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第41話 殺す治療法

 誰かがやってくれると思っていた。でも、誰も動く気配はない。

 だったら、自分がやるしかない。そう覚悟を決めた。


「アクア、サポートお願い」

『ええ、任せてください』


 私は、ベッドに横たわる男の子の横に立ち、そっと胸骨の下あたりに指を添える。

 体の構造については、村を出ると決めてからミントとアクアに学んできたけれど、それらはすべて口頭での知識だけだ。


『胸骨の先端とおへその中間あたりでいいと思いますよ』

「ありがとう」


 アクアの助言を頼りに、指をゆっくりと滑らせ、感覚を研ぎ澄ませる。

 ――ここ。なんとなくだけど、そう感じた位置に、針の先を当てる。

 そして、慎重に、ゆっくりと押し込んでいく。


『うまく血管を避けていますね』

『せやな……』


 ミントとアクアの声が耳元で聞こえた。

 やがて、針が何の抵抗もなく進んだ瞬間、私は動きを止める。


「アクア」

『ええ、大丈夫です。あとは任せてください』


 アクアの身体がわずかに輝いた。

 ――クリーンの魔法が発動した合図だ。


『針を抜いて大丈夫ですよ』


 アクアに促され、私はゆっくりと針を引き抜いた。

 直後、再びアクアが淡く光る。


 目を凝らすと、針を刺していた傷口がきれいに塞がっていた。

 傷口が塞がっている。――きっとアクアが、ヒールの魔法までかけてくれたんだろう。


 これで……処置は終わった、はず。


「ねぇ、ミント。ダッドマッシュルームって、どういう原理でああなるの?」

『あれはな、胃の中でキノコの成分がゆっくり溶けて、それが胃壁にしみ込むことで効果を発揮すんねん』


 なるほど。つまり、体内で少しずつ作用するタイプなんだ。


「ああ……ってことは、胃に残っている分がなくなったら、目を覚ますってこと?」

『せやな。この子も、もうちょっとしたら起きるで』


 ミントの言う通り、それからほんの数分後――。


「……ん……あれ? ここ、どこ?」


 男の子が、まぶしそうに目を開けた。


「ここは、アカデミーの錬金科の医務室ですよ」


 問いかけに応じたのはヴィッシュだった。

 彼は落ち着いた声で、ゆっくりと説明を続ける。


「君は街で倒れていたところを、この二人が助けてくれたんです。お腹の具合はどうですか?」


「……あ、はい。全然痛くないです。ありがとうございます……本当にすみません」


 男の子は状況をすぐに理解したようで、頭を下げて感謝の言葉を述べた。


「いいんですよ。無事ならそれでいい。外はもう暗いですから、気をつけて帰りなさい。――ファラ君、ミミ君、学園の入口まで送ってあげて。そのまま、君たちも今日は帰っていいですよ」


「はい」

「こっちです。行きましょう」

「あ、ありがとう」


 ヴィッシュの指示に従い、男の子と二人の女生徒は静かに医務室を後にした。

 扉が閉まり、部屋に再び静けさが戻る。


 ――そのとき。

 ヴィッシュの視線が、静かにこちらに向けられた。


 三人が医務室を出て行ったのを見送ったあと、ヴィッシュがこちらを振り返り、穏やかな表情で口を開いた。


「ラミナ君。さっきの君の“独り言”で、なんとなく流れは想像がついたけど……あらためて、教えてもらってもいいかな?」


「えっ、はい……」


 うまく説明できるか不安だったが、聞かれたのなら答えなければいけない。


「えっと……ヴィッシュ先生の見立て通り、胃に穴があいて、その内容物が外に漏れたことで腹部が炎症を起こしているって……アクア、水の精霊さんが、そう言ってました」


「なるほど。名前から察するに、ミント君は植物の精霊、というところかな?」


「はい、そうです」


「うん、ありがとう。では、続きを聞かせてもらえるかな?」


「はい。その炎症を治すなら、クリーンの魔法が使えるって思ったんですが……アクアに、密閉された空間では意味がないって言われて……。出口が必要だって」


「ふむ、それで?」


「だったら、針で穴を開ければいいと思ったんです。でも……リンクル族の方は傷の治りが早いから、すぐ塞がってしまうってミントが言ってて。だから、毒蛇の牙みたいに中心が空いた針を刺したら、ずっと“出口”になるかと思って……」


「なるほど。それで、まん丸君が筒状の針を作ってくれたんだね」


「はい。そうです」


 ヴィッシュは目を細めてうなずいた。


「うん、よく分かりました。ありがとう」


「……いえ」


 一息ついたところで、ヴィッシュが少し表情を変えた。


「ラミナ君。この病が“治療不可能”だという話は知っていたかい?」


「えっ……?」


 一瞬、頭が真っ白になった。

 まさか。私は、ヴィッシュが触診していたから当然治せる病だと思っていた。


「でも……胃に穴があいてるなら、クリーンで中を浄化して、それからヒールポーションで回復させれば普通に治せるんじゃ……」


 混乱したまま口にすると、アクアがそっと補足してくれた。


『そうですね。リタの頃にも、同じ病で苦しんでいた人は何人かいました。でも、そのときは痛み止めやヒールポーションを出して、延命するくらいしかできませんでしたからね……』


「そんな……!」


 あまりに意外な言葉に、思わず目を見開く。


「ああ、さっき君がやってくれたように、簡単に治せる病気だとは僕らも思っていなかった。 というのも、僕たちは“傷をつけて治療する”という発想を持っていなかったんだ。だから、君のような手段を思いつくことができなかった」


『せやな。リタもそうやったもんな』


「……そうだったんだ……」


 初めて知る事実に、少し驚き、少し納得した気もした。


「ラミナ君は、今の常識――“治療とはこうあるべき”という固定観念にまだ染まっていない。だからこそ、柔軟な発想ができるのかもしれないね」


 ヴィッシュは優しく微笑んだ。

 けれど、その言葉はどこか寂しげにも聞こえた。


「今の医療って……薬だけで何とかするのが普通なんですか?」


「うん、僕はあくまで薬師だからね。薬での治療が基本だよ。……ただ、医師たちは“瀉血しゃけつ”を行っているよ」


「瀉血……?」


「体内の血を抜く治療法さ。彼らの中には、“病は汚れた血が原因”だと信じている者が多い。目に見えない微生物の存在を信じる人は、まだ少ないからね」


 そんな治療法……初めて聞いた。

 それって、本当に意味があるのだろうか……。


「……瀉血って、その……病気、治るんですか?」


「うん。治る人もいれば、治らない人もいるよ」


『そりゃそうですよ。あの治療法、ほとんど効果ないんですからね』


 アクアが即座にそう言い放った。


「……意味、ないの?」


「ん?」


「す、すみません。アクアが……」


「ああ、なるほど。精霊の声か。構わないよ。何と言っていたのかな?」


『回復した人がいるとすれば、それはただ単に、その人がもともと持っていた自然治癒力のおかげです。それを“瀉血で治った”と錯覚しているだけなんですよ』


「……そうなんだ……」


『それに、瀉血のやり方によっては、逆に病気を悪化させてしまう危険性もありますよ』


「えっ、そうなの?」


『はい。よく使われるのが、ヒル系の生き物や魔物なんですが、種によっては病原菌を持っている個体もいます。そういったものに血を吸わせれば、病気が治るどころか新たな感染症にかかる危険がありますし……。ひどい場合には、血が止まらずに失血死するケースもあるんです』


「……それって、もう“治療”って呼べないよね……?」


『そうです。あれは治療法なんかじゃありません。ただの迷信に近いです』


 そのやり方を、誰かが“正しい”と信じ込んで人に使っている……そう思うと、言いようのない怖さを感じた。


「ラミナ君、今のアクア君の話、よかったら教えてもらっても?」


「あっ、はい」


 私は、アクアから聞いた内容をできるだけ丁寧にヴィッシュに伝えた。


「……なるほど。確かに、意味のない治療法なのかもしれないね。ただ、信じてしまっている以上、止めるのは難しいだろうな」


「……そうですか」


 命を救うどころか、奪う可能性のある“治療”なんて……。

 どうにかならないものか。胸の奥が少し重くなる。


 けれど、ヴィッシュはすぐに気を取り直したように、私に優しい表情を向けて言った。


「さて……ラミナ君。もうだいぶ遅い時間になってきたね。寮まで送っていこうか」


「あっ、すみません。ありがとうございます」


「いや、礼を言うのはこちらだよ。今日は新しい可能性に触れることができた。君のおかげだ」


 ヴィッシュが目を細める。その表情が、今日一日で見た彼の中でも、いちばん穏やかに感じた。


「ああ、そうだ。一つお願いしてもいいかな。君の持っているその針、譲ってもらえるかな?」


「あっ、はい。どうぞ」


「ありがとう。これは今後の参考にさせてもらうよ」


 私は手渡した針が、また誰かの命を救うことになるのだと思って、少しだけ胸を張った。


 そのままヴィッシュと一緒に寮の入口まで戻ると、彼が足を止めてこちらを振り返った。


「そうだ、ラミナ君。休み明けの放課後、また錬金科においで。……リタ君が残してくれたものを、見せてあげよう」


「えっ……リタの?」


 先祖が残したもの。

 それは一体、何なのだろう。想像が追いつかず、心がふわりと高鳴った。


「わかりました。行きます」


「うん。それでは、良い休日を」


「……ありがとうございます」


 お礼を伝えると、ヴィッシュは小さくうなずき、静かに背を向けて歩き出した。


 私はその背中を見送りながら、自分の部屋へと足を向けた。


 あたたかな灯りが、寮の窓にいくつも灯っていた。


 今はただ、少し誇らしい気持ちで、自分の部屋へと戻る。

 ――ラミナとして、できることがひとつ、確かに増えた気がした。


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