人とも元気そうで安心した。特にまん丸は、ふわふわとした様子そのままに、どこか満足げだった。
『まん丸、さっき言ったやつをここにお願い』
『はーい。ラミナ、ちょっと下がっててくれる~?』
「ん?」
何をするんだろう? わからないまま、とりあえず丘の頂上付近から少し距離を取る。
『いくよ~!』
「何するの?」
問いかけに答えたのはグレンだった。
『解体用の小屋を出すらしいぞ』
「あっ、そうなの?」
『このあたり、キラベルウルフが出るからな。安全に作業するためやで』
「なるほど……」
本当に精霊たちは便利だ。まん丸がくるくると空中を旋回し始めたかと思うと、地面がもこもこと不気味にうねり始める。地中から魔物でも飛び出してきそうな動きに、思わず身構えてしまう。
だが次の瞬間――
一瞬で塀付きの、立派な二階建ての建物が姿を現した。まるで地面から生えてきたかのように。
『まん丸、一階だけでよかったんですよ……』
『え? そうなの~?』
『まぁ、まん丸らしいな。……さ、入ろうぜ』
グレンが軽く笑いながら入口へと歩いていく。私も後に続いた。
中に入ると、その広さに思わず声が漏れた。
「……広っ。アカデミーの教室くらいあるかも」
『広くて困ることはないだろ?』
グレンの言葉に頷きつつ周囲を見渡していると、アクアとまん丸が氷漬けのオーク三体を運んできた。
『まん丸、こっちに寝かせるための台、お願い』
『はーい』
まん丸がまた軽やかに空をくるりと回ると、床からせり上がるように三台の台座が現れる。もはや魔法というより工事現場の早業だった。
……それにしても、アクアがまん丸にあれこれ指示を出してる感じ、なんだか関係性が気になる。
(……アクアって、まん丸の上司みたいな立場なのかな)
そんな風に見えてきて、少し笑ってしまった。
『ラミナ、残りの二体はマジックバッグに入れちゃってください』
「えっ……入るの? これ、バッグの口より全然大きいけど……」
どう考えてもサイズが合わない。でも、そういえばミアンのバッグも、入る時は大きさ無視だったような……。
『大丈夫や。バッグの入口の大きさとか関係あらへんよ』
ミントの補足で、私の考えていたことが見透かされたみたいだった。
「そっか……」
少し不安だったけど、意を決してオークの死体に触れる。すると――ぼんやりと淡い光に包まれたかと思った瞬間、すっと消えた。
『大丈夫や。ちゃんと入っとるで』
「……え、入ったの? ってことは、触れた時点で転送される感じなんだ……」
なんだか不思議な感覚だった。念のため、もう一体のオークの死体にも触れて、同じようにバッグに収納する。
『それでは、始めましょう』
「うん」
『まずは、オークの首の下からおへそにかけて切開してください』
「はい」
私はマジックバッグに手を差し入れ、解体用ナイフをイメージしながら取り出した。
オークを前にして少し悩む。横からだと作業しづらそうだ。そう思って、私は台の上に上がり、オークのお腹にまたがるような体勢を取った。
『子どものオークの方が扱いやすかったかもしれませんね』
「大丈夫、今回はこれでやってみる」
『わかりました。臓器を傷つけないよう、慎重にお願いします』
アクアの指示に従い、私はナイフで首元からおへそまで、ゆっくりと慎重に切り開いた。
両手で切断面を押さえながら左右に広げてみるが――これでは開いた状態を維持できない。手を離せば、すぐに閉じてしまいそうだ。
「アクア……このままじゃ、作業ができないよ……」
『そうですね。まん丸、お願いできますか?』
『うん~。ベッドの両端に引っかける仕組みにしようか~』
まん丸が手を前に出すと、その手のひらからふわっと小さな球体が浮かび上がり、それがするするとワイヤー状に伸びていく。やがて両端にフックのついた、細くてしなやかな器具が出来上がった。
「これをどう使えば……?」
『L字になってる方を切開したお腹に、C字の方をベッドの縁に引っかけて~』
言われた通りに四本のワイヤーをそれぞれ引っかけると、切開した腹部がきれいに開いた状態で固定された。
『はい、これで準備は整いました。では、これまでに教えたことを思い出しながら、各臓器の名称と働きを確認していきましょう』
アクアのサポートのもと、私はひとつひとつ臓器の名前と役割を復唱していった。これまで口頭で習っていたものを、実物を前にして確認することで、頭への入り方がまるで違う。
『大丈夫そうですね』
「うん。……ふと思ったんだけどさ、肺って、生きてるときは膨らんだりしぼんだりするんだよね?」
『その通りです』
「ミアンの患部って、肺だったよね?」
『そうです。位置としては、だいたいこのあたりになります』
そう言いながらアクアは、右の肺の左下あたりを指さした。
「……ねぇ、そこを切り取ったら、呼吸できなくならない?」
『現在、症状が出ているのは肺の外側――つまり“胸膜”の部分ですので、そこだけなら切除しても問題ありません。ただ、病状が進行すれば、内部まで魔石化が及ぶ可能性はありますね』
つまり、今ならまだ間に合うということだ。進行する前に手を打たなければならない。
『中までやられたら呼吸ができへんようになって、命に関わるで』
ミントの補足に、私は思わず息をのんだ。肺に傷が入れば、空気が漏れて呼吸そのものができなくなる。
――万が一、そうなったらどうすればいいのだろう?
『ねね~、左の肺だけで生きていくって、できると思う~?』
まん丸が、ぽつりと不思議な提案を口にした。
「……どういう意味?」
『たとえばなんだけどね、気道から右の肺に繋がる部分、あるでしょ~?』
まん丸はそう言うと、オークの右肺の付け根――気管支の分岐部分に移動して指をさした。
「うん」
『ここをクリップみたいなもので閉じて、左の肺だけで生命活動ができるようにしたらどうかな~?』
なるほど。右肺からの空気の流れを遮断すれば、左肺だけで呼吸を行うことも可能かもしれない。
『そうなると、首元からの処置が必要になりますね』
『だめかな~?』
『いえ、ひとつの選択肢としては有効です。ただ、ミアンの負担が大きくなりそうであれば、他の方法も検討すべきかと』
『そっか~。それなら、右肺の患部まわりだけを圧迫して、空気が漏れないようにするとか~』
私が考えるより先に、まん丸が次々と案を出してくれる。その発想力と柔軟さには、本当に助けられてばかりだ。
『うん、その方法なら体への負担も抑えられそうですね』
『あとは~……あとは~……』
「……まだあるの?」
『うん~。例えばだけど、口から左肺に直接繋がる管を通す方法とか~』
『なるほど。それでしたら右肺には余計なダメージを与えずに済みそうですね』
『でしょ~?』
――個人的には、管を通す方法がいいかもしれない。体への負担も少なそうだし、術後の呼吸補助にもなる気がする。
「……その管って、まん丸が作るの?」
『ん~……それはボクよりも、ミントの方が向いてると思う~』
『うちかいな!?』
急に名前を出されたミントは、少し大きな声を上げて驚いていた。
『ボクが作るとどうしても硬い物になっちゃうからね~。柔軟性を求めるなら、ミントの方が向いてると思うよ~』
『せやけど……』
ミントは困ったような表情を浮かべていた。頼まれるのは慣れていても、こういう精密な作業には不安があるのかもしれない。
『……管の方は、ミントとまん丸に任せて、次に進みましょうか』
『えぇ~……』
ミントは最後まで不満そうだったが、無理やり押しつけられているわけではない。大丈夫、きっとちゃんとやってくれる。
……多分。
「うん。私は、何をすればいいかな?」
『そうですね。感覚を掴むためにも、さきほど私が指した部分を実際に切除してみましょう』
「わかった」
私は右肺の一部を切り取るため、ナイフを手に慎重に手を伸ばした。
――けれど、そこで気づく。
「……暗い。手元が、よく見えない……!」
思った以上に中は影が多く、下手に切ろうとすれば自分の指を傷つけてしまいそうで怖かった。
「アクア……暗くてやりにくい……」
『じゃあ、俺が明かり役をやろう』
グレンが進み出てくれる。けれど、いつもの精霊の淡い光では、手術のような細かい作業には心もとない。
「……手元を、できるだけ明るくしてくれる?」
『ああ』
グレンは静かに私の手元へと移動し、患部を照らし出してくれた。けれど――
「ん……できれば、影を消してほしいんだけど……」
『影を……消す?』
「うん。今の位置だと、私の手の影が落ちちゃって……」
『なるほどな。光源を複数用意すればいいってことか』
「……かな?」
『分かった。ち~っと魔素、もらうぞ』
「うん、いいよ」
何をするのかと首をかしげていると、グレンが私の手にそっと触れてきた。すると、体の中からごっそりと魔素が流れていくのが分かる。
視線を向けると、グレンの身体が、もやのように揺らめきながら分裂していった。
二体……三体……いや、止まる気配もなく、その数はどんどん増えていく。
最終的に――十体ものグレンが、私の手元に現れていた。
左右、斜め上、そして真正面からも光が注がれ、手元の影が徐々に薄れていく。
――これなら、切れる。
「分身……なの?」
『いや、ただの中位精霊たちだ。俺の分身ってわけじゃねぇよ』
「それにしても……こんなに一度に生み出せるんだね」
『お前の魔素が多いおかげだ。できる限り増やしてみた』
「……ありがとう」
十体の火の精霊たちが手元を囲むようにして浮かび上がると、その場はまるで昼間のように明るくなった。影という影がほとんど消え、患部の細部まではっきり見える。
『これでいけるか?』
「うん。すごく見やすい、ありがとう」
私はオークの肺をそっと指先でつまみ、解体用ナイフをゆっくりと入れた。プニプニとした感触が指先に伝わってくる。
慎重に――一部だけを切り取っていく。
『……大丈夫そうですか?』
「うん。問題なく切れた。これ……死体だから、ポーションとか意味ないよね?」
『ええ、そうですね。死んでしまった相手には、ポーションもヒールも効果はありません』
「そっか。……それは、また別の機会に考えないとね」
『そうですね。では、今回はここまでにしましょう。時間もちょうどいいですし、オークを解体して今日は終わりにしましょうか』
「うん、分かった」
そこから私たちはオークの解体作業に取りかかったが……正直、思っていたよりもずっと大変だった。大人のオークは大きくて筋肉も分厚く、力もいるし、構造も複雑だった。
なんとか解体を終え、残った部位の整理や片づけをしていると――
『ねぇねぇ~』
まん丸が、軽い調子で声をかけてきた。何か思いついたような口ぶりだ。
『ん? どうした?』
グレンが応じると、まん丸はぽんと手を打って言った。
『さっきの明かりのとこ、感覚共有すればよかったんじゃない~?』
『『『あっ』』』
アクア、ミント、そしてグレンの三人が、同時に間抜けな声を上げた。
「え、なに? 感覚共有って……なに?」
私は思わず問い返していた。
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