工作艦 明石の憂鬱 その2
十九時に迎えに来るということなので、十八時三十分には仕事を終わらせておく。
ギリギリまでなんて事はしない。
そういうときに限ってうまく終わらなかったりするものだ。
だから、何をするにしても余裕は必要なのだと思う。
もっとも、最近はそんな余裕がまったくなかったわけだが…。
明石は、予定通り仕事を終わらせて椅子の背もたれに身体を預ける。
椅子が少し音を立てるも、しっかりと身体を支えてくれている。
ゆっくりと視線を動かして部屋の中を見渡す。
相変わらずごちゃごちゃした部屋だなと思う。
壁にはいくつもの予定表が貼り付けられ、棚には各艦艇の規格や修理に関した資料がごちゃごちゃと突っ込まれている。
一部の資料はダンボールの中に突っ込まれて積み上げられている始末だ。
しかし、久しぶりだな…。
こんなにゆったりとした時間は…。
そんな事を思いつつ時間を確認する。
十八時四十分…。
偶にはこんなゆったりした時間もいいじゃないか…。
そしてそのまま、ぼんやりと何も考えずに時間を過ごす。
すごい贅沢をしているみたいだ。
そして、十八時五十分になるとドアがノックされた。
結構几帳面な感じのするノックだな。
おそらく藤堂少佐だろうが、あの人、あのがさつというか豪快な感じの割には以外と気配りが出来ていると思ったから、ノックもこんな感じなのかな。
そんな事を思いつつ明石は口を開く。
「どうぞ」
「おう…」
そういう返事と一緒にドアが開けられる。
「よぉ…おっ、やっぱりか」
声がかけられた後、部屋の中を見た藤堂少佐がニタリと笑う。
「な、なんですか?」
気になって思わず明石が聞くと、うれしそうな表情で藤堂少佐は言う。
「いやなに、さすがだと思ってよ。きちんと事前に区切りを作って仕事を終わらせているところがさ…、お前さんらしいと思ってな」
「ですが、約束があるのですから余裕を持って対応するというのは当たり前だと思うのですが…。何が起こるかわからないですから…」
「そうなんだけどよ。それができないやつも多いのさ。その点、お前さんは思ったとおりやっているなと感心したんだよ」
その言葉に少し不満げな顔を明石がする。
「そんなものですかね…」
「そんなものだぜ」
「ところで、今日は付き合えということでしたが、どこに行くんですか?」
椅子から立ち上がって藤堂少佐の前に移動しつつ聞く。
「なぁに、それは秘密だ」
悪戯っ子のような楽しそうな笑顔をすると藤堂少佐はついて来いとばかりに先に歩き出す。
さてさてどこに行くんでしょうねぇ…。
そんな事を思いつつ、明石は少し困ったなという表情でついていくのだった。
藤堂少佐に連れて行かれたのは、マシナガ本島の繁華街だった。
久々に見る活気ある繁華街の様子に、明石は少しうれしくなる。
自分たちががんばる事で、この国の人々を守っているのだと実感できて…。
「よしっ、到着だ。ここだ、ここ」
そう言って藤堂少佐が立ち止まったのは、一軒の飲み屋だ。
それほど大きな店ではないが、なかなか雰囲気が良さそうな感じだ。
そして軒先には『お福』という小さな控えめの看板がある。
「おう…。予約を入れていた藤堂だ」
藤堂少佐がそう声をかけると女将さんだろうか。
にこやかな笑顔をしたふくよかな中年女性が出てきて頭を下げた。
「いらっしゃいまし。藤堂様ですね。ご用意できております」
「そうか。他の連中は?」
「はい。来られております。こちらの奥の部屋になります」
そう言って女性が案内する。
それについていきながら、明石は藤堂少佐に小声で聞く。
「他の連中って?」
「何、二人で飲んでもいいと思ったんだがな、たまには集まってわいわいやるのもいいと思ってよ」
「あ…そういうことですか…」
多分、誰かから修羅場っているという話を聞き、そういう連中に息抜きのために声をかけたんだろう。
明石はそう判断し、そして藤堂少佐に感謝する。
本当に、この人は見た目と違い些細な事にも気がつく気配りの人だなと。
案内されて二人が奥のお座敷に行くともう二十人近くの人数が集まっていた。
知っている顔から判断するにドッグ関係や補給関係といった裏方の人達ばかりのようだと明石は判断する。
二人が入ってくると全員の視線が二人に集まった。
その視線を受け、右手を軽く上げつつ藤堂少佐が口を聞く。
「すまねぇ。遅れちまったか?」
「いいや、まだ大丈夫だ。全然だよ。どっちかというと俺等が早すぎたってところだな」
時計を見ると時間は十九時五十分といったところか。
なら開始予定は二十時からという事なんだろう。
「そうか…。なら良かった」
藤堂少佐はそう言うと靴を脱いでずかずかと中に入っていった。
明石も靴は脱いだものの、さてどこに座ったらいいのだろうかと当たりをきょろきょろと見回すと、見知った顔と目があった。
輸送艦の付喪神であるあきつ丸と軽空母の付喪神である大鷹である。
「こっちこいよ、明石っ」
あきつ丸が気軽な感じで声をかけてくる。
「ああ。すまない…」
「なに、気にする事じゃないさ」
「そうだぞ」
あきつ丸と大鷹の二人の傍に座ると、まずあきつ丸が口を開いた。
「相変わらず大変だって聞いたぞ。修理や補修の艦で一杯一杯だって…」
「そうだ。そうだ。おれもそう聞いた。大丈夫なのか?」
あきつ丸の言葉にあわせて大鷹が相槌をするかのように聞いてくる。
「まぁ、なんとかね。藤堂少佐が手を回してくれて、なんとかなるめどはついたよ。でもそれはそっちも同じ事じゃないのか?」
明石がそう聞き返すと、二人は苦笑した。
「まぁね。基地や港の建築やら増設なんかでドタバタしてるけど、何とかしてるよ」
あきつ丸がそう言うと、大鷹も苦笑しつつ言う。
「ああ、こっちも何とかね。航空機の輸送なんかも最近増えているし、まぁ、空母って言っても、おれっちの場合、戦闘用というより輸送船に近い運用だから飛行機関係の資材なんかの輸送にも借り出されているよ」
互いに忙しい近況を報告しあって、三人で苦笑する。
裏方が忙しいのは戦いの前と後であり、今が我々にとっての戦いの真っ最中だという事はそれぞれ変わらないらしい。
「しかし、残念だよなぁ…」
大鷹が残念そうに言うと、明石が聞き返す。
「何がだ?」
「雲鷹が明石に会いたがっていたからな。この前の事故の修理の時、礼を言えなかったって…」
「ああ、あの事故か…」
一ヶ月ほど前に、運送中の事故により軽傷ではあるが雲鷹が損傷し、たまたま同じ港にいた明石が出港に間に合うように徹夜で修理を敢して間に合わせた事があったのだ。
「あの時は、本当に助かったといっていたよ。ほら…、北部基地に送る資材関係が満載だったらしくて、作戦前だから出航を遅らせるわけにはいかなかったらしいからな…」
「お互い様ですよ」
明石はいつも通りを装ってそう言ったものの、心の中では自分の仕事の評価をされる事にうれしくなっていた。
これだけでも来た甲斐があったかな。
そう思っていてふと思い出す。
そういや、会費払ってないな…。
いくらぐらいなんだろう。
ふと気になって二人に聞いてみる。
「そういや、今回の宴会の会費いくらか知ってるか?よく考えたらまだ払っていない。それとも後から徴収するのか?」
その明石の問いに二人は顔を合わせて笑い出す。
「どうも会費はいらないらしいぞ」
そう言ったのは、あきつ丸だ
「本当か?」
「俺も聞いたんだ。そしたら、驕りだから気にせず飲んで食えって言われたよ」
今度は大鷹がそう答える。
「太っ腹だなぁ。ざっと二十人前後はいるからな。結構な金額になりそうだけど、藤堂少佐、大丈夫かねぇ…」
明石がそんなふうに心配そうに言うと、二人は楽しそうに笑った。
「確かに、少佐の給料じゃなかなか厳しいかもな…」
「だが、どうも主催者は藤堂少佐じゃないらしいんだ」
「じゃあ、誰が主催者なんだ?」
「いやな、まだはっきりしてないんだが、噂だと…」
そんな話をしている時だった。
なにやら部屋の外が慌しい。
その音に部屋の中の者たちの視線がふすまの方に向く。
明石たち三人も思わず会話を止めて視線を向けた。
時間は、二十時をほんの少し過ぎたくらいだ。
そして、すぐにふすまが開けられて二人の人物が転がるように入って来た。
「すまん…。遅れたっ」
「すみません。遅れましたっ」
荒々しく息を切らして部屋に入って来たのは、フソウ連合海軍の最高司令官である鍋島長官と彼の筆頭秘書官である東郷大尉であった。
○艦説明
・輸送艦 あきつ丸
全通式飛行甲板を持つ揚陸艦で、強襲揚陸艦の先駆けとなった。この話のときは、揚陸艦としてではなく、一気に増えた基地や港の建築、増設の為の資材や人員の輸送に使われていた。
・軽空母 大鷹
客船春日丸を改修して空母となったが、それぞれに付喪神が付くことになったため別艦として運用されている。
小型で速力も劣っている上に空母用カタパルトを装備していない為、空母としての運用はあまり高くない。
その為、通常は、航空機隊は常駐せず、飛行機や飛行機関係の資材などの輸送などに運用されている。




