131.感情の行方
ディアマント王国に着いて、アッシュとダークを厩に預けると、私は真っ先にマッソの武具宝飾店に一人急いだ。
取り次いでもらうと、私はすぐさま、マッソの執務室に駆け込む。
「師匠~!今回は、私一人をここの客間か師匠のお屋敷に置いてください!お願いします!」
「レイルと喧嘩でもしたのかしら」
久々の再開だというのにまさしく現状を言い当てるとは、さすが師匠とでも言うべきか。
ここで口を開いたら、溜まっていった鬱憤が川の流れのごとく切れ目なく溢れる気がしたので、「そんなところです」と言うだけに留めた。
師匠は、鼻で笑ったが、旅の途中に漏らすことなく積み重ねた愚痴を晴らすべく、私は気を抜いて喋る場を設けてほしいと頼み込んだ。
研磨機について情報収集したい旨を手紙にしたためていたので、研磨機のことは良いのかと聞かれたが、今はそれよりも自分の機嫌とりが優先である。
私の必死な様子に師匠も同情してくれたのか、お屋敷への宿泊を許してくれた。
今回ディアマント王国に何日程度滞在するかは決めていない。マッソはとりあえず今日一泊させてくれるらしい。その後も屋敷に滞在させるかどうかは、私の話を聞いてから決めると言われた。
屋敷の客室を私に貸してくれることになったものの、こちらからお願いして泊めてもらうことは初めてだったので、支払いをどうしたら良いかと尋ねると、貴族は見栄を張るのも仕事だからと、何も受け取ってもらえなかった。
本来どうするのが正しいのか、勉強をしておけばよかったとほんの少し後悔だ。
師匠は私の気持ちを汲んでくれたのか、その日の仕事を早めに切り上げて夕食を一緒にとってくれた。ドリーさんはもちろん仕事だったが、給仕というていでその場に参加してくれるそうだ。
話したくて来たものの、ありのままを話すと瞳のことやオパルス王国でのレアケースであろう出来事を晒さなくてはならなくなる。脚色を加えながら話すのは得意ではないので、差支えがなさそうな部分をだいぶ省いて話したので、ふわっとした感情論ベースの愚痴になってしまったが、致し方ない。
「個人的にその人からは悪意とかは感じられなくて、まあちょっと怖かったんですけど」
「それでレイルは、アンタを庇いながら宿に戻ったのね」
「実際に何かされた訳ではなかったし、向こうが警戒するのも頷ける状況だったんです。たったそれだけの話で、可能性を提示したかっただけなのに“そんなにきれいな瞳だったのか”なんて。私が大事にしている“目は心の鏡”っていう言葉を馬鹿にしたように言われて、許せなくて……」
そこまで言うと師匠は、鼻の穴を膨らませて、大声で叫んだ。
「これこれこれよおおお!女子っぽおおおおい!!!」
「ダンプマッソ様」
「だめ、アタシ興奮を隠せないっ!」
「別にレイルが過保護なのはいいんです!でも私の信念も魔石商の仕事も馬鹿にされたことが本当に、むか……ムカつくし悔しくて!!」
私は苛立ちを抑え込むようにして、一口で食べるには大きすぎるステーキの一切れを口の中に押し込んだ。
思ったよりも筋肉質な繊維はほぐれず、しばらく口内に留まった。
「まあアンタの言いたいことはよぉくわかるわよー。誰にだって許せないことや譲れないことなんていくらでもあるもの」
ステーキを咀嚼するのに時間が掛かって、何も言えずに師匠の方を見ると、師匠は空中を見ながら言葉を続ける。
「レイルがアンタの信念に通ずる言葉を使って諫めようとしたのは確かに良くなかったわね。でも、こうも考えられない?あの時、腕が立つ人間にしかわからないような危機が迫っていた。それなのに相手を擁護しようとするから、一番怒る方法を敢えて選んで諫めたかった。アンタは身の危険を常にレイルに守ってもらっているんだから、そこだけはレイルの領分として口を挟むべきじゃなかったのカモ」
「私が先に、レイルの仕事を貶めたってことですか」
「貶めたってことはないだろうし、レイルもそうは思っていないでしょうよ」
そこまで危険な状態だったのであれば、危機感が足りないと言ってくれればよかったのだ。そう言われれば、私だって反省したはずだ。
それなのに、あの神官の人の瞳を、オパルス王国の歴史を揶揄するかのように……。
ああ、詳細を師匠に話していないがために、私の苛立ちが伝わり切っていない。人と共有しきれないこの複雑な感情にさらに苛立ちが増すようだった。
「ツィエンがこんなに怒っているのは、レイルに言われたからなんでしょうね。一番信頼している相手だったから、傷ついちゃったんじゃない?」
「傷ついた!?」
全く考えつかなかった感情の提示に口が閉まらない。ずっと腹が立って仕方がなくて、苛立っていた、と自分では思っていた。
しかしお前は傷ついたんだよって言われてみると、どこか腑に落ちたところがある。
レイルにだけは言われたくなかった。レイルではない人に言われたとしても、そう見えたんだなあ。という風にしか感じなかったことなのかもしれない。
腹が立ったからこの気持ちを消化できなかったのではない。一番の理解者だと思っていたレイルに言われて、傷ついたから。レイルから逃げたくなってここに来たのか。
私の気持ちの整理に付き合うように、師匠はしばらく静かに食事をとって待ってくれていた。
「じゃあ、私はどうしたらレイルを許せるんでしょうか」
「素直に言ってみたらどぉ?レイルだけには言われたくなくて傷ついたんだって」
そう言ったところで私のこの苛立ちや晴れない気分は改善される見込みがあるのだろうか。黙り込んで考えていると、ドリーが口を開いた。
「気持ちを伝えて、相手がどんな対応をするかで許す許さないをお決めになってもよろしいのでは。今のままでは仕事も旅も支障をきたしそうです」
「そうよね~っ!レイルもまたとない男の見せ所よね!?それがどうしたみたいな反応されたら千年の恋も冷めるっていうもんよ!」
「師匠って結構レイル好きですもんね。じゃあ結果報告もきちんとします」
「千年の恋の例えはダンプマッソ様でなく、t…「あ~らやだ!アタシったらワインを零しちゃったわ!バッドマナーよね、しつれぇい」」
「貴族の方でもバッドマナーはそんな風に大きい声で自主するんですね。ちょっと意外でした。勉強になります」
「ツィエン様、それはバッドマナーです。決して真似なされぬよう」
「えぇ……」
結果、私は師匠とドリーに話を聞いてもらって、多少なりとも怒りは鎮まった。
師匠からは、今日のところは宿泊して良いが、明日レイルがいる宿に行って、ちゃんと話をして、それでもまだ、わだかまりが残るようだったらまた相談しに来なさい、と言われた。
前回のお泊り会とは打って変わって、広くて掃除の行き届いた客室に一人というのは、寂しかった。
衣擦れの音ですら大きく感じるし、机に物を置いただけで、廊下まで響き渡ったんじゃないかというほど、音が増幅される。
寝転がった室内は、冬のディアマント王国より暖かいはずなのに、寒く感じてしまう。
明日、なんと言って切り出そう。
しばらく見つめていない、あの澄んだ黒い瞳を前に怒りでなく、傷ついた心を曝け出す。子供の頃にできたことが、今はとても難しいことのように感じる。
考えてどうにかなることではないと、諦めて明日の朝を待つことにした。




