第43話 キラベル地方へ
翌朝、目を覚ますと、窓の外はまだ深い闇に包まれていた。
『おはよさん』
『おはようございます』
ベッドの上で身体を起こすと、ミントとアクアが静かに挨拶をくれる。
「おはよう〜」
私は欠伸をひとつしてからベッドを降り、身支度を整えていった。服を着替え、髪をまとめ、必要な物をひとつずつマジックバッグに詰め込んでいく。
朝食は、昨日手紙と一緒に見つけたカバンの中から出てきた、保存用の少し堅めのパンで済ませた。慣れない味だったけど、口の中で噛みしめていると少しずつ味が染み出してくる。旅の保存食らしい、素朴な味がした。
支度が整ったところで、ふと辺りを見回す。ミントもアクアもすぐそばにいる。けれど――。
「あれ? まん丸は?」
『枕んとこや』
寝室に戻ると、案の定、枕の横で小さく丸まって眠っていた。
「まん丸、キラベル行くよ〜」
そう声をかけると、むにゃっとした声が返ってきた。
『ん〜……おはよ〜』
『おのれ、ずっと寝とったやんか』
『何もないときは休まないと〜』
……まぁ、寝てても困ることはないし、別にいいんだけども。
「3人とも、出発して大丈夫?」
『ええで〜』
『問題ありません』
『準備OK~』
三人が一斉に答えてくれた。
「じゃあ、行こうか」
部屋の鍵をかけ、寮の建物を出た。
外はまだ夜の気配が濃く残っていて、星の名残が空に散っていた。
「まだ暗いね……」
『そりゃ、まだ4時過ぎやで』
『日の出まではあと1時間ほどありますからね』
「なるほど……」
学園の門を出ると、静かな街並みが広がっていた。街灯の明かりと、ふわふわと漂う精霊たちの光だけが、道をやわらかく照らしている。
「ほんとに……誰もいないんだね」
『まあ、この時間やと町を守る衛兵か、早く出発する冒険者ぐらいやな』
やがて中央広場までたどり着くと、あまりにも静かな光景に、ふと胸が締め付けられるような感覚にとらわれた。
「……なんか、この世界に私だけしかいないような気分になるね」
『昼間とは全然ちゃう感覚やな』
アクアも静かにうなずいている気配がした。
「ねえ、キラベルに行くにはどうしたらいいの?」
『西門を出てすぐ右に、街道が延びとる。その道をずっと行けばキラベルまで続いてるで』
「うん、ありがとう」
西門に向かって歩いていくと、門の前には二人の衛兵が立っていた。門にかけられたランタンの光が揺れ、夜気にほのかな温もりを与えている。
「おや? こんな時間にどこへ向かうのかな?」
「これから、キラベルへ向かいます」
「キラベル? ……徒歩で?」
「はい」
「そうか。じゃあまず、身分を証明できるものを見せてもらえるかな」
私はカバンから学生証を取り出して差し出した。
「ほう……アカデミーの新入生か。それもSクラスとは。なるほど、今の時期だと、ちょうどサバイバル学習を終えて帰ってきた頃か?」
「はい、昨日までがそうでした」
「なるほどな。帝都周辺は我々や騎士団が定期的に魔物を掃討してるから比較的安全だけど……キラベルのほうは俊敏な魔物も出るから、十分注意するように」
「ありがとうございます」
学生証を返され、深く一礼する。
町門をくぐると、外の世界はさらに暗く、月明かりさえ隠れていた。水の精霊、地の精霊、風、植物の精霊たちが、ほんのりと光をまといながら漂っている。
「えっと……」
私は暗がりの中、カバンに手を伸ばし、ランプとマッチを取り出そうとした――。
『うちらに任しとき』
ミントがそう言うと、漂っていた精霊たちが整列しはじめた。
道の両端には黄色い光、中央には青い光が並んでいく。色的に地と水の精霊だろうか。……こんなことで精霊たちを使ってしまってもいいのかな?
植物の精霊はどうしたんだろう?
『これで少し歩きやすくなりました?』
『いいの?』
『えぇ、大丈夫ですよ』
整列してくれた精霊たちの道を、私は早歩きでキラベルへと向かった。
しばらくすると、空がわずかに白み始めた。
地面の起伏や石のある場所も、うっすら見えるようになってくる。
さらに進むと、道の左右もはっきりと平原の風景だとわかるようになった。
――そろそろ、自分の限界まで走ってみようかな?
「アクア、まん丸、もう大丈夫」
『わかりました』
『ほ~い』
ふたりが返事をすると、整列していた精霊たちは地面を離れて、再び辺りを自由に漂い始めた。
私は軽く駆け足を始めた。
『おっ、走るん?』
「うん、どこまで行けるか試してみようかと」
『今のペースなら余裕でキラベル火山まで行けますよ』
「そうなんだ」
ある程度走ってから、少しずつペースを上げていく。
「結構いけそう?」
『そりゃそうやろ』
また一定の距離を走ったあとにさらに加速――それを何度か繰り返しているうちに、気づけば全力で走っていた。
けれど、全力で走っても、疲れは感じない。呼吸も苦しくならなかった。
「……結構、余裕?」
『そりゃ、毎日薬草園まで駆け足で登っていましたよね。あれだけでも、かなり鍛えられてますからね』
『せやな、ラミナの脚力は同世代と比べたら、あかんくらいやで』
「ぇ? そうなの?」
『せやで。急こう配な山道を毎日駆け足で登ってたら、嫌でも鍛えられるわな』
……山道どころか、最初の頃は道すらなかった記憶があるけども。
「そっか」
『調子に乗ってると~』
『まん丸、黙っとき!』
まん丸の発言に、ミントがピシャリと制した。
「ぇ? なに?」
『何もないで』
「ん……?」
……なんとなくだけど、何かを隠しているような気がした。
日が完全に昇るころには、時折馬車を追い越したり、すれ違うことも多くなってきた。
「結構、往来激しいね」
『帝都に繋がる道ですからね。もうすぐ左右に分かれる分かれ道があるので、それは左へ』
「ほい。もう片方はどこに続くの?」
『海沿いの道を通って、メフォス教皇国、メレス王国へ繋がっとんねん』
「へぇ~」
しばらくすると、アクアの言っていた通りに分かれ道が見えてきた。
気になることがある。右側は整備された道がそのまま続いているのに対して、左に伸びる道は道幅こそ同じだけど、右と比べると明らかに整備が行き届いていない。そして、周囲の景色も平原から鬱蒼とした森へと様変わりしていた。
「なんか道の質が……」
『そやろ。あっちの大通りは他国に繋がる道やからね』
『それに対して、こちらは帝国北部から西部に繋がる道でして、右の道よりは……といったところですかね』
「そうなんだ」
『この道でも、まだ整備されてるほうなんやで』
「そうなの?」
『そうですね。ひどいところだと、道路の真ん中を小川が流れてたりしますから』
……それは、もはや道なのだろうか?
「そっか……」
そんなやり取りをしながら、さらに走り続けると、ようやく遠くに町が見えてきた。
『キラベルの街が見えてきましたね。手前に右へ続く小さな道があるので、そちらへ』
「ほい」
指示されたとおり、町の手前で右の道に入ると、すぐに違和感を覚えた。
馬車が一台通れるかどうかという狭さで、これまでの三台が並走できそうな広い道とは比べものにならない。
「急に道幅が狭くなったね」
『この先は集落が一つだけですからね』
『せやから、馬車一台通れれば十分なんや』
「そうなんだ」
細くなった道を走っていると、道沿いで木を切っている小柄なおじさんが目に入った。立派なひげを蓄えたその人は、こちらに気づくと手を振りながら大きな声で呼びかけてきた。
「おーい! おまえさん、どこに行くんだ?」
私は走る速度を落とし、その人の前で立ち止まった。
「こんにちは」
「おう、どこへ向かうんだ?」
「キラベル火山ですけど」
「……ほう、それで、何か用があるのか?」
正直に言っていいのか少し迷ったけど、隠す理由もないか……。
「精霊と契約するために」
「なんだ、おまえさん、精霊使いか」
「そうですけど……」
「そうか。それなら、キラベル火山に行く前に、この先にある村の村長に一言挨拶しておけ。あそこは村人たちにとって“聖域”だからな。よそもんが勝手に入り込むと、あまりいい気はせんのだ」
……集落じゃなくて村なんだ。というか、集落と村の違いってなんだろう?
「はぁ……分かりました」
無事に通してもらえるんだろうか? 少し不安がよぎる。
「少し待ってもらえるなら、わしが案内してやろうか。どうする?」
一人で行くより、案内してもらった方がよさそうだ。
「んじゃ、お願いしてもいいですか」
「わかった。そこらの切り株にでも腰かけて待っとれ」
「はい」
樵が伐採していた木から少し離れたところにある切り株に腰を下ろすと、太ももやふくらはぎのあたりがズキズキと痛んだ。
「ん~……なんか足が痛い……」
『そりゃそうだよ~。あれだけ全力で走ってれば、そうなるって~』
もしかして……さっき、まん丸が何か言いかけてたのって、これのことだったのかな?
『四時間以上も走れば、誰だってそうなりますよ。ヒールかけますね』
アクアが私の太ももあたりまで降りてくると、彼女の手が一瞬淡く光った。どうやら、回復魔法をかけてくれたらしい。
足を曲げ伸ばししても、痛みはもう感じなかった。アクアのおかげで、すっかり楽になったようだ。
「ありがとう」
『どういたしまして』
その後、私は精霊たちと遊びながら、樵の仕事が終わるのをのんびりと待つことにした。
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