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明日も葵の風が吹く  作者: 有坂総一郎
明和の政変

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江戸政変秋の陣<15> だからアレほど言ったでしょ!上様!by田沼意次

明和9年10月5日 品川沖


「では、上様、此度の謀反の事後処理についてですが……御三家はいずれも処分対象と致す所存。水戸家は遠江二俣へ減転封、紀州家は当主重倫殿の隠居、尾張家は木曽領を召し上げと考えております。また、御三卿は……田安家、清水家については存続、一橋家は断絶と致したく……」


「主殿、その方針はそちら老中が考えたのか?」


「いえ、民部の献策によるものでございます。しかし、妥当なものかと思われますが……」


「一橋の治済は謀反の張本人であるから兎も角、豊千代はまだ幼く罪はなかろう?」


「……左様であれば……清水家へ養子として入れるということでは如何でございましょう?」


「うむ、左様に計らってくれ……」


 将軍家治公と田沼公の戦後処理についての会話である。


 田沼公と戦後処理について予め密談をしていたのだが、田沼時代の邪魔になる存在は一橋治済、松平定信、徳川家斉であると私は考えていたこともあって、この三人を早期に処理することを考えていた。


 実際問題、一橋治済は不穏な動きを見せていたこともあって、早々に歴史の表舞台から消えてもらうことで一致していた。史実において家治公の嫡男家基公が暗殺された疑惑があり、その黒幕が一橋治済であると言われている。そして、実子である徳川家斉は実父を疑っていた節がある。


 そこで、大江戸鉄道調査部と江戸警視庁御庭番は彼を徹底マークしていた。その諜報活動の成果の一つが今回のクーデターの早期発覚であったのだが、家基公の暗殺阻止という目論見を達成し、一橋治済の排除を容易にするためクーデター計画を敢えて放置したのである。


 そして、巻き込まれた立場にある水戸家の徳川治保だが、彼とその血統には影響力と実質的な戦力を与えないために大幅な減封をする必要があった。幕末に要らぬ権力闘争を始めるフラグを立てたそもそもの原因は副将軍という曖昧でありながらも厳然と存在する影響力だ。親藩譜代も御三家、副将軍という立場は無視出来るものではない。


 尾張家と紀州家は今回のクーデターに実際に参加していないが、影響力&経済力削減と無能な藩主の排除を同時に実行するチャンスだ。本当は尾張家から美濃にある所領を没収してやりたいが、そこまでやると別のクーデターの原因になるから木曽の檜林を没収するだけにしておく。紀州家は史実にある藩主交代を前倒しすることにした。


 どちらも御三家でありながら将軍家の危機に馳せ参じなかった罪という名目で懲罰を与える形である。


 御三卿については、田安家は当主が病弱で身動き取れず、清水家は当主重好公が将軍家治公とともに避難ということで御咎めなしである。


 だが、問題は家治公の指摘通り、一橋豊千代こと史実における家斉と田安賢丸こと史実における定信である。彼らの処遇次第では将軍継嗣問題が再燃しかねない。家基公暗殺阻止をしたが、だからと言って安心出来るわけではないからだ。家基公が病死でもしたらその時点で豊千代と賢丸が後継レース筆頭になる。


 家斉と定信がセットだったからこそ幕政が混乱したのであって、家斉単体であった場合はどうだろうか?と考えた。この場合、実父である一橋治済を排除すれば、存外英邁な将軍として機能するかもしれない。問題は家斉が田沼排除に傾くかどうかだ。


 定信の場合は論外だ。彼はガチガチの保守派……いや、聡明すぎて逆に駄目なのだ。藩主の器であっても将軍の器ではない。当然だが、老中の器でもない。そんな人物は幕政中央からは排除するべきだ。


 結局、将軍継嗣の予備として考えるならば家斉しか選択肢はなかった……。


「お待ちくだされ、その件、民部ともう一度相談して改めて検討すべき事案であろうかと某は考えるのだが……豊千代君に罪はなけれど、無罪放免とは諸大名に説明が出来ぬとも考えるのだが……」


「周防、そちは不満であるか?」


「不満ではなく、早計であると申し上げざるを得ぬかと……」


「ふむ……であるが、将軍継嗣の予備は必要であろう?我が息子は家基のみ……万が一があれば……」


「上様、左様にお考えであれば……お励み下さいます様……」


「主殿、またそれか……」


 将軍継嗣問題のそもそもの原因は家治公にあったのである。史実において彼は愛妻家であったと知られる。それそのものは大変結構なことであるのだが、家基公が生まれてから側室をお役御免として通わなくなってしまった。家基亡き後養子となった家斉とはまったく逆のことを彼はしているのである。


 それがゆえに将軍家には家基公一人しか後継ぎがいないのである。しかも、この家基公ですら田沼公の活躍あっての将軍継嗣である。


「いいえ、あれほど申し上げておりますのに、まったく……上様は……」

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