エスケープ・プラン その1
あまりにも急な各地の親衛隊の敗走と崩壊。
それにより、親衛隊は南部地区と中央区を一気に失うこととなったが、それによりあらゆる戦線は遮断され孤立する部隊が続出し、それらの部隊に出来るのは、強行突破による撤退か、降伏のみとなる。
そして、取り残された部隊のほとんどは後者を選ぶほど絶望的であった。
だが、彼らを責める事は出来ない。
あまりにも変化が早すぎたのと、連絡網が完全に遮断され、命令が伝わらなくなってしまったのだ。
そうなるとどんな豪胆な指揮官でさえ、恐怖を感じるだろう。
そして、その部下達は、何倍もの不安と恐怖に蝕まれていくのだ。
だからこそ、心は折れる。
それが降伏という形になって現れただけなのだ。
たが、その決断を迫られたのは地上部隊だけではない。
親衛隊所属の艦隊も決断を迫られる事となったのである。
親衛隊の艦隊は、西部地区の軍港ラッサーラと中央区の帝都の近くにある軍港モッドーラの二つに分散して配属されている。
もっとも、北部地区を帝国海軍によって占拠されている以上、対抗する為に親衛隊主力艦隊は軍港モッドーラに集結されていた。
その数は、親衛隊保有艦艇の実に八割近い。
もちろん、召喚複製された艦艇もここに配属されており、それら10隻の艦艇を中心に、補給艦などの支援艦艇を含む総数三十二隻の艦隊、それがアデリナ・エルク・フセヴォロドヴィチの率いる艦隊であり、通称『アデリナ艦隊』と呼ばれている。
もっともこの艦隊名称は、本人はあまりいい顔はしなかったが、まぁ、仮という事でいいかという返事で決まったという話であったが…。
また、アデリアは望んでいなかったが、後に本当に皇帝として祭り上げるつもりだったのだろう。
アデリナの階級も親衛隊艦隊の大将扱いという事になっており、実質、この軍港の責任者に近い状態であった。
そして、六月十二日、帝都に国民義勇軍の攻撃が始まったという報告が届く。
本当ならば、帝都防衛に戦力を出さねばならない状況であったが、この地に駐在していた親衛隊の陸上兵力の半分は戦わずに敗走。
その上、駐在陸上部隊の指揮官は消息不明。
また、親衛隊上層部とは音信不通という有り様であった。
その結果、軍港モッドーラに残されたのは、元海軍出身の兵達と指揮官を中心とした部隊であり、そのほとんどが艦艇乗務員や支援の為の港の作業員や修理工達であった。
「ア、アデリナ様、どうしましょう?」
今のアデリナの副官であり、重巡洋艦プリンツ・オイゲンの艦長でもあるヴァシーリー・ゴリツィン大佐はどうしていいかわからずにオロオロしつつ聞いてくる。
実に情けない。
もしアデリナが今回の件を引き受けなければ彼がこの艦隊を率いていたのだ。
その時の事を考えるとゾッとする。
しかし、わかっていたとは言え、ここまで酷いとは…。
彼はプリンツ・オイゲンの艦長であり大佐という階級でありながら、アデリナの副官という立場になってしまっている。
それはつまり、あまりにも使えなさ過ぎてという事に他ならない。
アデリナはため息が漏れそうになるのをなんとか押さえ込む。
こんな事態だからこそ、上に立つものはしっかりしなければならないというのに、少しはノンナのように落ち着いて対応できないのかしら…。
そんなことさえ思ってしまう。
しかし、ないものはねだれない。
あるもので対応するしかないのだ。
手紙を出してみたが、あれでノンナが戻ってくるとはあまり思っていなかった。
もしかしたらという期待がないわけではなかったが、あれは今までのノンナに対しての感謝の気持ちを伝えたかったという事を大前提で書いたものだ。
だから、半分諦めていたが、返事が来ていないと言う事は希望はあるのだろうか…。
いけない、いけない。
今はそんな事を考えている時ではなかった。
だから、思考を切り替えつつ口を開く。
「我々には三つの道がある。一つは、このまま国民義勇軍に降伏する事…」
そういった瞬間、ゴリツィン大佐の顔が歪む。
どうやら、それは拒否という事らしいなと思いつつ、まるで嫌な物を無理やり食べされられそうになった子供のようだとアデリナは思ってしまった。
まぁ、頼りないし使えないといっても、元々は彼も海軍軍人である。
親衛隊に比べると、プライドも根性もあるといっていいのだろうか…。
「二つ目、このままここに留まり、徹底抗戦をするという選択…」
ゴリツィン大佐の顔が困ったような顔した。
戦うのはいいが、徹底抗戦というのは嫌だなという事らしい。
つまり、死んでまで戦うつもりは無いという事なのだろう。
祖国のためにと言うのなら考えるが、相手は外敵ではないし、その上あんな親衛隊の連中の為に死ぬまで戦うというのは勘弁して欲しいと思うから、なんとなく気持ちはわかる。
「最後一つは…」
そう言いかけるとゴリツィン大佐がごくりと唾を飲み込む。
「このまま西部地区へ撤退する事…」
そういった瞬間に、ゴリツィン大佐が叫ぶように即答する。
「それです。それにしましょう」
その対応に、アデリナはくすくす笑いつつ言い返す。
「悩む必要はないみたいね」
そう言われ、自分のあからさま過ぎる対応に気がついて、ゴリツィン大佐は真っ赤になった。
どうやら恥ずかしいという感覚はあるようね。
アデリナはそんな事を思いつつ、言葉を続ける。
「もっとも、無事に撤退できるとは限らないけどね…」
「それは…どういった意味でしょうか…」
そう言ったものの、すぐにアデリナの言いたい事がわかったのだろう。
さーっと血の気が引いた顔になる。
そして恐る恐る聞く。
「ま、まさか…、帝国海軍の勢力範囲を突っ切るつもりですか?」
そのゴリツィン大佐の変化を気にも留めない感じでアデリナは答える。
「そうなるわね」
「や、やっぱり止めましょう。無理ですって…。そうだ。王国領海ギリギリで進めば…」
「今、帝国と王国は戦争状態なんだけど…」
「あ…、でも王国艦隊が…」
「準備して警戒しているでしょうね。ここ最近、王国領海ギリギリで帝国東部に向かうなんて無茶しでかした連中がいたからねぇ…」
「……」
アデリナの言葉に、呆然とした顔で言葉を失うゴリツィン大佐。
なんか哀れになってきた。
しかし、それで事態が変わるわけではない。
「そういうわけで、北部地区領海を突っ切ります」
「しかし…」
「あら?王国艦隊のフルボッコの方が助かる確率高いと思う?」
しばしの沈黙の後、 ゴリツィン大佐は泣きそうな顔で口を開いた。
「…アデリナ様の指示に従います…」
「よろしい」
アデリナはそう言うと、大会議室に残っている部隊の指揮官や隊長クラスを集めるよう指示したのだった。
二時間後、大会議室に指揮官や隊長クラスが集められた。
会議室に用意した席だけでは足りなくて、立ったままの者さえいる。
しかし、どの顔も共通していることがあった。
どの顔も覇気がないのだ。
そればかりか一部にはこのまま倒れるのではないかというほど顔色が真っ青な者もいる。
この頼りにならない連中が今の自分の部下だと思うと眩暈がしそうな感覚にアデリナは襲われた。
以前なら、そんな事を気にする必要はまったくなかった。
全部ノンナが準備して手配して…。
しかし、アデリナは首を横に振るときっと表情を引き締める。
そして全員を見渡して口を開いた。
「皆も聞いているとは思うが、帝都に逆賊の軍が攻撃を開始した。おそらくこっちに攻めてくるのは、二、三日後だと思われるが油断ならない事態である事は変わりない。そこでだ。ここを任されている者として方針を皆に説明したい。よろしいか?」
金色の少しウェーブのかかった髪を右手でかき上げると今一度全員を順に見ていく。
その美しい姿と無駄のない動き、そして軍服をまるで当たり前のように着こなし、響き渡る自信に満ちた声。
それらが相乗効果を生み出し、今、彼らにはアデリナが戦乙女のように見えていた。
この人についていこう。
そう思わずにはいられないほどの雰囲気がそこにあった。
だから、その場にいる誰もが頷くしか選択肢はなかったのである。
「よろしい。では作戦を説明する」
そう言ってアデリナは、帝国北部地域の大きな地図を黒板に貼り付ける。
「我々は、このルートを通り西部地区のラッサーラ港に向かう」
さすがにたまりかねたのだろう。
一人の指揮官が挙手して声を上げる。
「しかし、そこは帝国海軍が支配する領海では?」
「その通りだが、何か問題があるかしら?我々はまだ帝国海軍とは戦ってもいないのだけれど…。」
そう言った後、思い出したかのようにアデリナは言葉を続ける。
「あ、もちろん。事前に通過連絡は入れておくわよ」
何を当たり前の事を聞いているんだ?といった感じのアデリナの言葉にその場にいた誰もが唖然とするしかなかった。
しかし、それでも口を開く者がいた。
「し、しかし…帝国海軍と我々は戦ってはいないものの、敵対する者同士です。そんな連中に航路を教えるなど…」
「恐らくだけど、連中は攻撃してこないでしょうね。ここで互いに傷つけあって喜ぶのは連邦の連中のみ。それがわかる相手だからね」
さすがにノンナの性格上、間違いなく攻撃してこないと断言できてしまうからとは言わない。
その言葉に誰もが黙り込んだ事を質問なしと判断し、アデリナは説明を続ける。
「なお、編成は、艦隊は二つに分けます。まず私の艦隊が先行し、その後を少し間を空けて輸送船団と護衛の艦艇が進むように考えている。もちろん、輸送船団には物資を詰めれるだけ積み込んで…。
あと…、乗組員のいない艦艇も出来る限りラッサーラ港に持っていく。よって、先行する私の艦隊以外の各艦艇は、必要最小限の人数で運用、余った者達に放置されている艦艇を任せたい」
今度は別の指揮官が挙手して質問をする。
「そ、それでは、後ろの艦隊は戦う事は…」
「戦う必要性はない。もし戦闘となったら、それは我々の艦隊の役目だ。その間に後方の艦隊はラッサーラ港に進め。いいわね…」
「は、はい、わかりました。しかし、なぜそこまで…」
「わかりきっているじゃないの。国民義勇軍に我らの兵器や物資を渡さない為よ」
「では、運用できない艦艇は…」
「全て沈めなさい。施設もすべて破壊しなさい。物資は詰めるだけ積んで、後は火をつけるなり、海に投下するなりしていきます」
そして一旦言葉を止めて、はっきりと大き目の声で宣言する。
「絶対に、連中に、ねじ一本、パンのひとかけらも残すな。連中に渡った物資は我々を苦しめるものになる。それだけは決してさせてはならない」
その勢いに負けたのだろうか。
さっきまで黙り込んでいたその場にいた人々が声を上げた。
「そうだっ」
「俺達のものを敵に渡すなっ」
そしてそんな中、一人の隊長が呟く様にいった。
「さすがは、黄金の姫騎士と呼ばれるだけはある。俺はあんたについていくぜ」
その言葉に、周りの隊長や指揮官も声をそろえる。
「そうだ。そうだっ。やってやろうじゃねぇか」
「俺らの意地を見せつけてやろうぜ」
一気に燃え上がった熱気はあっという間に伝染し、大会議室にいる人々の心を熱くさせているかのようだ。
「では、始めましょうか。我々のエスケーププランを!!」
アデリナの声に、その場にいた者達は一斉に立ち上がり、こぶしを振り上げて歓声を上げたのだった。




