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明日も葵の風が吹く  作者: 有坂総一郎
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Another View 大嶺炭田開発物語

明和9年6月 長門


 時は遡る。


 田畑の石灰を投入し土壌改良材として活用することが普及し始めていた。その為、秋吉台付近の石灰石を切り出し、焼成することで石灰を生産していた。


 しかし、焼成するためには木材が大量に必要であり、元々秋吉台付近には森林資源が少ない。結果、この地域の森林はあっという間に丸裸になってしまった。


 だが、そんな折にたまたま大嶺の地元の樵が煙草の火を地面に落とした。その際に黒い土が燃えたことで、燃える石・燃える土が発見された。隣国の筑豊にある石炭と似た性質を持つそれを石灰焼成に使うことを考えた石灰業者が採掘のために人夫を集め、最初は露天掘りで採掘が行われた。


 その後、燃える土・燃える石の話題が萩の藩庁へ届いた。それが明和5年の秋のことだった。


 藩命で極秘に山師が入り、大嶺付近の山や谷を探索した結果、大嶺周辺には石炭の鉱脈があることが確認された。それも煙の少ない石炭であることがわかった。


 しかし、その後、大嶺とその周辺は藩命で封鎖され、地元の人間と藩の関係者以外は一切の立ち入りが禁じられ、関所を設けてヒトとモノの移動が制限された。勿論、石灰焼成に用いられていた石炭も統制された。だが、石灰の製造販売を直営化することでその利益を確保しつつ一定量の製造を続けることになった。


 だが、今まで多くの石灰が流通していたにも関わらずその量が著しく減ったことで石灰を取り扱う商人は大嶺・秋吉台付近へ立ち寄ることが少なくなっていった。その結果、長州藩の大嶺周辺の封鎖が実質的に達成され、完全に統制することに成功したのである。


 そして、藩命によって強制移住による採掘人夫の動員が行われたのである。主に石灰石を切り出していた鉱夫がそのまま炭鉱に送り込まれた。だが、本格採掘するには如何せん数が足りない。その為、大嶺周辺の農民にまで動員が掛かり、農業生産は甚大なダメージを受けたのであった。


 明和6年の長州藩への懲罰があったが、その間も開発は進められた。いや、その後さらなる開発の圧力が掛かり、事故も多発する状況になったが、大嶺炭田からの採炭は軌道に乗ったのである。


 年が明けて明和7年には厚狭~大嶺~仙崎に馬車鉄道が開設された。勿論、旅客扱いは皆無である。貨物輸送がメインであり、大嶺から持ち出されるものは少数の石灰程度である。持ち込まれるものは砂鉄、鉄鉱石、食料品と少数の嗜好品。まさに閉鎖都市である。


 その指揮を取っていたのは出雲尼子家の直系子孫である福永孫四郎であった。彼は福永家当主の庶子として生まれたのであるが、類まれなる知識を有していた。


 そう、彼こそ長州藩の裏のキーパーソンなのである。福永家という長州藩重臣の子息という立場を利用して多方面に働きかけ、大嶺炭田の開発を進めているのであった。


 ただ、彼であっても思うように産業革命までは進めることが出来なかった。それは立ち位置が中途半端であり、何より藩主の信任を得ていたとは言い難い状態だったからである。もし、彼がもっと藩政中枢に居たならば歴史はもう少し違っていたかもしれない。


 そして、明和9年……福永孫四郎は閉鎖都市大嶺に製鉄所を遂に完成させたのである。だが、江戸においては既に蒸気機関車による鉄道は運行され、太平洋航路は蒸気船やクリッパー船が幅を利かせている。長州藩は3年程度の遅れを取っている。まして、江戸は未曾有の好景気で関東はその恩恵を受けている。


 だが、製鉄所が本格操業した暁には……彼はそう口にして鋭い眼光で江戸の方向を睨んだ。

福永孫四郎


架空の人物です。ですが、尼子家直系の子孫である福永氏は長州藩重臣でした。

この時代の長州藩の重臣についてウィキペディアで調査出来なかったので、仕方なくでっち上げました。


今後、チョコチョコと出てくると思うのだが...。

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