Another View 新型銃開発物語
明和8年10月~明和9年5月 伊豆某所
話は少し遡る。
おはようからおやすみなさいまで金髪と紅茶から切り離せない変態の国英国から連れてきた変態紳士のお話である。
彼の名をファーガソン。史実でも比較的早期に実用一歩手前のレベルのファーガソン・ライフルを開発し、大英帝国の軍人として新大陸で独立だとか戯けたことを抜かす植民地人相手に成敗!と乗り込んで見事戦死した人物だ。もし彼が生き残っていたならば、エンフィールドだのスナイドルだのドライゼだのといった第一世代後装式小銃よりも早く同一水準の後装式小銃が世に出ていたかもしれない。
そんな彼を密貿易の利益で一本釣りして、伊豆の山奥に監禁、母国で製造していたファーガソン・ライフルのライセンス国産と並行し、新型銃の開発をさせていた。
オリジナルのファーガソン・ライフルは、その複雑な構造故に母国英国ですら主装備であるマスケット銃4丁と等価であり、同時に6ヶ月で100挺程度しか生産出来ないという状態であった。もっとも、これは量産体制というには程遠い状態だったと思われる。だが、それくらい量産性は悪いのである。
来日後、2ヶ月でオリジナル・ファーガソン・ライフルの製造に必要な設備を整え、明和8年7月頭には10挺のOFRが完成した。これを江戸城内で試射実験を行っている。結果は懸念の通り、尾栓付近の強度不足が原因による破損の続出であった。しかし、前評判通りの連射性能を示し、前装式の時代が終わったという認識を幕府首脳は認識したのであった。
同時期に私は弾倉の概念を彼に伝えた。簡単な構造図を描いて渡した。同時に雷管、薬莢、撃針についても説明し、これらの開発と実用化を依頼したのである。
彼はその新発想に甚く感銘して、研究所に引きこもったのだが、あっさりと弾倉については開発してしまったのである。まぁ、構造図があれば専門家なので割りと簡単に現物に仕上げることは出来たのだろう。と言っても、試作品であるし、出来合いのもので作った簡易なもので、夏休みの工作レベルのものだ。だが、外装は兎も角、内部の構造についてはよく考えられていて、ロック機構とバネの押上力なども上手く調整されていた。
明和8年の年末、彼が雷管の実験をすると連絡してきた。
そこで彼に会いに伊豆へ向かうことにした。結果から言えば、列車強盗に襲われたあの日に視察しに行ったのだ。
伊豆某所の研究所という名の監禁場所に到着すると彼が出迎えてくれた。
早速、実験を見学することになったのだが、彼自慢のOFRはどこにもない。そして、弾倉もどこにも出てこない。一体、何をどうするつもりなのかと思っていると1挺の見たこともない……いや、どこかで見たことがある気がしないでもないものを取り出した。
彼は銃についているレバーをガシャっと音をさせて回転させ、今度はスライドさせた。ボルトアクションライフルを作り出したようだ……。ってことは、撃鉄と撃針は連動しているということだろう……。今までの銃は撃鉄と火打ち石や火縄が連動していたが、雷管と薬莢が一体化していればそれらは不要になるのだから当然だろう。
一発、二発、三発、四発、五発……五発も装弾した……。これって実包こそ違うが、三八式とか同時期のボルトアクションライフルそのものだ。
バン、ガシャ、ポン、ガシャ、バン、ガシャ、ポン…………
やべぇ……。ミニエー銃だのスペンサー銃だのなんてレベルを超越してあっさりとボルトアクション作り上げた……。このオッサン、危険だ……。やはり、幽閉しよう……。外に出したら今度は列車砲すら作りかねん……。
バン、ガシャ、ポン………
撃ち終わったようだ……なんか手を額に当てて天を仰いでる……。なんかやらかしたらしい……。あぁ、叫びだした……。どうやら、今の実験で亀裂が入ったらしい……。このオッサン、強度計算ホントしてるのか?
しかし、実用レベルの機構は出来てしまったようだ。弾倉交換式の自動小銃、半自動小銃も時間の問題だな……。
実験を見届けた私は江戸へ戻った。
それから3ヶ月後の明和9年3月。明和の大火の後始末で忙しい頃、再び彼から連絡が来た。
三八式モドキの強度不足が解消されて、500発撃っても大丈夫だと言ってきた。それが多いのか少ないのか微妙なところだが、装弾数5発で100回分なら十分だろう。
あと、一発ずつ装弾するのは面倒だからと半自動小銃も開発すると言い出した。機構自体は殆ど同じで一寸改良すればよいだけ!と言ってきたが、割りと不安だ。絶対にまた強度不足かなんかをやらかすだろう。そんな不安なものを放置出来ない。
結局、5月半ばにも伊豆まで出掛けて実験を見届けたのだが……。彼の作ったものには呆れてしまったのであった。そう、今度は強度を確実に担保するために余裕のある構造にした結果、パッと見がM1ガーランド、実態はガーランドっぽい設置型重機関銃……になってしまったのだ。
彼はどうも極端なことをするらしいと私は学んだ。一緒に居た研究員に君らで再設計して適切な重さと装弾数に変更して使えるものを作れと命じた。
そして、6月……。三八式歩兵銃モドキの量産体制が整い、M1ガーランドモドキその2がまともな仕様になったと報告が来た。結局、性能はほぼ同じということだ。装弾数も同じ5発になってしまった。結果、量産性が劣るその2は不採用になった。だが、機構の研究開発と機関銃の開発を続けることが決まったのである。




