日誌 第百三十五日目
海賊によるアルンカス王国襲撃から二日が経った。
時間は、午前十時といったところだろうか。
長官室には、僕と新見中将、山本大将、川見大佐の四人がソファに座り、それぞれの表情で考え込んでいた。
そして、僕らの目のテーブルの上には、先ほど届いた木下大尉の報告書とアルンカス王国の提案に対する承諾書、そして感謝状がある。
「これは困りましたな…」
新見中将が苦虫を潰したような渋い表情で呟くように口にする。
「まぁ、そうですな…」
そう答える山本大将は反対に苦笑して新見中将を見ていた。
戦いのあった当日の昼過ぎに、毛利大尉から『艦隊司令の責任において勝手に秘匿すべき航空戦力を使い申し訳ありません』という連絡が来ており、その日の午後にはその責任についての話し合いが行われ、『憂慮すべき件だが、うやむやにするには事が大きく、残念だが責任を取ってもらうしかない』という事になっていたのである。
しかし、その後になって送られてきた木下大尉の報告書には、艦隊指令の決断によってアルンカス王国は無事であり、その英断を評価して欲しいという嘆願が書かれ、さらにアルンカス王国は艦隊指令に勲章を授与する事も決定したと記されていた。
「まぁ、今回の艦隊指令の決断のおかげでアルンカス王国関係の外交がより進展したと思えばいいんじゃないかな。だから…」
僕がそう言いかけると、新見中将が険しい表情のまま言葉を遮る。
「では、長官は軍規に反する事を何もなかったことにしろといわれるのですか?」
「だがね、新見中将、それを言ってしまうと、突き詰めれば艦隊指令の判断に任すと言った僕の責任となってしまうんだけどね…」
そう言った瞬間、新見中将は、恨めしそうに僕を見た。
「長官はずるすぎます。それを言われたらこっちはどうすればいいんですか…」
その言葉に僕は苦笑しかない。
自分的にもずるい言い回しだし、屁理屈だなというのはわかっている。
だが、僕としては毛利大尉の判断を尊重したいし、多分僕が同じ立場なら同じ事をしただろう。
だからこそ、何とかしてやりたいと思う。
「まぁまぁ、新見中将落ち着いてください。確かに軍規に従えば責任問題となるでしょう。しかし、アルンカス王国の事を考えれば少しは酌量すべき事ではないでしょうか?」
川見大佐が苦笑しつつそう口を挟む。
「わかっている。わかってはいるのだ。だがな、うやむやにしては今後に影響を与えかねない」
新見中将も苦しそうにそう言う。
結果は同じでも、見方一つでいろんな解釈が出来てしまうのが世の常だ。
だからこそ、新見中将は、軍の事を考えてここまで頑なに意見を変えないのだろう。
それがわかっているだけに、どちらが正しいといえなくなってしまっている。
全員が黙り込む中、僕はなんとなく頭に浮かんだ事を提案する事にした。
「だったらこういうのはどうかな?」
「それでどうなったんですか?」
テーブルに並んでいるコーヒーカップを片付けながら東郷大尉が聞いてきた。
書類に目を通しながらちらりと彼女を見て、「どうしたんだい?珍しいね、大尉がこういう事を聞くなんて…」と聞き返す。
実際、今まで人事やこういった懲罰関係に彼女は自ら関わろうとはしてこなかった。
だから、聞きたくなったのだ。
「えっとですね…。実は毛利大尉には娘さんがおられていてすごくかわいいんですよ」
「へぇ…。そんなにかい?」
「ええ。いい子で、私もあんな子が欲しいなぁって思ってるんです。ですから、あの子が可哀想になって…」
少ししんみりとした表情になって東郷大尉はそう言う。
「そうか。でも、悪いようにはならないと思うよ」
僕がそう言うと、少ししんみりとした表情をしていた東郷大尉の表情が明るくなる。
「それじゃぁ…」
「残念だけど、ここまでだよ、大尉。さすがに話せないから…」
僕がそう言うと、大尉は少し頬を膨らませて恨めしそうに僕を見る。
「守秘義務があるってわかっているだろう?」
思わず苦笑すると、今度は拗ねたような表情をする大尉。
なんかかわいいなと思うが、話すわけにはいかないので話題を変える事にした。
「ともかく、悪いようにはしないから。本当に安心していいから。それはそうと、王国の方からドレッドノートを受け取りに来るって話はどうなったんだい?」
話題を変えられたとわかったものの、これ以上は聞いても無駄だと感じたのだろう。
思考を切り替えたのか、大尉の表情が秘書の顔に戻る。
「はい。色々ズレこんでいるらしく、外洋警戒に当たっていた伊-21の報告では三日前にタイエット国の軍港イーハンから受け取りの人員を乗せた艦が出航したようです。恐らくですが、二月頭の到着になるのではないでしょうか」
「受け入れ施設の方はどうなっている?」
「はい。今回の対応を任せられている平川中尉の報告では、受け入れ式典の行われるナワオキ島やドサ島の宿泊施設はすでに整っているとの事です」
「そうか。なら大丈夫だな」
僕がそう言うと、東郷大尉は「しかし、残念ですね」と言ってくすくす笑う。
「何が残念なんだい?」
聞き返す僕に、大尉は笑いつつ答える。
「アーリッシュ殿下が今回もおられなくて…」
そう言われ、僕は苦笑した。
「まぁ、仕方ないよ。聞いた話じゃ、王位継承権が上がったって言うし、今までと違っていろいろ大変なんだろうさ。本当に、身分ってやつは自由を奪う天敵だと思うよ」
「そうですわね。長官が言われると真実味がすごく感じられますわ」
大尉が実に楽しそうに笑いつつ頷く。
それはそうだろう。
実は、今まではマシナガ地区責任者と軍事と外交の二つの部の責任者だけでなんとか押さえていた役職が、この前のフソウ連合本会議で一時的ではあるがついに追加の役職まで押し付けられてしまったのである。
それは流通や地区間の移動関係を司る運輸部の責任者だ。
実際、今までの小型の木造船で行っていた細々とした運輸と違い、ある程度の大きさの金属船が少しずつ就役して本格的な運輸を行うようになったため、警備やチェックなどを行う必要性が出てきて、それなら軍部と一緒に管理してもらったほうがいいと言う流れになってしまった。
ガサ地区の責任者であり本会議の議長である角間さんやカオクフ地区責任者の新田さんの様子だと、かなり根回しがされていたようで、結局受け入れるしか手がなかったのである。
だが、その代わりに本格的に外の国との航路の設置などで融通が利くのはありがたいんだけどね。
だけど、これ以上は本当に余計な肩書きは要らない。
早く後継者育てて後は任せたいと思う。
だからその思いが出てしまったのだろう。
「ああ。本当に自分自身でそう思うよ」
とため息混じりに言うと大尉は我慢できなくなったのか、お腹を抱えて笑い始めた。
「そんなに笑わなくていいじゃないか」
少し拗ねたような感じでそう言うと、大尉は笑いを何とか抑えて涙を拭きながら言う。
「わかりました。ふふふっ…。三時のお茶の時のお茶うけは、長官の大好きなチーズケーキですから機嫌直してください」
「それって…子供に言う事聞かせる母親みたいなんだけど…」
僕がそう抗議すると、どうもつぼを踏んだらしく、東郷大尉のなんとか納まりかけていた笑いがぶり返して今度は大爆笑となってしまった。
「す、すみませんっ…」
なんとかそう言うと、東郷大尉は長官室から逃げるように退出していく。
もちろん、大爆笑したままである。
なんか釈然としないものの、そのまま恨めしげに大尉が出て行ったドアを見ているわけもいかないのでデスクに積み上げられている書類を手に取る。
仕方ない。
仕事を再開するか…。
そう思いつつ、僕は重なって山積みになっている書類を処理していくのだった。




