第12話 あなたに、信じてほしいから
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今回はいよいよフィオナが神殿から聖女適性検査に召喚されるお話です。
王立騎士学校の校長室は午後の陽光に包まれていたが、その空気は重く沈んでいた。大理石の床に敷かれた深紅の絨毯、壁にかけられた歴代校長の肖像画、そして窓の外に広がる学校の景色――いつもは穏やかな空間が、今日ばかりは厳粛な緊張に支配されていた。
フィオナ・リースは校長室の中央に立ち、真っ直ぐな姿勢で神殿からの使者と対峙していた。校長はフィオナの傍らに立ち、彼女を見守るように寄り添っていた。使者は正装の神殿衣をまとい、胸元には光の神・ルミアの紋章が輝いていた。
「フィオナ・リース、貴殿を神殿における聖女適性検査に召喚する」
神殿からの使者がフィオナを見下ろすように告げた。その声は響くような重みを持ち、部屋全体に権威を漂わせていた。フィオナは僅かに震える手を制し、表情を平静に保とうと努めた。彼女の青い瞳の奥には、予期していた恐怖が静かに燃えていた。
「……断ることはできますか?」
フィオナは恐怖の色を見せながらも冷静に尋ねた。彼女の声は小さいながらも、決して弱々しくはなかった。
「貴殿に拒否権はない。これは主神ルミア神の御心である」
使者は有無を言わせない口調で告げた。その言葉には、一片の同情も妥協もなかった。フィオナは僅かに顔を伏せた。彼女にとってこの瞬間は、いつか来ると知りながらも恐れていた運命との対面だった。
「リース、心配しなくてよい。適性がなければ、すぐに学校に戻れる」
校長が言った。彼の表情には公の立場と生徒への心配が混ざり合い、複雑な陰影を作っていた。彼もまた、フィオナが特別な存在であることに薄々気づいていたのかもしれない。しかし、彼の立場では彼女を守ることができる範囲は限られていた。
「いつ出発すればよいのでしょうか」
フィオナは諦めを滲ませた声で尋ねた。
「明朝、神殿の馬車が迎えに来る。必要なものだけを準備するように」
使者はそう言うと、フィオナに一礼し、校長との短い言葉を交わした後、堂々とした足取りで部屋を後にした。残されたフィオナと校長の間に、重い沈黙が落ちた。
「リース、もし何か……心配事があれば言ってくれ」
校長が静かに言った。
「ありがとうございます、校長先生。でも大丈夫です」
フィオナは穏やかに微笑んだが、その目は笑っていなかった。彼女は丁寧に一礼すると、校長室を出た。廊下に出たフィオナは深く息を吐き、壁に手をついた。ついに来てしまった。彼女の偽りの平穏は、明日の朝、終わりを告げようとしていた。
◇
夕方、王立騎士学校の女子寮の一室。西日の柔らかな光が窓から差し込み、部屋を橙色に染めていた。フィオナは諦めの表情で小さな鞄に最小限の荷物を詰めていた。彼女の動きは静かで、まるで自分の運命を受け入れるように穏やかだった。
ベッドの上に座り、フィオナを心配そうに見つめるリリィ。彼女の緑色の瞳には、友のために何かしたいという気持ちと、どうすることもできない無力感が混ざっていた。静かな夕暮れの寮の部屋に、別れの空気が流れていた。
「大丈夫? なんだか……二度と会えないみたいな顔してるよ」
リリィが遠慮がちに尋ねた。彼女の声には、いつもの明るさはなかった。
「少し神殿に行くだけだよ。すぐに戻ってくるから」
フィオナは無理に笑った。その表情は、自分自身を説得しようとしているかのようだった。彼女は小さな本を鞄に入れながら、目線をリリィから逸らした。
「嘘が下手だね、フィオナ」
リリィはそう言って、立ち上がり、フィオナの手を取った。
「あなたが何か隠していることは、ずっと気づいていたよ」
フィオナは驚いて顔を上げた。リリィの表情には非難や怒りはなく、ただ純粋な友情の温かさだけがあった。
「フィオナ、何かあるなら話してよ。私、あなたの味方だから」
リリィは気遣うように言った。その目は何か知っているという眼差しだった。赤い髪が夕陽を受けて輝き、その姿はいつにも増して頼もしく見えた。
「……ありがとう。でも、大丈夫よ。あなたに迷惑はかけたくない……」
フィオナは戻ってこられないという予感にそう答えた。彼女は微笑んだが、その目には決意と諦めが混ざっていた。前世のセリアの時も、彼女を守ろうとした人々は皆、犠牲になった。リリィにも同じ運命を辿らせるわけにはいかなかった。
「私ね、フィオナが特別な力を持っていることはずっと前から気づいていたんだ」
リリィは優しく言った。
「でも、あなたがそれを隠す理由があることも知っていた。だから黙っていたの」
フィオナは言葉を失った。リリィは彼女の手をもっと強く握った。
「どんなことがあっても、あなたはフィオナ、私の大切な友達だよ」
フィオナの目に涙が浮かんだ。こんな風に無条件で受け入れてもらえることが、彼女にとってどれほど貴重なことか、リリィには分からないだろう。
「リリィ……ありがとう」
彼女はそれ以上何も言えなかった。二人は静かに抱き合い、窓の外では夕陽が沈んでいった。
◇
夜も更けた頃、親善への出発を前に、フィオナは学校の中庭へと足を運んだ。月の光が石畳を照らし、日中の喧騒が嘘のように静寂が支配していた。彼女の胸の内には複雑な思いが渦巻いていたい。
中庭のベンチで待っていたのは、マークとカイル。フィオナが来ることを知っていたかのように、二人は彼女を迎えた。夜の学校には人目がなく、静かな別れの時間を共有できることをフィオナは感謝していた。
「明日のことを聞いたよ」
マークが素直に心配した顔をしながら言った。
「絶対に早く戻ってくるんだぞ! 勉強会、待ってるから!」
彼の茶色い髪は月明かりに柔らかく照らされ、いつもの笑顔には不安が混じっていた。それでも、彼の純粋な心遣いはフィオナの心に染みた。
「うん、ありがとう、マーク」
フィオナは微笑んだ。マークは彼女の「聖女」としての力を知らないだろう。彼はただ、友達として彼女の無事を願っているだけだ。その純粋さが、今はとても尊く思えた。
「神殿の人たちに負けるんじゃないよ。君は君自身の意志で生きる権利があるんだから」
カイルが何かを知っているような視線で頼もしく励ました。彼の栗色の髪は月光に輝き、金色の瞳には真剣な光が宿っていた。
「カイル先輩……」
フィオナは驚いて目を見開いた。彼の言葉には、単なる励まし以上の意味が込められていた。まるで彼女の秘密を知っているかのように。
「みんな……ありがとう」
フィオナが友達がいるという実感と失いたくないという気持ちに目に涙を浮かべて答えた。これが最後の別れになるかもしれないという思いが、彼女の胸を締め付けた。
カイルは周囲が気づかないように、フィオナに近づいた。
「力は隠せても、心は隠せないよ。それが君の魅力だから」
カイルがフィオナの耳元で小声で言った。その言葉に、フィオナの心臓が跳ねた。彼は確かに知っている。しかし、それを追及するのではなく、彼女を励ましているのだ。
「私……」
「大丈夫、秘密は守るよ。だけど忘れないで、ここには君の味方がいることを」
カイルはそう言うと、軽く手を振って離れていった。フィオナの胸には、温かい気持ちと懐かしさが入り混じった。
◇
友達との別れを経て、深夜、フィオナは王立学校の裏手にある小さな東屋へと向かった。木々に囲まれたその場所は、学校の喧騒から離れた静かな避難所だった。石造りの東屋の中で、フィオナとレオンが向かい合っていた。月明かりだけが二人を照らし、人目を避けた静かな場所に密会する二人の間に緊張感が漂っていた。
「レオン先輩にだけは、さよならを言いたくて」
フィオナが静かに告げた。彼女の声は小さく震えていた。神殿に向かう前、最後に彼に会いたいという思いが、彼女をここに導いた。
「なぜ神殿を恐れるんだ? 君は何を隠しているんだ?」
レオンが任務と感情の板挟みになったような苦悩の表情で尋ねた。彼の灰色の瞳はフィオナを真っ直ぐに見つめ、その中には混乱と決意が入り混じっていた。
「教えたら……先輩にも危険が……」
フィオナはもう隠しきれない疲労感に呟いた。彼女の青い瞳には長い間抱え込んできた秘密の重みが浮かんでいた。どれだけ彼に打ち明けたいと思っていたことか。しかし、その思いは常に恐怖に押さえつけられてきた。
「信じてほしい。僕はきっと君を守る」
レオンの言葉に、二人の間に言葉にできない感情が溢れた。彼の声には確かな決意があり、フィオナの心を揺さぶった。
フィオナは一瞬目を閉じた。そして、ついに心の扉を開くことを決意した。しかし、その瞬間、突然の記憶の波が彼女を襲った。
まるで霧の中を歩くように、過去の光景がフィオナの意識を満たしていく。
神殿の高い天井と厳かな空間。神殿の人々に囲まれる前世のセリア。彼女は黄金の装飾が施された衣装に身を包み、「聖女」として崇められていたが、その目は深い孤独を湛えていた。
そこにレオンの面影に似た若き騎士がいた。彼は堂々とした立ち姿で神殿の高官たちに対峙していた。彼の顔は霞んでいたが、その姿勢はレオンそのものだった。
「聖女は国のものである。個人の自由など許されぬ」
神殿長が厳しく告げた。その声は冷たく、聖女を一人の人間としてではなく、道具として見ていることを隠そうともしなかった。
「聖女も一人の人間です。彼女にも自由を認めてください」
若き騎士が神殿長に刃向かった。彼の声には正義と情熱が混ざり合っていた。セリアは初めて、自分を「人」として見てくれる人に出会ったのだ。
しかし、その後の記憶は悲しみに満ちていた。神殿に囚われ「道具」として扱われるセリアの孤独、彼女を守ろうとした若き騎士の死。血に染まった騎士の姿と、彼を抱きしめるセリアの絶望。
「あなただけが、私を人として見てくれた……」
倒れた若き騎士を膝に抱きながらセリアが呟く。彼女の涙は止まることなく流れ、その心は深い悲しみと後悔で満ちていた。
「もう誰も巻き込まない」
セリアは静かに誓った。その瞬間、霞のような記憶が消え、フィオナの意識は現実に戻った。
フィオナは月明かりに照らされた東屋で、涙ながらに心情を吐露していた。彼女の顔には、何百年もの苦しみと孤独が刻まれていた。
「前に……私を守ろうとしてくれた人がいたの。でも、その人は死んでしまったわ」
涙を流すフィオナには脆さと強さが感じられた。彼女の銀髪は月光に照らされて輝き、その姿は儚くも美しかった。
「聖女は人として扱われない。権力者の道具になるだけ。そして……いつか使い捨てられる」
フィオナは前世の記憶と恐怖に震えながら呟いた。その声は小さいながらも、何世紀もの痛みを伝えていた。
「だから隠したかったの。誰も巻き込みたくなくて……」
黙って聞いていたレオンが静かに口を開いた。彼の表情は厳しくも優しく、フィオナの言葉一つ一つを真剣に受け止めていた。
「僕は聖女監視官として、君を見つけ出し、確保することを命じられていた」
「……」
フィオナは黙って聞く。彼女は既にそのことを薄々感じていた。しかし、それを彼の口から聞くと、やはり胸が痛んだ。
「だが今は……一人の騎士として、一人の人間として、君のことを守ると誓う」
レオンが騎士としての想いを素直に口にした。彼の灰色の瞳は揺るぎない決意に満ちていた。それは命令や義務からではなく、自らの意志による選択だった。
「……信じていいの?」
フィオナが震える声で尋ねた。彼女の青い瞳には恐れと希望が入り混じっていた。
「僕は君を守りたい。それだけだ」
そう言うとレオンがフィオナに手を差し出した。彼のその仕草は、前世の騎士を思い起こさせた。
「……ありがとう」
フィオナがその手を取って言った。彼女の指はレオンの手の中で震えていたが、その瞳には初めての確かな希望の光が灯っていた。
月明かりは東屋を優しく照らし、まるで新しい始まりを象徴するかのように二人を包み込んでいた。レオンの騎士としての誓いとフィオナの信じたいという想いが一体となったこの瞬間、二人の間に新たな絆が生まれた。
フィオナは静かに誓った。今度こそ、大切な人を失わない。今度こそ、自分の運命を自分の手で切り開く。そのために、もう一人で抱え込むことはしない。
レオンの手を握りしめながら、フィオナは星空を見つめた。明日、神殿に向かうことになっても、彼女はもう一人ではない。それだけが、この夜の大きな希望だった。
お付き合いありがとうございました。
今世では本当にフィオナはいい人たちに恵まれましたね。
なおのこと〝モブ生活〟を続けさせてあげたいんですが……。
次回もお楽しみに!




