それぞれの道
あっという間に、四年と五年の課程が終了し、六年の七月いっぱいで臨床実習も終了した。
八月からは秋に行われる卒業試験、冬の医師国家試験に向け、自主的な勉強が始まった。
精華医大では希望すれば、グループ単位で勉強部屋を与えてもらえたので、友達とグループを作り、互いに得意科目を教え合った。
夏休みの間には、卒業後の研修先の病院を決め、試験を受けに行った。
目の回るような一年だったけれど、友達の存在が、すぐ近くにあったからこそ、それを励みに頑張ることができた。
そして、佑太はあの日の言葉通り、僕達と一緒に卒業試験も国家試験も無事パスし、美容の専門学校に通い始めた。
僕と他の友人は、臨床研修をする病院も、それぞれ無事に決まり、まず二年間の初期研修が始まった。
この研修期間で、様々な診療科を回り、自分の希望診療科を決める。次に、後期研修医として三年ほど専門的な研修を受ける。
この後期研修では、指導医資格を持った医師から指導を受け、専門医の資格取得を目指す。
僕は血管外科を目指した。指導医だった、医師の姿に憧れたからだ。
後期研修で病院を変える人もいるけれど、僕は同じ病院で研修を続けた。
研修をしていた中規模総合病院は、アットホームな雰囲気だった。各診療科間の垣根が低く、医師間をはじめ、他職種間
との連携が取りやすいのがありがたかった。
そして、各診療科の指導医による、ミニレクチャーが月に二回ほどあり、それも勉強になった。
当直日もあったし、勤務後に研修医室で勉強することも、しばしばだった。今、思えば頑張りすぎだったような気もするけれど、苦ではなかった。
医師という責任のある職務を、自分のものにしようと必死だった。
そして、心のどこかで、新たな道を切り開いているであろう佑太のことを、励みにしていたような気もする。
臨床研修を終え、僕は外科医として、ようやく医療業務に携わることが、できるようになったのだった。
佑太とは卒業後も、頻繁にではないけれど、連絡を取り合っていた。専門学校を卒業後、一旦は大規模の美容室に就職し、その後は経験を積むために、小規模や個人の店舗を転々としているようだった。
その中で、彩さんと出会ったことを聞いていた。佑太曰く彩さんは「自分の夢をしっかり持っている子」だったそうだ。
年齢は佑太より二つ下で、何でもそつなくこなすと話していた。あの佑太がそう言うのだから、よっぽどしっかりしているのだろう。
彩さんは管理美容師を目指し、佑太は福祉美容師を目指す。互いに資格を取り、落ち着いたら結婚して、二人で店を持とうという話になっていたようだ。
それが先日の結婚式だった。確かに二人は輝いていた。




