反田沼派の蜂起
明和9年10月5日 品川沖
この日、幕府守旧派が御三卿の一橋家当主治済を総大将として水戸家が支援する形で挙兵した。大義名分は金権政治の田沼派の幕政からの排除である。
元々一橋治済は田沼意次の権勢拡大だけでなく、自身の家中にも田沼意次の弟や甥が家政を取り仕切るなどしていたため苦々しく思っていた。反田沼の黒幕として情報の横流しなどを行っていたのである。
田沼派により幕政が仕切られ、その成果が日を追うごとに増え、また、関東全体の経済発展を見るに反田沼派の活動の余地は大きく削られていた。しかし、明和の大火延焼地域にある屋敷地の召し上げなどで不満を持つ大名や旗本、御家人の支持を得ることでその勢力は復活しつつあった。
その情報をお庭番や大江戸鉄道調査部……満鉄調査部をイメージしてさらに強化した……から得ていた私と田沼派幕閣は決起の情報を知るや速やかに対応策を講じていた。
そう、長谷川平蔵宣雄殿……平蔵親父……の提言というのがまさにこれであった。お庭番は江戸警視庁に統合され、CIA的役割を担っている。
江戸城中から幕府行政機構が永田町、霞が関に移転した結果、大名間の付き合いは殿中から屋敷間へと自然と移行したのだが、それによってお庭番による監視体制を取りやすくなったことにより、情報が筒抜けとなった。また、反田沼派の物資買い入れなどの情報は大江戸鉄道調査部から逐一報告されており、あらゆる物資の調達状況や移送状況は把握されていた。
まさにいつでも掛かって来い!という状態である。
我らは決起日を把握していたことから将軍家治公の身柄を江戸城から品川沖の有坂海運の蒸気船へ移し、同時に清水家当主にして家治公の弟である清水重好公の身柄も確保し、家治公とともに避難させている。
江戸中央駅から狼煙が上がった……。叛乱軍が行動を開始し、江戸城に入ったという合図だ。
「上様、叛乱軍が江戸城に入りました」
「……そうか……」
家治公は悲しみの表情で頷く。
「上様、お辛いことであろうとお察しいたしますが、彼らは叛徒。幕府に、上様の御治世に牙を剥く者たちです。戦が終わるまでは耐えてくださいますよう……」
「民部の言う通りでございます。この主殿、江戸の復興に尽力いたしますゆえ、今は……」
品川沖に浮かぶ蒸気船には家治公、重好公、田沼公、松平周防殿、そして私が居並ぶ。松平右近殿、松平右京殿は所領の館林、高崎へ戻り、軍勢を整えて鉄道による電撃戦を行う段取りとなっている。板倉佐渡殿は霞が関官庁街を中立地帯として保全するため現地に残っている。
「主殿、民部、そちらの主導するこの戦……勝てぬとは思わぬが、叛徒は兎も角、江戸の民を巻き込むことになろう……下らぬ政争のため、民が犠牲になるのは余の望むところではない……」
「上様、民を巻き来ぬためにあえて江戸城をくれてやったのでございます……叛徒どもが江戸城内に入りましたらこちらが取り囲み、圧力をかけることが此度の戦の要……」
「周防……そちは……」
「上様、この戦を長引かせることは絶対に阻止せねばなりませぬ……民に犠牲が出ようとも……長引かせる……叛徒の要求を呑むことは此度の犠牲の数倍の犠牲を生むことになりまする」
彼ら守旧派が復権するイコール経済の破綻である。発展した経済水準を維持出来なくなれば、江戸の急増した人口は当然維持出来なくなる。その結果、餓死者の山が出来る。それだけではない。経済が一体化した奥羽諸藩、関東諸藩も巻き込まれる。天明の飢饉が間違いなく起きるであろうこの時代に大恐慌など起こせばどうなるか……想像するだけでゾッとする。
その恐怖を共有出来るからこそ、田沼派はあえて守旧派の叛乱を許容し、それを徹底して掃滅することにしたのだ。
「上様、我ら、地獄に落ちようとも、幕政を叛徒に委ねるわけにはならぬのです」




