銀の副官と魔術師
「補給物資が来てないってどういうことよっ」
女性のヒステリックな金切り声が部屋の中に響く。
ここは帝国海軍中央艦隊司令長官室であり、金切り声の主は司令長官であるアデリナ・エルク・フセヴォロドヴィチだ。
手に持っていた書類は引きちぎられ、勢い余った手でダンダンとデスクを叩いている。
かなり頑丈なつくりのいい机なのだろう。
びくともしないのだが、その叩く音は派手に響いていた。
ノンナは、そんな主の姿を無表情で眺めていたが、報告しに来た兵にとっては最悪と言っていいだろう。
真っ青になってガタガタ震えている。
それでも何とか口を開いて報告しょうとしている。
こんな状態でも報告の義務をきちんとしょうとするあたり、根は真面目ないい兵士なのかもしれないが、相手が悪すぎた。
あまりの剣幕に、口はパクパクと動くだけで、言葉にはなっていない。
それがますますアデリナの神経を逆なでする。
「だからっ、どうなっているのよっ」
美人でも怒ると…いや美人だからこそ余計に凄みと怒気の迫力に圧倒されるって事をこの兵士は今体感している。
多分、これが終わった後は、結婚するなら美人過ぎる女性は避けようと思うかもしれない。
だが、それは後の事であって、今の現状ではそんな事を考える余裕すらない。
さすがに見かねたのだろう。
ノンナが兵の持っている報告書を取り上げると読み上げる。
「特務輸送船リッターラーゼ、行方不明。海域に残骸らしき浮遊物の発見により、何かの理由で沈没したものと推測される…」
「それがどうしたっていうのよ。それとテルピッツの主砲の弾薬の補給分が来ないのとどういう関係が…」
そう言いかけたアデリナだったが、さーっと顔色が青くなった。
額には汗が浮かんでいる。
「まさか…その船に…」
震えるアデリナの声に、ノンナが頷いて言葉を続けた。
「はい。予備の砲弾、弾薬一式全て失われました」
どさっ…。
椅子に力なくアデリナは座り込む。
唖然とした表情のままで固まっているといったらいいだろうか。
ノンナは、そんな主人を少し哀れみを持った目で見た後、兵に下がるように伝える。
兵は、慌てて部屋から逃げるように退出した。
「どうしよう…ノンナ…。出撃、明日なのに…」
兵が退出したドアを見ていたノンナの背中から、アデリナの泣きそうな声が響く。
ため息を吐き出し、ノンナがアデリナの方に視線を向けると、目を潤ませて泣きかけている主人の姿があった。
「どうしよう…。ねぇ、どうしたらいいのかなぁ…。ねぇ…ノンナぁ…」
すーっと頬を涙が濡らす。
まぁ、さっきのヒステリックな場面を見ていなかったら、どんな男性も力になりたいと思うような場面である。
しかし、まぁ、この建物に勤務する男性のほとんどは、普段のアデリナを知っている為、そんな事は思わないだろうが…。
さっきの兵は、ここでの勤務ではない為、運が悪かったのだ。
仕方ないですね…。
そんな感じの表情をしたノンナは、子供を癒すように抱きしめると頭を撫でた。
しばらくそうしてある程度落ち着いた後、ノンナが優しく言う。
「そうですねぇ…。完全ではありませんが、修理中のビスマルクの弾薬砲弾を回しましょう。それでも、今艦内にある分とあわせても六、七割程度にしかなりませんが、ないよりはましです。それで何とかしましょう」
「うん。ありがとうノンナ…」
目を真っ赤に腫らしてなんかとアデリナはノンナから離れる。
「ですが、無駄には使えません。その事には十分に注意しておいて下さい」
「うん。わかった」
素直にそういうアデリナにやっと笑顔が戻る。
ほっとした表情を見せるノンナは、優しく囁くようにいう。
「お嬢様、今日はもうお上がりください。後の事は私がやっておきます。今日は明日の為に、早くお休みなさいませ」
そう言われ、アデリナは時計を見る。
時間は、午後の四時を過ぎたぐらいだった。
定時ならば五時だが、明日の為の準備という名目があれば、少しぐらいは早く上がっても文句は言われまい。
ノンナはそう判断したのだろう。
アデリナは、その気持ちを素直に受ける事にした。
「うん。ノンナ、ごめんね。じゃあ、あとお願いね…」
そう言って金髪を揺らしてアデリナは退出した。
そして、ノンナ一人なった司令室のソファに微かなズレが生み出され、それがだんだんと大きくなり、そしていくつものズレが重なり合って人の姿になった。
「君も姫様のお守りが大変だね…」
共和国魔術師ピエール・パシェッタである。
その男がソファに座り、足沸くんでノンナをニヤニヤしながら見ていた。
「見ていたのね。趣味が悪いわ」
ノンナは冷たい目で魔術師を見下す。
その瞳には、ゲスなものを見るような蔑みに満たされている。
「いいねぇ。実にいい瞳だ。ゾクゾクするじゃないか」
カラカラと笑いつつ、そう言ってキザっぽく鼻の下の髭を撫でる。
「勝手にゾクゾクするのは構わないんだけど、用事がないのに不法侵入なら、例えあなたでも容赦はしませんよ」
そう言ってノンナの右手が動いた。
ひゅんっ。
風切り音と共に、ピエールの足元にデスクにあったペーパーナイフが突き刺さっている。
「ひゅーっ、怖い女だな…。ある意味、あっちのお姫様より、あなたの方が怖いよ、銀の黒姫」
ノンナの怒気が膨らむ。
「なぜ、その事を知っている…」
ゆらりとノンナの身体が揺れる。
「待った、待ったっ。その事を知っているのは、私と私の知り合い数名だけだよ。絶対に口外しないよ」
慌てたように両手を振ってピエールはノンナを落ち着かせようとする。
「数名…ね…」
そう呟き、ノンナの怒気がゆっくりと薄らいでいく。
「つまりは、ここであなたを殺せば、あなたの知り合いが話を広めると言いたいのかしら…」
「そんなつもりはないよ。ただ本当の事を話しただけさ」
そう言って笑うピエールを胡散臭そうな表情でノンナは見る。
要は、信じていませんということだ。
「ははは。少し傷つくな…」
悲しそうな顔をして、自分自身を抱きしめる格好をするピエール。
実にナルシストと言うのにぴったりな動きだとノンナは思う。
「それで、本日のご用件は?」
完全に感情を殺してそう聞くノンナに、ピエールはつまらなさそうな顔をしていたが諦めたのだろう。
テーブルの裏に張ってあった小さな紙を引きちぎる。
「移動用の位置護符の解除と作戦の遅れはないかの確認さ」
そして、ちぎった紙を丸めてぽいっと軽く上に投げると、護符だった紙は一気に燃え尽き灰も残らない。
「これで、もうここには来れない。安心していいよ」
カラカラと笑いつつ、ピエールはそう宣言する。
要は、作戦が発動した以上、もう用済みということだろう。
「そう…。それはよかったわ。あんまりあなたの顔見たくないのよね。それに、さっきので余計に見たくなくなった」
「そりゃ残念だ。なんかトラブルはあったようだけど、作戦に遅れはないようだし、では私はこれで失礼するよ。多分、もう会わないだろうけどね」
ピエールは立ち上がると右手を胸に当てて大げさに頭を下げる。
「ええ。それがいいわ。次に会ったら、間違いなくあなたを殺すから…」
済ました顔でそうノンナは宣言する。
「そりゃ、怖いな。気をつけるとするよ」
そう言いつつ、ピエールは指輪をいじる。
するとズレる様な感じで人影が薄くなっていき、すーっと完全に姿が消えた。
ノンナはゆっくりとソファに近づき、足元に刺さっていたペーパーナイフを抜く。
そして、呟くように言った。
「あの秘密を知るものは、生かしておかない…。絶対殺す…」
その言葉には感情が篭っていなかったが、瞳には、今までにないほどの憎悪と殺気に満ち満ちていた。




