追加 『面白い』=流行?
前項でこの連載を終えたつもりだが、感想欄で複数の方からそういうお話を受けたので、こちらにも追加することにする。
流行と『面白い』の関係だ。
自分はほとんど無関係だと考えている。
流行するものは例外なく『面白い』と考える人もいるだろうが、そんなの個人差でしかないと思っている。
感想で書き込まれなければ、エッセイの論題に取り上げなかっただろう。
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まず、流行するものと、その価値は、比例しない。
料理だったらおいしいものを。ゲームだったらより面白いものを。
生産者としては、可能な限り価値の高いものを提供しようとするのが普通だが、必ずしもいいものだから流行するとは限らない。
おおよその人は、流行は、それまでひっそりとしていたのに、なにかで取り上げられて爆発的に人気が出る、といった状況を想像するのではないだろうか。
流行は、以下のように過程があるとされている。
①潜在期:あるものが生み出され、ごく限られた人々で試行される。
②発生期:新しいものが人々に知られ、同調する者が現れる。
③成長期:同調する人々が増加し、普及が拡大していく。
④成熟期:普及が最大の水準に達し、伸びが鈍くなっていく。
⑤衰退期:普及よりも、採用を止める数が増加する。
⑥消滅期:採用する者がいなくなり、消える。
『流行』という言葉で連想するのは、多くの人は②~④の部分だろう。
多くの場合、その部分は、雑誌やテレビで取り上げられたり、SNSで広がることで発展する。
それをなんとなく、自然な社会現象という、無意識に認識していないだろうか?
この流れは、人為的に作り出されていることを忘れてはならない。
このサイトで一時期問題になった、相互評価クラスタが、一番理解しやすい。
まとまった人数が作品にポイントを加算し、ランキング入りさせることで周知させていたわけだが。
内容の如何に関わらず、グループ内の人間が最高ポイント付与を義務付けていた。
だから流行は、価値――つまり『面白い』と結びつくとは限らない。
それは多くの人が『やってはいけないこと』だと見なす特殊例だとしても、雑誌やテレビに取り上げる、いわば正規手段でも同じだ。
昨今は検索サイトの検索数や、SNSでの話題の広がりなどで、ある程度までは真偽が判断できるが、番組や雑誌なんて結局少人数で作られている。
記者が見つけたことを、編集者のトップがGOを出せば、それが『世のトレンド』になってしまう。
本当に『流行』なのか、世間に受け入れられているか、価値があるのか、怪しくても、だ。
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『面白い』と感じるか否かは、結局のところ個人の考え方だ。
だから実際に価値があるかないか関係なく、『流行しているから面白い』と考える人もいるわけだが。
そんなのどうでもよくなる問題が見えたから、自分はこのエッセイで取り上げなかった。
パレートの法則というものがある。バラツキの法則、80:20の法則という言い方もある。
イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが提唱した理論だ。
例えば、スマフォでプレイする、基本無料・課金制のゲーム。
このゲーム参加者の20パーセントが、重課金者と呼ばれる人たちで、その人たちだけで売り上げの80パーセントを占めている、ということだ。
物事は平均的に起こることよりも、多くは一部が大部分に影響を与えている場合が多い。
具体的な数字が合致するかはともかくとすれば、マーケティングだけでなく、社会現象・自然現象にも広く見受けられる。
だから一般的な立場だと、政府発表される平均所得などは高く感じられる。
洒落にならない金額を稼いでいる小数の人間がいるから、平均値が押し上げられて、『オレそんなに給料もらってねーよ』なんて思ってしまう。
さて。若干曲解気味になるが、小説の『面白い』にも、この法則が適用できると考えると。
単純に考えて、その作品を『面白い』と感じ、評価し、広めようとする人は、2割しかいないわけだ。
全体の8割の影響力を持つわけだから、人数が少ないからといってとても馬鹿にはできない。
しかもその作品が流行しているなら、母数が多い。100人の中での20人と、1億人の2000万人では、全く変わる。
だが『面白い』と思うか否かは個人一人ひとりの問題だ。
全体の2割が作る影響に、残り8割は引きずられているという現象に、ある特定個人だけを取り出して見たところで、『面白い』と思っているか確率的に怪しい。
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問題は更にあり、こちらは致命的と言っていい。
流行には、ターゲットが存在する。
上記の内容は、ターゲット枠内だけの話だ。
現在、終活ブームらしい。
己の人生を終える時を、自分でプロデュースする。遺言状を残すなんて当然、葬儀や埋葬の仕方を生前に決めたり、そもそも生きている間に葬式を行うなんて人もいる。
だが単純に考えて、65歳以上のブームだろう。
ファッション誌は何誌もあるが、やはり知られている有名雑誌となると、20代~30代女性向けのものだろう。
今年のトレンドとして特集を組んだとしても、ターゲット外年齢の女性と、男性には関係がない。
レストランやカフェなど、話題の店を出されても、その地域に住む人・そこに行く予定がある人にしか意味がない。
『面白い』と評価するか否かどころではない。
ほとんどの人間にとって、流行とは『どうでもいい』ものでしかない。
そこに価値があっても、だ。
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10代中盤から20代男性向けに、流行の小説を書いたとしよう。
統計局のデータによると、15歳から29歳までの日本人男性人数は約921万人。日本人口との比率は7.37パーセント。
これだけしか流行のターゲットにしていない。
しかもここから『面白い』と思う人間がどれほどいるか。
パレートの法則が適用できるとして、その20パーセント、1.47パーセント。約18万4000人。
で。これは想定でも、最大限に見積もった数だ。
ターゲット全員がその作品を知り、全員が小説を読むとして算出しているのだから。
現実にはターゲット外年齢の人間でも、体験し評価する人はいるが、その微増加よりも、認知度から何百分の一、何千分の一になるほうが遥かに大きい。
このエッセイにおいては、人生経験が重要なファクターとしている。
例外なく100%の人間が、その人それぞれの人生経験を持っている。
それと比較すれば、どれほど小さい影響か、おわかりいただけるだろうか?
論題に挙げているのは、半々になるか、仮に偏りがあったとしても、当人すら自覚ない心理なのでアンケートで判明しないことだ。
比べれば、どう考えても影響力が小さすぎるので、『面白い』と流行を結びつける必要性を感じなかった。
『流行している作品は面白い』という考えは、客観的意見の根拠として、流行=多人数の賛同と、根拠なく思い込んでいるだけだ。
主観・客観と正誤は関係ないと、【07 主観と客観】と否定している。
一般的ではない、個人の偏見と見るしかない。