江戸政変秋の陣<3> 俺の三八モドキが火を噴くときは……
明和9年10月5日 永田町三宅坂
「幕府軍総司令部より伝令!」
「なんと言ってきた!」
幕府軍における事実上の先鋒である彦根藩主井伊直幸は自他ともに認めるライバルである会津藩主松平容頌からの返信が気になっていた。
「三段撃ち作戦を許可する。賊軍に正義の鉄槌を……否、井伊の赤備えよろしく賊軍を血染めにしてやれ!であります!なお、貴殿の深慮、今後の戦に影響を及ぼすこと間違いなし、適当にやれ!とのこと」
同族の越後与板藩主井伊直朗とのやりとりで浮上した新型銃の取り扱いについての危惧を幕府軍総司令部も共有したことに彼らは安堵した。
さすがにお互いにライバル視している存在が馬鹿ではないということに安堵したのだが、これは作戦の幅を狭めることを意味するだけに自身の采配が拙ければそのまま敗北につながりかねないというある意味では賭けでもあった。
「殿、風が出てきました……このまま南風が吹き続けますと射撃時の煙で視界を遮られます」
井伊軍の本陣は三宅坂の彦根藩上屋敷……現代でいうところの憲政記念館である。半蔵門から三宅坂までは緩やかな傾斜となっている。半蔵門前に陣取る水戸兵団との彼我の距離は500m。
幕府軍に支給されている最新型のボトルアクションライフル(BAR)は実質的に帝国陸軍の三八式歩兵銃の劣化コピーである。
その性能はオリジナルの最大射程2400mに対して2000m。有効射程460mに対して350~400mである。
同時期の小銃で比較するならば、シャルルヴィル・マスケットが適当だろうか?この場合、有効射程は50~100mである。スプリングフィールドM1795であれば有効射程は50~70m程度、最大射程は90~180m程度だ。
もっとも、種子島銃で比較するべきだろうが……その場合、有効射程はシャルルヴィルやスプリングフィールドと同等だが、その命中精度は圧倒的に種子島銃に軍配が上がる。
何しろ、50mでの日移動目標への命中率8割、30mなら全弾命中というイカレた数字を叩き出す性能が日本製種子島銃だ。逆に言えば、欧米の小銃は面制圧を目的としたものだから命中精度は二の次である。
つまり、命中精度だけ考えると接近されて種子島銃を乱射されると非常に拙いことがわかる。
三段構えで1000挺も種子島銃を配備して武田騎馬隊を迎撃したといわれる長篠の合戦だが、そらぁ、全滅に近い損害が出るわなと納得出来る数字だ。もっとも、最近はそれも事実ではないという説が有力視されているそうだが……。
さて、そんなわけで、話を戻そう。
「三宅坂正面の兵を減らして側方射撃に回し援護させよ、同時に越後与板の兵を伏兵として隼町方面に展開させよ」
井伊直幸の指示により井伊軍の配置が状況に即したものへと変化する。
風向きを考えると半蔵門から三宅坂へと進撃するであろう水戸兵団に横槍をかけるには隼町への転進は必須だ。特に着弾観測という考え方とこの時代の火薬……黒色火薬は煙がものすごく発生する……を考慮すると本陣とは別の場所からの攻撃指示と横撃は必要だ。
「直幸殿、某も卿の指示に従って隼町へ参る。今後は着色発煙筒により弾着修正指示を出す故、それに従って攻撃を頼むぞ!」
「卿の活躍を期待しておる」
少ない兵ではあるが、叛乱軍よりも圧倒的に優位な武装を有する一団だ。そう簡単には負けることはないだろう。彼らはそう信じている。




