江戸政変秋の陣<5> バランスとったらなんか拙ったかも……by徳川治保
明和9年10月5日 江戸 半蔵門
「藩邸の後詰より伝令、赤坂門を経由し三宅坂へ進撃す」
水戸家当主治保の決断により、水戸藩……叛乱軍水戸兵団は半蔵門の本隊と市ヶ谷からの後詰別働隊に別れ、半蔵門方面と赤坂方面からの挟撃を企図した。
地図を広げるとわかるが、三宅坂は半蔵門方面が正面であり、赤坂方面は裏手の搦手になる。赤坂門からまっすぐ東へ進むと三宅坂にぶつかり、想定される幕府軍先鋒の井伊軍に横撃出来るという寸法である。
単純に横撃するだけでも効果的であるのは言うまでもないが、水戸兵団は本隊1000と別働隊500を擁するだけに井伊軍の約3倍の兵力を有している。常識的に考えれば負ける要素が少ない。
「相分かった。敵の物見がいないかこちらからも物見を放って警戒させよ、別働隊も同様に警戒を厳にし敵情把握に努めるよう伝えよ」
「ははっ、伝えまする」
あとは本隊に井伊軍の注意をひきつけ、袋叩きにするだけと治保は考えていた。仕掛ける間合いが難しい。あまり頻繁に伝令を送っては敵の物見に遭遇する可能性がある……かと言って連絡を密にしなければ連携しての挟撃は難しい。
彼は自身の指揮する水戸兵団の構成を頭の中で整理した。
兵団本隊は水戸藩兵が800、残りの200は幕臣や旗本、御家人で構成される。そのうち、鉄砲兵が200、弓兵が200、騎兵が100、槍兵が200、足軽が300である。
兵団別働隊は水戸藩兵が400、残りの100が幕臣、旗本、御家人。内訳は鉄砲兵100、弓兵150、槍兵100、足軽150である。
「拙いな……」
彼は舌打ちをした。
兵力では勝っているが、バランスをとった配置にしたため、機動力もない、砲撃力もない、突進力もないという状態である。ただし、兵力を文派する場合は有効に機能する……。
別働隊に回した鉄砲兵を本隊に集中させれば、面制圧能力が増強されていただろうことが悔やまれる。
だが、今この段階で兵力の再編成をするのは得策ではない。折角、迂回挟撃を行える好機を活かさないのでは独断専行した意味がない。正面の井伊軍を追い散らしてからでも再編は出来る。
彼は自分の中でそう結論付けた。
「伝令!」
「はっ、どうぞ!」
「3合ほど撃ち掛けて後、騎馬突撃を敢行する。乱戦が始まった後、横撃を掛けよ!」
「はっ、しかとお伝えいたします」
一抹の不安を抱きながら、現状出来ることを指示し、自身の配下に不安を悟られないようにそっと目を閉じ、開戦の時を待つことにした。




