第13話 王都襲撃、その時
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今回はフィオナが王都の神殿に召喚された日のお話です。
早朝の光が王立騎士学校の正門を照らす中、フィオナは神殿の使者たちに囲まれていた。朝靄がまだ薄く立ち込め、石造りの門と学校の建物を幻想的に包み込んでいる。フィオナの顔には緊張と決意が刻まれていた。
厳かな雰囲気の中で出発の儀式が執り行われていた。神殿の使者たちは光の神ルミアの紋章が施された白と金の衣装に身を包み、威厳のある様子で立っている。彼らの表情には感情の欠片もなく、まるで人形のようだった。
学生たちは遠巻きにフィオナを見送っていた。彼らの間には「聖女候補」という噂が広まりつつあったが、多くの学生にとっては、友人が突然神殿に召喚されることに驚きと不安を感じているようだった。
「お嬢さん、すべては神と王国のためだ。恐れることはない」
神殿の使者が事務的に告げる。彼の声には暖かさはなく、まるで何度も同じセリフを繰り返してきたような間延びした響きがあった。
フィオナは息を深く吸い込み、控えめに頷いた。
(これが今世での最後の自由だったかもしれない……)
フィオナの心には覚悟と不安が入り交じっていた。銀色の髪が朝風に揺れる様子は、まるで別れを惜しむかのようだった。
「必ず戻ってくるんだよ!」
人垣の向こうからリリィの声が響いた。彼女の赤い髪が人々の間で目立ち、手を振る姿が見えた。その隣にはマークも立っていて、彼もまた懸命に手を振っていた。
フィオナは小さく手を振り返した。心の中では、友人たちへの感謝と別れの寂しさが募っていた。
「さあ、出発だ」
神殿の使者が冷淡な態度で告げる。彼は手で馬車を示し、フィオナをそちらへと促した。
フィオナは神殿に向かう馬車に緊張した面持ちで乗り込んだ。馬車の内装は予想以上に豪華で、柔らかな赤い絨毯と白木の座席が美しく調和していた。しかし、それはあくまで「貴重品」を運ぶための包装にすぎないと、フィオナは感じていた。
馬車の扉を閉める音が無情に響き渡る。重厚な木の扉が閉まる音は、まるで牢獄の扉が閉まるようにフィオナの耳に響いた。
遠巻きに見送る学生たちから少し離れた場所、樹木の陰に隠れるようにしてレオンが立っていた。彼の灰色の瞳は真剣な光を宿し、フィオナの馬車を見守るような視線を送っていた。
王都へ向かう馬車の中で、フィオナは神殿の使者たちに囲まれて座っていた。窓から入る光は徐々に暗くなっていき、フィオナは違和感を覚えた。本来なら明るくなるはずの朝の光が、なぜか薄暗くなっているのだ。
落ち着かないフィオナの心情とは裏腹に、窓から見える景色は不自然に静かだった。鳥の鳴き声も聞こえず、道端の草花さえも風に揺れることなく、異様な静けさに包まれていた。
空を灰色の雲が覆い始めた。しかし、それは通常の雨雲とは違う、どこか不自然な色合いを持っていた。灰色というより、薄闇のような黒みを帯びた雲だった。
「馬たちが落ち着きません。何か嫌なものを感じているようです」
御者が馬車の窓から神殿の使者に告げた。その声には不安が混じっていた。馬たちは耳を立て、鼻を鳴らし、不安げに首を振っていた。
「急ぎましょう。この雲は……」
馬の不安な鳴き声に神殿使者たちにも焦りの色が見え始めた。彼らは窓の外を見つめ、互いに目配せをしていた。彼らの表情が硬くなるのを見て、フィオナはますます緊張した。
フィオナは窓から外を見て、遠くに黒い靄のようなものが広がり始めているのに気づいた。それは地面から立ち上る煙のようでもあり、空から垂れ下がる雲のようでもあった。しかし、フィオナにはそれが何であるか分かっていた。
「……瘴気?」
窓の外を見ながらフィオナが呟いた。彼女の前世の記憶が呼び覚まされる。瘴気――魔王の力の源であり、生命を蝕む闇の力。前世では、彼女はその力と対峙し、魔王を封印したのだ。
「何か言ったか?」
向かいに座る神殿使者が鋭く尋ねる。彼の目には疑念の色が浮かんでいた。
「いいえ……何も」
フィオナはそう答えながらも瘴気を感じて警戒を強めた。彼女の指先が小刻みに震え始めた。瘴気が現れるということは、魔王軍の残党が動き出したということ。そして、この事態は彼女が神殿に召喚されたことと無関係ではないはずだった。
王都エルドフェインに入ると、フィオナたちを予想外の混乱が迎えた。
華やかな首都の広場には黒い霧が漂い、不気味さを増していた。灰色の石畳の上を黒い霧が蛇のように這い回り、霧に触れた草花が枯れていくのが見えた。市民たちは恐怖に駆られて走り回り、街は完全に混乱状態に陥っていた。
「逃げろ! 黒い獣が人を襲っている!」
騒然とした街の中を人々が逃げ回っていた。女性たちの悲鳴と子供たちの泣き声が響き渡り、その混乱の中で衛兵たちが必死に秩序を保とうとしていた。
「皆、屋内に避難を!」
衛兵たちが市民を誘導する。しかし、黒い霧の中から現れる影のような魔物の姿に、避難の列からも悲鳴が上がった。「魔物が出た」という叫び声と恐怖が蔓延していた。
馬車の中で、神殿の使者たちも動揺を隠せなかった。彼らは互いに顔を見合わせ、困惑の表情を浮かべていた。
「こんな時に……神殿に急がねば」
神殿の使者たちは動揺しながら神殿に急ぐよう御者に告げた。しかし、フィオナの目に映るのは、恐怖に怯える市民たちの姿だった。
(でも、人々が危険に……)
フィオナに聖女の力を使うか秘すか、葛藤する表情が浮かんだ。前世の彼女なら迷わず人々を救うために力を使っただろう。しかし今は、その力を隠すことが彼女自身の生存と自由を守る唯一の道だった。その矛盾に、胸が締め付けられる思いがした。
◇
王立騎士学校の大講堂には、校長や教官たち、そして全学年の学生たちが集まっていた。朝の陽光が高窓から差し込み、大講堂内部を金色に染め上げていたが、集まった者たちの表情はどれも硬く緊張していた。
王都から届いた危機の知らせを受けて緊急集会が開かれていたのだ。校長が壇上に立ち、重々しい表情で話し始めた。
「王都に魔物が出現したとの一報が入った。騎士団の要請で上級科生はこれから実戦支援に向かう」
校長の声は大講堂に響き渡った。彼の目には厳しさと心配が混ざり合っていた。学生を実戦に送ることへの責任の重さを感じているのだろう。
騒然とした大講堂に緊迫した空気が張り詰める。学生たちの間からは驚きの声と恐怖の呟きが聞こえた。しかし、高学年の上級科生たちは落ち着いて頷く。彼らは日頃の厳しい訓練のおかげで、こうした事態にも冷静に対応できるよう鍛えられていた。
「一・二年生は学校防衛に当たれ。いいな?」
エリク教官が冷静に指示をした。彼の隻眼には強い決意が宿っていた。低学年生は恐怖の表情に顔を曇らせながらも、使命感に大きく頷いた。彼らにとって、これは初めての実戦の危機だったが、騎士としての誇りが彼らを支えていた。
講堂の最前列に座っていたレオンが突然立ち上がった。彼の表情は真剣そのもので、声には揺るぎない決意が込められていた。
「フィオナ・リースが王都へ向かっています。彼女の救助隊を編成しなくては」
レオンが毅然と提案した。彼の声は静かながらも、確固たる意志を感じさせた。
他の学生たちから驚きの声が上がる。校長はレオンをじっと見つめ、その熱意を理解しつつも、冷静な判断を下さなければならなかった。
「アーヴィス君、心情は理解するが……今は王都全体の安全が最優先だ」
校長が冷静に答えた。彼の声には共感と厳しさの両方が含まれていた。一人の学生のために特別な救助隊を編成することは、現状では難しいと言わんばかりだった。
レオンは一瞬だけ歯を食いしばったが、すぐに冷静さを取り戻し、静かに席に戻った。しかし、彼の瞳には諦めの色はなく、むしろ秘めた決意が燃えていた。
◇
王都では王国騎士団が避難する市民を誘導しながら、黒い霧から次々現れる異形の魔物と戦闘していた。黒い霧がまるで生き物のように蠢き、その中から現れる魔物たちは通常の獣とは似ても似つかぬ姿をしていた。
それらの魔物は「何者かの意志」を感じさせる攻撃パターンで騎士団を追い詰めていた。単なる野生の獣のような無秩序な攻撃ではなく、まるで計画的に騎士団の陣形を崩そうとしているように見えた。
「斬っても斬っても再生する! 何なんだこいつらは!」
騎士団長が叫んだ。彼の剣は何度も魔物を切り裂いたが、切り口から黒い霧のようなものが漏れ出し、傷が瞬く間に修復されていった。
「隊長! 魔法攻撃も効きません」
若い騎士が叫ぶ。彼の放った火の魔法は魔物に直撃したにもかかわらず、まるで霧の中に吸い込まれるかのように効果を示さなかった。
騎士団は奮闘するも通常の攻撃では倒せない魔物たちに苦戦していた。瘴気が濃い場所では騎士たちの生命力を奪い士気も下がってきていた。体力の消耗が早く、動きも鈍くなっていくのを騎士たちは感じていた。
「王城に連絡を! 聖女の力……いや、光の魔法使いが必要だ!」
騎士団長が王城への救援を指示した。彼は一瞬「聖女」という言葉を口にしかけたが、すぐに言い直した。彼にとって、伝説の聖女は過去の存在であり、今必要なのは現実的な救援だった。
その様子を高台から眺める白髪の男がいた。渦巻く黒い霧の中でも、彼だけはまるで霧が避けているかのように、明瞭な姿で立っていた。男は不気味な微笑を浮かべ、混乱する王都の様子を眺めていた。彼の赤い瞳には冷たい計算と憎悪の色が宿っていた。
王都の路地裏では魔物に襲われ、神殿への道を断たれたフィオナたち一行がいた。狭い路地の閉塞感と逃げ場のない緊迫感が彼らを包み込んでいた。
フィオナを守るように前に立っていた神殿の使者が、黒い霧から現れた魔物の鋭い爪に胸を引き裂かれ、血を流して倒れていた。他の使者たちも防戦一方で、彼らの魔法は魔物にほとんど効果がなかった。
「逃げろ……神殿まで行けば……」
魔物に襲われ、血を流す神殿使者が言った。彼の顔は青ざめ、目は焦点を失いかけていた。それでも、最後まで「聖女候補」を守ろうとする使命感が彼を支えていた。
「置いては行けません!」
神殿使者を支えながらフィオナが言った。彼女の青い瞳には決意の色が浮かんでいた。たとえ彼らが彼女を「道具」として扱おうとしていたとしても、目の前で傷つく人を見過ごすことはできなかった。
「いや……聖女候補を危険に……晒すわけには……」
神殿使者は息も絶え絶えになりながらも使命感から言った。彼の目に初めて、人間らしい感情――守るべき対象への真摯な思いが浮かんでいた。
フィオナは自分の手を見た。この手には聖女としての力、前世から受け継いだ浄化と癒しの力が眠っていた。それを使えば、魔物を浄化し、負傷した使者を癒すことができるだろう。
(力を使えば正体がバレる。でも、このままでは……)
葛藤するフィオナに向かって魔物の群れが飛びかかろうとしていた。黒い霧が渦を巻き、そこから現れた赤い目を持つ影のような生き物が爪を振り上げた。フィオナは咄嗟に目を閉じ、防御の姿勢を取った。
しかし、予想された衝撃は訪れなかった。代わりに、魔物の鋭い爪を一筋の剣が払い除ける音が響いた。
「フィオナ! 無事か?」
颯爽と現れたレオンが叫ぶ。彼の黒い制服は埃で汚れ、息も荒くなっていたが、その剣さばきは鮮やかだった。危機一髪で騎士学校からの援軍が到着したのだ。
レオンに続いて数名の上級生が現れ、魔物たちを押し返していた。その中でも目立つのがカイルだった。彼はここが見せ場とばかりに華麗な剣技で魔物を足止めしていた。燃えるような金色の瞳と栗色の髪が戦場で輝き、彼の剣さばきは流れるような美しさを持っていた。
フィオナの表情に安堵の色が浮かんだ。絶体絶命の状況から救われた安心感と、レオンが現れたことへの驚きが入り混じっていた。
「魔物は一時的に抑えているけど、また集まって襲ってくるぞ!」
カイルが警告を叫んだ。彼の視線は既に次の脅威を感知しているかのように鋭く周囲を見回していた。
「レオン先輩……どうしてここに?」
フィオナが緊張した面持ちで尋ねた。彼女の声には驚きと感謝と心配が混ざり合っていた。
「約束した。君を守ると」
真剣な表情でレオンは答えた。彼の灰色の瞳には迷いはなく、ただ使命感と強い意志だけが宿っていた。
しかし、安心したのもつかの間、路地の入り口からも出口からも黒い霧が渦巻き始め、その中から再び魔物たちの姿が見えた。さらに多くの魔物が四方八方から現れ、フィオナと騎士学校の学生部隊を取り囲み始めた。
四方を囲まれる絶体絶命の状況に陥り、一行の表情が曇った。
「完全に包囲された……突破口を作れればいいんだが」
カイルが歯を食いしばりながら言った。彼の剣は既に何体もの魔物を斬り伏せていたが、その刃は欠け始め、握る手にも血の滲みが見えた。
「全員、背中合わせで陣形を! 最後まで戦うぞ!」
レオンが学生たちを鼓舞する。彼の声は冷静さを失わず、あくまで指揮官としての自覚を持っていた。
「こんな数、無理だよ……」
震える学生の声が響いた。彼の顔は青ざめ、剣を持つ手が震えていた。それでも必死に勇気を振り絞り、陣形を保とうとしていた。
「私がなんとか――」
フィオナの覚悟した言葉を遮るように、四方から黒い魔物の群れが迫り来ていた。学生たちの表情には恐怖の色がにじみ出ていた。しかし、レオンとカイルの目には諦めはなく、最後まで戦う決意が燃えていた。
魔物たちの背後では瘴気に溢れた不気味な影が揺らめいていた。その正体は誰にも見えなかったが、フィオナだけは感じていた――魔王の呪いを引き継ぐ者、憎しみの源が近くにいることを。
お付き合いありがとうございました。
それにしても有言実行のレオン先輩、なんて格好いいんでしょう!
あのセリフの前ではカイル先輩の剣技も霞んでしまいます……。
カイル先輩も頑張れ!!
次回もお楽しみに!




