第十六章 封土
翌朝、沈帰塵が頂上に着くと、高田はもうそこにいた。古墳の前の草地に座り、ノートを膝の上に広げている。朝日が低く、二人の影は長く伸びていた。
「来てたんですね」
「仕事の前に」
高田は立ち上がった。目が少し赤い。眠れていないのだろう。彼はノートを開き、あるページを差し出した。そこには手書きの地図があった。若草山の全体図。古墳の位置。水脈の流れ。
「これは先生のノートを写したものです。先生が遺したものから、自分で起こしました」
沈帰塵はそれを受け取り、黙って見た。線が細い。丁寧だ。数字がいくつか書き込まれている。気温、湿度、水位。毎日、毎日、記録されていた。
「二十年分、あります」
「ずっと、続けて?」
「たぶん、ずっと」
沈帰塵は地図を返した。そして古墳の封土の前にしゃがみ込んだ。昨日と同じ場所。青みがかった黄土色の土に、赤黒い粒が混じっている。彼は指で一粒を摘み取り、掌の上で転がした。乾いている。固い。
「何かわかりますか」高田が尋ねた。
沈帰塵は答えず、封土の縁を指でなぞった。一筋の溝のような跡がある。誰かが何かを撒いた痕跡だ。彼は顔を近づけ、その粒を嗅いだ。かすかに鉄の匂いがした。
「朱砂だ」
「しゅしゃ?」
「硫化水銀。赤い顔料。古くは、祭祀や埋葬に使われた」
高田はノートに書き留めた。沈帰塵は立ち上がり、古墳の周囲を一周した。東側、南側、西側、北側。それぞれの地点で、彼はしゃがみ込み、地面に手を触れた。温度が違う。場所によって、地面の冷たさが異なる。
「ここは、誰かが掘り返した」
彼は北側の地点を指した。草の根元が浮いている。土が新しい。入れ替えられた痕跡があった。
「遺体を動かすような掘り方じゃない」
「じゃあ、何のために」
「何かを埋めるために。あるいは、何かを取り出すために」
高田は何も言わなかった。沈帰塵は東側へ移動し、また地面に手を当てた。ここも温度が違う。しかし、こちらは冷たい。掘り返されてから、まだ時間が経っていない。沈帰塵はその場にしゃがみ込み、周囲の苔を指でなぞった。苔は薄く、新しい。半年以内に剥がされた跡があった。
「誰かが、ここにも来ている」
「先生の――」
「先生のあとに、誰かが来ている」
高田の顔色が変わった。沈帰塵は立ち上がり、古墳の中央を見た。草が風に揺れている。裏では何かが動いている。目には見えない。
「あなたの先生は、この山の下の水を守っていた。誰かがその水を動かそうとしている。あなたの先生は邪魔だった」
「先生を殺したのは――」
「わからない。私にはわからない」
沈帰塵は高田の目を見た。
「だが、この山が変わったことは確かだ。あなたの先生が二十年かけて作ったものが、壊されようとしている」
高田はノートを強く握りしめた。しばらく沈黙が続いた。風が吹いている。冷たい風だった。
「どうすれば、いいですか」
高田の声は小さかった。沈帰塵は古墳を見つめていた。
「まずは、ここに座ることだ。毎日。あなたの先生がしたように。山を観察する。変わらないことのほうが、結局は一番難しい」
彼は振り返らずに歩き出した。高田はその背中を見送った。風が、草を倒していく。どこからともなく鳥の鳴き声が聞こえた。高田はノートを開き、今日の日付を書き、一行だけ書き加えた。
「朱砂。掘り返された跡。誰かが、まだ来ている」




