淡い恋 その1
「木下大尉、難しい任務ご苦労だった。ついに本国に帰国だ」
夕食に呼ばれ、二人で食事を終えて食後の紅茶を飲んでいる時である。
いきなりの川見大佐のその言葉に、木下大尉は一瞬理解ができず聞き返す。
「えっと…帰国ですか?」
「ああ。今回の君の働きを長官は特に評価されてな。昇進だよ。おめでとう」
「あ、ありがとうございます…。ですがここでの仕事は…」
「ああ。心配しなくていい。明日にでも駐在大使と駐在武官が来る。彼らと引継ぎが終わり次第任務完了だ」
「しかし、明日はアルンカス王国王室での茶会が…」
「ああ心配しなくていいぞ。駐在大使が挨拶をしに行くからな。君は駐在武官と引継ぎに残りたまえ。四月二日には、本国で新しい任務についてもらうからな」
「ですが…」
木下大尉がそう言いかけると、思い出したように川見大佐は言う。
「そうだったな。明日の茶会は君の提案だったな。実にいいタイミングだ。さすがだな。次の任務でも頼むぞ」
「あ、ありがとうございます。ですが…」
しかし、間が悪いとはこのことだろう。
そう言いかけた木下大尉よりの先に川見大佐の副官である三島大尉が慌ててやってくる。
そして慌てて報告をした。
「大佐、大変です。アンカトル通りの建物に爆弾が設置されたという情報が…」
「何?それは本当か?」
「まだ確認作業中ですが、もし本当なら、明日はあの通りはパレードがある場所です。大惨事になる恐れが…」
「そうか。確認作業を急がせろ」
川見大佐はそう指示し、木下大尉の方に視線を向ける。
「木下大尉、すまないが三島君の手伝いをお願いできないか?君は首都の地理についてかなり詳しいと聞いている。それならば、もし爆弾が設置される恐れがある場所なども予想ができるだろう。だから疲れているところ本当にすまないが協力をお願いしたい」
マムアンの愛しているこの国、そして国民に決して被害が及んではならない。
その思いが心の中でわきあがり、木下大尉は言いたかった言葉をぐっと飲み込む。
今は、任務が優先だ。
そう決心し、木下大尉はすぐに即答する。
「了解しました。すぐにでも地図と怪しい場所の選定を始めます」
「うむ。頼む」
そういった後、川見大佐は立ち上がると側まで来て木下大尉の肩をぽんぽんと叩いた。
「うむ。実に頼もしくなったな。私としても君をこの地に派遣できてよかったと思っている。これからも頑張りたまえ」
それは励ましの言葉のつもりなのだろう。
しかし、その言葉を木下大尉は少し複雑な心境で受け止めていた。
「ふう…。よかった…」
木下大尉は呟く様にそう言うと窓の外を見た。
そこには建国を祝うパレードが行われ、人々が実にうれしそうに楽しんでいる。
ここは、アンカトル通りにある宿の一室で、今回の時限爆弾の捜査の現場本部として使われた場所で、さっきまではかなりの人の出入りがあったが、今は落ち着いている。
時間はもう昼を過ぎ、十四時を過ぎようかという時間帯で、昼前には設置された時限爆弾をなんとか発見して処理し、昼からのパレードもトラブルもなく進行している様子だ。
この様子なら、時限爆弾を設置した連中も動かないだろう。
或いは時限爆弾をつかったテロに失敗し、撤退したのかもしれないな。
しかし、連中の目的はなんだったんだ?
今回のパレードは、アルンカス王国やフソウ連合の政治関係者は参加しないのだが…。
もしかしたら、国民の間に不安や恐怖を蔓延させ陥れる事が目的なのだろうか。
それとも独立に反対する勢力がいるという自己主張のためだろうか。
どっちにしても、一般の国民や王室にとってははた迷惑な事だ。
そんな事を思っていると後ろから声をかけられた。
「大丈夫ですか?」
そう言って近づいてきたのは、川見大佐の副官である三島大尉だ。
かなりきつめの印象を受ける顔立ちだが、実はかなり回りに気を配る人らしく、評判はかなりいい。
嫁にしたいという人も結構いたようだが、どうも川見大佐と付き合っているとか、実は内縁の妻じゃないかとかいう話があり、それを聞き諦めたという。
まぁ、あの川見大佐だからな。
指導を受けていた時のことを思いだして木下大尉は苦笑する。
鬼の川見と異名を取るほど他人に厳しく、その上自分にはもっと厳しくて、それでいて菩薩のように部下思いの優しい心を持つ人だ。
そんな人物の傍にいるなら惚れるのは間違いないと思うし、三島大尉ならあの川見大佐とお似合いと思える。
実に世の中、よくできているな。
そう思ってみたものの、すぐにそうでもないかと考え直す。
本当によくできているなら、マムアンの事がこんな事にはならないはずだ。
そんな事を思いつつ、木下大尉は返事をする。
「ええ。大丈夫です。ですが、さすがに徹夜はきついですね」
そう言って苦笑すると、三島大尉も苦笑しつつ答える。
「そうですわね。肌にも悪いし…」
その言葉に思わず笑いそうになるがなんとか押さえる。
女性にとって肌荒れは深刻な問題なのだろう。
彼女の表情からそう判断したのだ。
「しかし、本当に助かりました」
三島大尉がそう言って頭を下げる。
「えっと…自分は出来る事をしただけです」
慌てて木下大尉がそう答えるも、三島大尉は笑って言う。
「そうでしょうか?あなたは本当に、真剣になって協力してくださいました。それは間違いない事実です」
そう言われ、木下大尉は照れながら頭をかく。
「任務ですからね」
「任務だというのはわかっています。でも、それを抜きにしても、必死さが伝わってきました」
そこまで行った後、三島大尉は笑って言葉を続けた。
「あなたは、この国が大好きなのですね。それとも…あなたの大切な人、好きな人が巻き込まれたり悲しんだりするからかしら…」
そう言われ、ドキリとする。
それはまるでマムアンの事を指摘されたかのようだ。
しかし、マムアンの事は、あの侍女、ブリチャ以外は知らないはずだ。
だから、誤魔化す事にした。
「この国に深く関わってきましたからね。知り合いもいるし、よくしてくれた方もいます。だから、そういう人達が被害にあわないように頑張っただけですよ」
木下大尉の言葉に、くすくすと笑う三島大尉。
その笑いに、本当はわかっていますよ。
そう言われているみたに木下大尉は感じてしまったが、それは思い込みすぎと思うべきだろう。
「ふふっ。そういうことにしておきましょう。後は、我々が警備を継続しますから、ゆっくりお休みください。川見大佐からも任務ご苦労。午後の任務は全て外してあるのでゆっくり休むようにと言われていますので…」
「そうですか。わかりました。休ませていただきます」
これ以上一緒にいて会話をしていたら心臓に悪いと感じた木下大尉は、そう言うとそそくさと敬礼して退室した。
その後姿を見て、三島大尉はくすくす笑う。
「ふふっ。こっちで好きな人でも出来たみたいね」
それはあくまでも直感と想像から導かれたものではあったが、後日、まさかその何気ない考えが本当だったとは三島大尉も思いもしなかったのである。




