第30話 君を忘れたふりをした
それから、数日後。
圭太は同じ場所に立っていた。
あの日と同じ交差点。
信号が変わる音。
車が行き交う。
何も変わらない景色。
でも。
もう、隣に美月はいない。
圭太はポケットから封筒を取り出した。
白い封筒。
少しだけ折れている。
あの日から、ずっと持ち歩いていた。
開けることができなかった。
でも。
今日、決めた。
ゆっくりと封を切る。
中から、便箋を取り出す。
震える手で開く。
文字が見える。
美月の字。
少し丸くて、優しい字。
圭太は息を吸って、読み始めた。
圭太へ
これを読んでるってことは
たぶん、私はもういません
ごめんね
最後まで、ちゃんと一緒にいられなくて
でもね
最後に、どうしても伝えたいことがあります
あの日のこと
圭太、気にしてるよね
でもね
後悔しないでほしい
あのとき
圭太は、私を守ってくれました
私は、それがすごく嬉しかった
怖かったけど
でも、それよりも
「この人は、本当に私のことを大事にしてくれてるんだ」
って思えたから
だからね
あの日は、不幸な日じゃないよ
私にとっては
一番、大切な日です
それとね
圭太
お願いがあります
もし、私のことを思い出して
苦しくなったら
無理に覚えてなくていいです
忘れてもいい
忘れたふりでもいい
その代わり
また誰かを好きになってください
ちゃんと笑って
ちゃんと生きて
それが、私の一番の願いです
最後に
圭太のことが大好きです
出会えてよかった
ありがとう
美月より
文字が滲む。
最後まで読めなかった。
涙で、見えない。
圭太はその場に立ったまま、動けなかった。
時間が止まったみたいだった。
やがて。
ゆっくりと空を見上げる。
青い空。
あの日と同じ。
圭太は小さく笑った。
「……ずるいよ」
声がかすれる。
涙がこぼれる。
でも。
どこか、少しだけ穏やかだった。
ポケットの中。
あの指輪がある。
圭太はそれを取り出した。
光にかざす。
安い指輪。
でも。
世界で一番、大切なものだった。
しばらく見つめる。
それから。
そっとポケットに戻した。
圭太は前を向く。
信号が変わる。
青になる。
一歩、踏み出す。
足は、止まらなかった。
振り返らない。
そのとき。
ふと、空を見上げる。
昼なのに。
なぜか、星を思い出した。
あのプラネタリウム。
あの時間。
美月の笑顔。
胸が少しだけ痛む。
でも。
圭太は笑った。
「大丈夫だよ」
誰に言うでもなく、つぶやく。
そして、静かに言った。
「俺は」
少しだけ間を置く。
でも今度は、言葉を選んだ。
「君を忘れたふりをする」
それは逃げじゃない。
前に進むための選択だった。
圭太は歩き出す。
人の流れの中へ。
日常の中へ。
その背中は、少しだけ強くなっていた。
空は、どこまでも青い。
その下で。
一つの物語が、静かに終わった。




